万魔殿・外縁
炎の先、ディーテの中央部には、悪魔たちの町がある。二重の堀と一つの城壁に囲まれた円形の町だ。外側の堀は、深さはあるが幅は狭い。人間でも助走をつければ飛び越えられそうなほどである。一方、内側の堀は、深さは同じくらいだが幅は数倍あった。
城壁は、外堀と内堀の間にある環状地に建てられていた。外堀のぎりぎりに建てられている壁は、堀の深さも相まって実際の高さ以上に高く見える。見上げるほどに高く、環状地をぐるりと囲む長大な物ではあるが、ディーテを囲む巨大な壁を見た後では、見劣りするのは否めない。その壁に囲まれた、環状地の上に下級の悪魔たちが暮らす『外縁町』がある。城壁に一部を占領されてなお広大なこの場所には、多くの建物が立ち並び、悪魔たちの日常の場となっていた。
外縁町を抜け、内側の堀も越えた先は、上級の悪魔たちが暮らす領域だ。そこには、内堀に囲まれた土地を覆い尽くすほどに巨大な建造物がある。それこそが、かの『万魔殿=パンデモニウム』だ。地獄にあって異様なほどに豪奢な外観は、城というよりは宮殿と言った方が相応しい建造物だった。
レヴィアタン、ベヘモス、ジズ、サタンの四人は、外堀に架かる橋を渡り、外縁町へと入っていく。
悪魔の暮らす町と聞いて、どういったものを想像するだろう。己の欲望に忠実で混沌に満ちた町であろうか。それとも、暴力に溢れ、不浄が支配している様子を思い浮かべるだろうか。
町の様子は、そのどちらでもなかった。
通りは綺麗に整えられ、清掃が行き届いている。不浄などは、感じない。道行く悪魔たちも、思い思いの行動を取りながらも、一定の規律は守っているように見えた。現世では、混沌や破壊、暴力や不和を好むと考えられている者たちも、自分たちの生活の場では求めるものは違っているようだった。
悪魔が規律を守るというこの現状だが、昔からこうだったわけではない。堕天した直後は、己の欲望に忠実な生活を送り、もっと混沌としていた。食べたい時に食べ、寝たい時に寝る。欲しい物はどんなことをしてでも手に入れ、気に入らない奴は殴る、そんな社会。
神の規律からの解放に悪魔たちは大いに喜んだのだ。
しかし、そんな生活も長くは続かない。抑圧されていたものを一気に解放したがために制御が効かなくなり、満たされることが無くなっってしまう。彼らは飢えと乾きに苦しむことになった。
悪魔たちは、苦しみから逃れる方法を考えた。そして、人間を参考にすることを思いつく。
「自分たちがうまくいかなかったのは、欲望に慣れていなかったからだ。ならば、欲望をその身に宿している人間を観察すれば、良い方法が得られるのではないか」
悪魔たちは人間の研究を始めた。それは、人間という存在そのものから、人間の作る社会まで、幅広く対象とされた。
ある者は人間に成り済まして日々の生活を体験し、ある者は誘惑から自制の度合いを測り、ある者は知恵比べをし、ある者は直接に欲望を覗き見たりした。
その結果、悪魔たちが得た結論は、こうだった。
「欲望は、貯めれば貯めるほどに大きくなり、少しのものでは満足できなくなる。ならば、日々の生活でこまめに満たしてやればいい」
そうして、悪魔たちは人間社会を手本にし、自分たちの社会を作り始めた。欲望を満たすことは、娯楽に繋がる。その娯楽も、文化、文明があれば多種多様に発展し得るのだ。
始めは、混沌の中で試みられた。しかし、それはあまりに時間が掛かり、彼らの欲求を満たすには至らない。文化、文明を維持し、効率よく発展させていくためには、ある程度の規律が必要であった。
神を超えようとした者、神の意に反した者、人に近づき過ぎた者など、様々な理由から堕天した者たち。神の規律から逃れた彼らは、自由であることと同時に己の欲望を満たすことを求めた。しかし、その欲望を満たすためには、再び規律が必要だという。規律から逃れたつもりが、自分たちで規律を作る破目になるという皮肉めいた結果だった。
もちろん、悪魔たちの中には、規律を作ることに反対をする者もいた。しかし、悪魔に身をやつしたといっても、元天使としての本質はそう簡単に変えられるものではない。規律があることによる生活のし易さに気付くと、すばやく順応していった。
試行錯誤の結果得られた今の悪魔社会は、自由と規律のバランスが自分たちにとって調度いいものとなっている。もちろん、混沌も存在している。そこからは、予想もつかないものが誕生することがあるからだ。むしろ、規律が出来てからは重要視され、現世でいう歓楽街の様な場所がその役目を担っていた。
レヴィアタン一行の目的地は、外縁町からさらに奥の宮殿部である。道は真っ直ぐに続いていたが、そこから外れ、外縁町へと入っていった。約100年ぶりの帰郷である。町がどのように変化しているのか、好奇心が勝るのは仕方のないことだった。
一歩道から外れると、途端に熱気に包まれる。活気にあふれる様子を表したものではない。もちろん、活気はあったが。この熱気は、肌を焼くような熱さ。ディーテを包み焼く炎の熱気だ。100年絶っても相変わらずの、悩みの種のようだった。
その悩みの原因である炎を防ぐことが、町を囲む城壁の役目だった。外堀も同じ役目ではあったが、如何せん幅が狭く、盛る炎は易々と越えてしまう。城壁が無ければ、町の半分が炎に呑み込まれてしまう。悪魔にとっても、脅威であった。
ディーテを囲む巨大な壁も、役目は同じである。
片や、業火をディーテの中に封じ込めるため。
片や、町への侵入を防ぐため。
そのどちらも、炎の自由を奪うというものだ。町を囲む壁は、小さいながらも、しっかりとその役目を果たしていた。
小さいとは言ったが、それはディーテの壁と比べた場合で、環状地をぐるりと囲む、見上げるほどに高い壁だ。それだけを見れば、巨大で長大である。しかし、その巨大な壁を以てしても、炎のすべてを防ぐには至らなかい。強烈な熱気だけは、悪魔たちの悩みの種として残っているのだった。
久方ぶりにレヴィアタンたち三人が見た町並みは、かなりの様変わりをしていた。以前来た時は簡素な建物が多く、町も土の色一色だったが、今では形は様々に、多彩な色使いをしているものが多くなっていた。
「はぁ。えらい変わったねぇ」
きょろきょろと視線をさまよわせながら、レヴィアタンが呟く。その言葉に、隣を歩いていたサタンが答えた。
「最近は、建物とかも人間社会を真似するようになってきたからね。いろいろと新しい物を見つけるたびに吸収してたら、こうなったんだよ」
「たった100年程度で、ここまで変わるものかい」
「いやいや。ここの変化なんて、人間社会に比べたら遅い方だよ。レヴィアタンの町だって、結構変わってるんじゃないの?」
「うちのとこは世間から離れてるから、目立った変化は感じられないけど。ああ、でも。テレビとかインターネットとかが来た時は、やるな人間って思ったよ。そりゃあ、魔法を使えば簡単にできるけど。それを忘れた人間にとっては、魔法の代わりが科学で、マナの代わりが電気なんだなあって」
「今の科学技術も、昔の人間からしたら魔法みたいなものだけどね」
そんな会話をしながら進んでいくと、通りを一つ隔てた先に、今までとは明らかに雰囲気が違う区画があった。建物が並び、そのいずれもが看板を掲げ、商店であることを主張している。商店街ではあるのだが、今まで歩き見てきた店とは売っている物が異なっている。それまでの店は、野菜や果物などの食料や衣料品、人間でいう生活必需品が主だったが、ここで販売されている物は、娯楽品や嗜好品と呼ばれる物がほとんどだった。
「なに、ここ。高級店街?」
レヴィアタンが、そう感じるのも無理はない。先程までの町とは違い、その区画では、店舗、街路、すべてが整備され清浄に保たれている。しかも、ディーテの熱気がそこでは感じられなかった。
「ううん。ここは、高級店街じゃなくて――」
「あ! あれって、日本語じゃない?」
サタンの言葉を遮って、声を上げたレヴィアタン。その指差す先には、看板があった。そこには、でかでかと「らーめん」と書かれている。その隣には「寿司」。その隣には「天ぷら」。さらに道路を挟んで向かい側には、「本」、「おもちゃ」、「ゲーム」などなど、ほとんどの店が日本語を掲げていた。
ぐるりと見回したレヴィアタンが呟く。
「日本街か、ここは」
「正解。日本好きが集まって作った町だよ。初めは小さな店が3店舗だけだったんだけど。今じゃ、一区画丸々だからね。大きくなったもんだよ」
「へぇ~。日本を真似て作ったわけ?」
「建物とかは、特に意識してないみたい。日本の町並みは古い物と新しい物が混ざり合ってるから、こっちも気にする必要はないだろうって。無理に日本っぽさをだそうとしても、似非日本感が出ちゃうからね。でも最近だと、日本で長いこと暮らしてた子たちが戻ってきて、設計とかしてるみたいだけど」
サタンの説明を聞きながら、レヴィアタンは一つの看板に目を止める。そこには「盆栽」と書いてあった。「盆栽ってなんだ?」と思い訊ねようとするも、サタンの話は続いている。
「商品の多くは、日本から輸入してるんだよ。現地に会社も作って、商談もしてるんだって。もちろん、お金もちゃんと払ってるよ。私たちは悪魔だけど、そういう所はしっかりしていかないとね。自分たちを楽しませてくれる物が無くなってしまうから。しかも、商品価値に見合った値段なら価格交渉もほとんどしないから、上得意先として扱われてるみたい」
「輸入してるんだ。一つ買って、それをコピーすればいいんじゃない? あたしたちなら、劣化品とかじゃなくて全く同じ物が作れるでしょ」
「ああ、それね。確かに、完全なコピーを作れるでしょうね。でも、コピーはコピー。私たちにとっては、商品そのものの価値にプラスして人間が作ったものということが大切なの。物としては、完全だったとしても、価値は同じじゃないのよ」
「こだわりってヤツだ」
「そう、こだわり。それと、さっきも言ったけど、コピーじゃ人間が儲からないからね。儲けてもらって、次々と新しい物を作ってくれないと困るじゃない。私たちの飢えを満たすためにも」
「そうかぁ。ん? でも、そこまで気にしてるってことは、コピーする人がいるの?」
「いる。というか、いた。そいつ、自分だけは本物を手に入れて、皆にはコピーを売って優越感を味わっていたみたいなんだけど。それがばれて、今は氷漬け1000年の刑」
「一人だけ?」
「違うよ。一人が逮捕されてから、徹底的に調査されてね。最終的に捕まったのは、十人くらいかな。グループ犯もいれば、個人犯もいたみたい。もちろん、みんな氷漬け真っ最中」
レヴィアタンは、また見慣れないものを見つける。そこでは、店先に小さな池があり、色彩豊かな魚が泳いでいた。看板には「錦鯉」と書かれていた。
「完全なコピーだったんでしょ? よく見つけられたね」
「許可申請していない違法な店だったし、そもそもの商品の仕入れ量と流通量が合っていなかったからね。当たりを付けたら、本物とマナの構成に違いが無いか調べて。構成の一つ一つを分解して比較していったんだって」
「また、時間の掛かりそうな」
「そう。すごい大変そうだった。解析班の目からは、日に日に生気が消えていって……」
「それは解析班の人、ご苦労様だったね」
サタンとレヴィアタンは、揃ってうんうんと頷く。
「まあ、今では解析・照会魔法も作られて簡単にできるようになったんだけどね」
「そうなんだ」
「陶芸」と書かれた店の前を通りかかると、中では一人の悪魔がろくろを回していた。
「なに。自作してる人もいるの?」
「ああ、うん。さっきも言ったけど、現世で勉強した人たちがね。自分で作った物を売る人も、増えて来たんじゃないかな」
「それは、いいんだ」
「どういう? ああ。人間が作ったわけじゃないってことね」
レヴィアタンは肯定の頷きをする。
「あくまで、彼らは自分の作品を作ってるのであって、偽物を作っているわけじゃないからね。もちろん、自分で作ったものを現世で買ってきたとか言ったら、処罰されるよ」
「そっか」
外縁町を堪能した一行は、そろそろ万魔殿へ向かうことにする。元来た道を戻るその道すがら、レヴィアタンが疑問を口にした。
「そういえばさ。何で日本にハマることになったの?」
「それは、簡単だよ。日本が私たちにとって、暮らし易い国だってことだよ」
「逆じゃない? だって、あの国って独自の神格が強いでしょ。あと、仏教も」
「宗教的にはそうだけど、大衆文化的には悪魔を受け入れやすい環境があるんだよ。だいたい、漫画とアニメとゲームのおかげだけど」
「でも、いくら大衆が受け入れやすくても、神格は受け入れてくれないでしょ」
「いや、それがそうでもなくてね。しっかりと挨拶に行って、日本という国とそこに暮らすものに害を為すことをしないと約束すれば、入国を許してくれるんだよ」
「結構、緩いんだ」
「う~ん。緩いわけでもないんだよね。前に、約束破った人が処罰を受けて帰ってきたことがあったんだけど。すごい憔悴してて、魂が消滅する寸前だったからね。何があったのか聞いても、恐怖に震えるだけで語らないし。今でも、その話を聞こうとすると発狂して意識を失うらしいよ」
「やだ。怖い」
「そう。怒らせた時が怖い。神格だけじゃなくて、あの国は人間もだけど。一度、敵と認識した場合は、とことんやる所があるから注意しなくちゃいけないんだよ。その反面、害がないと分かってくれれば、かなり友好的に接してくれたりもするんだけど」
「サタンも行ったことあるの?」
「あるよ。しばらく、住んでたこともある。何人かの神格とは、一緒にお酒飲んだりしたよ」
「ほんとに!? いいな~。今度、あたしたちも行ってみる?」
レヴィアタンは、後ろについていたベヘモスとジズの方に視線を向ける。
「いいですね~。いきましょう、いきましょう」
「べもっ、べもっ」
「じゃあ、私もついて行こっかな」
日本旅行の話にテンションをあげながら、外縁町を歩く四人。話は尽きぬまま、万魔殿へと向かった。




