プロローグ
我々人は、長い時を掛けて科学を発達させ、現代にいながら、過去の風景を覗き見ることができるようになった。
だが、この技術はまだまだ経費が高い。そこで、私のような歴史学者が、この目で見た過去の風景を文章に起こすことになった。
視点が変われば歴史も変わる。これから語られるのはあくまでも、私が見た景色であり、私が記した歴史である。
全てが事実であっても、視点を変えれば正義が悪に、などというのはよくある事だ。これだけは、常に心に留めていて欲しい。
もし他の人の歴史を見て、私の記した歴史と矛盾する点があったとしても、それは我々が注目した人間の違いにあると、そう覚えておいて欲しい。
先に、私が見る景色についての予備知識を記しておこう。
はるか昔、我々が住む大陸は、長い間、いくつもの小さな村に分かれ闘争を繰り返していた。
そしていつしか、草原に生きる民族と都市に生きる民族に分かれた。草原の国は胡国、都市の国は叡国と名乗った。
叡国は、胡国と小競り合いを繰り返しながら、時おり海に浮かぶ島々から来る攻撃にも耐えなければならなかった。
そんな中で、王族に領地を分け与え、その土地において一定の自治権を認めることは、至極当然のことに思われた。そしてそれは実際に、有効だった。各領主たちのおかげで、叡国は常に負け知らずで、王都は常に平和だった。
世襲制をとらないこと、それは国王が地方領主をコントロールする唯一の方法で、そして最も有効的な方法だった。
現領主はさらに領地を大きくするため、その息子は父の領地を引き継ぐため、領地を持たない王族は領主になるため、懸命に、事あるごとに、国王にその忠誠を示した。
約三百年もの間、叡国は栄耀栄華を限り尽くした。
私が今回注目するのは、この叡国である。
叡国は北で草原民族の胡国と接し、北東から南を山脈に遮られ、西では大海に面している。海には小さな島しかなく、山脈の向こうに国はない。
叡国は、一番大きな大陸にある、一番大きな国であった。
民は各々の職につき、ほとんどが幸せな一生を送った。反乱はその兆しすら見えず、文官も武将も、それぞれの責務を精一杯全うしていた。この時、民の目線から見た叡国は永遠に続く平穏と同意義であった。
盛者必衰。
歴史を振り返ると、何者もこの言葉から逃れる事はできないように思える。
叡国の国運もまた、同じであった。
その前兆が見え始めたのは、七代目国王の頃である。
この七代目は、叡国一の愚か者であったと言える。一生を通して特筆すべき功績は何もない。そればかりか、何を思ったかこの七代目は中央軍部の負担が大きいという理由で、各地警備軍の徴兵権を領主に分け与えた。さらには、税の徴収も中央からの監査官の派遣を取り止めて、全てを地方領主に任せてしまった。
おかげで、国王の与り知らぬ地方軍隊が、相次いで誕生することとなった。
人間の欲望は底を知らない。自分の軍隊を持てば、当然もっと強い統治権が欲しくなる。領主たちは少しずつ、少しずつ国王に隠れて自らの力を蓄えるようになった。だんだんと、王国の政治に逆らうようになった。
この時点で、聡い者達は王国の命運が下り坂を歩んでいることを悟り始めた。多くの大志抱く若者が、領主の門下に下ることでその志を成し遂げようとし、王領の官吏でさえ自分の退路を一番に考えるようになった。
国王の権威は、急激に落下した。
強く、攻めの体制を見せた地方の領主に対し、七代目は、領地の世襲を許可することで一時的な平和を手に入れようとした。
その結果、第一王子の順万がその父王から王位を受け継ぐ頃には、完全なる地方割拠が成立してしまったのだ。
この八代目の終わりから、私は過去を覗き見ることにした。