第六話 雪兎之約
空は今も青く、雲は今も白い。民は今日も各々の生活に勤しんでいる。しかし、すでに危機が迫っていることに、彼らはまだ気づいていなかった。
虎骨軍が編制された2日後。この日の朝会で、渓円はひたすらに長い上奏文を、静に、抑揚なく読み上げていた。その上奏文は数10分にも及んだ。
多くの臣下が、あくびを噛み殺している。
「つまり、ちゃんとした軍紀を作り、頒布し、執行する必要があると、そう言いたいのだな。渓円」
薔王が、理由やら目的を省いて、具体策だけを実に簡単に纏め上げた。その声で、多くの臣下の意識が戻って来た。
「まあ、そうです」
「おまえ、海麓に似ているな」
文官たちは互いに顔を見合わせて、武将達はしきりに頷きあった。
「えっ、どこがですか?」
渓円と海麓はお互いを見やって、訳が分からないと肩を竦めた。
「……。軍紀のことだが――」
薔王は、わざと話を逸らした。答えたら、面倒なことになりそうだからだ。
似ているところと言えば、報告が無駄に長いところに決まっている。海麓は情報量が多すぎて、渓円は序文が長すぎるのだ。
「――皆の意見は?」
「私たちも、このままでは、膨れ上がった軍を掌握するのは、難しいと思います」
冬涯が言った。
「では、どういった軍紀を作るかを、おまえたち武将で相談してから報告しろ。期限は、そうだな。3日以内、ということにしよう」
そして、3日後。各軍それぞれに召集令がかかり、新たな軍紀の執行が宣言された。軍紀の一部は一般国民にも公開され、民の目による監視を目的とした。
『以下を破る者、死刑に処す。
一つ、敵味方、すべての民の財産を守ること。
一つ、非戦闘員の安全を守ること。
一つ、敵方であっても、女性の貞淑を犯さないこと。
一つ、どんな状況でも逃げ出さず、戦い続けること。
一つ、薔王、上官の命令に従うこと
以下を行う者、程度によって罰を与える。
一つ、盗みを働く。
一つ、喧嘩によって秩序を乱す。
一つ、不安感情をばら撒く。
一つ、報告を怠る。
一つ、許可なく酒を飲む。
一つ、戦利品を上納しない。
軍紀を守る者、軍功の量に応じて褒美を授ける。
1級、給与を2倍に支給。
2級、給与を3倍に支給。その子の労役を免除。
3級、給与を4倍に支給。その子の労役と軍役を免除。
4級、給与を5倍に支給。その子の労役と軍役を免除。軍役終了前の退役を許可。
さらに軍功立てる者、上官、王の判断により更なる褒美を与える。
小将、副将、将軍は王が直接褒美を与える』
実際に軍で宣言された軍紀はこれよりも厳しいものだったが、ここではあえて言及しないでおこうと思う。ただ、この新たな軍紀は、風の噂に乗って、確実に叡国の――分権によって独立してしまった各国も含め――民の耳と心に届いた。
叡国暦399年10月1日
薔王の執務室にて。
海麓、渓円が机の前に立ち、隣の椅子には典臨が座っている。
執務机の肘をついた薔王は、神妙な心持ちで海麓の報告に耳を済ませていた。
「今冬、王都と高京において、深刻な食糧危機が予測されるそうですよ。早めに、他都市への進攻を考えるべきでしょう」
大量の報告資料を机に並べて、1つ1つを詳しく説明したあと、海麓はそう締めくくった。
「……食糧危機か」
自然と、薔王の目は執務室の壁に張られた全国地図に向けられた。
「来春まで、もたないんですか、海麓宰相?」
渓円が問いかける。
「王都と高京の領地は、どちらも農作に力を入れているわけではないのですよ。それに加えて、西洛が戦略として、各都市から農民を囲っているのです。そのせいで、王領の約8割の農民は西洛に隷属させられてしまっているのですよ。渓円軍師殿。残念ながら、このままでは冬を越すことでさえ、難しいでしょう」
「それほどなのか?」
薔王の目が険しくなっている。
「ええ」
海麓が頷いた。
「だったら、急がないといけないですよ。王領内とはいえ、雪が降れば進軍が厳しくなりますから。どうします?薔王様」
渓円が言う。2人の目が、薔王に向けられた。典臨も、じっと薔王の返答を待っていた。
「今すぐ、進軍の準備をしろ」
薔王の答えに迷いはない。
「どこをどう攻めるかは、二人で相談して決めると良い。決まり次第、朝会で臣下たちとの討論に持ち出せ」
二人が執務室から出ると、薔王は典臨の椅子の前にそっと膝をついた。優しく、その手に自分の手を重ねる。
「良いか、典臨。覚えておきなさい。王国は、民が有ってこそ存在する。だから、民のことを考えぬ王など、この世には必要ないのだ。どんなに先が困難でも、必ずおまえの民を守れ。それだけ、約束してくれ」
「はい。姉上」
典臨は力強く頷いた。
次の日の朝会で、渓円と海麓はさっそく食糧危機を脱するための進軍を議題に持ち出した。
「薔王様、単純に食料危機の改善を考えるなら、西洛を手に入れるべきでしょう」
海麓が言うと、渓円が続いた。
「でも、龍鱗軍と近衛軍はまだ休みきれてなくて、虎骨軍はまだ訓練を終えてないですから。軍力で考えるなら、深上を攻撃するのが最善策ですよ」
そしてすぐに、海麓がまた口を開く。
「深上でも、今冬を凌ぐことは可能でしょう」
西洛か深上か、その判断は薔王に一任された。
「西洛は、それほど落としにくいのか?」
薔王の質問には、海麓が答えた。
「西洛先鋒の女将軍の戦力が、なかなかのものでしてね。渓円軍師殿が言うには、難しいそうです」
「どうしても落とせと言ったら、どうする?」
渓円に目を向けて、薔王が訊いた。
「いやです。負けるのが目に見えていますよ。ただでさえ軍の食料も少ないのに、無駄な戦なんて出来ないです」
無礼なくらい真直ぐな返答である。
「そうか。その女将軍とやらは、そこまでに強いのか」
薔王はそのまま物思いに耽った。
子棋には、薔王が何を考えているのか容易に想像出来る。だからチラリと海麓に視線を飛ばして、
『女将軍について報告して』
声には出さずに、唇の動きでそう伝えた。
「薔王様」
「……なんだ?」
海麓に声を掛けられて、薔王が考え事から戻って来た。
「先ほどお話した女将軍なのですが、間者の情報によれば、かなり無口でひたすらに戦う人だそうです。名は安霊と――」
「安霊!」
驚きのあまり、薔王は王座から立ち上がった。王座がガタリと音を立てる。
「薔王様?どうかなさいましたか?」
「安らかな幽霊と書く安霊か?私より3つ年上の女か?」
王座から下りてきて、海麓の胸に掴みかかった。
他の臣下が戸惑って動けない間に、子棋がゆっくりとやって来て、そっと薔王の手を海麓の衣服から外した。
「落ち着いてください。とりあえず、王座に戻りましょう」
穏やかに、ゆっくりと語りかけた。
「あ、ああ」
薔王は少しふらついている。
子棋は薔王を支えて王座まで行った。その横に立ったまま、海麓を振り返る。
「海麓宰相。薔王様の質問に答えてください」
海麓はいまだ状況を理解できない心情を抑えて、できるだけいつも通りに答えた。
「ああ。そうでしたね。すべて、薔王様の言う通りですよ。その、安らかな幽霊と書く安霊将軍は、今年18になったそうです」
「やはり、あの安霊のことなのか。」
薔王は、何かを堪えるように口元に手を遣った。
「安霊は、薔王様の幼い頃のご友人です」
子棋が代わりに言った。
「親友だったのだ」
小さく震えた声で、薔王が付け加える。
「悲しいものだな。かつての友が今の敵となるのは」
感傷に浸る薔王を、子棋は悲しそうに見つめた。薔王の辛さが、まるで自分の苦しみの如く感じられる。
そんな2人をそっちのけに、王座の足元では静かに策略が立ちつつあった。
「今の話し、どう思いますか?渓円軍師殿」
ひっそりと、海麓は渓円にだけ聞こえるように言った。
「突破口ですよね。これなら、西洛を攻略できるかもしれないです」
渓円の唇にも薄っすらと微笑みが浮かんだ。
「実は、私もそう思うのですよ。では、我々の側へ来るように、外交部から彼女に働きかけましょうか?」
「いや、もっといい使い道があります」
渓円はニヤリとほくそ笑んだ。
スッと前に進み出て、軽く腰を曲げる。それだけの動きで、薔王と広間の臣下たちの注目を引き付けた。
「薔王様、1つ条件を呑んで貰えれば、西洛を落としに行ってもいいですよ」
「……言ってみろ」
「薔王様と安霊の思い出を教えてください」
叡国暦339年10月23日
龍鱗軍、虎骨軍が西洛へ進軍した。
その後ろから、半分の近衛軍に護衛された薔王がついて行く。今回、近衛軍に戦闘任務はない。薔王の安全を守ることこそが、その唯一の目的である。
さて、今回の最大の敵は女将軍なのだが、きっと、この時代では地位の低くかった女性が将軍になるのはありなのか、と言う疑問が浮かぶだろう。実際、薔王が王位を継承する際も、女であることを理由に反対されていた。
確かに、叡国の時代では男性が女性より優遇されていた。筋肉の発達が男性より少なく、妊娠・出産時の負担が大きい女性を、弱い存在として見下す男性も多かった。
しかしそれでも、己の実力で勝ち上がった女性は尊敬された。特出した才能を持つ女性には、誰もが一目置いていた。
もちろん王となれば話は複雑になるのだが、それでも女性の武将や文官がいるのは何の不思議も無いのである。
一般的に知られている女性の社会地位の著しい低下は、叡国が滅びた後に始まったことである。
では、話を戻そう。
今回の進攻対象である西洛は、王都から見て北東にある都市である。元々王領の貯蔵庫を呼ばれるくらいに農耕が盛んな都市であったが、反乱の際に他都市からほぼ詐欺とも言える方法でさらに多くの農民を囲み込んだ。
郊外の領地のほとんどが農地として開墾され、農民たちは兵隊に監視されながら、強制的に農作物を作らされている。
それを考慮すると、今秋の西洛の作物貯蔵量はかなりのものであると想定できるのだ。
領境から1里ほど離れたところに、軍営が設置された。
普段から兵士を使って農民を支配していた西洛は、その異変にすぐに反応した。自軍を招集し、薔王の軍と対峙する。軽い衝突を何回か繰り返したあと、両軍は夜の静寂の中で、各自の疲れを癒す。
単純に数で言えば、薔王の軍は西洛の軍の2倍はあるが、新兵が多く、まったく五分五分の戦いしか出来ていない。
そしてあの女将軍、彼女のせいで、多くの兵士が命を落とした。たった1日の、たった数回の衝突で、全軍の約20分の1が失われてしまったのだ。
「薔王様。明日、お願いします」
夜。渓円が薔王のテントにやって来た。
渓円は、両軍の統帥として前線に来ている。
「ああ。任せておけ」
「準備、もう出来てますか?」
「4年前には出来ていたよ。ただ、安霊が引っ越してしまったものだから、今の今まで渡せなかっただけだ」
薔王は懐かしそうに腰の絹の袋を撫でた。
その袋は少し膨らんでいて、腰に結ばれた紐がピンと張っている。どうやら、中には重いものが入っているようだ。
朝。太陽も昇りきらないうちに、薔王は起き上がって身支度を整えた。少しきつめの内衣を着て、その上から鎧を付ける。胸当をつける前に、中に柔らかく鋭い短剣を仕込んでおくことを忘れはしなかった。
「薔王様、そろそろです」
薔王のテントの外で、渓円が声をかけた。
「ああ、渓円か。入れ。後少しだ」
王に入れと言われては、入らないわけにも行かない。遠慮がちにテントの入り口をくぐった渓円は、衝立の前に立つ子棋を見て、声を上げそうになるほど驚いた。
「いつからいた?」
小声で訊ねる。
「薔王様が起きられたときからです」
子棋は衝立の真ん中あたりを見つめたまま答えた。
「…………」
呆れて声も出なかった。王とはいえ、女性が衝立の向こうで着替えているのに、ずっと同じテントの中にいるなんて。
「それ、いいのか?薔王様は女性だぞ」
「薔王様は気にしていないです。おれたちが勝手に気にしたら、逆に失礼です」
ここで、子棋は始めて渓円の方を振り向いた。
「とりあえず、衝立の向こうを覗かなければ、大丈夫です」
「……そうなんだ」
まあ、そんなことをするつもりは微塵もないのだが。
「準備できたぞ。さあ、行こうか」
自信に満ち溢れた面持ちで、何の違和感も無く鎧を着こなした薔王の姿には、2人とも一瞬見とれてしまった。
薔王の鎧は渓円に捕らえられたときのものではなく、より身体に合う、身体のラインがよく分かるものになっていた。それが薔王をなんともあでやかで嬌艶に見せる。
「どうした?」
「あ、いえ。なんでもないです」
子棋がサッと目を逸らす。
「鎧、新しくしたんですね」
渓円は美しく微笑んだ。
「ああ。高京に行く前から作っていたのだが、最近になってやっと出来たのだ」
「綺麗ですね。似合ってますよ」
「ありがとう」
薔王も微笑んだ。
薔王が馬に乗り、子棋がその綱を引いて、渓円はその前を馬で先導する。3人の周りを近衛軍が囲んで、厳重に警戒しながら前線に向かう。
前線にある戦の痕は、その激しさを的確に表現していた。今も、薔王の軍と敵軍がお互いに刃を向け合っている。後は掛け声1つでもあれば、すぐにまた厳しい戦闘が始まる。
敵軍が見ている前で、龍鱗軍と虎骨軍が両側に開く。近衛軍に囲まれた薔王がその間に進み出た。
渓円は統帥としてあるべき場所に戻り、近衛軍はここで止まる。
ここから先は、全て薔王に委ねられる。
馬をゆっくりと歩かせて、薔王は両軍の中間地点まで進み出た。そこはもう相手の弓手の射程範囲にある。かなり危険だ。
「安霊!私を覚えているか!」
薔王は素晴らしく華やかな笑顔をしている。
「忘れたのか、安霊。約束通り、雪兎は持ってきたぞ」
その女将軍の顔が次第に、驚きに溢れた。
「薔薇、様」
薔王の顔が、安霊の心の中で幼くなって行く。懐かしくて暖かな思い出が蘇ってきた。
5年前。まだ王女だった薔王は、臣下の娘の安霊とよく遊んでいた。
天真爛漫な薔薇と無口な安霊は、性格こそ真逆であったが、波長はよく合うらしく、安霊が宮中に来る時はほとんどずっと一緒にいた。
この頃にはもう薔薇の彫刻の腕はかなりのもので、死んでしまったペットの兎をモデルに、真っ白な石で雪兎を一つ彫っていた。
「見てください、安霊!結構上手くできたでしょう?」
無邪気にはしゃぐ薔薇は、できたばかりの雪兎を安霊に見せた。
「はい。可愛いです」
その雪兎を撫でる安霊は、小さな声で、いいな、と呟いた。いつも自己主張をしない安霊の言葉に、薔薇は敏感に反応した。
「欲しいなら、あげますよ?」
「い、いいえ。これは、薔薇様のものです」
遠慮する安霊の目を、薔薇は首を傾げて覗き込んだ。やっぱり欲しいと思っている。ただ、欲しいと言えないんだ。
「なら、もう1つ作ります。2人でお揃いにしましょう」
薔薇は明るく笑って、安霊の手を取った。
「い、いえ。お手を煩わせるのは―」
それでもなお、安霊は断ろうとする。
「いいんです!私が作りたいんです。安霊とお揃いのものを持ちたいんです。だから、もらって下さい。約束ですからね」
薔薇は遠慮しすぎる友人のために、押し付けるという方法を取った。
『約束ですからね』
あの時の優しい言葉が、安霊の耳に蘇った。
「ああ。覚えてくれていたか。こっちに来い。久しぶりに話でもしないか?」
まったく躊躇うことなく、安霊は薔王のもとまで馬を走らせた。
「……お久しぶりです」
「ああ、久しぶりだ。さあ、安霊。私の軍営に行こう」
薔王は、昔よりも幾らか大人びた、しかし昔と同じくらいに優しい笑顔を浮かべて言った。
「はい」
安霊には、行かないなんて選択肢はなかった。
主将が前線を離脱したことで、両軍は自然と停戦することになった。
「王になった」
薔王のテントのベッドの上で、薔王と安霊は並んで座っている。
手を繋いで、お互いの近況について語り合っていた。
「意外か?」
「少し意外です」
「そうか。お父上はどうしている?やはり西洛に所属しているのか?」
「父は、平国と戦いで戦死しました」
安霊は俯いてしまった。
その手を、薔王がギュッと握り締める。
「そうか。悔しいな。時間はかかるかもしれないが、その仇、必ず私が取ってやろう。それまでは、私が側にいる」
「ありがとうございます」
安霊の頬に流れる涙を、薔王が優しく拭い去る。
「それ、気に入ったか?」
安霊の薔王と繋がっていない方の手には、真っ白な石で彫られた雪兎が握られていた。
「はい」
膝の上に雪兎を置いて、安霊は指で何度もその背中を撫でていた。
薔王が手を伸ばして、枕の下からもう一つの雪兎を取り出す。安霊のものとほとんど同じだ。
ただ、安霊の雪兎には赤いリボンが結ばれている。いや、そのリボンも色が塗ってあるだけで、彫られた物のようだ。
「これでお揃いだな。やっぱり、友とお揃いのものを持つのはうれしいことだ」
薔王が暖かな微笑を安霊に向けた。
いつの間にか安霊の涙が引いていて、薔王に温かな笑顔を返していた。
「そういえば、侍女はいないのですか?」
安霊はテントの中を見渡して、不思議そうに言った。
「ああ。みんな、逃げてしまってね。もう二人しかいないのだ。全員、王都の典臨に残して来た。最近は戦争ばかりだからな。仕方がないだよ。まあ、全部自分で出来るわけだから、何も不自由はしていないさ」
なんでもないことのように言う薔王だが、安霊はかなり衝撃を受けたようだ。目が大きく見張られている。
「大丈夫だ。そのうち王領が平和になったら、新しく雇うさ」
薔王は微笑を絶やさなかった。まるでいつもの海麓のようだ。
安霊もそれ以上は口を出さなかった。
しばらく思い出話に花を咲かせて、そしていよいよ本題に入る。薔王は、ベッドから立ち上がって衝立のすぐ側まで行った。そこから振り向いて、安霊を見つめる。
「安霊よ。おまえ、今の西洛のやり方をどう思う?」
「良くありません」
考える素振りもなく、安霊は即答する。
薔王は大きく息を吸った。安霊は変わっていない。ちゃんと見ているのに、主張することを知らない。
「そうか。では安霊、私は決して民を虐げないと誓える。おまえは、私を信じられるか?」
薔王の目は真剣であった。その目から逃げることなく、安霊は深く頷いた。
「ならば、私のもとに戻れ。おまえが必要だ、安霊」
その言葉に、安霊は静に跪いた。
「以前と変わらない忠誠を、誓います」
「ありがとう。これで、私たちはいつまでも友だ」
薔王が、両手で安霊の腕を掴んで立ち上がらせる。軽く、抱きしめた。
「誰か!」
安霊から離れると、テントの外に向かって叫んだ。
「茶を持ってこい」
入って来た兵士に、朗らかな笑顔で言う。
茶を持って来い。それは、作戦の序章が成功した合図であった。
西洛軍の要である安霊を、西洛軍の目の前で連れ去って、自軍に取り込む。これほどまでに、西洛軍の軍心を揺るがすことはない。西洛軍が陥落するまで、あと少しである。