魔女の踊る町
この物語は、ダンテ・アリギエーリの「神曲・地獄篇」を土台としています。
ですが、「神曲」の地獄描写をそのままにしている部分もあれば、変えている部分もあります。「神曲」を日本語に訳した翻訳作品ではありませんので、ご注意ください。
R-15指定に関しては、「神曲」にて身体欠損表現がありますので、そうさせていただきました。
日本語訳は、次のものを参考にさせていただきました。
●「神曲(上)」岩波文庫
訳:山川丙三郎
岩波書店、第1版発行:1952年8月5日
●ダンテ神曲地獄篇対訳(上)
訳:藤谷道夫
帝京大学外国語外国文学論集・第16号
●ダンテ神曲地獄篇対訳(下)
訳:藤谷道夫
帝京大学外国語外国文学論集・第17号
4月初旬。太陽が頭上を過ぎても未だ寒さが残る午後。
商店が立ち並ぶ街路を、少女が歩いている。年齢は、4歳か5歳くらいだろうか。身長は、100cmもないように見える。ふっくらした頬に大きなくりくりした瞳を備えた顔は、少女というよりは童女や幼女と言った方が似合うかもしれない。
石畳の道をコツコツと小気味よい音を立てて進むその少女の傍らには、二匹の動物が付き従っていた。一匹は、ずんぐりむっくりした体をしており、体長は50cmほど、鼻の短いゾウのようにも、鼻の長いブタのようにも見える。小太りのバクをイメージするのが一番近いだろうか。もう一匹は、そのバクのような生き物の背中に乗っており、ワシやタカといった猛禽類に似た鳥の姿をしている。翼を広げれば優に1mは超え、自分の乗っている動物を掴んで遠く離れた巣まで持ち帰ることが出来そうな大きさであった。
立ち並ぶ店の前を通る度に、店主に声を掛けられる少女たち。それらの声に律儀に答えながら進んで行くと、開けた場所に出る。町の中央部に位置するそこは、いわゆるマルクト広場だ。町庁舎や集会所が広場に面するようにある中に中に一軒のカフェがあった。
そのテラス席には、三人の老爺が座っていた。一つのテーブルを囲み、仲良くコーヒーを飲んでいる。そこは、三人の指定席である。特に求めたわけでもないのだが、いつも同じ席に座ることを何十年も続けた結果、いつの間にか三人の指定席として皆から認識されるようになったのであった。店側も町の住人も、三人のためにその席は常に空けておくようになっていた。
三人の中の一人が少女に気付き、声を掛ける。長い人生を感じさせる真白な顎鬚を伸ばした老爺で、少女からは『ひげ爺』と呼ばれていた。
「今日も、かわいいのぉ。年甲斐もなく、悪戯したくなるわい」
「ほんに。家の子にならんか」
「ふぉっふぉっ、二人とも変態じゃて。……駄賃やろうかの?」
ひげ爺に続いたのは、眼鏡をかけた老爺だ。こちらは、少女から『めが爺』と呼ばれていた。始めはめがね爺と呼んでいたのが、いつしか短縮され『めが爺』となっていた。
めが爺の後の三人目が、『くり爺』である。頭髪が、栗のように頭頂部で尖っているため、少女からそう呼ばれている。ここ最近ぼけてきているのか、発言が不確かな時があった。
三人とも、この町で生まれ、この町で育った同級生である。齢100歳を超えた今、ほぼ毎日を共に過ごしている三人のことを町の人々は、『三長老』と一括りに呼んでいた。
「今日も生きてた? じい様たち」
少女は、三人の元気な顔に満足そうに頷くと、同じテーブルに座る。付いて来ていた鳥と獣は少女の傍にいようと、鳥はテラスの柵に留まり、獣は少女の足元に伏せた。注文を聞きに来たウェイターに「いつもの」と注文すると、まもなくして少女の前に砂糖多めの甘々ホットミルクが置かれる。「ふーふー」と冷ます仕草をする少女を、三長老はにこやかに見つめていた。
口を潤し終えると、少女は背もたれに寄り掛かる仕草を見せたのだが、その姿を見てひげ爺が言った。
「レヴィアタンよ。また縮んだんじゃないかの?」
「ほうか。儂には変わらんように見えるが」
「ふぉっふぉ。縮んだも、縮んだ。明日には、豆粒になっているんじゃ」
「そう思う? 今朝、ジズにも言われたんだよね」
レヴィアタンと呼ばれた少女は、そう言うとテラスの柵に留まっていた鳥の方を見る。ジズと呼ばれた鳥は口を開くと、突然、人の言葉を話し始めた。
「ちょうど里帰りする頃合いなんですよ。それ以上、幼児化されたらこちらが大変です。ねえ、ベヘモス」
人語を話す鳥は、レヴィアタンの足元に伏せていた獣に同意を求めた。ベヘモスと呼ばれた獣は「べもっ」という鳴き声なのか、鼻が鳴ったのかよくわからない声を発してみせる。どうやら、その声は返事だったようで、こちらは人語を解するが話すことはできないようだった。
少女の名は、『レヴィアタン』といった。ゲーム好きな人には、リヴァイアサンの呼び名の方が知られているだろうか。某ゲームの召喚獣として有名なその名は、元をたどれば『旧約聖書・ヨブ記』に語られる神が創りし生命の名である。その姿は書物により説明が変わり、ワニの様とも、海蛇の様とも、ドラゴンの様とも言われている。伝説によれば、口から炎を吐き、そこには鋭く巨大な歯が生え、その体は強固な鱗で覆われており、あらゆる武器の攻撃を受け付けないのだという。彼女は、その『レヴィアタン』という存在そのものであった。
同じく『ベヘモス』と『ジズ』も同様の存在である。伝説や伝承とは異なった姿をしているが、これは人間世界で暮らし易くするためにそうしているのであり、いわば仮の姿であった。ジズはお目付け役として、ベヘモスはレヴィアタンの激しい性質をなだめる愛玩動物役として傍についており、彼ら二人が彼女と共にあることで三頭一対の安定をもたらしていた。
海の怪物と恐れられるレヴィアタンが、なぜ人の姿を取っているのか。その理由は、ヨブ記に語られる強さや凶暴さ、シーサーペントの伝説との融合が原因の一つとなっている。人に害成す存在として、キリスト教の観点とは関係ない所で悪魔という認識が広がったのだ。悪魔の多くは、人と接し誘惑するのに都合がいいように人の姿を取ることが多い。レヴィアタンもその考えの影響を受け、人の姿を取ることができるようになったのである。人間の想像、信仰は、その対象に大きな変化をもたらすことがあるという一例だった。
「じい様たちが言うなら、戻っておこうかな」
「それがええ。縮み具合も、そろそろ限界だろうて」
「ふむ。今月の末は、ちょうど祭りもあることじゃし」
「ふぉっふぉっふぉ、まだまだ死ねんのぅ」
その後の三人の老爺との会話はたわいないものだったが、憩いの時間だった。そのまま夕刻まで付き合う日もあったが、この日はミルクを2回お代わりするに止め、レヴィアタンはじい様たちの席を後にする。名残惜しそうな三長老を残してレヴィアタンたちが向かう先は、マルクト広場に面する町庁舎だった。
現代でありながら、伝説と伝承が現実に存在する不思議な町。
その町の名は、『ヘクセンタンツ』といった。




