月のお話
諸々の事情で書いてたのですが色々あってポシャったので、なろうに掲載する事になりました。
生存報告も兼ねていますw
天に揺蕩うクラゲのように、今日も小さな天体は回っています。
宇宙に浮かぶ一滴の水、地球を中心に公転する衛星こと月。
太古より陰性の象徴とされてきたそのちっぽけな塊には一人のとてもうつくしい女神さまがすんでいました。
彼女の纏う羽衣はきらきらと輝いて、まるで星空が引っ越してきたかのような綺麗な布で織られています。
彼女の髪は夜空が溶けたかのようにまっくろで、櫛もさらりと通るさわり心地の良い髪質は彼女のちょっとした自慢です。
彼女の瞳もこれまた夜色で、覗きこめば吸い込まれるような透明感がありました。
陶磁器のような白い肌は汚れを知りません。
仰げば尊い神性に包まれた女神さまは名を月詠と言い、何を隠そう月そのものだったのです。
嗚呼、けれど誰も彼女を見ません、仰ぎません、観測しません。
だって彼女は月なのです。
魔の象徴であり、その輝きも太陽からの借り物。
物質文明を突き詰めた人間の時代。月は何かを生み出すモノでも無ければ、自分達の領域を覆う闇を払う術を得た地上の人達にとって夜の間の唯一の光でなくなってしまったのです。
あとに残るのは天蓋に浮かぶただの岩の塊。
――――在る必然性が無いのならば、それは無いも同じだ。
どこかの国の偉い人が言ったその言葉は月詠をひどく悲しませました。
「なぜ、いつから人々は私を棄てたのでしょう。
いつかの時代、私を仰いで詩を詠んでくれた愛しい人達も今はもう黄泉の国。
おだんごを囲んで笑い合う人の顔も――――いつから見なくなってしまったのでしょう」
しくしくと泣いても誰も慰めてはくれません。
思ってみればちょっと昔、人間がその拙い業で作り上げた乗り物に乗ってこの地に降り立った時は小躍りもしたものです。
―――眺めるだけだった自分の下にやっと彼らが来てくれた。
手が届く、触れ合える、そんな距離にまで愛しい人たちがやって来た。
けれど、それ以降あまりにも音沙汰が無いので彼女は酷く心細くなりました。今では地上の関心は月には無く、やっぱり太陽の恵みにこそあるのです。
「【そーらーぱねる】………やはり私も天照のように彼らに何かを与えるべきなのでしょうか。
いえ、けれど私の領土はこのでこぼこの岩塊広がる荒野だけ―――――嗚呼、やはり私は必要の無い存在なんだ……くすん、最近影の薄い冥王星なら話聞いてくれるかしら」
自問自答はもはや延々と自己嫌悪を深めるだけ。
ついで、太陽系の外側で今にも惑星から外されるのではないかとびくびくしている冥王星のプルートさん的にも傍迷惑なだけです。
そう、時は千九百九十九年七の月。世紀末、世の中の人間がみんなそわそわし始めた頃でした。
「価値も見出せない衆愚なら、いっそのこと滅んでしまえば良い。そうは思わなかったのかな?」
ふと、低く響くおどろおどろしい声に月詠は顔を上げます。
「そちらは……どなたでしょう?」
きょとん、と首を傾げます。どうも人間と呼ぶには纏う雰囲気が別種でした。
虚空に重力―――といっても地球の六分の一ですが―――を無視して立っているのは一人の美丈夫でした。
衣服の上からでも分かるほど無駄の無い筋肉の配置、それでいて彫りの深い顔立ち。いつの時代だったかのギリシアの彫刻にも似た立派な男です。
身に纏う衣服もとても高価そうなものばかり。毅然とした出で立ちからもきっとそれはもうどこかの偉い人なのだろうということがうかがえます。男は己の顎鬚をなでながらこう答えました。
「よくぞ聞いてくれた、我こそはかの黙示録の獣、戦の王。……地上人が恐怖の大王と呼び畏れる者である」
「まあまあ、それはよくぞお出でなさいました。事前に知らせを頂ければもてなしの御用意がありましたのに」
「う……む。もしやご婦人、我の事をご存じないと?ノストラダムスの予言などは聞いたことがあると思うのだが」
「ええと、もうしわけございません。どうも人の世の流行りには疎いもので、姐の天照あたりなら存じ上げていると思うのですが」
所在なさげにぺこりと頭を下げる月詠に恐怖の大王は肩すかしをくらったように目をぱちくりとさせる。
「まあよい、ところで……だ、ご婦人。ひとまずこの衛星を我が艦隊の寄港地とさせていただきたい。
どうもあの軟弱者の駄獣どもめ長旅でもう動けぬなどとぬかしおる。無論、礼は用意しよう
木槌を振るしか能の無いちっぽけな兎ばかりだが、あれらの突く餅は絶品でな、そちらも気に入るだろう」
くい、と大王があご逸らして差す先に目をやって月詠はついに自分の目がおかしくなったのかと錯覚しました。
なるほど、確かにそれは艦隊です。何千何万、いや八百万なんて軽く飛ばして数十億という船がありました。
見たこともない合金で覆われた物々しい船です、各々の船の先端からは何十という筒のようなものが突き出していました。
ぎらぎらぴかぴかとせわしなく点滅する光源を持つそれらは誰も居ない地でひっそりとくらしていた一介の女神からすればもはや現実味の無い光景です。
「はあ……それは構いませんが団体様で何の御用で?」
「ああ、地球を征服しに来た」
「は?今、何と?」
「だから、地球を制圧しに来たと言うたのだ。
もうすぐ我が艦隊が軌道をそらして牽引してきた彗星群があの星を襲う。そうして各国家群が混乱した所を我が精鋭たちが制圧し、あの星を手中に納める。どうだ、完璧な計画であろう?」
その言葉に月の女神は絶句します。
自慢のおもちゃを見せつける様に胸を張る美丈夫、しかしそこからは悪性を孕んだ隠然さも悪辣さも狂気すら感じ取れません。
それはきっと力在る者の自惚れ。あれは破壊をもたらすものだ、凄惨などという言葉では足りない。通った後には何も残さない。失敗を知らなければ敗北も知らない。故に負ける者の痛みを知らず、日陰に立つ者の苦しみを知らない―――
あまりにも何も無いのです。
「なぜ……そのようなことをするのです?」
「決まっている、それは我が【そういうもの】だからだ。この身はこの宇宙を余すことなく手に入れる為に在る。
その問いは、鳥に飛ぶ理由を、魚に泳ぐ理由を、獣に地を駆ける理由を問うのとなんら変わらぬ。愚問であるぞ。
我が覇道に理由は要らず、阻む者の一切合財を薙ぎ払うために我が腕はあるのだ」
嗚呼、なんて清々しいまでの―――――暴力。眩暈すら覚える。あまりもの躊躇いの無さはどこか歪ですらありました。
それに、そんなのはあんまりにも―――――
「なんて……寂しい人。どうか、そのような真似はおやめください」
だって理由が無い、それでは順序があべこべだと月詠は思う。
手に入れたいものが在るから力を振るうのではない。力を振るうために全てを手に入れようとしている。
それでは何も手に入らないし、よしんば手に入れてもきっとすぐに色褪せてしまう。
誰からも共感を得られないということは、逆に誰にも共感出来ないと言う事なのです。
「汝、我を孤独と呼んだな。それは汝も同じであろう。
かつて汝を仰ぎ見た者どもは今どこを見ている。夜空を見上げる事を忘れた人間達の肩を何故持つ?」
それは、正論でした。信仰を失って一人さびしく泣く女神さまにとって一番触れて欲しくないことでした。
大好きだった人間に見限られた自分に何の価値が在る?
何度も何度も自問して、何度も何度も迷って、何度も答えが出せなかった問題です。
太陽のような輝きも無ければ木星の様に大きくも無い、なんの長所も無いちっぽけな衛星は―――――
「それでも私はあの儚い命達がいつか私の事を思い出してくれると信じています。
私を見上げる事しかできなかった人たちがやっと私のところまで来てくれた、そのときの彼らの笑顔が私は忘れられません。
今の私に価値が無いと言うなら、いつか彼らが私の本当の価値を見出してくれるまで見守りましょう」
毅然とした姿勢で言いました。かの予言者の書き記した恐怖の大王を前に、退くことなく、きっぱりと。
人の可能性に賭けると、そう答えたのです。
それに対し、滅びの体現である恐怖の大王は――――
「ふはははは!面白い、そんな曖昧で移ろうモノに神がうつつをぬかすとはな。
ならば百年待とう。百年待って何の答えも出ないのであれば再び私はこの星を訪れよう、その時は―――――分かっているな?」
「ええ」
―――――月面基地の建設を西暦二千二十年までに開始するとアメリカ航空宇宙局が発表するのはこれからもう何年か後の事です。
◇
今でも夜に天を見上げればそこに月は輝いています。
いつか再び人々がその地を踏む日を待っているのです。
はじめましての方は始めまして。久しぶりの方はお久しぶりです。
どちらにせよここまで読んで頂いたからには感謝の極みでございます。
東方只今大学受験を控えているのでこちらでの活動も下火になりつつありますが生きてはいますので、ご縁があればまた何かしら掲載させて頂くこともありましょう。それでは!