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配信プラットフォームへようこそ  作者: パラレル・ゲーマー


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第3話 静的ナル神ノ選択

『肩こり解消』スキルが、0.81秒という瞬く間の争奪戦の末に完売してから、三日の時が過ぎた。世界は緩やかに、しかし確実に、その新しい現実に適応し始めていた。天野 戒の生活も、また新たなルーティンが確立されつつあった。


 朝、彼はプラットフォームのスキルによって、完璧な時間に、完璧な爽快感と共に目覚める。コーヒーを淹れながら、視界の隅に管理者用コンソールを呼び出す。まず確認するのは【プラットフォーム分析ツール】が示す、昨日の世界の動向だ。SNSの感情分析、主要なニュースサイトのヘッドライン、経済指標への影響――それらの膨大なデータを、彼はまるで新聞を読むかのように、静かに目で追う。それが終わると、会社へ行く準備をしながら、今日の分の『肩こり解消』スキルのリリース設定を行う。


 提供数:50,000。対価:1スキルコイン。


 この設定は、もはや彼の中の「お約束」となっていた。世界もまた、この「一日一回、五万人限定の祝福」を、一種の定時イベントとして受け入れ始めていた。毎朝、特定の時刻になると、世界中の『スキル待機層』たちが固唾を飲んで、その瞬間を待つ。そして、0.8秒にも満たない刹那の後、SNSは「買えた!」「また負けた……」という歓喜と絶望の声で埋め尽くされる。人々は、このあまりにも高い壁を**『0秒の壁』**と呼び、攻略法を議論したり、幸運な購入者を祝福したりする、奇妙で、しかしどこか平和な日常が生まれていた。


 世界は、この小さな幸せの分配に満足しているように見えた。少なくとも、戒の分析ツールが示すデータ上は。

 そして、彼個人の目的も、また順調に進んでいた。


 所持スキルコイン:100,000 SC


 分析ツールのアンロックに使った100コインを差し引いても、二日分の売上が、彼の管理者アカウントには蓄積されている。目標である100万スキルコインへの道は、まだ遠い。だが、このペースでいけば、いずれ必ず到達できるだろう。

 ――全てが、彼の計算通りに進んでいる。そう思っていた。


 最初の異変が起きたのは、『肩こり解消』を初めてリリースした翌日の深夜のことだった。


 いつものように、一日の終わりにコンソールのログを眺めていた戒の元に、静かな、しかし見慣れない通知が届いた。


 [NOTICE]新規スキルが生成されました。


(ほう、来たか)

 彼は、次のコイン獲得のチャンスだと、少しだけ心を高ぶらせた。分析ツールによれば、次に需要が高いのは『学習・自己啓発』カテゴリだ。どんな便利なスキルが生成されたのか。彼は、逸る気持ちを抑えながら、その詳細を確認した。


 スキル名:【C】本音可視化ほんねかしか

 ランク:C

 効果:半径5m以内にいる他者の、自分に対する「建前」の裏にある本当の感情(好意・嫌悪・嫉妬・軽蔑など)が、色のついたオーラのように直感的に視認できてしまう。


「…………」


 戒は、そのテキストを読んだ瞬間に、全身の血の気が引くのを感じた。彼の脳裏に、自社のオフィス風景が、鮮明に、そしておぞましい形で再生される。


 いつもニコニコと「天野くん、この資料、よくできてるねぇ」と褒めてくれる課長。その頭上には、嫉妬と軽蔑が混じり合った、ヘドロのような深緑色のオーラが渦巻いている。給湯室で「天野さんってミステリアスで素敵ですよね」と囁き合う女性社員たち。彼女たちの周囲には、値踏みするような冷たい青色のオーラが漂っている。すれ違いざまに会釈を交わす同僚。その一瞬、彼の背後に、無視と無関心を示す希薄な灰色のオーラが見える。


 恋愛、友情、家族関係、ビジネス――人間社会という、あまりにも脆い砂上の楼閣。それは時に、優しさからくる嘘や、波風を立てないための穏やかな「建前」によって、かろうじてその形を保っている。

 このスキルは、その全てを根こそぎ破壊し尽くす、あまりにも残酷で悪趣味な真実の爆弾だ。これは、ポジティブなパラダイムシフトなどではない。ただ、人間関係を修復不可能なレベルまで破壊し、世界を疑心暗鬼の地獄へと変えるだけの『コミュニケーションの終焉』だ。


「……これはダメだ。絶対にダメだ」


 彼は、震える指のイメージで、コンソールの『承認』ボタンではなく、その隣に小さく表示されていた『保留』のボタンを押した。スキルはリストから消え、コンソールの深層に作られた『未承認スキル』という名の隔離フォルダへと格納された。彼は、冷たい汗が流れる額を、手の甲で拭った。


(なんだ……今のスキルは……)

 彼の心に、初めてこのプラットフォームそのものに対する、得体の知れない不信感が芽生えた瞬間だった。


 ――【二日目】――


 翌日も、戒はいつも通りの時間に起き、いつも通りに『肩こり解消』スキルを5万人に販売した。彼の所持コインは、15万SCを超えた。

 しかし、彼の心は晴れなかった。昨夜の『本音可視化』スキルの衝撃が、重い鉛のように、彼の思考に沈殿していた。


(たまたま、バグのようなスキルが生成されただけだ。そうに違いない)


 彼は自分にそう言い聞かせた。そして、その日の深夜。彼は祈るような気持ちで、コンソールの通知を待った。やがて、その時は来た。


 [NOTICE]新規スキルが生成されました。


 彼は唾を飲み込み、詳細を確認する。


 スキル名:【B】元素変換(基礎)

 ランク:B

 効果:一日に一度だけ、拳ほどの大きさの「土」や「石」を、同じ質量の「鉄」や「銅」といった、ありふれた金属に変換することができる。


「……ッ!」


 一見すると、それは資源問題を解決する夢のスキルに見えた。貧しい国でも、地面の石ころから資源を生み出せる。素晴らしいじゃないか。

 だが、SF小説を嗜み、経済ニュースを日課として読む戒の頭脳は、その先に待つ未来を、瞬時にシミュレートしてしまった。彼は分析ツールを起動し、このスキルがリリースされた場合の、経済への影響予測を叩き出す。画面に表示されたのは、真っ逆さまに落ちていく、世界中の株価チャートのグラフだった。


(ダメだ。経済が終わる)


 鉄鉱石を掘る意味も、銅を精錬する意味もなくなる。資源国は一夜にして破産し、世界中の鉱山は閉鎖され、数千万人が失業する。金属の価値に支えられていた、世界中の通貨と市場は、価値の裏付けを失って大暴落。富の概念そのものが消し飛び、人類が数千年かけて築き上げてきた経済システムは、たった一日で、ただの瓦礫の山と化す。

 便利な未来の前に、まず世界経済の死が訪れる。それは戒の会社の存続、ひいては彼の給料と平穏な生活を、根底から脅かすものだった。


「100万スキルコインどころの話じゃない……!」


 彼は再び『保留』ボタンを押した。『元素変換』スキルは、『本音可視化』の隣、隔離フォルダの暗闇へと消えていった。


 ――【三日目】――


 そして今日。戒は、もはや期待ではなく、恐怖と共に深夜を迎えていた。彼の管理者コンソールは、彼だけが知る二つの時限爆弾を抱えている。彼は三度目の正直を信じ、コンソールを見つめる。心臓の鼓動が、やけに大きく部屋に響いた。


 [NOTICE]新規スキルが生成されました。


 彼は覚悟を決めて、その詳細を見た。

 そして、そこに表示された文字列に、彼は言葉を失った。


 スキル名:【A】遺伝子最適化(新生児限定)

 ランク:A

 効果:生まれたばかりの新生児に対して、一度だけ使用可能。その子供が持つ遺伝的な欠陥(先天的な病気のリスクなど)を修復し、身体能力や知能を、その個体が持つポテンシャルの最大値まで最適化する。


 ランクが、ついに『A』にまで上がっていた。そしてその効果は、これまでで最も甘美で、最も悪魔的な祝福だった。全ての親が、我が子のために喉から手が出るほど欲しがるであろう、究極のスキル。

 しかし、戒の脳裏には、彼が愛読してきた数々のSF小説が描いてきた、あの薄暗い未来の光景が、パノラマのように広がっていた。


(完全に『格差』じゃなくて、『階級』が生まれるやつだ……)


 このスキルを使えた、最適化された子供たち。

 そして、使えなかった旧来のままの子供たち。

 それは、努力や教育では決して覆すことのできない、生まれながらにして定められた絶対的な階級社会の始まりを意味していた。人々は、このスキルを手に入れるために、全財産を投げ出し、借金を重ね、あるいは犯罪に手を染めるだろう。社会は、祝福された「新人類」と、祝福されなかった「旧人類」に決定的に分断される。

 それは、人類全体の幸福なパラダイムシフトなどではない。一部の選ばれた者と、大多数の取り残された者による、新しい差別と、永遠に続く絶望の時代の幕開けだ。

 ――そんなディストピアの引き金を、この俺が引く?


「冗談じゃない……」


 彼は吐き捨てるように呟き、三度『保留』ボタンを押した。隔離フォルダには今や、『C』『B』『A』とランク順に並んだ、三つの「ヤバいスキル」が静かに眠っている。


 戒は、大きく、深く溜息をついた。コンソールの右上には、今日の分の売上が加算され、彼の所持コインが「200,000 SC」を超えたことが表示されている。

 しかし、その数字を見ても、彼の心は少しも満たされなかった。


「……ろくなスキル生成しないな、このプラットフォームは」


 最初の『絶対寝坊しない』と『肩こり解消』。あの二つの、誰もが笑って喜べるような、ささやかで優しい奇跡。あれは、ただの例外だったというのか。

 このプラットフォームの本当の目的は、人類を幸福にすることではなく、ただ世界を修復不可能なほどにかき乱し、混沌へと導くことなのではないか。そんな疑念が、彼の心を黒く塗りつぶしていく。


 彼はふと、分析ツールで世界の反応を見た。人々は今日もまた、次の『肩こり解消』のリリースを待ちわび、あるいは手に入れた幸運を分かち合い、このプラットフォームがもたらす未来に、無邪気な期待を寄せている。

 その、あまりにも純粋な、ポジティブなエネルギーが、今の彼には、ひどく皮肉なものに思えた。


「まあ……」


 戒はコンソールを閉じた。


「これで満足してくれてるなら、良いや……」


 世界は、まだ何も知らない。このプラットフォームが、どれほど危険な可能性を秘めているのか。そして、その世界の平穏が、東京の片隅に住む一人の平凡な男の、毎夜の苦渋の決断によって、かろうじて守られているということも。


 彼は、しばらくはこの危険な火遊びから距離を置くことに決めた。明日も明後日も、ただ『肩こり解消』スキルを、一日五万人に売り続けよう。人々がそれで満足してくれる限り、隔離フォルダの怪物たちは、眠らせておけばいい。


 彼の管理者としての戦いは、世界をより良くする戦いではなかった。

 それは、世界が『最悪』にならないように、ただひたすら現状を維持し続けるための、孤独で、終わりの見えない防衛戦へと、その姿を変えようとしていた。

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