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配信プラットフォームへようこそ  作者: パラレル・ゲーマー


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第8話 神々ノ箱庭トカラッポノ玉座

 100万スキルコイン。


 天野戒の視界の右上隅に表示された、その数字は、彼にとって単なる通貨の羅列ではなかった。

 それは、彼がこの理不尽な世界で勝ち取った、ささやかで、しかし決定的な『勝利の証』だった。


 コツコツと無害なスキルを売り続け、危険なスキルを隔離フォルダに押し込め続けた、退屈で孤独な戦いの日々。

 その全てが、今この瞬間に報われる。


「…よし」


 深夜、間接照明だけが灯る自室。

 彼は、誰に言うでもなく呟くと、一切の躊躇なく【管理者介入レベル1】のアンロックボタンに意識を集中させた。

 スキルコインがゼロへとリセットされるのと、彼の管理者用コンソールが一度暗転し、再起動するかのように新たな光を放ち始めるのは、ほぼ同時だった。


 彼の目の前に、これまでとは比較にならないほど複雑で多機能なインターフェイスが立ち上がる。

 その大項目として鎮座する、荘厳な文字列。


【神々の箱庭デウス・シミュラークルム


 その中には、彼が待ち望んでいた新機能がいくつも並んでいた。


【スキル編纂へんさん

標的指向性ターゲティング配布】

脅威予測カタストロフ・レーダー


「……すごいな」


 思わず、感嘆の声が漏れた。

 彼は逸る気持ちを抑えながら、【スキル編纂】の機能にアクセスする。

 彼の目の前に、シンプルなキーワード入力欄が表示された。


 [今月のスキル生成テーマを設定してください]


 これだ。

 これこそが、俺が求めていたものだ。


 彼は、まるで人類の未来を約束された神のような、全能感に満たされていた。


 もう『やり直しの権利』のような、世界のバグを誘発するスキルに怯える必要はない。

『絶対安全領域』のような、悪魔の囁きに心を乱されることもない。


 俺が決められる。

 俺がこの世界の進むべき穏やかな道を、舗装してやることができる。


 彼の脳裏に、いくつもの平和なキーワードが浮かんだ。

『料理』『掃除』『園芸』『ペット』……。


 どれもいい。

 どれも、誰も傷つけず、世界をほんの少しだけ豊かにするものばかりだ。


 この力があれば、彼の愛する平穏な日常は、未来永劫守られるだろう。


 彼はまず、最も無害で、最も生産性のない、究極の平和の象徴ともいえるキーワードを入力することに決めた。


「よし、今月は『昼寝』でいこう。『快適な昼寝ができる枕』とか『最高の昼寝スポットが見つかる』とか、そんなスキルばかりになれば、世界はきっと平和になる…」


 彼が、指先のイメージでその文字を打ち込もうとした、まさにその瞬間だった。


 ピコン、と鋭い警告音と共に、彼の視界のど真ん中に、これまで見たこともないほど強烈な赤色のウィンドウが、強制的にポップアップした。


 それは、彼の勝利宣言を遮る、無慈悲なシステムからの割り込みだった。


 [警告]

 保留可能なスキル数の上限(5)に達しました。

 スキルの新規生成(あるいは『編纂』による生成テーマの適用)を行うには、まず保留中のスキルの中から一つを選択し、世界にリリースする必要があります。


「…………は?」


 彼の思考が、完全に停止した。


 アンロックされたばかりの輝かしい機能画面が背景に遠のき、目の前の赤い警告ウィンドウの文字だけが、巨大な活字となって彼の網膜に焼き付いてくる。


 上限? 5?

 リリースしなければ、新しいスキルは作られない…?


 彼は震える意識で、隔離フォルダを開いた。


 そこには、彼がこれまで見て見ぬふりをしてきた、人類の歴史を終わらせる力を持つ5つの時限爆弾が、静かに、しかし禍々しいオーラを放って並んでいた。


【C】本音可視化

【B】元素変換

【A】遺伝子最適化

【B】やり直しの権利

【A】絶対安全領域


 心臓が、氷の塊を飲み込んだかのように冷たく、そして重くなった。


 手に入れたはずの希望。

 人類を導くための神の玉座。

 それらは全て蜃気楼だった。


 彼に与えられたのは、玉座などではない。

 断頭台のスイッチの前に縛り付けられた、ただの死刑執行人の椅子だった。


 そして、彼が処刑リリースしなければならないのは死刑囚ではない。

 まだ何も知らない、平和な眠りについている数十億人の、名もなき人々の日常だ。


「…嘘だろ……」


 乾いた声が、静まり返った部屋に虚しく響いた。


 笑いがこみ上げてきた。

 あまりにも出来すぎた悪夢だ。

 せっかく手に入れたコントロール権が、最悪の形で彼に牙を剥いてきた。


『昼寝』? 平和なスキル?

 そんなものを一つ生み出すために、この5つの地獄の中から一つを選んで世界に解き放てと、このシステムは言っているのだ。


 彼の額から、玉のような汗が流れ落ちる。


 ソファに深く沈み込み、彼は5つの選択肢を睨みつけた。

 その一つ一つが、異なる形で世界を破壊する未来を幻視させる。


 オーラが見えるようになった同僚たちが、互いを罵り合うオフィス。

 紙幣が紙くずと化し、暴動が起きる街。

 祝福された赤ん坊と、そうでない赤ん坊を分かつ産婦人科のガラス窓。

 昨日とは違う歴史の中、困惑して立ち尽くす人々。

 そして、安全なシェルターに閉じこもり、緩やかに滅びていく人類。


 どれもダメだ。

 どれ一つとして、許容できる未来ではない。


 だが、選ばなければならない。


 選ばなければ新しいスキルは供給されず、やがて人々はプラットフォームの停滞に不満を抱き始めるだろう。

 それもまた、彼の望む平穏ではない。


(……考えろ。思考を止めるな、天野戒)


 彼は自分を叱咤する。


 最悪の中の”最善”は?

 いや、違う。


 最悪の中の”まだマシな最悪”はどれだ?


 彼の思考が、高速で回転を始める。


 まず『やり直しの権利』と『絶対安全領域』。

 この二つは論外だ。


 世界の物理法則、因果律、社会構造そのものを根底から破壊する。

 これらをリリースすれば、もはや他のスキルで修正できるレベルではなくなる。

 人類というゲームのセーブデータが、修復不可能なレベルで破損するようなものだ。

 この二つだけは、絶対に選べない。


 ならば残りは三つ。

『本音可視化』『元素変換』『遺伝子最適化』。


(どれも最悪だ…だが、まだ…まだ”人類が存続する”だけマシかもしれない…)


 彼はまず、【C】本音可視化を検討する。


 人間関係が崩壊する。

 疑心暗鬼が蔓延する。

 世界中がギスギスするだろう。


 だが、死人は出ない…かもしれない。

 人々は新しいコミュニケーションの形を模索し、やがてはこの「正直すぎる世界」に適応するかもしれない。

 まだ希望的観測が持てるだけマシか…?


 いや、待て。

 精神を病む人間が続出し、世界の自殺率が跳ね上がったら?

 それはもはや、緩やかな大量虐殺と変わらないのではないか。


 次に【B】元素変換。


 経済が崩壊する。

 富の概念がなくなり、世界は一度、原始時代のような物々交換の時代に戻るかもしれない。

 その過程で暴動や戦争が起き、多くの命が失われるだろう。


 だが、その混沌の先に、人類は新しい価値観を見出すかもしれない。

 資源の奪い合いという数千年にわたる争いの歴史そのものが、終わる可能性だってある。


 破壊の後の創造。

 だが、その破壊の規模は?


 俺の住むこの国は、資源を持たない国だ。

 一夜にして、世界最貧国レベルまで落ちぶれる可能性もある。

 俺の平穏が、最も直接的に破壊される選択肢かもしれない。


 最後に【A】遺伝子最適化。


 残酷な格差社会が生まれる。

 祝福された新人類と、取り残された旧人類。

 それはもはや、同じ「人間」とは呼べないほどの断絶を生むだろう。


 差別、嫉妬、対立…。

 人類は、自らの内側に、決して融和することのない二つの種族を抱えることになる。


 しかし、世界が即座に崩壊するわけではない。

 変化は、ゆっくりと次の世代、また次の世代へと受け継がれていく。


 少なくとも、今を生きる人々にとっては、最も影響の少ない選択肢に見えるかもしれない。


 …だが、それはただ、問題を未来の世代に先送りしているだけではないのか?

 今を生きる俺たちが安泰な代わりに、俺たちの子供や孫の世代に取り返しのつかない地獄を残す。

 それは管理者として、あまりにも無責任な選択だ。


「……ダメだ」


 思考が行き詰まる。

 どの選択肢も袋小路だ。


 右に進んでも地獄。

 左に進んでも地獄。

 真っ直ぐ進んでも、振り返っても地獄しかない。


 時計の秒針の音だけが、やけに大きく部屋に響いている。


 世界は何も知らず、静かな夜を過ごしている。

 その平和が、今この瞬間、東京の片隅に住む一人の男のたった一つの決断に委ねられていることなど、誰も知る由もない。


 天野戒は、ただコンソールを見つめたまま動けずにいた。


 手に入れたはずの神の力は、彼に絶対的な決定権を与えると同時に、絶対的な責任という名の十字架を背負わせた。


(俺は…一体何を選べばいいんだ……?)


 彼の孤独な夜は、まだ始まったばかりだった。

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