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ヨン

    第四章


     第一節            


 日はすでにその絶頂を過ぎ、少しずつ夕へと向かおうとしている。人々はその日の営みを終え、家路に着こうとしていた。

 未だに暑さを残すアスファルトの焦げた臭いに顔をしかめ、どことなく足を急がせる人々の中を逆行する。

 ・・・・・・ふと、あることに気づく。

 今、眼前にある学校。

 どこにでもあるような公立高校が妙に気になり出していた。

 立ち止まり、頭の中を探る。

 回答は、すぐさま出てきた。

 そう、ここは彩華が通っていた高校だ。

 こんな事すら忘れてしまうなんてなんて情けないと、そんなことに苦笑を漏らす。

 しばらく、望郷の念でその高校を見つめる。

 いつか、迎えに行ったこともあったっけ。そのときは確か、友達に散々からかわれて、むくれた彼女の機嫌を直すのに苦労したものだ。

 そう、あの時もこれぐらいの時節だった。

 その日は、何があったのだったか。

「・・・・・・ああ、そうか。夏祭り」

 何で、こんな大切なことを忘れていたのだろう。

 来年も行こうねと――そう約束したではないか。

 それは、確かちょうど今日。

 彩華は、待っているのだろうか。

 そんな気がする。

 いつも通りに、何気なく結んだ約束だ。俺だって、正確に覚えてはいなかった。

 いつまでも、いつまでも、それこそ永遠にこのシアワセな日々が続くと思っていたあの頃。その日々はいとも簡単に崩れ去ったものだけれど。

 ・・・・・・待っているのだろうな、とそう思う。

 あれで、情の深い女だったから。

 そう、あの日の今頃。

 その日々は、どんな感じで過ぎていたっけ。


     第二節


「あー、彩華さんや、聞こえていますか」

「・・・・・・なんですか、仁志さん」

 どことなく据わった、じっとりした目で彩華がこちらを振り向く。ああ、微妙に頬が膨らんでいるや。

 普段はとても理性的なのに、こういうときはこの娘はずいぶんと面倒くさい。今日は、夏祭りだってのに。この機嫌を直すだけでも、どれだけの時間を消費することになるのやら。

 やれやれと、心の中で苦笑を漏らすけれど、ご機嫌取りは止める気はない。

 曰く、こういう顔はとても貴重だ―――。

「そろそろ、機嫌を直してはもらえませんかね。ほら、そんな綺麗な浴衣には、やっぱり笑顔が似合うだろう?」

「・・・・・・そんな気障な台詞は似合わないだろうとか、浴衣の方が綺麗だって言いたいのかとか、いろいろ突っ込みどころはあるけれど」

 ため息をついて、彩華は浴衣の袖を膨らませながらくるりと振り向いて、言う。

「いつまでも不機嫌なふりし続けるのも嫌だからね。だから、仁志が私のことをどれだけ褒められるかでチャラにしよう」

「ええっと、綺麗だとかそういう風に?」

「そう。んふふ、仁志の詩的表現力が試されるね?」

 これはまた、ずいぶんと嫌な課題を課してくれたものだ。

 第一、さっき彩華も言ったとおり、俺にそういう気障な言い回しは似合わないのだ。それに、こんな路上で恥ずかしげもなく褒め殺すなんてのは、双方にとってとても嫌なダメージを与えるだろうし―――。

 そんな不平不満、文句を心の中でかみ殺し、改めて彩華の姿を見やる。

 ・・・・・・綺麗だ。

 素直にまず、そんな言葉が思い浮かぶ。

 肩先程度までに伸ばした髪は癖もなく、まさにストンと着物の襟にかかっている。

 微かに化粧もしているのだろうか。普段より少し明るく見える頬は夏祭りの薄暗い明かりの中だからこそ、より美しく映えている。

 揚羽蝶をかたどった大人っぽい着物も、彼女はまさに着こなしていて、普段の快活さはなりを潜め、思わずどきっとするほど艶っぽい。

 美人で、綺麗だ。

 そんなことは、普段からも分かっていたはずなのに、こんなときになると今更のように照れてしまうほど意識してしまう。

 彼女が少し微笑んだだけでほら、通行人たちも彼女に視線を送る。

 そんな彼女を今、俺は世界中でただ一人独占しているのだ―――。

 そんな意識に、まるで自分が偉くなりでもしたかのような錯覚を得る。

 しかし、そんなことを素直に伝えるのは趣味ではない。 雄弁で語るタイプではないのだ、俺は。

「――――綺麗だ。とんでもなく綺麗だ。改めて、惚れ直すぐらいに綺麗だよ」

「――――――ふふっ。何だ、私を散々視姦した末に出てくる台詞がそれ?」

 うるせえな。

 今更のように照れだした頬を隠すように顔を背けると、彩華がこちらの手を取り絡めてくる。

「ああもう、今度は仁志が機嫌損ねちゃ意味ないじゃないか。別に嬉しくないとはいってないだろう?雄弁な台詞は次回に期待しとくからさ、今夜は楽しもうよ」

 にっこりと、こちらが直視出来ないほどの幼い満面な笑み。全く、男ってのはこーゆーギャップに弱いと知ってやってるのだろうか。

 そうだと、とんだ悪女だよこいつは。

 やれやれと、再び心の中でため息をつき、彩華の手を強く握る。

 今夜は、最高の夜になりそうだった。

 

         *


 ・・・・・・最後の一発が、遠くの空に散っていく。

 一瞬のきらめきを残す花火。

 それは、この祭りの終わりを告げる合図だった。

 彩華の横顔を覗くと、瞳が少し潤んでいる気がした。

 そんなところを見たことが、何となく悪いことに思えて、顔をそらす。

「・・・・・・ねぇ、来年もここに来ようね」

 その声も、少しばかりの震えを持っている。

 ああ、らしくない。

 けれど、それはこちらも同じ。

「おう、だけど来年だけじゃない。さらない年も、その後も。未来永劫、こういう毎日を過ごしていくんだ」

「うん、そうだね。こういう毎日は過ごして、思い出をどんどん重ねていくんだ。だけど、その一日が、こうやって花火を見たら思い出せるようになるぐらいだと、すごく素敵だね」

 そうだな―――と、そんな言葉は飲み込んでしまう。

 今はただ、この祭りの余韻の残るこの空気を味わっていたかった。


     第三節


 ・・・・・・日は再び完全に落ち、夜の帳が空を薄紫色の闇へと塗り変えていった。

 遠く耳を澄ますと、どこからか祭り囃子が聞こえてきた気がする。

 目をこらすと、微かにだが屋台と提灯の明かりも見える。

 再び、ここにやってきた。

 俺の旅の終着点。

 始まりの場所。

 約束を、果たしにきたぞとそっと胸の内でつぶやく。

 彼女は、もうここにたどり着いているのだろうか。

 あの、揚羽蝶のかたどられた浴衣を着て。

 今年も、思い出を刻みにやってきたのだろうか。

 ・・・・・・隣に、例え俺がいなくても。

 でも、だめだよそんなんじゃあ。

 この夜を、悲しい思い出として刻んではいけない。

 足は、自然と駆けだしていた。

 少しでも早く、彼女の元へとたどり着くために。

 所詮俺には何も出来だろうだなんて―――そんなこと、今は全く関係がない。

 どこだ、彩華。

 どこにいる。

 俺は今もここにいるから。

 俺たちの時は、まだ止まっちゃいないんだ。

 走る、走る、走る―――。

 たどり着いた場所は、あの夜に二人で花火を見たあの土手だった。

 彩華が、得意がって教えてくれた秘密のスポット。

 そこで、彼女はあの夜のように綺麗な浴衣姿で座り込んでいた。

 ――――――遠く、雷鳴のように耳に響くのは、打ち上がった花火の残響。

 彼女の頬には確かに涙が流れた後があって、それが酷く俺の胸をえぐる。

 ――――――もう一度、花開くように舞い上がる花火。 彼女が、顔を上げた。

 見つめるのは、西の空に次々と打ち上がっていく花火たち。

「・・・・・・ばか」

 独りでに、彼女の口からそんな言葉が飛び出る。

 震えて、今にも泣き出しそうなほど弱々しい。

「・・・・・・もう一度、二人で来るって言ったじゃん。私、一人だよ、一人でもこんなとこに来てる。仁志がエスコートしてくれないからさ、私何回もナンパされちゃった。そんなことも、君が側にいてくれれば笑い話に出来たのに。ばか、仁志がここにいないからだ。ばか」

 背と背とを会わせるようにして座り込む。

 彩華の背は、震えていた。

「私ね、生きていくよ。君がいない世界で、私だけが一人残って、君のこと背負って生きていく」

 ・・・・・・うん、ごめん。

 そうつぶやいた言葉は、意味のないものだ。

 でも、俺たちはどこかで繋がっている。

 そう信じるからこそ、彼女もその独白を止めないのだろう。

「多分さ、私のこの悲しみもいつか思い出に変わってゆくよ。ああ、そんな時もあったなぁなんて、そんなことをつぶやく日がいつか絶対来るよ」

 ・・・・・・でも、それで良いんだ。

 彩華はいつか俺以外の誰かを好きになって、俺以外の誰かと共に生きていく。

 でも、それで良い。

 それぐらいが、ちょうど良い。

「でも今は、めいっぱい悲しむから。今日一日で涙が涸れ果てるくらい、明日から、思い出を抱えて生きていけるくらいに」

 ・・・・・・俺も、今は二人の思い出だけを抱えて生きていよう。

 数刻後に、この身が消え果てるのだとしても。

「私は、絶対にこの花火を見るたび君のことを思い出す。君の存在が思い出となっても、この積み重ねた日々が、本物だって知っているから」

 ・・・・・・ありがとう。

 俺には、過ぎた報酬だよ。

 未練の先にある思いが特別だなんて、そんなに嬉しいことはない。

「――――――大好き、愛してる。一生の特別だよ、ありがとう。私、君との思い出は嬉しいこととして思い出すから。だから、どこかで見守っていてよ」

 ――――――それは、こっちの台詞だよ。

 本当に好きだ。

 君以上の特別なんて、これから先現れないだろうから。

 君は何よりも綺麗で。

 ――――――思い出すのは、あの夜の艶姿。俺のために着飾ってくれたのが分かっていたから、本当に嬉しかったんだ。

 君は何よりも可愛くて。

 ――――――知っているのは、飾らない君との日常。つまらない日常にこそを楽しもうとする君との日々が楽しかった。

 君は、何よりも特別な人

 そう、特別で。大切で。

 こうして化けて出るほどに、俺にとっての全てだった。

『――――――ありがとう。本当にありがとう』

 


 これで、俺の旅は終わりを告げる。

 そっと、彼女に朝日が降り注ぐ様を夢見て消えるのだ。 

 ――――――なんて、それは特別で、最高の旅立ちなのだろうか。



 彼女の目に映るのは、盛大に咲き誇る火花の花弁。

それは、いつまでも、永遠に。

 彼女の中で生き続ける。


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