ゼロ・イチ
第零章
たとえば日常というものを退屈という概念に置き換えたとき、今まで生きてきた俺の人生は、いったいどれだけ退屈なものであったのだろう。
人によっては、一大エンタテイメントとなり得るものあるのだろうし、またある人によっては、まさに『あくびが出る』ほど退屈なものであるだろう。
そう、人の人生なんてものは見る人によって、いかようにでも姿かたちを変えていく。
というかそもそも日常と非日常の境なんてものが曖昧なのだから、『他人によって』なんてことを考えてる時点で、この考えが論ずるに足りないものだということが分かるだろう。
しかし、それでもこのみょうちきりんな思考回路を話にとりだしたのには訳があって。
曰く、それは退屈で、平和的な人生を過ごしてきたと自負している俺に、度し難い、ジャンル違いな非日常が舞い降りてきたことにあるのだが。
第一章
第一節
その日は全国的に満遍なく、寸分の狂いもないほどに真夏日であった。
ゆらゆらと揺れ動く陽炎は人のやる気を根こそぎ奪うことを至上の喜びとしているように感じられたし、いい感じにビルのガラス窓に反射した強烈な太陽光は、眼底から脳髄までを焼きつくさんと猛威を振ってるようにも感じられる。
大体の場合、そのぶんデパ地下やらコンビニやらの過剰なまでに冷却された空間が、社会人や学生などのオアシスとなって俺たちを迎えてくれるのだろうが、しかしながら残念なことに、往々にして例外的な事象というものは存在するものだ。
その例外を上げようとすれば、さまざまなモノを上げられるのだろうが、俺の場合は割と簡単に説明できる。
死んでいた。
割とあっけなく。
朝からなんとなく具合が悪かったのは分かっていたが、かまわず学生の義務というかルーチンを解消しに学校に行った直後に、あっさりとぶっ倒れ、簡単に死んだ。
後で聞いた話によると、そもそもの原因は、熱中症になった事ではなかったらしいのだが、まあとにかく、ここで自分の人生(物語)は終わったはずだったのだ。
今現在の俺の年齢が16歳、いわゆる青春真っ盛りであったことを考えると少々理不尽にも感じるが、正直この世の中にはそんな理不尽はあふれ返っている。
気にするほどでもないだろう・・・・・・、というほど俺も割り切ってはいないが、考えてみれば16年も生きてきて、一度もそういった目に遭ったことがないというのも不思議なものではないか。数え切れないほどの危険が溢れ返っているこの世の中において、16年間そう言った目に遭わなかった自分の運がよすぎただけだ。
そして十六年間の運の巡り合わせが『死』という形で現れただけ。
そう思うことにした。
いや、そう思いでもしなければ溜飲が下がらなかっただけとも言い変えてもいい。
まあともかく、自分の人生は終わった。
でも終わりにはまだ続きがあった。
今現在の状況を一言で説明するとそういうことなのだ。
単に自分の借りを精算するためのサービス残業なだけなのかもしれないが。
第二節
目が覚めるとそこは異世界でした。
・・・・・・なんて、いきなりラノべチックなファンタジー展開が始まるわけもなく、目が覚めたらそこは普通に病院でした。
ただ一つ、異常な点を挙げるとしたら、目の前に明らかに死相が見えるというか、ご臨終しちまっている自分の寝顔があることくらいか。
そんなわけで俺は現実逃避ぎみにそっと一言つぶやいてみる。
「――ゆうたいりだつぅ・・・・・・」
いや、それは無いだろう。
そう自分に突っ込みを入れながら、微かに立ち眩みを起こす頭を起こし、あたりを見回す。
真っ先に目につくのは真白いカーテン、そしてそれに並列に並ぶ両端のこれまた白い壁。
上部には微かに黄ばんだ天井(これもまた例外なく白い)そして、白に囲まれている中で、ただ一つ異物のように浮かんでいるのは真鍮製の安っぽいベッド。
微かに鼻につんとくる薬臭さからもここが病院であることがうかがえる。
「ここは、どこだ・・・・・・?」
いまさらのように呟いて見せる。
「病院・・・・・・、とは言っても、俺はすでに死んでるようだしな。まさか天国かなんかか」
苦笑しつつ呟く。
俺は死んだ・・・・・・。
そう、それは確かに覚えている。
一瞬のぐらつき、シェイクされるようにしてかき乱される視界、落ちてくる―実際に倒れ落ちているのは俺なのだが―アスファルト。
倒れ伏し、見上げた青い空に滲んだ微かな後悔と、確かに体を蝕んでくる死の感触。
〈ああ―約束は守れそうにないのか。ごめんな、彩華〉
そう言って―――そう思いをこの世に残して、俺は所謂あの世と呼ばれる世界へと旅立ったはずだった。
「ああ、でも実はそういうことなのか?」
俺は思いをこの世に残した。
そうして旅立てなかった俺ならば。
それはたぶん、残留思念、自縛霊などと呼ばれるモノなのではないのろうか。
第三節
「残念。それがちょいと違うんだよな」
突如として、声が聞こえた。
鼓膜の内側、脳の深部へと直接響くような低い男の声。
それは声だけの存在として完成されているようでいて、その姿が見えないことに、何か致命的な欠陥を抱えているようにも感じられた。
「お前さんは、俗に言っちまうと浮遊霊みたいなものだよ」
そう男は言葉を続ける。
姿もなく、声だけの存在が自分を知っている。明らかに普通とは言えないこの状況に対する動揺は不思議と無かった。
声は続ける。
「お前さんは、この世界に未練を残して死んだ。本来なら、そんな事があってはいけないんだ。俺たちの国へと昇ってくる魂は純でなくてはいけない。だからそういう奴らは、この世を彷徨って禊ぎを済ます。――――――時間にして、一日もねぇ。いいか、お前がこの世にとどまっていられるのはソレが限度だ、そのことをよぉく覚えていておくといい」
限界。
そう男は言った。
それが、俺がこうしてとどまっていられる期限。
それはそうか、少しばかりの納得を胸に紡ぐ。何の代償もなく、永遠なんぞ生きられるわけもなし。
これは、謂わばボーナスステージのようなものなのだろうから。制限というのは、必然的に存在する。
「早めに行ったらどうだ?時間に余裕があるわけじゃないんだろう」
そうかもしれない。
わずか、一日。
それは決して長いとはいえない。
短い、ほんのひとときの間。
それでも、間に合うのだ。
おそらくは。
急ぐのならば、最大限の努力をするのならば。
―――取り戻せるのだ。あの空に滲んだ後悔を。
ああ、けれど。
「ソレに何の意味があるんだろうな、彩華」
俺は死んでいる。
割とあっさりと。
もう、その事実は永劫に取り戻せない。
・・・・・・生き返ることなど、出来はしない。
だとしても―――と、果たして俺はそう言い切れるのか。
「言える。言えるさ」
自分自身に、そう言い聞かせるようにしてつぶやく。
ふと気がつくと、あの、不思議な声は消えていた。
伝えるべきことは伝えたということだろうか。
そんなことを思うのと同時、病室の外へと一歩踏み出す。
――――――この物語は、もう既に終わりを告げている。
あるのはただ、始まりに残してきてしまったモノの後始末。
それでも、いいやだからこそ。
この一連の道中は記すだけの価値があるのだと、俺は今強くそう言える。
これは、この不思議な道中で、俺が得たモノの物語――――――