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配信プラットフォームへようこそ  作者: パラレル・ゲーマー


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第5話 観測者タチノ憂鬱

 その日、国家という巨大な機械の歯車は、静かに、そして完全に噛み合わなくなっていた。

 場所は首相官邸・地下危機管理センター。巨大なマルチモニターには、ひっきりなしに更新されるニュース速報と、意味をなさないまま乱高下を繰り返す株価チャートが映し出されている。部屋を満たすのは、淹れられてから時間の経ったコーヒーの煮詰まった匂いと、行き場のないため息だけだった。


「…で、結局のところ何かわかったのかね?」


 この急造の『特定未確認現象対策準備室』の室長である内閣官房審議官・生田は、目の下に隈をこびりつかせた顔で、部下の一人に問いかけた。

 問われた内閣情報調査室の分析官・小此木聡は、手元のタブレットから視線を上げることなく、感情の乗らない声で一言だけ答えた。


「何も」


 その短い返答に、生田は言葉を失った。期待していたわけではない。だが、これほどまでに清々しいほどの「ゼロ回答」を突きつけられると、さすがに力が抜ける。


「何かって…あるだろう。サイバー攻撃の線は? テロの可能性は? どこかの国の秘密兵器とか…」


「全て昨日までに否定されています」

 小此木は淡々と事実を並べた。「いかなる電波も放射線も観測されていません。そもそも、網膜に直接映像を投影するなどという技術は、現行の科学では理論上不可能です。テロや攻撃と仮定するには、その手段が魔法に近すぎる」


「じゃあ一体、何なんだこれは!」


 生田が思わず声を荒らげると、小此木はようやく顔を上げ、冷たい光を宿した目で室長を見返した。


「ですから『何もわからない』のです。我々は今、理解できない現象を前に、ただそれを眺めているに過ぎません。人類が雷を神の怒りだと信じていた時代と、本質的には何も変わらない」


 その言葉は、対策室にいる全員の胸に突き刺さった。

 そうだ。自分たちは、この国で最も情報を集め、最も優秀だとされる頭脳が集まった場所で、原始時代の人々と何ら変わらないレベルの無知と無力さに苛まれているのだ。


 その時、オペレーターの一人が素っ頓狂な声を上げた。


「せ、審議官! ウィンドウに変化が!」


 室内の全員が、壁のメインモニターに視線を集中させる。そこには数時間前から日本中……いや、世界中の人々を混乱に陥れているウィンドウの再現 CG が映し出されていた。

 スキル名『絶対寝坊しない』。その下に、これまで空白だった欄に新しい文字が浮かび上がっていた。


『対価:無料』


「……無料?」


 誰かが、間の抜けた声で呟いた。


「なんだそりゃ…タダってことか? ふざけてるのか?」


「誰がこれを…? 意思があるのか? この現象に…?」


 疑問だけが渦巻き、答えはどこにもない。

 やがて SNS 上で、勇気あるのか無謀なのか分からない連中が「タダならいっか」とスキルを取得し始めるのを、彼らはただ呆然と眺めていた。政府が緊急会見で「むやみに操作しないように」と呼びかけた声は、人々の好奇心の前ではあまりにも無力だった。


「もういい…」

 生田はぐったりと椅子に背を預け、天井を仰いだ。「好きにさせろ…。どうせ我々に止められるわけじゃない」


 その言葉は、対策室の公式見解になった。国家の敗北宣言だった。


 翌朝。

 対策室の空気は前日とは打って変わって、一種の“祭りの後”のような、呆然とした雰囲気に包まれていた。


 世界は熱狂していた。

 スキルが本物だったと証明され、SNS もテレビもその話題で持ちきりだった。機能停止した会社や学校も少なくない。だが、それは恐怖やパニックによるものではなく、興奮と喧騒によるものだった。


「はは…」

 生田は乾いた笑いを漏らした。「結局、世界中の人間の寝起きが少し良くなっただけか。われわれは何を必死に徹夜していたんだか…馬鹿馬鹿しい」


 その諦めきった空気を打ち破るように、また新たな変化が訪れた。


「し、新規スキルです!」


 オペレーターの声が震えている。


『肩こり解消』


「今度は肩こりか…。ずいぶんと庶民的な悩みがお好きなんだな、この現象は」


 誰かが皮肉を言う。だが、次の報告で室内の空気が再び凍りついた。


「有料です! 1スキルコイン、そして5万人限定!」


「…金を取るのか!?」


「限定…? なぜ絞る必要がある?」


 彼らが混乱している僅かな時間の後、モニターには無慈悲な『提供終了』の文字が表示された。所要時間 0.81 秒。

 天文学的なトラフィックを処理するシステムの性能も、0.81 秒で 5 万の枠を奪い合う人類の欲望も、その全てが彼らの想像を遥かに超えていた。


「もう駄目だ…ついていけん…」


 生田は頭を抱えた。この現象の行動原理が全く読めない。無料だったり有料だったり、数に限りがあったりなかったり。まるで気まぐれな神がサイコロでも振っているかのようだ。


「審議官」

 今まで黙っていた小此木が、静かに口を開いた。


「ひとつだけ、分かったことがあります」


「なんだね?」

 生田は藁にもすがる思いで訊き返す。


「この現象は、我々が理解しようとすればするほど、我々の常識から遠ざかっていく。そこに論理や一貫性を見出そうとすること自体が、おそらく間違いなのです」


「…どういうことだ?」


「つまり、対処法は一つしかありません」

 小此木は、一切の感情を排した目で言った。


「慣れることです」


 その言葉に、生田は反論できなかった。

 そうだ。台風が来ることに慣れるように、地震が起きることに慣れるように、この理不尽で理解不能な『現象』もまた、日常の一部として受け入れるしかないのかもしれない。

 国家の危機管理とは、時に「諦める」という選択をすることなのだと、彼は痛感させられた。


 数日後、『幸福な追憶』というスキルがリリースされた時も、対策室の反応は同じだった。

 SNS が優しさに満ち、犯罪率が低下していくという信じられないような光景を前にしても、彼らはもう驚かなかった。


「今度は精神に作用するか…。芸達者なことだ」


 生田は、どこか遠い国の出来事を見るように、モニターを眺めながら呟いた。


「身体から精神へ、ですか。順当な進化ですね」


 小此木がコーヒーを啜りながら相槌を打つ。彼の口調は、まるで新しいスマートフォンアプリのアップデートを評価しているかのようだった。


「しかし、いいことじゃないか」

 と、警察庁の理事官が言う。「実際に犯罪は減っている。この調子でいってくれれば、我々の仕事も楽になる」


「そうですねえ」


 誰もが頷く。

 もはやこの現象の正体を暴こうとか、対策を立てようなどという気概は、誰にも残っていなかった。

 ただ目の前で起きる出来事を事実として受け入れ、それが自分たちの生活や社会にどんな影響を与えるのかを、他人事のように評価するだけ。


 彼らはもう「対策室」の人間ではなかった。

 ただの「観測者」になっていた。――テレビの前の一般市民と、何ら変わらない存在に。


「…なあ、小此木君」

 ある日の午後、生田はぽつりと尋ねた。


「これ、本当に宇宙人の仕業とか、そういうやつなのかな」


 小此木はタブレットから目を離さず、短く答えた。


「さあ。神様の気まぐれかもしれませんよ」


「神様か…」


 生田は、窓のない部屋の天井を見上げた。

 神だろうが宇宙人だろうが、もうどうでもいい。

 ただ、どうかご機嫌を損ねないでほしい。明日も、世界にとって優しい気まぐれであってほしい。


 国家の中枢にいるエリートたちの願いは、いつしか“神頼み”という最も原始的な領域にまで達していた。

 彼らの、憂鬱で無力で、そして奇妙に平穏な日々は、まだ始まったばかりだった。

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