爺「台風の屁というのがあるのじゃ」
爺ちゃんは言った。
「台風には『台風の屁』と言うのがあるのじゃ。あの強い台風のことじゃから、その屁もとんでもない風に違いないぞ!」
…この人は何を言っているんだろう? 、と今の僕であれば思っただろうが当時の僕はまだ6歳だった。
「まじで!? すげえな、爺ちゃん!」
僕はあっさりと騙された。豆腐に包丁を入れるがごとくあっさりと。
ある意味豆腐メンタルであった。
「じゃあさ爺ちゃん。」
「ん? なんじゃ、太宰治?」
「いや僕、人間失格とか書いてないけど……」
なぜ僕は6歳児にしてその知識を持っていたのだろう?
「爺ちゃん、台風の目とかもあるのかな?」
「お、おう。いきなり正解とは……」
「ん?」
「いや、何でもない。そうじゃ台風の目もあるぞ! 他にも、台風の手・台風の毛・台風の愛人、なんかもある!」
「台風の愛人!?凄いね!」
6歳児の僕は“豆腐メンタル”であった。
◇◆◇◆
翌日、僕はすぐさま、友達の耕輔くんと結衣ちゃんに、台風の屁について話をした。
「本当に!?見てみたいな…」
「そうね~!」
……欠片も疑われなかった。こいつらも豆腐メンタルである。
豆腐メンタル耕輔は言った。
「じゃあさ、いまちょうど台風365号が来てるじゃん。見に行こうぜ!」
「いいわね、行きましょうよ!」
豆腐メンタル結衣ちゃんも、もちろんのこと賛成した。
僕らの台風の屁をみつけだす冒険はこうして始まった。
……ところで、女の子でありながら、興味津々で屁を見に行こうとする結衣ちゃんはいったい何者なんだろうか?
◇◆◇◆
「ところでどうやったら台風の屁が見れるのかしら?」
「そりゃ……台風の真下に入るんじゃないか?」
台風の後ろではなく、真下に行こうというのだから子供の考えはわからないものだ。
「じゃあいろいろ準備しないとね」
当時の僕はカッパ・長靴など、台風対策が必要だと思ったのだ。もちろん大人からしたら「そんなもので台風に立ち向かえるはずもない」と言うだろうが。
「そうだな、じゃあ……とりあえず各自ノコギリ持参で。」
耕輔くんの考えは僕の及びもしないものであった。
「耕輔くん、どうしてノコギリなの?」
結衣ちゃんの疑問はもっともである。僕も「ノコギリっ!?」とびっくりしたのだから。僕は「結衣ちゃんはまともな考えを持っていてくれた」と思わずにはいられなかった。
「いや、台風の屁が人型だったら戦わなくちゃいけないだろ?」
人型っ!? 確かにそんな考えはもっていなかった。それでも戦う必要はないと思う……
「でもね私、のこぎりよりも金鎚のほうが戦いやすいと思うの!」
僕は「ああ、結衣ちゃん……。君もそっち側だったか……」と思わずにはいられなかった。
ここは自分でまともな方向に修正するしかなかった。
「だめだよ、2人とも! 今回の台風365号は中心気圧が935hPa、最大瞬間風速が65m/hもあるんだ! 並の装備じゃ立ち向かえないよ!」
これだけの情報がすらすら出てくる6歳児のこいつは、本当に僕なのだろうか?
「悪かったよ……。持っていくのはシャベルだけにしよう」
「そうね……。あとは じゃがりこ だけにしましょう」
僕の考えは二人に全く伝わっていなかった。
◇◆◇◆
僕たちは「高いところの方が見やすそう」という、ひどく根拠の欠ける理由により近くの山に来ていた。
状況としてはまさに台風直撃。横から叩きつける雨と風。視界も悪く、動きも遅くならざるを得なかった。
そして、案の定、そうなるべくして、
遭難した。
「だから言ったじゃん、耕輔くん! こんな台風の中、子供3人だけで出歩くなんて遭難フラグでしかないよって!」
「いや、お前「子供3人だけで出歩くなんて超常現象と出会うフラグだね!」とも言ってたじゃん!」
フラグ、フラグ言う6歳児達はおそらく世界でも彼らだけだろう。
「どうする……? 洞窟に逃げ込んだはいいけどよ……」
「雨と風は防げたけど……。食べ物も じゃがりこ しか持ってきてないしね……」
「俺、こええよ……。なあ、なんかいいアイデアでもないのか? 結衣?」
役立たずにして、真の意味で豆腐メンタル、耕輔である。
「ここはお互い裸になって体を温めあうフラグね……」
「「結衣ちゃん!?」」
恐るべき6歳女児、結衣ちゃんであった。
◇◆◇◆
見た目にはわからなくても、僕たちは実のところ、かなり不安で仕方がなかった。
みんな普通に遊んでくるくらいの気持ちだったので、親には特に予定を伝えてきたわけではない。
僕ら自身でこの状況を何とかしなければならなかった。
けれど何かいい案がでてくる訳もない。
どうすることもできなくて、
自分の無力さをかみしめて、
途方に暮れて、
気が滅入って、
ただただ、じっとするしかなかった。
次第に言葉数も少なくなって、もうこのままこの洞窟から出れないのではないかと心配で仕方がなかった。
そんなときである。
今まで降っていた雨が急にやみ、猛烈な風は露も感じず、空は晴天というほかなかった。
ところどころの雲の合間から太陽の光が差し、幻想的な天への道をつくっていた。また、大きく架かる虹のアーチが景色をより鮮やかにしていた。
「急に雨がやんだね……」
「どういうことだ? 台風が過ぎるにはまだ早いと思ったんだけどな……」
「台風が来ていることが嘘みたいに綺麗ね……」
確かに、これだけ空気が澄んでいて、きれいに輝く晴天の風景は、なかなか見ることはできない。だが、よくみると遠くでは、まだ雨が降っていることがわかった。まだ台風が通り過ぎたのではないようだ。
3人とも、この場所だけ雨がやんでいる理由が分かる訳もなく、ただ呆けていた。
状況を崩したのは、
「おお! ここにおったか!」
爺ちゃんだった。
「爺ちゃん!? どうしてここに!?」
この時、この場所に、爺ちゃんがいる理由が分からず、僕はただただびっくりしていた。
「いや、この雨の中なかなか戻ってこないのでな。心配になって探しに来たのじゃ。この状況で歩き回るのは中々大変じゃったぞ。じゃが、ちょうど台風の目に入ってくれてたすかったの。でなければ、見つけられなかったかもしれん」
「爺ちゃん……」
僕たちは、申し訳なさとありがたさと、大人が一緒にいることでの安心感で、うまく言葉を紡ぐことができなかった。
「さてはお前たち、台風の屁を見にきたんじゃろ! はっはっはっ! そのためにこんな冒険までするなんて、お前らも物好きじゃな!」
「なあ、爺さん? 台風の屁って本当にあるのか? 俺たちずっと見てたけど、全然わからなかったぜ?」
「私も気になります!」
実は僕も気になっていた。
「ん? それは自分たちで確かめることじゃな! また冒険でもすることじゃ。まあ、次はわしは助けてやらんがの! はっはっは!」
「爺ちゃんっ! やっぱり、台風の屁も、台風の手も、台風の毛も、台風の愛人も全部嘘だったのっ?」
「愛人!? そんな私と耕輔くんみたいな関係が台風にあるわけないわ! やっぱり嘘よ!」
「「結衣ちゃん!?」」
「いや、台風の目は本当じゃぞ!?」
純粋だったあの頃の、僕たち3人の冒険。
台風の目の中で見たあの光景は、今でも僕たちの、かけがえのない宝物。