終幕
突如入ってきた豚のような老人は、怒りに任せて吠えた。その声は部屋中どころかこの建物内に響き渡るほど大きく、とても不快なものだった。
「法善寺さん、僕はもう傍観者じゃ無いんですよ。というより元々傍観者でも無かったんですが……」
「御託はいい!汚い手でそれに触れるな!さもなくば全員最果て行きにするぞ!」
星奈は状況が飲み込めず、後退りながら老人の様子を伺った。
「星奈ちゃん、こいつが法善寺善次郎。簡単に言ったら諸悪の根源よ」
「この人が……」
ブレインのシステムを歪め、自分の為だけに都合の良い世界に作り変えた男。その容姿は思っていたより醜く、思っていたより威厳が無い。世界を裏で牛耳っていたとは到底思えない。
それもそうだろう。最強の武器を手に入れただけで元はただの人間だ。気に入らない事は全て自分の思うように変え、自分を罰する者は最果てに飛ばしていたのだから。
「何をしている!お前も神だな!?全員私のものから離れろ!」
星奈はどう動くべきなのか考え、津雲に指示を仰いだ。
津雲は微動だにせず、冷酷な目を作り老人と真っ向から対決しだした。
「法善寺さん、あなたはもう終わりなんですよ。一回警告しましたよね?今のまま続けるべきでは無いと」
津雲の言葉に身に覚えがあったようだが、老人は決して怯まない。怒鳴り声を上げ続け星奈、対馬の間を縫うように通ってブレインの操作を始めた。
途端、何かに気づいた様子で、怒っていた顔が更に赤くなったような気がした。
「貴様!これに何をした!最果てに飛ばすぞ!」
「法善寺さん、先程も言いましたよね?あなたはもう終わりなんです。これ以上大罪を重ねるなら世界の果てに落ちますよ?」
必死にブレインの操作を続ける老人だが、操作が出来ないことで諦めたのか、手を止めて津雲に睨みを利かせた。
「ほぉー。そんな脅しをするならブラックリスト入りだろう?お前達は直ぐにブラックリストに入れてやる!」
「法善寺、あんたもう終わってるのよ。それにね、ブラックリストに入れることが出来るのは個人だけって規則はね、一人の人間のみって規則なの。神をブラックリストに入れるなんて出来ないわよ」
対馬の言葉により、やっとのことで今の状況を掴めて来たのか、老人は跪き、手のひらを返して懇願を始めた。
「頼む!儂は何も悪く無いんだ!悪いのは……えっと……そうだ!暴動を起こしているあいつらだ!あいつらが儂を嵌めたんだ!そうに違い無い!」
その姿はあまりに惨めで、あまりに弱々しい<人間>だった。自分の身の危険を察したのだろう。津雲や対馬という神を敵に回しておきながら、平気な顔で分かりやすい嘘までつく。
星奈は、そんな老人に目を向けるのも嫌気がさした。
老人が長々と言い訳や擦りつけを続ける中、刻一刻とシステムの変更はされていく。
今ここで世界の法則が塗り替えられているのだ。
老人の言動に呆れ果てた頃、先程老人が入ってきた扉とは真反対にある扉が静かに開いた。
そこに現れたのは真っ白の長髪にボロボロのローブを羽織った青年。右手には血に染まった機械仕掛けの短刀を持ち、その表情は至って冷静なものだ。その横には疲れ果てた表情の羽柴を率い、ゆっくりと部屋の中へ進入してきた。
突然の闖入者に、星奈は驚く事は無かった。彼がこの場に来るのでは、と思っていたから。そして、それを待っていたから。
影矢の目的はブレインの破壊とこの惨めな老人の殺害だか。先程廊下で遺体を発見した時に覚悟は出来ていた。
影矢はこの場に星奈や対馬がいる事が不思議でならない様子で、一瞬だけ戸惑った表情を浮かべたが、目的の人物を視認しいつもの冷静な表情に変えた。
星奈は影矢に向き直り、手に持った刃物に目線をやった。
「ーー影矢くん、聞かせて欲しいな。岡田さんや外にいた人を殺したのは君?」
「……今更隠す気はありませんよ。その通りです。祖父や両親が残してくれたこの小刀は人を殺しても法則に引っ掛かりませんので。逆に言えば僕にしか殺しは出来ないんですよ」
対馬に言われた時点で覚悟はしていた。目の前にいるこの青年が人を殺す可能性も充分にあった。それどころか一度は自分も疑っていた。その上、本人の口から自白が取れた。だが、星奈は信じたく無いのだ。
「……冗談じゃ無いんだよね?」
「冗談でこんなことしませんよ。直ぐ終わりますので、邪魔しないでくださいね」
影矢は問答無用と言わんばかりに手に持った短刀を構え、地に伏してボロボロと泣いている老人の元へ歩みだした。
それに気づいた老人は慌てて立ち上がり、津雲に縋り付いて助けを求めた。
だが、津雲は微動だにしない。事の成り行きを見守るつもりでいるのだろう。何も言葉を発さず、老人を払いのけた。
星奈は影矢から目線を変えず、じっと見つめたまま説得を始めた。
「影矢くん、少しだけ話しをしない?」
「ーー何でしょう?」
「ブレインは壊さなくても良くなったわ。最果ての人達も四層には戻れるようにして貰えると思う」
「……それで? だからこの男を殺すな、とでも言いたいのですか?ブレインの破壊なんて俺にとってはただのオマケに過ぎませんよ。俺が本当にしたかった事。祖父を……いや祖父だけじゃ無い。集落の皆を、そして両親を死に追いやったこの外道を殺す事だけを目的に生きてきた!今更止めろなんて言いませんよね?」
いつもの温厚なベールを脱ぎ払い、出てきたのは本当の影矢だ。それはどこまでも純粋で、どこまでも子供だった。
彼にはそれ以外何も無いのだ。例え自分の手を血で染めようとも、皆の想いをその小さな両肩に背負い歩いて来たのだから。
星奈は影矢に威圧され、言葉を失った。何と言えば止める事が出来るのか、何と声を掛けるべきなのか分からなかった。だが、口よりも先に身体が動いた。
老人と影矢の間に割って入り、そして影矢をギュッと抱き締めた。
「影矢くん、もう終わったんだよ。もう気負わなくても良いんだよ?集落の皆も自由に生きていけるし、これで納得してくれると思う。それにね……あなたももう自由に生きて良いんだよ?」
影矢は嫌がらない。星奈から発せられた一つ一つの単語を繰り返し、小さく呟く。
星奈の導き出した言葉は心の底から出た言葉。その全てが影矢の心のわ奥底に流れ込んだ。
「何を……言って……いるんですか? 俺は……僕は……皆の為に……」
影矢は握りしめていた短刀を落とした。涙に震え、星奈を抱き返し、大きな声で子供のように泣き始めた。
その姿は年相応の、いやそれ以上に子供らしく、溜め込んできた想いを吐き出すように泣き続けた。
星奈も服が汚れる事など御構い無しに、手の中で泣き喚く、赤ん坊のような影矢を抱き締め続けた。
「もう良いんだよ。もう大丈夫だよ」
星奈は母親のように影矢に語りかけた。
その背後にゆっくりと迫る一人の老人。老人は影矢の落とした短刀を手に持ち、奇声を発しながら星奈に斬りかかった。
だが、もはや老人に一刻の時間も残されていなかった。斬りかかるために振り上げた短刀のみを残し、転送された。
二人は短刀が地面に落ちた音に驚き、振り返るがそこには誰も居ない。
唖然とする二人は回答を求めた。
対馬が近寄り、それに答えた。
「ーー星奈ちゃん、システムの復元が終わったみたいね。今から津雲と二人で色々と改善して行くけど、何かして欲しい事はある?」
二人はお互いに顔を見合わせ、全てが終わった事に安堵して、先程の泣き声とは逆に大きな声で笑った。
エピローグ
ニューレストのトップ、世界のトップであった者が突如いなくなり、激動の時代が訪れた。星奈達がブレインに侵入してから三年の月日が経つ。
中心地は解放され、最果てに飛ばされた者達も罪状によっては層移動が可能となった。
主に中心地を探ろうとした者達、ニューレストに反旗を翻した者達は長年再会することの出来無かった家族の元へと帰って来た。
それと同時に全世界の監視は排除。プライバシーを守る形が取られた。ブラックリスト制度も大きく改善され、くだらない内容でブラックリストに入る事は無くなった。
何より人々が一番驚いた出来事はブレインの管理を神自らが行い始めたというニュースだ。
最初はニューレストがくだらないデモンストレーションの為に、出任せを言っているのだと誰もが思った。
だが事実だ。津雲と対馬は報道課の力を使い、世界の人々に神である証明を行う事で、人々の信頼と信仰を得る事が出来た。
これからは独裁国家の時代を終わらせ、ブラックリストの細かな修正を行い、全ての人々が笑って過ごせる時代が訪れるであろう。
とは言ったものの、長年に渡って法善寺達が行った洗脳に近い生活はそう簡単に変わるものではない。
第一層、BLC相談窓口では罵声を発しながら新入社員に講義を行っている。
最果てから来た者達用に新たに増設された相談窓口で、新入社員の教育を行うのは二人の男女。
かつて中心地に侵入しようとして最果てに飛ばされてしまった北条と一宮だ。
「いいか!遅刻はするな。仕事中にお菓子を食べるな!そんな事をする奴はクビだ!分かったかゴミクズ野郎ども!」
自らの性格を隠しもせず、一昔前にここにいた新入社員が起こした数々の問題を思い出しながら北条は講義を続けた。
星奈に変な髪型と言われた髪は生え際から後退し、その苦労が毛根にダメージを与えていた。
「あんたいっつもそうやって新入社員を貶すけどね、あんたも十分ゴミクズ野郎よ?昨日ゴミ捨てしてって言ってたのにして無かったわよね?先週も言ったわよね?家の中どうするのかしら?」
横で聞いていた一宮がジト目を作り、北条に説教を始めた。左手の薬指には指輪をはめ、婚期に乗り遅れたとは誰も言わなくなった。
「桜、それは家の中で話す事だろう?」
「いいえ! 今日という今日は許さないわ。武田さんに告げ口したから」
北条は一宮から出た言葉が信じられないという様子で、先程までの強気な態度を改め必死で謝り続けた。
流石にその場で痴話喧嘩を続ける訳にもいかず、二人はかつての相談窓口横の休憩室に移動した。
そこは改装されて支部長室に変わっていた。
「やぁやぁ北条、まーた桜ちゃんの尻に敷かれてるって?ゴミ位は出さんといかんぞ?」
「勘弁してくださいよ。桜もいちいち武田さんに言わないでくれ」
「まぁまぁいいじゃないか。それより、あれから三年経ったが、星奈ちゃん達から連絡はあったか?」
ピタリと痴話喧嘩を止め、二人は深刻な表情を浮かべて首を横に振った。
「そうか……それならまだ大丈夫なんだろうな……それなら喜ぼうじゃないか!あの病気も治せる様に進んでいるんだろ?」
「そうですね……星奈は世界を変えた立役者ですし、何より私達の大事な後輩ですからね。幸せになって貰いたいものですね」
三人は遠くで暮らしている星奈達を想い、北の方角に目を向けた。
ーー
最果ての地、北の集落。三年前まではここで三千人近くの人々が暮らしていた。
神に見捨てられた地という事もあり、この地の環境は昔と変わらない。太陽の光が地を差さず、草木は育たない。夜になれば極寒の地へと変わるこの地には今はもうたった二人しか暮らしていない。
かつては集落の長が暮らしていた家。
三年前のあの日から、星奈はこの家に引っ越して来たのだ。
「影矢くん!寝てないとだめだよ〜。何か欲しいものがあったら教えてね!」
建物の隅に布団を敷き、病に伏した影矢に笑顔を向けていた。
「うん、ありがとう。それよりね、今日は星奈に大事な話があるからさ、少しだけ時間を貰えるかな?」
影矢は大人びた容姿とは裏腹に、隠し続けていた自分自身を星奈に晒し、甘える様に話しかけた。
「どうしたの?改まっちゃって」
「あのね、ずっと言おうと思っていたんだけど、俺がこうやって倒れる前に世界を変える事が出来たのは、星奈のおかげだと思う。改めてありがとう」
「いいよ〜。それよりも影矢くんには元気になって貰わないとね!」
「うん……そうだね……ありがとう星奈。君と出逢えて本当に良かったよ。心から君を……愛しているよ」
「何?本当に改まっちゃってさ!そのうちさ、私達の子供を作ってさ! 仲のいい家族になろうね!」
「……うん……ありがとう……この三年間……本当に幸せだったよ」
「これからもさ……一緒に……暮らしていこうね!」
そして、影矢は星奈の腕の中に包まれて、眠る様にその人生に幕を閉じた。




