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第十一話 王領平定

 339年の初雪は遅かった。十二月の中旬に入ってやっと叡国えいこくを包んだ冷気は、粉雪を飛ばしていきなり豪雪を降らせた。都市間の国道が雪で閉ざされ、大軍での進行が不可能となった。その間、王都では薔王しょうおうの怒りを示すかの如く、大規模な軍事訓練が行なわれていた。

 新兵に経験を積ませるため、渓円けいえんによって新に実戦訓練が考案された。実戦訓練。それは防具を身に着けていようと、毎日医院送りになる兵士が後を断たない訓練のことである。

 二倍に拡大された龍鱗軍りゅうりんぐん虎骨軍ここつぐん、そして近衛軍このえぐん、三つの軍隊を合わせれば二万五千人に上る。この両軍の拡大もまた、予想兵力二万の快北かいほくに対抗するためである。

 薔王しょうおう自身も、週に一度は必ず閲兵をする。美しい国王に褒められんとするために、兵士たちの訓練にはさらに力が入る。

 新しく組織した親衛隊も暇ではなかった。三交代制で薔王しょうおうの侍女として働きながら、休憩時間の半分は武術の訓練に費やす必要があった。

 実は、叡国の歴史全体を見ても、薔王しょうおうの時代ほど軍事が盛んだったことはないのだ。

 叡国暦えいこくれき340年6月8日

 目まぐるしい339年がやっとのことで終わり、いつの間にか340年の秋も近づいて来た。

「……もうそろそろいいと思うのだが」

 この日の朝会で、薔王しょうおうは何の脈絡もなく突然切り出した。

 王座の下で、臣下たちが戸惑い、ざわつく。その中で、渓円けいえん海麓かいろく薔王しょうおうの言葉の意味に気づいた。顔を見合わせて、コソコソと内緒話をしている。

 子棋しきはと言うと、薔王しょうおうがなぜイラついているのかを考えていた。今日の朝会には別段薔王しょうおうが腹を立てるような内容はなかったはずだ。

「雪が過ぎるのを待った。播種が終わるのも待った。収穫も始まった。後どれくらい待てばいい?」

 なるほど、これでみんなも理解できた。薔王しょうおうは快北への進軍のことを言っているのだ。叔父に攻められたことがよほど気に入らなかったらしく、これまでの大規模な軍事訓練は全てこのためなのだ。

「もう、お待ちいただく必要はありませんよ」

 海麓かいろくが微笑んだ。

「時期的にも、財政的にも、もちろん兵糧的にも何の問題もございません」

 海麓かいろくの言葉に薔王しょうおうは少し気を良くしたようで、わずかに頷くと今度は渓円けいえんに目を向けた。

「軍事力も大丈夫です。いつでも戦えます」

 渓円けいえんが答えた。

「そうか」

薔王しょうおう様、ここは堂々と、宣戦布告しましょう」

 海麓かいろくの笑顔が斜めに歪んだ。その風貌は、悪魔にも見える。

 今回の宣戦布告は以前の物とは違う。単純にその都市に使者を送るのではなく、文章に落とし、張り出し、王宮の前で宣言した。

 これは政治だ。王都の民に、王領各都市に、そしてあわよくばかつて叡国の一部だった各国に、その国力と軍事力を見せ付けるための政治である。

 叡国暦えいこくれき340年9月17日

 宣戦布告が三日前に行なわれた。王宮の前で、薔王しょうおうは鎧に身を包み、海麓かいろくが長ったらしい討伐書を読み上げるのを聞いた。叔父の罪状が子供の頃から根掘り葉掘り書き連ねられていた。

 そしてこの日、薔王しょうおうは自ら総司令官となり軍師の渓円けいえん海麓かいろくを伴って王都を出た。龍鱗軍が先頭に、真ん中に近衛軍を挟んでしんがりを虎骨軍が務めた。

紅歌こうかは城下で応戦してくれるだろうか」

「いや、くれないと思います」

 薔王しょうおうの呟きに渓円けいえんが答えた。

「騒ぎ起こすだけなら攻城でも問題ないんで、大丈夫です」

「そうか。とすると、心配なのは海麓かいろくのことだけか」

「私のことなら、心配ありませんよ」

 今まで黙っていた海麓かいろくは、顔を上げてそれだけ言うと、再び書物に目を戻した。

「落ち着いてください。薔王しょうおう様には、私たちがついてますから」

 心配性な薔王しょうおうを、渓円けいえんは爽やかな微笑を湛えて見つめた。薔王しょうおうの顔に、恥ずかしげなはにかみが浮かんだ。

 快北の城郭が見えてきたのは、次の日の朝ごろだった。まだ西の空の端には薄っすらと月が顔を覗かせている。道の横の木からは、小鳥が騒がしく飛び出していく。足跡が重なりあい、再び平坦な道に均される。

 そこに、海麓かいろくと虎骨軍の姿はなかった。

 快北の城門は、がっしりと閉ざされていた。城下には進攻の妨げになる柵や撒菱が乱雑に、しかし規則性を持って配置されていた。城郭の上では弓兵が矢を力いっぱい番えていて、退かしに行こうものなら歩く的にされてしまうだろう。

「これは……、どうするつもりだ?」

 兵士たちが弓矢の射程距離外に軍営を設置している横で、薔王しょうおうは城郭を見上げながら隣の渓円けいえんに声を掛けた。

「ちょっと、予想外でした。まあ、大丈夫だと思います」

 少し困りながらも、渓円けいえんは自信に満ち溢れた笑顔を浮かべている。

「どうやったらそんなに自信が持てるんだ?」

「自分に自信持てなくなったら終わりですよ」

「……そう」

 薔王しょうおう渓円けいえんの不敵な笑顔から目を逸らした。渓円けいえんの言ってることは正しい。でも、そう簡単にはできないことだ。薔王しょうおうは、今も自分が正しいのかどうか自信が持てないでいる。

薔王しょうおう様、冬涯とうがい将軍と話してきます」

 薔王しょうおうの返事も待たず、渓円けいえんは馬を走らせて軍営の奥へと消えた。

「……やっぱり、不思議な男だ」

 馬のたてがみを撫でながら、薔王しょうおうは小さく微笑んだ。初恋の少女のような、そんな微笑だった。


 午後。最も太陽が高く昇った時。渓円けいえんの作戦は実行された。

 良く訓練された兵士たちは、明らかに無謀と見える作戦を実に上手く実行する。攻城用の梯子を上手い具合に柵に投げかけて、盾を掲げてその上を駆け抜けていく。驚いた敵の弓兵は手元が狂って矢がぶれる。おかげで倒れ、死に行く兵の数が少なく済んでいる。

「予定よりも死傷が少ないです。少し、心を楽にしてください」

 子棋しきが後から薔王しょうおうに声を掛けた。

「えっ。……うん、そうだな。ありがとう」

 薔王しょうおうは少し不思議だった。なぜ子棋しきは自分に落ち着きがないのに気づいたのだろう。

 薔王しょうおうが再び戦場に目を戻すと、子棋しきは目線を落として薔王しょうおうの指先を見た。薔王しょうおうは落ち着かないとき親指を他の指に擦り付けるくせがある。今はそれがない。薔王しょうおうが落ち着いてくれたことに、子棋しきは心底満足した。

 攻城戦というものは、常に多大なる被害を伴っている。城にとっても、敵にとっても。

 昼になり、攻城の兵士が交代で休息に入る。一瞬たりとも攻撃の手を緩めはしない。交代の手際もありえないほどいい。

「……少し忘れていたかもしれない……」

 誰にも聞こえないくらいの声で、薔王しょうおうは自分自身に呟いた。

「……私は、女ではない……」

 目を落として地面を見つめる。何で忘れていたのだろう。誰かに心動かされるなんて。私のせいで、私のために、あんなにも兵士が命を落としているのに。

 城郭を攻める激しい音。城郭から人が落ちる音。梯子を上手く渡れず矢に倒れる音。音、音、音。目を背けても、音だけで情景が脳裏に浮かぶ。兵士の死に顔が、無性にはっきりと目に残る。

「やっぱり好きにはなれないな」

 薔王しょうおうは、前線から一旦降りて来た渓円けいえんと共に昼食を摂っていた。渓円けいえんがキョトンとして薔王しょうおうを見つめ返す。

「別に好きになる必要はないと思いますけど」

「そんなことは分かっている。愚痴くらい言わせろ」

「いや。愚痴言うくらいなら、軍営に着いて来なくてもいいと思いますけど」

「そう言うな。私は自分の成した事の結果を自分の目で見たいのだ。私が下した戦うという決断。その結果、どのように私の兵士が傷つくのか、しっかりと見ないといけないと思う。まあ、愚痴はどうしても出るが、それくらいは許せ」

「えー。許します」

 冗談の如く笑いながら渓円けいえんが言う。

 薔王しょうおうは思わず目を逸らしてしまった。こういう笑顔は、心臓に悪い。

 さて、薔王しょうおうのもとではこれから三日間ほど同じようなことが続く。そこで、海麓かいろくの行動を追ってみようと思う。

 海麓かいろくは虎骨軍を快北の東の低木林の中に隠した。渓円けいえんの指示通り、快北の物見に見つからないところに隠した。これも、海麓かいろくの情報力を信頼してのことだ。

 海麓かいろく自身はと言うと、数人の護衛を連れて快北を回り込むようにして国境を出た。目指すのは度国の首都。快北兵に攻撃される危険性が少なくなった頃を見計らって、使者の証である赤い羽根の帽子を身につける。

 連れてきた外交部の臣下、楚離そりを早馬で先に首都に向かわせる。後からやって来る海麓かいろくが直ぐに度国王に面会できるよう取り計らうためだ。

 そして翌日早朝。

 度国の宮殿横にある宿を貸し切って一晩を過ごした海麓かいろくは、正装をして帽子を深く被り、門が開くのを待っていた。胸を張って、右手を後で腰に当て、いつも通りの余裕綽々の微笑を湛えていた。

 油の足りない門が大きく軋んで開かれる。

 海麓かいろくが、ゆっくりとした足取りで堂々と入っていく。特に仲が良かったわけでもない隣国の懐に、実に悠々と踏み込んでいった。

「お初にお目にかかります。度王どおう様」

 海麓かいろくの腰が曲がる。礼儀正しくお辞儀をしながらも、その目はしっかりと王を捉えている。

 ここは、海麓かいろくの戦場である。

「なんの用だ」

 度王どおうの口調は不機嫌そうである。

「この度は、度国と叡国の友好を結ぼうと参りました。よろしければ、末永く、良き近隣でありたいと思います」

「ほう。で、そのために何をしてくれるんだね?」

「ええ。両国の友好のために、我が軍が度国の領地を回り道して快北に進攻する事をお許しいただきたいのです」

 微笑を湛え、海麓かいろくは済ました顔で言う。

 周りが大きくざわついたのは言うまでもない。

「なんと!そっちから友好を申し出ておいて、さらに我らに求めるのか」

「ええ。それが、我が国王の意思です」

 大胆不敵。海麓かいろくが真直ぐに度王を見上げると、度王どおうはグッと考え込んだ。

 そして……

「いいだろう」

 重々しくそう答えた。

 軍隊が身を潜めながらやってくるのを待つ間。海麓かいろくはのんびりと宿でお茶を飲んでいた。

海麓かいろく宰相。何で、あんな強気にいったんですか?こちらがお願いしているわけですから、普通は相手に美味しいところを見せますよね」

 楚離そりが自分のコップにお茶を注ぎ足しながら上司に訊ねた。

「見せましたよ」

「えっ?」

「我が王は一方的で自分のことしか考えていない未熟者だ、と見せたではないですか」

 海麓かいろくはお茶のコップに口を付けると、その淵を挟んで斜めから楚離そりを眺めた。

 楚離そり、小奇麗な服をビシッと着こなした男だ。軽く服を着くずしている海麓かいろくとは、正反対だ。だが、似ている場所もある。海麓かいろくは常に軽く微笑んでいて、楚離そりはいつもクールな表情を変化させない。

「なるほど。そう言うことですか。勉強になりました。ありがとうございました」

「熱心ですね。さあ、パンはいかがです?」

「いただきます。ありがとうございます」

 海麓かいろくに笑いかけられた楚離そりは、なんだか居心地が悪くなってぎこちない動きでパンを手に取った。

 夕刻。海麓かいろく楚離そりは再び宮殿に入り、叡国と度国、お互いに友好を結び内政に干渉しないことを主な内容とする条約を結んだ。

 海麓かいろくがほとんどの内容を反論せずに受け入れたことを、楚離そりはまた不思議に思った。が、今回は問いかけなかった。

 叡国暦えいこくれき340年9月21日

 虎骨軍が度国内を通って迂回する。紅歌こうかへのお返しとも言える作戦が、ついに実行される。

 いくら気をつけたところで、国境に近づけば物見に見つかる可能性は消えない。そこで、虎骨軍は慎重かつ迅速な行動をする必要があった。ということで、海麓かいろくや軍の書記官などの戦えないものはことごとく後に置いて行かれた。


 薔王しょうおうは毎日繰り返される死から、決して目を逸らさなかった。交代で休みに戻った兵士たちを素晴らしい食事と美しい笑顔で迎えながらも、その心は血の涙で濡れていた。

兆火ちょうひはまだか」

 朝食の席で、薔王しょうおうが言った。べつにイライラしていたわけではない。単なる感想だ。

 だが、共に食事をしていた臣下たちはビクリと肩を震わせた。

 子棋しきはチラリと薔王しょうおうの顔をのぞき見て、大丈夫だと確認して警護に戻った。渓円けいえん薔王しょうおうが続けて不満を言わないことに気づいて、問題はないと判断した。隅の方で食事をしていた龍鱗軍副将の無虎むこだけが、ビクビクしたままご飯をかき込んでいた。

渓円けいえん。今のところの損害は?」

「龍鱗軍死者58人、重傷者17人。近衛軍死者12人、重傷者76人。想定以下です」

「そうか。兆火が来たら、すぐに終わりそうか?」

「終わると、思います」

 渓円けいえんの言葉に頷いて、薔王しょうおうはお椀を音もなく食卓に戻した。安霊あんれいがそれを下げると、臣下に一言掛けて自分のテントに戻った。

薔王しょうおう様」

 書類を取り出して目を通そうとした矢先、テントの外から声が掛かった。

「入れ」

 薔王しょうおうは背の傾きが大きい椅子にゆったりと身体を預けた。

渓円けいえん?何かあったのか?」

海麓かいろく宰相の鳩が着きました。もうすぐ兆火ちょうひ将軍が到着します」

「やっとかっ」

 薔王しょうおうは身を乗り出すと、少しくい気味に言った。

「今日中には、終わらせます」

 渓円けいえんは自信満々にそう言ってのけると、スッとテントの布の間から滑り出た。

安霊あんれい、片付けてくれ。外に出る」

 薔王しょうおうは書類を机に無造作に置くと、その後を追うように出ていった。

 軍営の出口ギリギリで、薔王しょうおうは馬の上から前線をじっと睨みつけていた。あまり目立ってもいけないが、快北軍が挟み撃ちにあって慌てふためくのを今か今かと待っていた。

 刻一刻と時間が過ぎていく。太陽が真上に昇って、そして再び西に偏り始める。

 と、攻城の足取りが急に軽くなった。よくよく見れば、城郭上の敵兵の数が減っているようだ。兆火ちょうひが後から攻撃を始めたのだろう。

 薔王しょうおうの見ている横で、兵士が一隊、前線へ駆けて行った。

「総力で落とします」

 馬に跨った渓円けいえんが、そう言葉を残して走り去った。

 薔王しょうおうはじっと前を見ていた。彼女が見ていたのが戦況なのか、颯爽とした渓円けいえんの後ろ姿なのか、私には判断できなかった。

 戦況は火を見るより明らかだった。快北城内は完全に混乱に陥っており、まったくもって攻撃に太刀打ちできていない。それでもまだギリギリのところで侵入を許していないところは、さすがである。しかし、それも長くは持たないことが明白であり、紅歌こうかはいよいよ追い詰められてしまった。

 そして、おそらく最後の手段とも取れる行動に出た。

 撃って出たのだ。

薔王しょうおう様。もう少し奥へ行きましょう」

 馬の手綱を握っていた安霊あんれいが言った。軍営と前線の距離はいつもよりも離れていない。敵兵が一人でも戦線を突破したら、軍営の入り口付近にいる薔王しょうおうが危険に晒される。

「大丈夫だ。気にするな。あれは万が一にでも私を捕まえたら、と考えているのだろう。私がここにいれば、城の中に逃げ帰ることもないだろう。戦いなど、さっさと終わらせたほうがいい」

 今の薔王しょうおうは鎧を着ていない。それでも、王の剣を身に付けていた。無意識に、その鞘を握りしめる。

薔王しょうおう様!!」

 突然の差し迫ったような叫び声に目を上げると、一頭の黒い馬が真直ぐに軍営に突っ込んできている。馬の上には、あの日城郭の上から見た憎らしい顔がある。手に持った長刀なぎなたで兵を薙ぎ倒しながら、一直線に薔王しょうおうを目指している。

紅歌こうか

 薔王しょうおうも剣の柄に手を当て、じっと相手を睨みつけた。

 紅歌こうかの後を渓円けいえん冬涯とうがいが必死に追いかけている。軍営に残っていた近衛兵が臨戦態勢を整え、親衛隊は全員で薔王しょうおうの周りを固めた。

「死ね~~っ!!」

 紅歌こうかは一払いで近衛兵も親衛隊も薙ぎ飛ばし、次の一撃で直接薔王しょうおうの頭上を狙う。

 その重い一撃を、薔王しょうおうは寸でのところで受け止める。刃と刃のぶつかり合う、高く澄んだ音が響き渡った。

「くっ!」

 剣の柄を両手で支えても支えきれず、次第に刃が近づいてくる。親指と人差し指の間の皮膚が裂けて、鮮やかな血が腕を伝う。

 しかしここは薔王しょうおうの大本営。紅歌こうかは直ぐに近衛兵に囲まれ、剣を突きつけられた。さらに数秒後には渓円けいえん冬涯とうがいが到着し、紅歌こうかは敢え無く馬から引き摺り下ろされた。

 紅歌こうかは、薔王しょうおうの捕虜となった。

 紅歌こうかの捕縛と快北の落城は、ほぼ同時のことだった。紅歌こうかが捉えられた瞬間、快北兵は武器を捨てて投降した。さらに、虎骨軍と攻防を繰り返していた快北兵も撃ち破られ、城門が抉じ開けられた。

 血を拭い、傷の手当をしていると、虎骨軍の使いから、官邸を包囲したとの連絡が来た。

「そうか。では、行こうか」

 汚れた服を着替えた薔王しょうおうは、休むこともせずにテントを出た。

薔王しょうおう様。休んでなくて、いいですか?」

 快北へ入ろうとしていた渓円けいえんは、テントから薔王しょうおうが出てくるのを見て慌てて歩み寄った。

「ああ。渓円けいえん、おまえは私の叔父を知らないだろ。あれは極めて傲慢な男だ。私がいなければ、一家心中してでも投降はしないだろう。裏切られたとはいえ、血の繋がった家族だ。むやみに死なせたくはない」

 一日が経った。

 民も安定し、壊れた城郭の修理も始まった。が、官邸は未だに投降しない。

 海麓かいろくは投降すると直ぐに薔王しょうおうのもとに向かった。薔王しょうおうは官邸の前に肘掛椅子を置かせ、ゆったりと書類を読んでいた。その後で、親衛隊員が傘を掲げている。

「遅れました」

 海麓かいろくが跪くと、薔王しょうおうはふっと笑って彼を立たせた。直ぐもう一人の親衛隊員が海麓かいろくに椅子を持って来た。

「ご苦労だった」

「お気遣い、痛み入ります。まだ、落ちませんか?」

「ああ。おまえの予想だと、いつ落ちる?」

 薔王しょうおうは書類を横の安霊あんれいに渡すと、右の肘掛に体重を乗せて身を乗り出した。

「それが、判らないのですよ。落ちにくいとは予想できましたが、いつとまでは……」

「だろうな。あの男は傲慢の塊のようなものだ。そんな男がいつ屈するかなど、誰にも予想できないだろう」

 薔王しょうおうはまたゆったりと身体を背もたれに預けた。

 安霊あんれいがお茶を差し出す。

 そのお茶を受け取るも、薔王しょうおうはただただじっとカップを見つめるだけで、いっこうに口を付けようとはしなかった。


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