第四圏
第四圏に降りると、また一人の男が待っていた。
「ボクは、ここまでだね」
ベルゼブブは「じゃあね」と告げると、去っていった。レヴィアタンたちは、手を振り別れの挨拶をする。
「それでは。ベルゼブブの代わりに、僕が案内するよ」
その男は、悪魔『マンモン』である。細身の体に、整った顔立ち。明るい笑顔を浮かべ、人懐っこい印象であった。
マンモンは片膝をつき、恭しく頭を下げる。まるで騎士が主君に対して行うような礼の仕方だ。しかし、その姿を見たレヴィアタンは、嬉しくなさそうに冷ややかな視線を送っていた。
「そういう態度をとっても、やらないからね」
「そうかい? それは、残念だな」
効果が無いことを知ると、マンモンは「ハハッ」と笑いながら立ち上がる。実はこの二人、仲が悪かった。
以前、レヴィアタンはマンモンのプロデュースで写真集を出したことがあった。悪魔たちはもちろんのこと、天使の中にもファンが多いレヴィアタンの写真集は大ヒット。すぐに第二弾が計画され、発売された。そちらも大ヒットだったのだが、そこで、とある事件が起こる。裏物として、NGショットや隠し撮りの写真が密かに販売されていることが判明したのだ。しかも、調査の結果、その犯人は誰あろうマンモン本人だった。それに激怒したレヴィアタンは、第一弾、第二弾、裏物に関係なく、すべてを回収することを要求。しかし、マンモンの方はそれを拒否したため、両者の決闘にまで発展した。その結果は、レヴィアタンの勝利に終わり、全ての本は回収され、ネガ共々にレヴィアタン自身の手で焼却された。代金も全額返金するとされたことで、マンモンは大損害を被ったそうだ。そのため、二人の関係性は最悪となっていたのだが、ここ最近、マンモンはレヴィアタンとの関係改善を目論んでいるのか、露骨なご機嫌取りをしていた。
マンモンは、レヴィアタン、ベヘモス、ジズの前に立つと仰々しく手を広げる。
「ようこそ! 地獄の第四圏へ。ここは強欲な者たちが落ちる運命。彼らにこそ、相応しい場所だよ」
天井より狭い大地には、罪人の群れがあった。今までの圏よりも、明らかに数が多い。彼ら一人一人の前には大きな重りが置かれ、皆それを押して歩いていた。それがどれほどの重さなのか。腕の力だけでは押すことは出来ず、胸を押し当て叫び声を上げながら転がしていた。
彼らは、この第四圏を二つに分けて群れとなっていた。強欲の二つ。すなわち、無駄に金を使う浪費家と、不必要なほどに貯蓄をするケチな者・吝嗇家である。決して交わり合うことのない強欲な者たちは、圏の一方の側からと他方の側から弧を描いて進み、一点で互いの重りをぶつけ合う。衝突を終えると、今度は後ろ向きに背中で重りを押し始め、今来た道を戻っていく。その際に、大声で罵声を浴びせ合っていた。
「なぜ貯める!?」「なぜ棄てる!?」
罵り合いを繰り返しながら、後ろ手に歩く両者。そうして、互いに最も離れた地点に着くと、再び体の向きを入れ替え、先ほど衝突した地点とは反対側の点に向かって進んで行く。互いに理解し合うことなどできない相手とのぶつかり合いは、延々と続くのだった。
そんな光景が繰り返される中を、四人は圏の中心に向かって歩いていく。ベルゼブブに代わってマンモンが加わった一行は、強欲者たちの間を縫うように進んだ。
圏の半分ほどを過ぎた時だった。
「レヴィアタン、現世は楽しいかい?」
マンモンが、レヴィアタンに声を掛けた。彼女の機嫌が悪く、それまで無言で歩いていたのだが、耐え切れなくなったのだ。
「もし、お金に困っていたら言ってね。レヴィアタンには特別に、無利子、無期限で貸してあげるから」
「別に困ってないし。必要だったとしても、あなたからは借りないよ」
無利子、無期限なら「あなたにあげる」と言っているようなものだが、せっかくの申し出もレヴィアタンには不愛想に断られてしまう。自分のとっておきの武器をへし折られ、マンモンは意気消沈。黙ってしまった。
マンモンの自慢の武器。それは、お金である。こことは違う地獄に金鉱を持っている彼は、その豊富な資金を利用して貸金業を営んでいた。もちろん、悪魔たちが相手である。彼らにお金が必要なのかと思うかもしれないが、あれば便利なものなのである。特に、現世にて人間とかかわることの多い悪魔には重宝されていた。
ちなみに、地獄で貸金業を営んでいるのは、マンモンしかいない。その理由は、金利にあった。強欲を司る悪魔ならば金利が高そうであるが、驚くほど低い。人間界で店を開いたら、顧客を独占できるほどだ。これは、競争相手の出現を許さないための手段だった。説明すると、こうだ。
金利が高い場合、そこには競争の余地が生まれる。マンモンよりも、少し低い金利にすれば顧客を奪うことができ、それでも利益が得られるからだ。そうなると、客の奪い合いから、金利を下げることになる。しかも、一度離れた顧客は戻って来ない可能性が高いため、損失は大きくなるだろう。それならば、他の悪魔が貸金業を始めようと考えるのもばかばかしいほどの低金利にし、その分、数多くの悪魔にお金を貸す。いわゆる、薄利多売をしているのだ。これは、マンモンに有り余るほどの資金があるからこそできることだった。
しかし、その低金利が故に、返済には厳しい。一日でも期日を過ぎると、その者の住み処まで押しかけ返済を迫る。もし、それができない場合は、借金額に応じた命(存在力)を奪ってしまう。まさに、金=命。金と命は等価であるという、マンモンの考えの現れだった。
そんな彼が、無利子、無期限を提案したのだ。最強の矛を振るったも同意だった。にもかかわらずのレヴィアタンの態度。心が折れるのも当然だった。
マンモンが顔を下げて歩いている間も、重りをぶつけ合う音は聞こえ続けていた。虚しく重りを押し続ける強欲者の群れは、ひっきりなしに激突音を響かせている。進む速さは一定を保ち、少しでも遅れると後ろに控えた重りに押し潰される。罪人たちに、休むことは許されなかった。
彼らを見ていたレヴィアタンが、ふと疑問を口にする。
「ここにいる人たちって、浪費と吝嗇の罪だよね」
「うん。そうだよ」
結構な距離を歩いていたが、未だ落ち込みから立ち直れていないマンモンが答える。
「浪費が罪だと言われると、ああそうだなと思うけど。吝嗇って、ケチの事でしょ。ケチって罪なの?」
「これまでも、そうだったと思うけど。それが過ぎるから、罪なんだよ。何か欲しい物があってお金を貯めるというのは罪では無いけど、ケチの人たちっていうのは、大抵お金を貯めることが目的となっちゃってるんだよね。買うべき物を買わず、我慢してお金を貯める。そして、貯まったお金を見てほくそ笑む。中には、老後のためという人もいるみたいだけど、日々の生活に影響が出るほどまで切り詰めて貯蓄する意味はあるのかと。いくら貯めたって、人間は死んだらお仕舞じゃない。せっかく貯めたお金を自分では使えずに死ぬなんて、僕は御免だね。お金は、ただ持っているだけでは意味が無い。使ってこそ、価値がある物なんだよ」
「じゃあ、浪費もそんなに罪じゃないの?」
「そうだね。他人から見れば無駄使いでも、本人には必要な物かもしれないからね。浪費家と言うよりは、不必要に借金をする人って言った方がいいのかも。欲しい物を手に入れるために、どんどん借金をする人。自分の返済能力を超えても止まらない。家族、友人にも迷惑を掛けるという、どうしようもない人。もう、病気だよね」
自論を語るうちに、マンモンはテンションを取り戻していく。
「お金持ちは? お金、たくさん貯めてるでしょ」
「お金持ちは、貯めるというよりも、貯まると言った方が正解だよね。銀行に預けていれば、利息で勝手に増えていくし。欲しい物は全て手に入れて、購買意欲もなくなっていくんだよ。だから、寄付をしたり、無償活動するようになったりするんだけど。ただ、まあ一つ注文付けるなら、寄付もどこにでもするのではなくて、しっかりと活動目的や内容、本当に信じられる組織なのかをよく調べてからしてほしいよね。あとから調べたら、犯罪組織、テロ組織の隠れ蓑だったとか、最悪でしょ」
「あれは? 家具とか雑貨とか、高い物ばかり買うのは?」
「それは、お金持ちの人の義務みたいなものだよ」
「そうなの?」
「そうだよ。物が高いっていうことは、品質がいいか、手間暇をかけているかだから。まあ、デザイン代とかもあるけど。高い技術が必要だからこそ、値段が高くなるの。だから、お金を持っている人が買ってくれないとね。高い技術は、一度失われてしまったら復元するのは難しい。お金持ちは、お金を使っていいんだよ。むしろ、どんどん使え」
(自分、めちゃくちゃお金貯め込んでるじゃん)
と心の中で思うレヴィアタン。
「まあ、あれだよ。自分の収入に見合ったお金の使い方が一番だよ。適度に使って、適度に貯める。お金との接し方は、そういうものだと思うよ」
その後も、「経済が――」「金相場が――」と熱弁するマンモンを横にしつつ、一行は先へと進んだ。
下層への降り口に着くと、そこには泉があった。湛える水は、清水など程遠い。上層の泥の方がまだ明るく見えるほどに、黒く暗いものだった。止め処なく湧き出でるその水は、泉から溢れ、溝へと伝っていく。溝は、下層へと続く道に沿うように彫られ、黒き水を第五圏へと導いていた。
そのどす黒い泉で待つ人影があった。
レヴィアタンはそれに気づくと、歩みを早くする。そこで待っていたのは、悪魔『サタン』。第二圏の始めで別れた彼女であるが、本来は次に待つ第五圏の案内役だった。
マンモンは泉までレヴィアタンたちを送り届けると、
「それじゃあ、また後で」
と言い残し、その場を去っていく。レヴィアタン、ベヘモス、ジズの三人は、お礼を述べ、彼を見送った。
レヴィアタンたちは、サタンと共に道を下っていく。水の流れに沿って降りると、そこには黒い沼が広がっていた。




