はらぺこいもむし
乾燥した赤茶色の大地を一台のオフロードバイクに乗った男が駆けていた。
というか、俺だった。
色々と穏やかではない心持ちの俺はバイクに問う。
「それで、何で俺のバイクが喋ってんだ?」
「そんなの私に聞かれても困るわよ」
「てか女の声って、お前女だったの? 名前は?」
「そんなの私に聞かれても困るわよ」
「と言うかここホント何処だよ? さっきの「アレ」は?」
「そんなの私に聞かれても困るわよ」
「お前それしか言わないな」
「知らないんだから当たり前じゃない」
「…………」
少しばかりの沈黙。
気付くと見知らぬ地で、バイクが喋っているという事態に困惑しているのはどうやら俺だけではないらしい。
「彼女」もまた、俺と同じように戸惑いを感じている。
心の中で溜め込んだもやもやを溜息にして吐き出す。
「はぁ……どうするんだよこれからさあ」
「とりあえず誰かいる所まで走るしかないでしょ」
「それもそうだけどさぁ」
誰かいる所。
かれこれ二時間、時速70キロ前後のスピードでバイクを走らせているが人がいるような気配が無い。
こうなってくるともう、この地に人間なんていないのではないかとすら思えてきた。
もしかするとここは火星かもしれない。
地面も赤茶色だし。
火星だとしたら、喜べ。
火星には生物がいたぞ。
俺は喜ばないけど。
俺はサイドミラーを覗き込む。
ミラーにはどこまでも赤茶色の景色が広がっている。
何も変わり映えしない景色に俺は安堵した。
「何よ?」
「あの「芋虫」、もう追ってこないよな?」
「さあ?」
―――――――――
話は二時間前まで遡る。
丁度バイクが声を出し、俺が声を出せなくなった時だ。
「……!……?」
口をパクパクと動かして、何か言おうとするが声が出ない。
「驚いたでしょ? 私だって驚いたわ」
どの部品をどう動かしたらそんな可愛い声が出るのか、バイクが女声で喋っていた。
とにかく俺はバイクから降りたかった。
しかし驚愕に次ぐ驚愕で俺の頭はどうやらバイクの降り方を忘れてしまったらしく、馬鹿みたいに転げながらバイクから降りた。
もとい、落ちた。
「ちょっと、大丈夫!?」
バイクに心配された。
一体どの部品で俺を視認しているんだか。
やっぱりヘッドライトだろうか?
プロテクターで全身を固めていたので全くの無傷だったが、先程からこんがらがった思考が落ちた衝撃で完全に滅茶苦茶になったのだろう。
やっと発せられた俺の言葉は、
「コ……コンニチワー」
「……ほんとに大丈夫?」
挨拶だった。
挨拶は大事、うん。
「あー、コホン。……あんたは一体何なんだ?」
動揺と恥ずかしさを誤魔化すように咳払いを一つ。
俺はバイクに質問をする。
「見ての通り、あなたのバイクよ」
「……いや、そうなんだけどさ」
そうだろうけども。
俺はこのバイクに質問したいことが山ほどあった。
「何?」
「何で喋って……ッ!?」
地響き。
俺の質問を遮るように、地面が揺れる。
「地震!?」
バイクが喋る。
それとほぼ同時に。
突如、俺の視界に、砂の滝が出来上がる。
最初は俺のすぐ目の前に現れたものだと思った。
だが、直ぐにそれは俺から十数メートル離れていることを理解した。
距離感を誤ったのは、何もこの赤茶色の大地が平坦だったからという訳だけではない。
その砂の滝は、巨大だったからだ。
そして耳に入ったのは、轟音。
耳を塞いでも腹から響いてくる、重く大きい音。
巨大なショベルカーが、掬い上げた砂を一気に零したらこんな感じの音がするのだろう。
砂の大瀑布は、「奴」を覆っていた垂れ幕のように、一気に捲られる。
そこから現れたのは、巨大な、あまりにも巨大な。
「芋虫」だった。
「え、何あれ」
しばらく俺はその場に立ち尽くしていた。
天高くそびえ立つ巨大な「芋虫」は、太さも高さもテレビで見たバオバブの木にそっくりだった。
頭と呼ぶべき先端には棘のように鋭く、黒い三角錐が付いていた。
恐らくあれは口吻だろう。
三角錐の頂点から辺に沿って切れ目が入る。
花が開くように、「芋虫」は自分の口吻を展開させた。
「芋虫」は展開させた口吻から、伸びるように出てきた細長い舌をぴろぴろと動かす。
「……何やってんだあれ」
しばらくぴろぴろと動かした舌を収め、口吻を元の三角錐の形に戻す。
そして「芋虫」はその巨大な図体を回転させた。
ドリルのように。
そして俺の居る方向に向かって、地面にダイブする。
まるで地面が水面のように、「芋虫」を飲み込んでいく。
そして再びの、地響き。
第六感、野生の勘と言うものがある。
人は未知のものに恐怖する。
恐怖は様々な憶測を生み、人はそれに対抗するために、その憶測に対して心構えと言う名の対策をする。
対策が積み重なれば恐怖で振動する精神を支える柱となり、そしてやがては冴え渡った「勘」と化す。
俺は「いわゆる」第六感、野生の勘を、未知への恐怖が生んだ憶測の積み重ねがそれだと考えているが。
それでは「未知」というものに一体「何が」恐怖しているのか?
それこそが「本物」の第六感、野生の勘なのだろうと、俺は考える。
どうやらバイクの方が野生の勘が優れていたようだ。
人工物のくせして。
「ちょっと何やってんの!? 逃げるよ!!」
バイクの声に、俺はようやく気付かされる。
地響きがどんどん近づいてくることに。
「芋虫」が俺に近づいて、何をする?
答えは至極、簡単なものだった。
捕食。
「ちょちょちょちょっちょ!!冗談じゃねーぞ!!」
飛び乗るようにバイクに跨る。
ヘルメットを被るが、顎紐を締める余裕は無かった。
セルスイッチを押して、セルを回す。
キュルキュルと高い音が響くものの、エンジンの始動音は鳴らない。
焦りに焦り、完全に冷静さを失っている俺は、バイクにそれを気付かせられた。
「落ち着いて!!エンジン掛かってるから!!」
既にエンジンは掛かっていた。
それを忘れる程、俺は焦っていた。
「ひいいいいいいいいい!!!」
先程よりも凄まじい轟音と、地響きが俺のすぐ後ろで起こる。
ヘルメットと背中のリュックサックに赤茶色の雨が降り注ぐ。
後ろは見たくなかった。
「やばいやばいやばいやばい!!」
震える左手に力を込めて、クラッチを握りしめる。
ニュートラルから一速へ、ギアペダルを踏みつける。
エンストした。
「あわわわわわわあわわあ!!?」
何故だ!?
何故エンストした!?
クラッチを離していればエンストしないはずだと思っていた俺の頭は完全にパニックになっていた。
「エンストすんなーーーー!!!サイドスタンド戻せ馬鹿ーーーー!!!」
バイクが叫ぶ。
サイドスタンド。
俺ははっとする。
下を見ると、サイドスタンドはしっかりと地面の方を向いていた。
このバイクはサイドスタンドを下ろした状態でギアを入れるとエンストするのだ。
足でスタンドを戻し、クラッチを握りながらセルを回す。
今度は大丈夫だ。
「いっけええええええ!!!」
近所迷惑になりそうな爆音を立てて、バイクは走り出す。
後ろを向くと、丁度俺の居た地面に「芋虫」は突き刺さっていた。
身体を回転させながら自身のその硬質な口吻を引き抜くと、地面には巨大な穴が開いていた。
あと数秒遅れていたら俺は間違いなく鉄屑が混じったミンチになっていたと思うと、戦慄する。
「芋虫」は上を向いて三角錐の口吻を開き、細長い舌のようなものを出してぴろぴろと動かし始めた。
さっき見たのと同じ行動。
そこで俺は気が付く。
「あいつ、臭いを嗅いでいるのか!!」
昔本で見たことがある、蛇の習性。
舌で臭いを取り込んで、体内で嗅ぎ分ける。
恐らくはそれと同じで、さっき見たということはつまり。
「追ってきたわ!!もっとスピード上げて!!」
バイクが喋る。
一体どこで見ているのだろうか。
少なくとも、ヘッドライトではなくなった。
「言われなくても!!」
俺はアクセルを回す。
速度メーターは時速60kmを優に超えていたが、法定速度は関係なかった。
サイドミラーを覗き込む。
ミラーから見えた「芋虫」はしばらくバイクと拮抗していたが、諦めがついたのか距離を開け始め、やがて胡麻粒よりも小さく、遠くなっていった。
この日、俺は初めてスピード違反をした。
――――――――
回想終わり。
人は安堵を覚えると、やがて余裕を生み、いずれ退屈を感じてしまう。
そして退屈は、回想に耽る。
もっと危機感を覚えればいいものの、危機のピークを過ぎた俺はどうやら、安堵しきっていた。
「あ、そうだ」
一つ、気になったことがあったので俺はバイクを停める。
「どうしたの急に停めて?」
「ちょっと、いやかなり重要なことなんだけどさ」
俺は両足を地面に付いてバイクを左右に揺さぶる。
「なになに? くすぐったいんだけど?」
少しばかり上ずった声でバイクが喋る。
どこがどうくすぐったいのか一切分からないが、俺は嫌な予感がしてきたのでそれどころではない。
バイクからキーを抜いて、タンクキャップを開ける。
「ちょっとどこ見てんの!」
「タンクの中だよ!」
「最っ低!!」
「何で!?」
バイクの意味不明な言葉に突っ込みながらタンクの中を覗き込む。
「あーあ、やっぱりだ」
「何が?」
「ガソリンが無い」
ガソリンスタンドってここから何キロ先だっけ?
※分からない人の為に一応解説を
・サイドスタンド戻し忘れ防止装置
最近のバイクのほとんどにはこれが付いている。
サイドスタンドを下ろしたままギアを入れると安全装置が作動してエンストする。
教習所で誰もが一度はやるであろうミス。
車種によってはクラッチを繋いだ時に安全装置が作動するものもある。
スタンドの根元に安全装置の作動部品があり、そこをいじればスタンドを下ろしたまま発進させることができるが、特にメリットも無い上危険なので絶対にしないように。
・燃料タンク
バイクを知らない人が知ったらびっくりするであろうことナンバーワン。
バイクには燃料計が付いてない車種が多い。
佐井本の乗っているセロー250も燃料計は付いておらず、警告灯のみ付いている。
一代前のキャブレター車のセロー250には警告灯すら付いていない。
ではどうやって残りのガソリンを把握しているかというと、距離計と燃費から把握している。
その他にも、佐井本がやっていたように車体を揺らしてタンク内で揺れた油面の感覚から残りのガソリンを推測したり、タンクキャップを外して直接油面を覗くことで大体の量を推測したりする。