地獄の入り口
レヴィアタンたちの前には巨大な門がそびえ立ち、その門戸を閉ざしていた。
三人は、入ることを拒みたくなる異様な意匠を施されたそれを見て、呆然としていた。
「これって地獄の門……、だよね」
「そうですね。召還時には、門の前に転送されるはずですから」
「でも、この前来た時って、こんなのだった?」
「いえ。何の飾り気もない、ただの金属の扉でしたね」
「だよねぇ」
門には、柱や扉の部分以外にも多くの人の姿が浮彫されていた。そのほとんどが、悩みや苦悶といった表情を見せている。さらに、その扉の上には、眼下を見ているかのように岩の上に座り、顎に手を当てている人物が彫られていた。それを見て、レヴィアタンが指差し言う。
「あれ。なんか見たことある」
その言葉に、二人のお供は指示された像を見る。ジズが何かに気付いた様子で声を上げた。
「ああ! それ、あれですよ。『考える人』。どうりで見たことあると思ったら、これ『ロダンの地獄の門』ですよ」
「考える人って、もっと大きくなかった?」
「大きな物は、単体作品として発表された物ですね。元々は、この地獄の門の一部だったんですよ」
「ふ~ん、そうなんだ。……で、何でそれがここにあるのよ。これ、通っていいの?」
「どうでしょうか。本物の地獄の門は『主』が作りし物で、不変だったはずですよね。とすると、この門は偽物で――」
「本物だよ、それ」
ジズの言葉を遮り、突然声がした。三人は振り返り声の聞こえてきた方を見る。視線の先では、岩陰から一人の女性が顔を覗かせていた。
「サタンっ!」「サタン様」「べもっ」
ほぼ同時に三人は声を上げ、女性の元へと走り寄った。その女性は、悪魔の中で最も有名であると言ってよいであろう『サタン』その人であった。
『サタン』は、堕天使『ルシフェル』と同源異質の存在である。天使であった頃の『ルシフェル』は両性であった。それが、己が『主』に反旗を翻し敗北。堕天した際に、自ら女性の部分を切り離した。それが『サタン』となった。自分が敗北を期したのは、女性としての優しさ、甘さが原因だと判断したからであった。
岩陰から姿を現したサタンは、相変わらずのスタイルの良さを見せていた。その姿は、男性だけでなく女性すらも魅了するほどに整い、隠しきれない妖艶さが覗く。三人との再会を喜び、サタンはそれぞれの頭を撫でていく。その心地よい手つきに、レヴィアタンは頬を染め、嬉しくもあり少し照れ臭そうでもあった。
「ごめんね。迎えが遅くなって」
「いいよ。別に」
「いや~。帰るお知らせが、久しぶり過ぎて。天使たちが攻めて来たのかと勘違いしちゃって」
そう言うと、サタンは腰を屈めてベヘモスと戯れ始める。その様子を眺めながら、レヴィアタンは隣にいたジズに小声で訊いた。
「帰るお知らせって、何だっけ?」
「召還儀式の時に、地震が起きたでしょう。あれです」
レヴィアタンは、ふんふんと頷いた。
ひとしきりベヘモスをいじくり倒して、立ち上がるサタン。その顔は、充足感に満ちていた。
「さて、それじゃ行こうか」
「いやいや。その前に」
先へ進もうとするサタンに、レヴィアタンは地獄の門を指差す。
「これの説明してよ」
「あれ。してなかった?」
「してないよ」
「ごめんごめん。ええと、何から話せばいいかな……」
腕組みして、考え込むサタン。少しの間があって、話を始めた。
「まず、この門を作るように命じたのが、我らが『創造主』だってこと。ロダンの作っていた『地獄の門』を気に入っていたらしくてね。彼が死んだ時に、こっちの地獄の門に同様の意匠を施すように言ったの」
「オーギュスト・ロダンが亡くなられたのが、1917年。前回、我々が地獄に戻った時よりも後の事ですから、知らないのも当然ですね」
「良く知ってるじゃない、ジズ」
ジズの補足説明に感心したサタンの言葉に、レヴィアタンがジズの方を向く。
「そういえば、最近。美術・芸術に興味があるらしくて、いろいろ勉強してたよね」
「はい。各国の美術館にも行っています」
「そうそう! あたしたちを置いて、一人で行ったりしてたよね。一日二日、姿を見ないと思ったら、お土産持って『ただいま』とか言ってくるし」
「べもべもっ!」
「アハ、アハハハハ」
レヴィアタンとベヘモスから冷たい視線を向けられ、ジズの口からは乾いた笑いが漏れる。これはいけないと思ったのか、ジズは話題を変えようとサタンへと話しを振った。
「ロダンは、地獄の門を完成させることなく、亡くなってしまったんですよね」
「そうそう。それで、完成させられることに、すごく喜んでね。不眠不休で、作ってたみたい。まあ、死んでるんだから、これ以上死ぬ心配もないわけで好きにさせてたんだけど。ある時、様子を見に来たらいなくなっててね。何かあったのか心配していたら、どうやら、『主』から別の仕事で呼び出しを受けたみたいでさ。門の前の地面に、悲しいだか、悔しいだか、殴り書きがあったよ。後から聞いた話だと、『主』が望んでいたのは現世の地獄の門の意匠だったから、そこで止めさせたんだって。ロダンは完成を目指していたけど、『主』が求めていたのは未完成品だったと。未完成だからこそ意味があるとかなんとか、よく分からないけど」
「かわいそうですね」
ジズがその地獄の門を仰ぎ見ながら呟いた。
「まあ、でも。『主』が許したからこそ、元の地獄の門が変わっていったわけだからね。その許す範囲を超えたら、どっちみち変化しなくなってたんじゃないかな」
「そうなの?」
と、レヴィアタンが声を漏らした。
「たぶんだけど。この門、『主』に反してるわけではないし」
サタンは、門扉の前まで進み出て、その意匠に撫でるように触れた。
「地獄の門の説明は、このくらいかな。他に何か聞きたいこと、ある人?」
くるりと向きを変え、レヴィアタンたちの方を向いたサタンが言った。質問がある人は手を上げるようにと、ジェスチャーをつける。
「ありませ~ん」
サタンが学校の先生のようにすると、レヴィアタンもそれに応えて生徒のように答えた。
「よし。それじゃあ、行こっか」
サタン、レヴィアタン、ベヘモス、ジズの四人が門の前に並ぶと、独りでに門扉が開いていく。ゆっくりと開いていく扉に合わせて、声が響いた。
PER ME SI VA NE LA CITTA DOLENTE,
PER ME SI VA NE L'ETTERNO DOLORE,
PER ME SI VA TRA LA PERDUTA GENTE.
(我を過ぎれば、苦患の都あり、
我を過ぎれば、永劫の呵責あり、
我を過ぎれば、滅びの民あり)
GIUSTIZIA MOSSE IL MIO ALTO FATTORE;
FECEMI LA DIVINA PODESTATE,
LA SOMMA SAPIENZA E 'L PRIMO AMORE.
(正義は尊き創り主を動かし、
我を創るは、聖なる威力、
至高の智、第一の愛なり)
DINANZI A ME NON FUOR COSE CREATE
SE NON ETTERNE, E IO ETTERNO DURO.
LASCIATE OGNE SPERANZA, VOI CH'INTRATE.
(我よりさきに創られしものはなく、
永遠とされるものがあるのみ、そして我は永遠に立つ。
我を過ぎんとせしもの、一切の望みを棄てよ)
「これも、新機能?」
聞こえてきた声に対し、レヴィアタンがサタンに尋ねた。
「そうだよ。前の時は扉に刻んであったけど、この通り、文字を刻み入れる場所が無いじゃない。だから、しゃべらせてみた。自動音声って奴」
三人は「へぇ~」と言いながら、地獄の門をくぐり中へと入っていった。
この先に待っているのは、地獄である。しかしながら、その地獄は、聖書に語られるような場所ではない。『ダンテ・アリギエーリ』の『神曲』にて語られる地獄である。これも、『地獄の門』と同じく、神が気に入ったためにそのようにされたのだった。
これから、レヴィアタンは、その力を取り戻すために地獄を巡ることになる。それは同時に、ダンテの地獄巡り、その足跡を辿ることでもあった。




