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Tri ALLs -トライアル-  作者: 木偶 坊
プロローグ
2/14

篠原 プロローグ

グラスに入れたウイスキーを一気に飲み干す。ストレートだ。

凄まじく熱いものが喉元を通り過ぎていく。

炎のようだ、と私は思った。

焼け付いた喉の熱に当てられて顔がじわりと熱くなる。

その熱は脳まで達し、私を薄ぼんやりとした感覚に陥らせるのだ。


そして私はまた、こんなことを思う。

何時から私はこんなにも酒に弱くなってしまったのだ、と。


リビングルームに明るい笑い声が響く。

声の主は何年か前、地上デジタル放映化の折に購入した42インチの液晶テレビだ。

時を同じくして購入したロングソファと、テーブルを挟んで対面させているが、そのどちらも今の私には大きすぎる。

バラエティ番組を先程から流しているものの、どうにも私には理解しがたい。

リモコンの電源スイッチを押そうとしたが、やっぱり止めた。

壁にかけてある時計をちらりと見ると、短針は11の字を指していた。


テーブルの上の残り少ないウイスキーの瓶とグラスの隣に、煙草の箱とライター、灰皿が置いてある。

箱から煙草を一本取り出し、火を着ける。

煙を吸い込むが、むせた。


「やっぱり、駄目だな」


私は大きな咳をした後に呟いた。

かつて愛用していたマルボロの煙も、今となってはただの煙だ。

箱から取り出した煙草はこれで二本目だが、その二本目で私は残った煙草を箱ごとゴミ箱へ捨てた。


大酒呑みも煙草も、三十年も前に仕事と家族の為にやめたのだ。


三十年前。


昔の事を思い返す度に、両の眼がリビングルームの隅にあるショウケースへと向いてしまう。

すっかり埃被ってしまったショウケースの中には「第○○回全国剣道大会優勝 篠原健治」と書かれたトロフィーを中心に、

幾つものトロフィーや楯、メダルが並んでいた。

 

「人生の黄金期は一体何時か?」と聞かれたら、かつての私は「妻との生活と仕事、つまり今だ」と答えただろう。

しかし今は、その質問に答える自信が無い。

今眼にしている、かつての私の功績があるいは、そうなのかもしれないが。 

私の黄金期とやらは、どうやら錆びついた塊に金の鍍金を施しただけのものだったらしい。



 

今から二週間程前、会社から少し早めの定年退職を勧められた。

まあ、言ってしまえば体のいいリストラだ。

私自身、最近のパソコンのあれこれに疎く仕事用のパソコンを使うのにかなり苦労していたが、それでも定年までは働きたいというのが本心であった。

そのことを一度伝えたが、なんだかんだと言われて遠まわしに拒否された。

どうやら上の命令らしい。

社長が代替わりしてから、会社は変わった。

実質的成長戦略だとか、新規開拓、国外思考だとかで「アイ何とか」とかいう薄っぺらい板を渡された時には一体どうしたものかと。

大仰な台詞を喋る奴で、旧いものを良しとしない人間だった。

そんな人間が社長の座に就いた以上、どうなっても会社を辞めることになるだろうと悟り、会社を辞めた。





妻が私に離婚届を突き付けてきたのはそれから間もなくのことだった。

話を聞くと、妻が私を愛していたのは結婚から数年間の間だけだったらしい。

仕事ばかりの私にすっかり愛想を尽かした妻は、産んだ子供の為に義務感と惰性で夫婦を続けていたのだ。

長女が結婚し、長男が自立した今、私たちの間を取り持っていたのは皮肉にも私が稼いだ僅かばかりの給金だったようだ。

それが無くなったから、と言った妻の顔はここ最近見ていなかった、晴れやかな顔だった。

喉にぎゅうぎゅうに詰まっていたものがやっと取れたような、晴れやかな顔だった。

私は離婚届にサインし、妻は実家に帰った。




私は怒りはしなかった。

身体から何かが抜け落ちたような感覚がして、怒ることはできなかった。

笑うことも、泣くこともなかった。







 

すっかり空になってしまったウイスキーのボトルから、私の姿が見える。


『ミサキ、愛してる。結婚しよう』


『わたしも、あなたを愛しています』


ふと、テレビからそんな声が聞こえた。

バラエティ番組はいつの間にか終わっており、次の番組である恋愛ドラマが流れていたのだ。

時計を見ると短針は1の字を指していた。

 

男性が女性の指に指輪をはめる映像を最後に、画面は黒に切り替わった。

私の指は気が付くとリモコンの電源スイッチに伸びていた。 

リビングルームは静寂に包まれる。


絶え間なく続く静寂に、私は耳を塞ぎたかった。


「……寝る」


座っていたソファに横になり、眼を瞑る。

酒を飲んでいたからか、私の意識はすぐに微睡みの中に掻き消えた。







午前十時頃、私は目を覚ました。

起きてすぐさま私を襲ったのは二日酔いの鈍い頭痛で、ここ最近の私の寝起きにはいつもこいつが付きまとっている。

早いところこんな生活から抜け出さねば、と思ってはいるものの今の自分にこれといって夢中になれるようなものが見当たらない。

つまり、私には趣味が無いのだ。

故に酒に走ってしまう。

自分の趣味を考えて真っ先に剣道を思い浮かべたのだが、かれこれ三十年以上竹刀を握っていない。

加えて老化も最近著しいのでかつての私と比較してしまうとすぐ剣道が嫌いになってしまうだろう。

 

丁度腹が減っている所だ。

外に出て、飯を買って、自分の趣味となりそうなものを探してみるか。


そう考えて私は近くのコンビニで弁当とお茶を買い、遅い朝食をどこか風の当たるところで頂くことにした。

風の当たるところで真っ先に思い付いたのが近くの河川敷公園だったが、そこへ行くとどうやら先客がいた。

 

トコトコとエンジンの音を鳴らしているバイクが停まっていた。

ゴツゴツしたタイヤの、確か、モトクロスバイクという種類のバイクだ。

それに跨っているのは恐らく男性で、地面の所々に小さなパイロンが置いてあった。

なるほど彼はバイクの練習をしているのだとすぐに理解した。


「バイクか……」

 

私は呟く。

そういえば私は一度もバイクに乗ったことが無かった。

これを機に免許を取ってバイクに乗ってみる、というのも良いのかもしれない。


「すいません、バイクの練習をしようかと思ってたところで。

 ご迷惑のようでしたらすぐ帰りますんで仰ってください」


バイクのエンジンを切って、彼は私に話しかけた。

若い声だ、恐らく十代だろう。

偏見だと分かっているが「十代の若者がバイクに乗る」と聞くとどうも、夜中騒音を出して走るような連中しかいないようなイメージが強い。

その割には丁寧な口調で話しかけるので、私は少し驚いた。


「いや、気にしないさ……免許、取り立てか?」


「はい、二か月くらい前に」


「そうか……かっこいいバイクだな」


正直こういったモトクロスバイクは恰好いいとは思わないが、お世辞程度に言っておく。


「ありがとうございます!」


少年は声高に言った。

 

 

それからしばらく、私は彼の練習をベンチに座りながら眺めていた。

ぐねぐねと曲がったり、八の字を書いたり、ゆっくり進んだりと、器用なものだ。

 

腹の虫がいい加減何か食わせろと言ってきたのを皮切りに私は弁当を食べ始める。

味が濃い弁当をお茶で流し込みつつ食べていると先程まで聞こえていたバイクのエンジンの音が消えた。

 

少年の方を見る。

何時の間に来たのだろうか、砂地を挟んだ向かい側のベンチに座っている一人の若者と話をしていた。

話の内容は聞こえなかったが、少年がすぐに練習を再開したところを察するに、私に話しかけたのと同じようなことを言っていたのだろう。

何というか、律儀な少年だ。

 


少年はバイクの練習をしている。

その姿は楽しそうで、中学生の時の息子がバスケットボールをしていた姿を想起させた。


若者は金勘定をしている。

途中、年の離れた中年と親しげに話していた様子を見るに、彼は多くの人との親交がありそうだ。

旅行にでも行くのだろうか、手にした札束を見てにやにやとしていた。


 


私は、羨ましかった。 



 

孤独で虚ろになった私を、私はまともに見ることができない。

だからと言って、目の前の黄金も眩しすぎてまともに見ることはできない。




眩しかった。

ただただ、眩しかった。

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