第十話 王親衛隊
次の朝、日の出と共に戦闘がまた打ち鳴らされる。最初は足手纏いかと思われた女たちも、その才能を遺憾なく発揮した。女だからこその思い付き、針を縫い着けられた布を城郭の縁に貼り付けること、そして箒で敵の目を突くこと、今までよりもむしろ戦況はよくなった。
「これでも、持ち堪えるので精一杯だ」
隅のほうから遠い目で戦場を眺めていた薔王は、右手を口許へ持っていくと親指で何度も下唇を撫でた。平民では、守城はできても攻撃に出ることは出来ない。やはり、広天からの龍鱗軍の帰還こそが要なのだ。
ここで一旦王都から離れ、薔王が気にかけている広天の戦況を見に行った。
叡国暦339年11月24日
広天では、包囲戦が続けられていた。
「渓円軍師。お呼びですか?」
冬涯が渓円に呼び出されたとき、時刻はまだ早朝だった。
「ああ、冬涯。もう二日経つだろ?おそらく今日あたりに出てくるから、小隊を二つ側面に潜ませて、こうやって挟み撃ちで殲滅して」
机に乗せた戦闘模型を動かしながら渓円がその計画を説明する。
「殲滅ですか?」
「うん。さっさと終わらせて王都に救援に行かないとだからね」
ゆったりとした口調とは裏腹に、表情と行動の所々に焦りの色が見える。例えば、何度も親指で人差し指の側面を擦っていたり、瞬きの回数が異様に多かったり……。
「大丈夫ですよ。薔王様は絶対に我々が戻るまでもたせてくれます」
妄信的な冬涯の言葉に、渓円は内心呆れながらも微笑んで下がらせた。
渓円の読み通り、しばらくして広天の城門から三千程の兵が溢れ出て来た。対して冬涯の龍鱗軍は五千。内二千を伏兵として左右に潜ませ、残りの三千で広天兵を向い撃つ。
最初の攻勢は緩く、広天にも勝ち目を見せる。撤退に見せかけて五十メートルほど下がると、案の定、広天兵は優位に立ったと思い込んで後を追ってきた。
「行け!! 殲滅だ!」
追っ手の接近を確認した冬涯は、クルリと馬の向きをひっくり返すと号令と共に広天兵に突っ込んで行った。その後を三千の兵が追う。
慌てふためいた広天兵が引き返そうとしたところに、渓円が潜ませた伏兵が退路を断った。
「誰一人逃がすなっ! 殲滅しろ!」
冬涯の怒号が響き、それと同時に龍鱗軍の攻勢が一気に強くなる。
わずか三時間。たった三時間で戦闘は終結した。
勝利の声を上げる龍鱗軍の兵士たち。それを城郭の上から泣きそうな顔でただ見ているしかない広天の領主。その対比が、渓円は至極満足そうだった。
「上手くいきましたね、渓円軍師」
冬涯が馬から降りて、兵士たちから離れていた渓円の許にやって来た。
「まだまだ。白旗揚がってないから」
と、渓円が言ったところで城郭の上に白い布がたなびいた。
「旗、揚がりました」
「だね」
この時点での投降は、さすがの渓円も予想していなかったようだ。渓円はいまだ勝利の喜びの中にいる兵士を一人つかみ出して、軍営まで海麓を呼びに行かせた。
「冬涯。一個小隊で城門を制圧して広天の領主を確保。残りの兵は帰還準備」
「はい」
冬涯が軍に指示を与えるために立ち去ると、入れ替わりに海麓がやって来た。
「ああ、海麓宰相。一個小隊を残しておきますから、広天の再編とかは任せますね」
「ええ。どうぞ任せてください、渓円軍師殿」
柔和に微笑んだ海麓が渓円の前を横切って城郭内に入ると、渓円は颯爽と馬に跨った。振り返ると、同じく軍馬に跨った冬涯がすでに回旋準備を終えた四千の兵を背にその命令を待っていた。
「急速に帰還する!」
渓円が一声張り上げると、兵士たちがそれに呼応する。
嵐のように砂埃を巻き上げて、四千の兵は王都に向って駆け抜けて行った。
出発前に作戦を伝達する暇がなかった。そこで、渓円と冬涯は軍の先頭を副将の無虎に任せ、自分たちは軍の後で走りながら軍議を交わした。
「快北の侵攻軍は、ほぼ確実に城郭の東から攻撃してきてる。軍勢から考えても、敵将から考えても、薔王様はおそらく守城戦をしているはずなんだよね」
「はい」
薔王が何を考えるかなんて冬涯には考えても分からないものだから、渓円の分析に相槌を打つほかにない。
「だから、王都の城壁が見えてきたら、兵を連れて東に回り込んで」
「はい。……渓円軍師はどうするんですか?」
「僕は西門から王都に入る」
「作戦は挟み撃ちですよね? では、私たちが快北軍の背後に回り込んで――」
「いや、横から突っ込んで」
渓円に言葉を遮られた冬涯は、訝しげに渓円の横顔に目を遣った。
「広天、まだ安定してないし、千しか兵を残してないから、王都での戦いは出来るだけ速くに終わらせたいんだよね。紅歌が将なら、殲滅より一撃与えて撤退させたほうが速いんだよ」
なるほど、と冬涯は二回ゆっくりと首を竪に振った。
翌二十五日早朝。渓円は足元に戦闘の地響きを感じながら、西門から東門へ素早く王都の街を駆け抜ける。
「渓円!」
こちらにやって来る渓円を見とめた薔王が、城郭の上から鋭く声をかけた。風のように門の左――城郭の中央辺り――の階段を駆け下りてくる。近衛軍も安霊も戦闘に参加しているせいで、護衛がついていない。
「戻ってきたか」
階段を駆け下りた勢いのまま、左手で渓円の右腕を掴んだ。薔王の様子を見て、渓円はふっと笑みを浮かべた。そしてゆったりと落ち着いた声で言う。
「ただいま戻りました。薔王様。この後、冬涯が四千の兵を率いて快北軍に突っ込みますんで、その後直ぐに開門して虎骨軍と近衛軍で撃って出ます」
渓円の顔を見て、その声を聞いて、薔王も大分気持ちを落ち着かせた。真直ぐに渓円を見上げると、しがみ付いていた右腕から離れた。
「挟み撃ちか?」
一呼吸置いて、昨日の冬涯とまったく同じ質問を口にする。
「違います」
「そうか」
「理由、聞かないんですね」
「今は必要ない。おまえは私が認めた私の軍師だ。戦時は、戦略を知らない私よりもおまえの意見を重視する。戦いが終わって一息ついてから、なぜこのようにしたかを教えてくれればいい」
薔王はふんわりと微笑むと、行けとでも言うように顎で城郭の上を指し示した。
渓円は薔王に軽く頭を下げて会釈すると、早足で階段を登った。左右を見渡して、大きく剣を振るって城郭に手を掛けた兵士の指を斬り落としている兆火を見つけた。指と共に、城郭のレンガの欠片が宙を舞う。
「兆火!」
「渓円軍師!?」
「おまえの兵士に出撃準備をさせといて。冬涯の龍鱗軍が敵軍と接触したら、直ぐに出るから」
渓円は二回兆火の肩を叩くと、返事も聞かずにまた歩き出した。城郭の上は完全に混乱していた。兆火の怒号と共に虎骨軍の兵士が集まりつつあるが、いたるところで兵士と市民、男と女が入り混じっていた。唯一まとまっていると言えるのは女たちだろう。ほとんどが城郭の左端に固まっている。そんな中で、遊撃的に戦っている子棋を見つけるのは至難の業だった。このまま近衛軍抜きで戦いに出ることになりそうだと諦めかけた瞬間、目の端に敵兵の首を切り落とす子棋を捉えた。急いで駆け寄ったものだから、返り血のおこぼれに預かってしまった。
「子棋! 子棋!!」
二回呼びかけて、やっと子棋の注意を引くことができた。
「渓円軍師。おれになんか用ですか?」
「多分もうすぐだけど、冬涯が敵軍と接触したら近衛軍にも出撃してもらうから」
上位である渓円が自分に上から命令するのは至極当たり前なことなのだが、子棋は胸に湧き上がる感情を抑えることができなかった。
「薔王様の許可は?」
誰が聞いても分かるくらいに反抗的な口答えをしてしまった。
「ある」
まったく気にすることなくそれを受け流した渓円にその器の大きさまで見せられたようで、子棋はさらにイライラが募るのを感じた。が、薔王の許可があるからには、これ以上上官に楯突く訳にもいかない。
「分かりました」
子棋はしぶしぶといった感じで小さく頷いて命令を受け入れた。その間、一度たりとも渓円を正視しなかった。いや、出来なかったのだろう。自分の気持ちが嫉妬だとはっきり意識していたのなら、尚更。
龍鱗軍が東の城門付近に到着したのは、渓円が子棋に声をかけたわずか数分後。渓円にも準備時間が必要だろうと考えた冬涯は敵軍に見つからないギリギリの位置で一旦軍を止め、軍列を整えてから一気に敵軍の懐に突っ込んで行った。
落石や弓矢の音に、剣のぶつかり合う甲高い音と肉を切り裂き、骨を砕く低い音が入り混じる。
「開門!」
薔王の掛け声と共に城郭の門が軋みながら口を開く。その門が開ききらない内から兆火の馬が先頭を切って飛び出していく。虎骨軍の兵士がその後に続き、門が開ききる頃には近衛軍がそれを潜っていた。一番後ろに渓円がついて行く。
速い。城郭から覗いていた薔王が意外に思うほどの速さだ。
それほどに、守城戦に参加した兵士たちは怒りに満ちており、敵を正面から叩く機会を逃すまいといきり立っていた。
龍鱗軍の帰還が思いのほか速く、攻城の真っ最中に横っ腹を突かれた紅歌の軍勢はすっかり足並みを崩していた。そこに怒れる兵士が約一万も畳み掛けてきたのだ。快北軍の敗北は確固たる物となった。
最後に口惜しそうに王都の城郭を見上げて、紅歌は馬を翻す。すっかり少なくなってしまった残兵を引き連れ、ほうほうのていで逃げて行った。
渓円は追撃を命じなかった。そればかりか、追いかけようとした虎骨軍の兵に撤退命令を下した。
「なぜですか!兄ッ……渓円軍師」
感情の昂ぶった兆火は、思わず昔の呼称で渓円に呼びかけるところだった。
「撤退の反応が速い。絶対何かある」
「はあ」
渓円の言う何がなんなのかは分からなかったが、彼が言うのならきっと何かあるのだろう。兆火は振り返って、逃げていく敵兵の背中が消えるのを睨みつけているしかなかった。
城郭の上で一部始終を眺めていた薔王は、紅歌の撤退を見届けると振り返って民たちと向き合った。
「王都はもう安泰だ。これも全て皆が力を貸してくれたおかげ、心から感謝する」
深く、深く薔王は頭を下げた。
「え、えと。顔をお挙げください、薔王様」
手を触れる訳にもいかない民は慌てふためき、なんとか絞り出した声も震えている。
それから兵が城郭内に戻り、救護場所の拡大やら参戦平民への補償やらで王宮内は大忙しとなった。そして夜がすぎ、朝が来て、薔王は結局一睡もしないまま三日を過ごしてしまった。
「お休みください」
執務室のドアの前に立ち塞がって、安霊はその稀なる意見を述べていた。それも、真直ぐに薔王に向かって。
「いや、書類が山ほどあるんだ……」
「お休みください」
「……………………」
「……………………」
両者にらみ合った結果、大きなため息と共に薔王が折れた。
久々に王の寝室に入る。執務室からも大広間からも離れて、騒がしい外の世界から断絶されたような気分になる。その孤独感が、心地いい。薔王は面の寝巻きに着替えると、力が抜けたようにベッドの上に腰を落とした。もぞもぞと布団の中に潜り込むと、そのままストンと眠りに落ちた。
薔王はそのまま、次の日の朝までひたすらに眠り続けた。臣下たちは安霊から薔王が眠りに着いたことを聞いて、内心ほっとしていた。このまま激務をこなして体調でも崩されたら堪らない。誰もがそう思っていたのだ。だから誰も起こしには来なかったが、それでもいつも起きる時間には目が覚める。薔王はむっくりと起き上がると、そのまま執務室へと消えて行った。
木質の物がぶつかり合う音がした。書類から顔を上げると、机の上に木のお盆とそれに乗った朝食が置かれていた。
「ありがとう、安霊」
薔王が微笑みかけると、安霊は静に一礼して部屋の隅に下がった。
はしたないとは思ったが、うず高く積まれた報告書に速く目を通したかった薔王は書類に印を押しながら食事を口に運んだ。
王都では着々と再建が行われていた。レンガを造り、城郭の修理をする。戦闘による損傷は思った以上に激しく、完全に修復するにはかなり時間が掛かりそうだった。
午後、薔王は救護場所で傷を癒す傷兵を慰問しに行った。
「ご苦労だった」
慈悲深い微笑を浮かべて、薔王は病床を一つひとつ訪ねる。その一つのベッドにまだ年端もいかない子供が寝ている。薔王は胸を締め付けられる思いで彼の布団を掛け直してあげた。
「補償はもう終わっているか?」
ぞろぞろと武将を引き連れてテントからテントへ移動する合間に、薔王は何気なく龍奇に尋ねた。龍奇はこの慰問団の唯一の文官だ。
「召集した男たちへの補償は終わりました」
「女たちは?」
「彼女たちは自ら戦闘へ願い出ましたから、法律上、国からの補償はありません」
龍奇は真面目くさった態度で淡々と事実を述べていく。
「そうか。しかし彼女たちは守城戦に貢献してくれた。何かしらの補償をするべきだと思う」
「いいえ。そのようなことは法に違反します」
「どうしてもか?」
薔王の声がわずかに低くなった。
立ち止まって、やんわりと龍奇を見上げた。
「はい」
それでも龍奇の言葉に迷いはない。
薔王の鼻から深く息が吐き出された。
途端に、多くの武将が緊張に身を強張らせる。
「私が法に違反してでも補償しろと言ったら、どうする?」
「薔王様の命令には逆らいません。しかし、意見は保留させていただきます。王といえども、軽々しく法に違反してはいけません」
「…………」
薔王は龍奇を試すが如くしばらく黙って彼を見据えていたが、やがてふっと微笑を浮かべると静に口を開いた。
「軽々しく違反するわけではない。戦闘は軍隊の責務で、本来民は守られるべき存在。兵士でもない民が身を犠牲にして戦闘に参加してくれたのだから、それが召集によるものでなかったとしても、しかるべき補償は必要だと思うのだよ。民の信頼を叡国に繋ぎとめておくためにも。よいな、龍奇。女たちにも男たちと同じように補償しろ」
「はい」
薔王の言葉を受け入れたためなのかは分からないが、龍奇がそれ以上の反論をすることはなかった。
一通りの慰問を終えてテントを出る。待ち受けていた女たちを見て、薔王は軽く眉を上げた。
その女たちが、跪いて地面に平伏す。
「安霊、どういうことだ?」
そう問いかける薔王は、じっと女たちを見下ろしたままだ。
「およそ半分の女が、軍隊に残りたいと――」
「帰る場所がないんです!」
安霊の平坦な説明の途中に、平伏していた女が一人割って入った。手足を地面につけたまま、顔だけを上げて薔王を見つめる。
「夫も子供も戦いで戦死しました。もう私には帰る家などないのです」
胸の張り裂けそうな悲しい声で訴えるその女を皮切りに、他の女たちも一人また一人と自分の心の内を打ち明けていく。
「私は寡婦なのです。男がいないので、生活に困っているのです。どうか、どうか、私を軍隊に残してください。私の子供たちに、生活の糧をお与えください」
「私は幼くして親を亡くしました。もう身を売って生活するのは嫌なのです。どうか、私を軍にお残し下さい。何でもいたします」
女たちの懇願する顔を見渡して、
「困ったな」
と呟く薔王はしかし、澄ました顔でまったく困ったような様子がない。
「安霊のように実力があるのなら話は別だが、おまえたち、新兵よりもはるかに劣るだろう」
女たちの顔に、絶望が浮かんだ。
「しかしまあ、私には今侍女がいない。侍女として私に仕える気はないか?」
あまりの急展開に女たちはついて行けなかったようだ。ポカーンと口を開いたまま、呆けたかのように薔王の顔を見つけている。
「まあ、戦乱の世だからな。私の世だけになるだろうが、侍女として武装し、親衛隊として近衛兵よりも近くで私の安全を守れ」
新たな組織を作るということだが、基本が侍女とあれば創るも壊すも完全に王家の責任だ。ということで、後ろに控えた武将と龍奇は口を挟まない。
「嫌なら、別の生存手段も思案してあげよう。残りたい者だけ残れ」
「よ、よろしくお願いします」
嫌な人などいようものか。一人が頭を土に擦り付けると、次々と頭が下がっていった。
「安霊、おまえが隊長になれ。この者たちを任せたぞ」
薔王は安霊の背中を軽く二回叩いてその場に残すと、他の者たちを連れて王宮へ戻って行った。
「十八人でした」
深夜。薔王が寝る準備を始めた頃。めでたく親衛隊長となった安霊が音もなく寝室に滑り込んできた。
「分かった。仕事の前に礼儀作法やらを覚える必要があるだろう。粗使いの女や雑用の男と違って、侍女や従士は高位職だからな。典臨に仕えさせた侍女から一人呼び寄せて教育させろ。……従士と言えば、そろそろ典臨用に四、五人雇い入れたほうがいいだろう。明日にでも公布を出せ」
「条件は?」
「う~ん。親衛隊は特殊だからなぁ。従士は今まで通り、臣下か官吏の家庭の者に限定する。ついでに言えば、親衛隊に欠員が出ても補いはしないし、新に侍女を雇うことがあればそれは慣例どおり臣下か官吏の娘から取る」
「はい」
「少しばかり話しすぎたかな」
「いいえ」
「こうやって一人で着替えるのももう終わりか」
「良い事です」
「そうか。もう下がって休め、安霊」
安霊がドアから出て行くのを見て、薔王は自分で布団を捲った。
叡国暦339年12月1日
左宰相海麓が王都へ帰還した。
「ご苦労だった」
「とんでもございません。お出迎え、光栄です」
微笑を浮かべ、海麓は王宮の外の大通りに跪いた。
「こちら、広天の商会からの貢物でございます」
王宮の大広間、重そうな櫃が三つ、蓋を開いて置いてある。中には金銀の器具もあれば、美しく織られた錦の布もある。翡翠やら珊瑚で出来た装飾品も大量に詰まっていた。
「その他、広天の財産貯蓄はすでに国庫に入れてございます。県令も、つつがなく任命を終えました」
「そうか」
光を受けて輝く宝を前にしても、薔王はまったく心動かされる様子がない。
「戻ってきてすぐで悪いが、快北の進行理由を調べてくれないか」
「もう調べてありますよ。どうやら、薔王様の後継者に自分の息子か孫を指名させようと思っていた矢先に、典臨殿が後継者に指名され、それならば薔王様を討ち取って自分が王になろうと思った、らしいのです」
「……そうか。やはり、叔父上も家族の情より権力を選ぶか」
少しだけしんみりとした薔王だったが、一度長めの瞬きをすると、いつもの顔に戻った。
「快北からの敵将、やはり紅歌だったぞ」
「そのようですね」
「おまえ、実は広天で紅歌の名を出した時から知っていたのではないのか?」
僅かばかりの不審と共に、薔王はやんわりと海麓を見下ろした。おそらく、その不審に気づいたのは子棋と渓円だけだっただろう。小さく、肩を震わせた。
海麓と言えば、薔王の言葉を単なる意地悪な質問と捉えたようだ。いつも通りの微笑を浮かべたまま、真直ぐに薔王の目を見返した。
「知りませんよ。ただ、快北の第一将軍である紅歌が出てくるのだろうと、予想していただけでございます」
「そうか。悪かったな、帰ってきたばかりなのに。今日はもう休め」
薔王はほんの少しでも海麓に不審の目を向けたことを、恥ずかしく思った。と同時に、半分逆恨みではあるが、王族でありながら王都に侵攻し海麓に不審を抱かせた快北に、自分の叔父である快北の領主に、強い憎しみを覚えた。