第一圏・辺獄
地獄行きの罪人たちに見送られアケローンを渡っていく、レヴィアタン、ベヘモスとジズ、そしてサタンの四人。大河を渡り辿り着いたのは、地獄の第一圏『辺獄』であった。
この辺獄、本来は『父祖の辺獄』、『幼児の辺獄』などとも呼ばれる場所であり、地獄とは異なる場所である。そこには、洗礼を受ける前に死んだために原罪から解放されていない魂が行くのだと考えられていた。
しかし、この地獄の第一圏にあたる辺獄は、『神曲』のイメージが基になっているため異なる性質を持っている。本来の辺獄との混同を避けるために、悪魔や天使は、この場所を『神曲の辺獄』と呼んでいた。
ダンテは『神曲の辺獄』を、どんな功績を上げた者であっても洗礼を受けていなければ送られる、そんな場所として書いている。その中には信仰を欠いた者、つまり、キリスト教を信仰していなかった者たちも含まれていたのだが、これが問題となった。
大抵の宗教には、死後の先が存在し、死んだ者はそこに至ることになっている。例えば、Aの宗教の者が死ねばAの死後の世界へと至り、Bの宗教の死後の世界へ行くことはない。そんな事が起こっては、信仰の意味がなくなってしまうからだ。しかし、ダンテは、それが起こってしまうように書いていた。これが、問題だった。
天使や悪魔が、神曲の辺獄を再現しようとするあまり、他の宗教世界から死者の魂を連れて来ようとしたのだ。他の宗教の神々は再三に渡り抗議をしたが、その行為が改められることはなかった。そのあまりの横暴ぶりに、神々の怒りは頂点に達し、遂には戦争に発展する。神と神に類するものの戦いである。その威力は凄まじく、現世への影響も恐ろしいものとなった。都市が一つ消し飛ぶどころか、国が消滅したこともあった。その結果は、両者共に信者の現象、信仰の衰退を招くことになり、反省した天使や悪魔は自分たちが直接、他の宗教へ干渉することを禁止した。
今現在、神曲の辺獄に連れてこられていた魂は元に戻され、この第一圏には死者の魂は存在していない。代わりに、動物がその土地を走り回っていた。
これは、七つの大罪に対応する悪魔たちの仕業だった。彼らには、それぞれに対応する生き物がいる。ほとんどの者が、その生き物を飼育することを趣味としているため、魂がいなくなり、ただのだだっ広い土地となっていたこの場所を飼育場所としてしまったのだ。豚や山羊、熊や狼などの姿があるが、それだけではない。現世では通常見ることの少ないグリフォンやユニコーン、さらには巨大なドラゴンまでもいた。動物たちは、柵の中に入っているものもいれば、自由に空を飛んでいるものもいる。
「ここも、変わってないね」
わくわく動物園と化している神曲の辺獄を見て、レヴィアタンが言った。
「そうだね。皆、ほとんど変わってないけど。ベルゼブブとベルフェゴールのところは、けっこう変わったかな」
「そうなの?」
「ベルゼブブは、現世でおいしい豚に巡り合ったらしくて。完全に養豚業者だよ、あの人」
「ああ~」
レヴィアタンは、なんか納得できる、といった顔をしている。料理が趣味のベルゼブブは、以前から材料にもこだわっていた。そのこだわりが、趣味だった豚の飼育と合わさり、養豚業者に行き着いたことは容易に想像できた。
「ベルフェゴールの方は、クマ牧場を開業したよ。あの子も、現世に行ってインスパイアされたみたいでね。いつもは面倒くさがりのくせに、その時は寝る間も惜しんで働いて、三日で完成させてさ。今じゃ、地獄観光名所の一つになってるよ」
「へぇ~。行ってみたいな」
「あとで、本人に連れて行ってもらうといいよ」
「うん。そうする」
レヴィアタンとサタンが会話をしながら、動物たちの間を通っていく。その後ろを、ベヘモスとジズも歩いていた。彼ら二人は、前の二人の歩調に気を配りながら、道行く動物たちとの会話を楽しんでいた。
動物たちと触れ合いながら第一圏を進み、四人は下へと続く階段に辿り着く。階下に広がるのは、地獄の第二圏だった。




