研修
星奈にとって初の休憩時間は非常に気まずいものとなった。
恐らく層移動者の話題を振ってしまうと毎回このような事が起こるのだろう。
相談窓口の休憩室から退散し、今朝方居たBLCの休憩所に向かう事も出来たが、自分の言葉で重くした空気なのだから、と、星奈は逃げ出す事をしなかった。
午後からは予定通り研修が始まった。
最初に簡単な研修DVDを見せてもらい、その中でわからない事があれば北条に説明して貰うという流れだ。
基本的な内容は一般常識として小学校の時から教わっている為、おさらいに近いものとなった。
その殆どはニューレストに対しての注意事項だ。中心地に近づいてはいけない、中心地の事を詮索してはいけない。
今時小さい子供でも知っているような事を、敢えてここでも見せる事で外部に情報を流す事が罪悪感に繋がるように仕向けているのだろう。
計二時間程のDVDを見終わった後少しだけ休憩を挟み、続いては座学の時間だ。
北条は事細かに仕事の内容やマニュアル的な対応方法を、星奈の脳裏に刷り込ませる様に何度も同じ事を話していたが、北条の教え方はお世辞にも上手いとは言えない。
星奈が初めから相談を成功させて見せたので、北条が期待して一気に教え込ませようとしているのが見て取れた。
たった一日で全ての業務内容を覚える事などどんな人間でも無理な話し。
だが彼の教え方も仕方の無い事なのだろう。
彼の話しの内容は今後相談を受ける時に全て役に立つ。
緊急ボタンの様に絶対に教えておかなければならない事以外にも、山程覚えなければならないことがある。今朝方疑問に思った機械整備課との関係の取り方などもその一つだ。
小一時間に渡り長々と講義を続けていた北条が少し疲れたのか、一度区切りをつけた。
「どうですか?わからない事があれば直ぐに教えてください。初めからやれという事は流石に無理だと思いますが、ある程度基礎的なものは覚えてください」
「あの……一ついいですか?」
北条は自分でわからない事は言え、と言ってきたにも関わらず舌打ちをしそうなほど嫌な顔を作っていた。その事から、ただの社交辞令で話したのだろう。
だが星奈は御構い無しに話した。
「話しが長過ぎて何一つ入って来てません!」
その言葉に、北条の口角は釣り上がり明らかに呆れた表情を見せた。だが彼も接客のプロだ。怒りの感情を表に出さない様に笑顔の仮面を作り上げた。
「……メモを見返してしっかりと覚えるまで今日は残業してください」
「メモ取ってませんけど?」
今度こそ北条の堪忍袋の尾が切れた。いや、星奈が引き千切った。
「お前今迄何してやがった!?俺も暇じゃねぇんだぞ!」
「いや〜北条さんも敬語使えるんだなと思ってました。不思議な人だな〜と」
星奈の素直な感想だった。二日間見てきた北条は、二重人格の様な節がある。
敬語を使わず荒々しい口調で話すときの方が星奈にとっては好印象だ。
敬語を使っている時は、全て他人事で終わらせようとしている気がして、自分には敬語を使って欲しくなかったのだ。
その為、敢えて怒らせるような言動を取り、素の彼との対話をした。
勿論メモを取る振りだけして北条の顔の落書きをし、暴言を横に書いていたのもその為だ。早く終わって欲しかったとか、変な髪型とかは決して、断じて思ってはいない。
北条は星奈の想いを感じ取ったのか、ため息を吐き捨て、荒々しい口調で再度講義を始めた。
先程よりスパルタになった気がしたが、星奈にとっては腹を割って話せる此方の方が良かった。
だが、知識が身につくか否かはまた別の話である。
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数日間北条の時間のある時には研修を、それ以外の時には他の職員と共に相談員の仕事をこなした。
そのなかで層移動者が出る事はなかった為、それとなくどの位の頻度で出るのか対馬に訪ねてみた所、月に一度あるか無いか、との事だった。
そう何度も起こる事ではないと知り星奈は安堵した。毎日の様にあの様な状況に遭遇するとなれば、転職も視野に入れて考えなければならないからだ。
そして初の休日を迎えた。
BLCの仕事はーー機械整備課以外の部署はーー学校などと同じで週末が休みとなる。星奈は折角の休日だが、初日は家の中で疲れを癒した。
次の日、両親の居る実家に帰った。
帰ったと言ってもつい最近まで一緒に暮らしていた上家も近い。近所に遊びに行く程度の感覚で行ける。
他の殆どの家庭もそうなのだが星奈の家庭は一人っ子だ。それは神の作った法則の所為だと皆が口を揃えて答える。
家族であっても殴り合いの喧嘩をした時点でブラックリスト入りなのだから仕方のない事だろう。
もしそうなっても層民課に行って手続きさえすれば数日後には元通りに出来る。
だが、毎度毎度そんな事をするのは手間である。子供が小さい頃などは毎日の様に通う羽目になる。
他の子供との喧嘩を避ける為、兄弟がいなくても物心着くまでは家で育てるのが常識となっている。その上兄弟がいると両親の負担が大きくなり、それこそ問題が起きる可能性も高くなる。
年々厳しくなるブラックリスト制度に伴い少子化問題が加速しているが、ニューレスト達はそんな事御構い無しだ。
そういった世界事情もあり一人っ子でも不思議では無い。むしろ子供を育てるだけで十分だと言える。
一人の子供に対して手間が掛かっている分愛情も深い。
特に星奈の家族は仲が良い部類だ。
この日、星奈は実家に置いてあるお気に入りのソファーに座り、母親に仕事の愚痴をこぼしに来ていた。
「母さん聞いてよ〜北条とかいう上司がさあ、私の事を馬鹿にするのよ。それも初対面の時から!」
「それじゃあその人は見る目があるわね。あなたは馬鹿よ」
「酷い!そんなに馬鹿じゃ無いですよ〜だ。これでも勉強は出来るもん!」
星奈は胸を張り、高らかに言い放った。
その仕草を横目に、星奈の父はため息を溢した。
「……勉強は、ね。こんなに早く帰ってくるから何事かと思ったけど、まさか最初の週で愚痴がボロボロ出てくるとは思わなかったよ。お前本当にBLCでやっていけるのか?」
先日の警備員に追い出された男性が頭にチラつくが、頭を振ることでそれを振り払った。
「やって見せるわよ!私に掛かればあんな上司もケチョンケチョンにしてあげるからね!」
「ブラックリストに入れられない様にだけ気をつけなさいね。ニュースでやっていたけど、あなたの幼馴染の千佳ちゃん、最果て行きになったんですってよ」
それは星奈にとって驚愕の報せであった。
星奈の幼馴染の千佳は同じく第一層に住んでいた。中学までは同じ学校で一緒に遊んだり、家に行ったりしていたが、それ以降全く会っていない。
だが、それでも知り合いが最果て行きになるという事が衝撃だった。
母の話では、千佳は中心地の事を調べ回っていたらしく、ニューレストにその事がバレて即座に最果て行きとなったそうだ。
通常の層移動と違う所は猶予が一切ない事だ。
先日遭遇したあの男性の場合通常の層移動だった為、一週間の猶予の後自主的、または強制的に移動させられただろう。
だが最果て行きの場合は違う。中心地に住まう人々の力で強制的に飛ばされるのだ。
親しい者に別れも出来ず、ただただ過酷な地へと飛ばされる事は事実上の死刑と同じ事なのだ。
星奈は純粋な好奇心から最果てに一度行ってみたいと思っていたが、もしその時に千佳が居たならば話しが聞いてみたいと考えた。
そして、最果て行きとなったその友達が、最果てでも暮らしていける事を祈った。
「折角帰ってきたんだ、暗い話ばかりも嫌だろう?どうだ、その嫌な上司以外に仲良くなった先輩とかいないのか?」
重たくなっていた空気を払拭すべく父が気を利かせてくれた。
「そうだね〜。一宮先輩は美人だけど何故か結婚出来ないっていう面白い人かな」
「美人なのか?ーーそうか。今度家に……いや、何でもない」
美人という言葉に鼻の下を伸ばしていた父だが、母の鋭い眼光を浴び、自分の願望を断念した。
「仲良くはなれたと思うから、機会があれば私のアパートの方で飲み会なんてのはしてみたいかな。何で結婚出来ないのか分からない位優しい人だよ」
「良い先輩に出逢えて良かったじゃない。格好良い男性は居ないの?」
「うーん……どうだろう。他の課の人で紳士的なイケメンは発見したけど、話した感じ私とは合わないし……顔だけなら北条先輩も良いんだけど、あの髪型と二重人格は何とかしないとね。うん、まだ好きな人は出来ないかな」
「あんた何時までも誰とも付き合わないなんて言わないわよね?あんたもその一宮って人と同じになるかもしれないわよ?」
母の言う通り、今年23歳を迎える星奈は誰とも付き合った事がない。星奈の明るい性格や容姿から、告白してくる男性はいたのだが、好きでもない人と付き合う事を躊躇ったのだ。
詰まる所、今迄の人生で好きになれる様な人に出逢えなかったのだ。
恋愛経験がないどころかそういった事に興味が無いと言い換えても良い。
母がそんな星奈を見兼ね、20歳の誕生日の際にお見合い相手を探して来たのはまだ記憶に新しい。
「お母さん、前の話をぶり返さないでよ。良い人に逢えるまで私は誰とも付き合わないし結婚もしないからね。あ、そういえば!BLCに掃除に来てる男の子!その子がーー」
「え?なに?あんた年下が好きなの?」
「もう!違うって、その子が中心地から来てるって言ってたからニューレストの人なのかなって」
星奈がニューレストや中心地という単語を口に出した途端、両親の表情は一気に青ざめた。
「ーー星奈も分かっているだろうけど、その子と関わっちゃいけないわよ。誰かに見られて告発でもされたらあんたも最果て行きよ?」
「私でもその辺は分かってるって。でも、何か可哀想だなーって思うの。だって折角中心地から出てきたのに誰も話しかけて来ないんだよ?」
「その子には悪いがお母さんの言う通りだ。ニューレストの子供に話しかけるなんてしないに越した事は無い」
この世界においてニューレストはそれだけの地位と権力がある。神の代行者として選ばれるその人々は全てにおいて正しいのだ。
中心地を聖域として、ごく一部を除いた層民は近づく事すら許されていないのだから。
星奈は今の世界の現状を疑問に思っていた。
ニューレストを神そのものの様に扱うのはどうなのだろうと考えてしまうのだ。
確かに神そのものはとても有難いもので、ブラックリスト制度が無ければ世界には犯罪が蔓延っていただろう。
加えて、大昔のニューレストが決めた「暴力を行うものはブラックリスト登録をされる」という制約も、無ければ人間同士で争いが起きていたかもしれない。
それでも今の制度に納得が行かない。
他の人々はどうなのか?不思議な事に殆ど全ての人がこの現状を受け入れて生きている。
いや、もしかしたら不満がある者もいるのかもしれない。だが、そんな不満も行動に出さなければ不満が無いのと同じ事だ。
星奈もその内の一人だろう。
そこで星奈は考える。
神様が実在しなければどんな世界になったのだろうか、と。




