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第七圏・第二の環

 第二の環を作る森は、第一の環から少し下がっていた。

 レヴィアタンたちは、目の前に広がる森へと足を踏み入れる。そこは薄暗く、陰気な世界だった。

 森は、ただ一種類の木でできていた。人の背丈に満たない物、大木となり枝葉を広げている物など大きさは様々であるが、そのすべてが、葉をどす黒くし、枝を目的も無くねじ曲げている。また、枝には実もつけず、枝幹からは無数の棘を生やして他者との接触を拒んでいるようだった。

 葉の緑もなく、鮮やかな実も付けない。色づくことを忘れた森は、レヴィアタンたちの心まで陰鬱とさせた。

 もう一つ、レヴィアタンたちの心を晴れ晴れとさせないものがあった。それは、森に入った時から聞こえてくる悲鳴である。一つ二つとばらばらに聞こえることもあれば、いくつもが重なり合って森がさざめいている時もあった。

 その声の主が誰であるのかは、容易に想像できるだろう。この第七圏・第二の環に落とされた罪人たちが上げている悲鳴だった。しかし、その姿はどこにも見当たらない。一つ前の環までは、鬱陶しいほどに見ることのできた罪人たちの姿は、森に入ってから今まで、影すらも見ることはなかった。

 三人は、木々の間を進んでいく。地獄の森に道などは無い。小道はおろか、獣道すら通っているはずもなく、木を回り棘に気を付けながらの歩みは、どうしても遅いものとなった。これまで何度も通り抜けた森ではあるが、来る度に木の数は増え、どんどんと歩きづらくなっている。低木や木の根にも邪魔をされ悪戦苦闘をしていると、悲鳴とは別の、言葉になった声がレヴィアタンたちに掛けられた。

「あら、レヴィアタンじゃない。お久し振りね」

「ん? ああ、ハルピュイアか。久し振り」

 声のした上の方を見ると、近くの木の枝にハルピュイアが留まっていた。

 その姿は、両手の代わりに幅広の翼が生え、人の顔と首を持っている。また、脚は鳥のようで鉤爪もあり、大きく膨れた腹は羽毛で覆われていた。

 奥の方には、話しかけてきたハルピュイア以外にも、何人ものハルピュイアたちが留まっているのが見える。皆、三人の訪問者を物珍しそうに見下ろしていた。

「あのハルピュイアたちも、作られたものなのかな?」

 レヴィアタンは、隣にいたジズに小声で尋ねる。ジズも当人たちに聞こえないように注意して答えた。

「そうですよ。本来、我々が拘束できる存在ではありませんからね」

 彼女たちもまた、他のギリシア神話由来の生物と同様に、この地獄のために作られた魔法生物であった。

 小声で話す二人をハルピュイアが訝しむ。

「何?」

 身振りはせずに口を少し動かしただけなのによく気が付いた、と内心少し驚きながらも平静を装い、レヴィアタンは答えた。

「いや、あのね。あたしたちが、森を抜けるまで木の葉を啄むのを止めてくれないかな。ここの悲鳴は、重くて聞き流すのも難しいんだよ」

「残念だけど、それはできないわ。私たちの行為は、この木に対する罰なのだから。神から与えられた命を自ら絶ってしまった者たちへの、ね」

 そう言うと、ハルピュイアは顔の近くにあった葉を一枚食いちぎった。途端に、悲鳴が上がる。そうなのだ。先程から森にこだましていた悲鳴は、ここに生える木々から発せられていた。この第二の環に生えるすべての木は、自殺した人間の成れの果てだった。

 自ら自身の命を絶ったものは、第七圏・第二の環であるこの森へと落とされる。風に運ばれる花の種のように、偶然の赴くままに飛ばされ、落ちた所で芽を出す。そして、自分を殺した年齢に応じて育っていくのだ。ここでは、若くして死んだ者ほど大きく育ち、多くの葉を茂らせる。なぜなら、己が捨てた未来の分、苦しみを与えられるから。自ら動くことはできず、無限にその身を引きちぎられるだけの世界。可能性の未来を自ら絶ってしまった者への罰は、辛く悲しいものだった。

 三人はハルピュイアたちと別れ、道なき道を進んでいく。視線の先が赤らみ、森の出口が見え始めた時だった。突然、木々の悲鳴が大きくなる。それは、今までハルピュイアたちが響かせていたものとは比べ物にならないほどの大きなものだった。

 出口に向かっていたレヴィアタンたちの左の方から聞こえてきたのだが、時間の経過と共にどんどん大きくなっていく。悲鳴に悲鳴が重なっていき、まるで森全体が鳴いているようだ。気の弱い人間ならば、耳に入るだけで死にたくなるほどに、悲痛で心を掻き毟る響きだった。

 三人は、悲鳴の発する方に注意を向ける。声が反響してわかり辛かったが、新しい悲鳴が上がる度に、どんどんとレヴィアタンたちの方へ近づいて来ているようだった。

 ざわめく木々の奥を注視していると、三人の視界に動く影が映る。それは、一人の罪人だった。何かから逃げているのか、死に物狂いで走っている様子が窺える。続いて罪人の後ろから、森を覆い尽くさんばかりの影が出てくる。それは、猟犬の如き獰猛さを見せる黒い雌犬の群れだった。猟犬の群れから必死に逃げる罪人は、自分が傷つくことなどお構いなしに棘の中を突き進み、全身が引っ掻き傷だらけになっていた。

 罪人は、何とか猟犬から逃げようと全力で走り続けている。その時だった。木の根に足を取られバランスを崩す。何とか倒れるのを防ごうと伸ばされた手が、目の前にあった枝を折り取った。その途端、折れ口から耳をつんざく叫声が上がる。これが、先程から響いていた悲鳴の正体だった。ハルピュイアが葉を啄むよりも、大きな傷口を開けられたのだ。悲鳴が大きくなるのも、当然であった。

「助けてくれっ!」

 自分の姿を見ていた三人に気付き、罪人が声を上げる。藁にもすがる思いだったのだろう。最短距離で三人の元へと向かって来る。多くの枝を折りながら、灌木をなぎ倒しながら。

 その結果、今まで以上の悲鳴が響き、まさに阿鼻叫喚の地獄となった。

 もちろん、罪人にもその声は聞こえていたはずである。しかし、木が、なぜ悲鳴を上げるのか知る由もなく、またそんなことを考える余裕もありはしない。そんなことはお構いなしに走り続けた。

 三人の元へ、あと少しでたどり着こうかという時だった。猟犬の群れが罪人に追いつき、その体に喰らい付く。肉を引き裂くように乱暴に首を振る獣たち。力任せに左右に振られた罪人の体は千々に引き裂かれ、方々へと持ち去られていった。

 目の前で行われた惨劇を目にしながら、レヴィアタンは冷静だった。

「あれは、何の罪だっけ」

「博打でその身を滅ぼした魂に与えられる罪ですね」

「そっか。それは、救いようがないね」

 レヴィアタンたちは再び歩き出した。元の悲鳴に戻った森の中を、何事もなかったかのように進んでいく。

 徐々に視界が開け、天に架かる木々の屋根もなくなると、第二の環が終わる。森を抜けた先にあったのは、不毛の世界だった。


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