摺沢 プロローグ
建ち並ぶビルディング。
行き交う人々。
喧噪な市街。
掃いて捨てる程の人ごみ。
大都市故に人が多いのか、人が多い故に大都市なのか定かではないが、ここでは色々な顔をした人間が窺える。
目を輝かせて辺りを見回す顔。
どことなく陰鬱な顔。
人混みを煩わしく思う顔。
いつも通りだといった感じの顔。
そして、獲物を狙う顔。
人が多い故に、「彼ら」にとってそこは恰好の餌場だ。
一対の瞳が一人の女性を捉える。
標的を決めると「彼」はすぐさま動き出す。
財布が入った上着のポケットに、人混みから手が伸びる。
伸びた手は財布を素早く抜き取り、再び人混みの中に紛れていった。
「ひーふーみー…やっぱ観光客は金持ってるなぁ、こんなたくさん何に使うんだろ?」
摺沢亮士はスリ師である。
二三という若さで達人級のスリの技術を持ち、その手の界隈では「タラシの亮士」の二つ名で有名だ。
彼は河川敷の公園でベンチに座りながら今日の成果である五つの財布の中身を確認していた。
河川敷の公園とはいったものの、ほとんど更地の様なもので、中央に広がる砂地と端に点在するベンチ以外には何もなく、人も少ない。
それもそのはず、ここから少し離れた公園には遊具がたくさん置いてあり、敷地もここよりも広いからだ。
今ここには亮士の他二人の人間以外誰もいないのである。
一人は初老の男性で、砂地を挟んだ向かい側のベンチで弁当を食べている。
もう一人はバイクに乗っていて、ヘルメットで顔が見えないが、声と体つきからして十代の少年だろう。
先程から小さなカラーコーンを置いた砂地でバイクの練習をしている。
亮士は堂々と盗んだ財布の金を数えていた。
隠れてコソコソと数えるよりも、むしろ堂々としていた方が怪しまれないという彼なりの自論だ。
事実目の前の二人は特に亮士を警戒などしていない。
三つ目の財布で既に十万を超える金を手にし、亮士はニヤニヤと笑みを浮かべていた。
全て観光客が持っていたもので、亮士を含めスリ師の多くは観光客を狙う。
現金を多額に持ち歩いている場合が多く、色々な所に目がいっているので注意力も低いからだ。
「おう、タラシ。調子良さそうじゃねえか」
そんな亮士の元に中年の男が近寄ってきた。
「タラシ」の亮士の二つ名を知るということは、彼もまた同業者である。
「いつも通りさ」
「札束数えていつも通りたあ、羨ましい限りだよ。俺もタラシの技ぁ教えてもらいたいねえ」
中年はチラチラと亮士の手に持っている札束を見ながら喋る。
亮士はそんな中年の姿を見ながら記憶を辿っていた。
目の前にいる中年の名前が思い出せないからだ。
彼は少しの間記憶の海を漂っていたが、思い出せないような人間だから別に思い出さなくとも良いだろうと結論付けた。
「そうだなあ、今度また飲みに行こうよ。そん時に少し教えるから」
亮士は中年に近づき、札束を持った左手で肩を組んだ。
「僕の奢りで良いよ、金も入ったし」
そう言って中年の目の前でひらひらと札束を揺らす。
「気前良いじゃねえか。酒飲ませてくれる上に技も教えてくれるなんてよ」
「まあ、教えたところで十年は早いと思うけどね」
「へっ、そうかよ。じゃあなタラシ」
中年は亮士から離れ、土手の上へと向かって行った。
中年が見えなくなった後、亮士は呟いた。
「……スリ師がスリに遭うなんてさ」
「だから、十年早いんだよ」
亮士の右手には釣り糸と釣り針、そして針に引っかかった財布がぶら下がっていた。
亮士は観光客の他に女性をスリのターゲットとして狙う。
街を歩く女性の中には広口の鞄、特に鞄の口を軽く止めるだけの鞄を下げている人が多い。
亮士はナンパを装い近づき、油断している隙に鞄の口から釣り針を垂らし、金品を釣り上げる。
「タラシの亮士」の二つ名は釣り針を「垂らす」と「女誑し」のダブルミーニングだ。
あくまでも使う手口の一つというだけで、必ずしも釣り針と釣り糸を使う訳では無いが
インパクトが強すぎたためかその二つ名は一気に広まった。
亮士自体その二つ名はあまり気に入っていないので「タラシ」と呼ばれるのは少し不服であった。
中年の財布をスリ盗ったのも、仕返しじみたものが大方の理由だ。
「あのおっさん財布に1562円しか入ってないじゃん、しけてるなあ」
そう言いながらも亮士は中年の財布から当然のように金を抜き取る。
「まあいいや、次いこ次」
しけてる臨時収入を得た亮士は次の財布から金を抜き始めた。
人混みの中で抜き取った五つ目の財布である。
「ん? 何だこれ?」
亮士は財布の中に妙な物が入っていることに気が付く。
少し厚めで四センチ四方くらいの紙きれ。
片面に妙な記号と模様が描かれている。
「レシート……ではなさそうだし、クーポン券の類でもない。クスリかな?」
色々勘ぐってみたものの結局、
「まあ、どうでも良いか」
と言って紙切れを握り潰して捨ててしまった。
その時だった。
「!?」
突然辺りが眩しくなり、亮士は思わず眼を瞑る。