表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
配信プラットフォームへようこそ  作者: パラレル・ゲーマー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/6

第2話 好奇心トイウ対価

 世界が燃えていた。もちろん物理的な炎ではない。熱狂と興奮、そして人類史の新たな夜明けに対する、抑えきれない期待という名の炎だ。

『絶対寝坊しない』スキルが本物であると証明されたあの日から、世界は変わった。ニュースは朝から晩までプラットフォームの話題を報じ、SNSはスキルの恩恵を受けた人々の体験談で溢れ、仕事や学校での会話も、そのほとんどがこの超常的な現象に支配されていた。

 人類は、まるで新しいおもちゃを与えられた子供のように、無邪気にはしゃいでいた。


 しかし、その世界的な狂騒の中心――震源地グラウンド・ゼロであるはずの、東京都内某所のワンルームマンション703号室は、嘘のような静寂に包まれていていた。

 部屋の主、天野 戒はテレビの電源を消していた。スマートフォンの通知も切り、SNSのアプリを開くこともしない。世間の熱狂は彼にとってノイズでしかなかった。彼の関心は、ただ一点にのみ注がれていた。

 視界の隅に彼だけが見ることのできる半透明のウィンドウ――【管理者用コンソール】。彼は、まるでハッカーが未知のシステムを解析するかのように、あるいはエンジニアが新しいソフトウェアの仕様書を読み解くかのように、その機能の全容を、冷静に、そして貪欲に探求していた。


「ユーザー数は約80億……アクティブユーザーは60億を超えているか。サーバーはどこにある? このトラフィックを処理している計算資源リソースは、一体どんな代物なんだ……」


 彼の呟きは、恐怖や倫理観といったウェットな感情を一切含んでいなかった。それは純粋な知的好奇心。目の前で起きている観測史上最大のパラダイムシフト。その根幹を成すこのシステムを、彼は神の御業や魔法としてではなく、一種の超テクノロジーとして理解し、分析しようと試みていたのだ。


 彼はコンソールの様々なタブをクリックしていく。「ユーザーリスト」を開けば、匿名化されたIDが無限にスクロールしていく。「ワールドマップ」は、リアルタイムで人々の活動を示す光点で地球を埋め尽くしている。「ログ閲覧」には、どのエリアで『絶対寝坊しない』スキルがアクティベートされたかが、秒単位で記録され続けていた。

 そのどれもが彼に膨大な情報を与えてくれる。しかし、それはあくまで受動的なデータだった。彼がこのシステムに対して、何か能動的に介入できる機能は見当たらない。彼は、ただ神の視点から世界を眺めることしか許されていない、孤独な観測者でしかなかった。


(このままでは、ただ振り回されるだけだ。次に何が起こるか分からない。それは俺の平穏な生活を脅かす最大のリスク要因だ)


 彼の行動原理は極めてシンプルだった。今の会社が潰れず、毎月の給料が滞りなく振り込まれ、この完璧にコントロールされたワンルームでの生活が維持できること。

 それが最優先事項。世界の混乱も人類の未来も、その次、あるいはそれ以下の問題だと考えている。そのためには、このシステムの仕様を把握し、可能な限り未来を予測する必要があった。


 そんな中、彼は機能リストの片隅に、一つだけ薄暗くグレーアウトしている項目を見つけた。クリックしても反応しない、鍵のかかった扉。その名は――


【プラットフォーム分析ツール】


 その文字の持つ響きに、彼の心臓がわずかに速く鼓動した。彼はその項目に意識を集中させる。

 すると、詳細なサブメニューがツールチップのように表示された。


 └ スキル効果のユーザー満足度分析

 └ スキル取得者の属性(エリア、時間帯)相関データ

 └ ユーザーの潜在的需要予測

 └ etc...


「……これだ」


 思わず声が漏れた。これこそが彼が求めていたものだった。

 このツールを使えば、このシステムが世界に何をもたらしているのか、そして次に何をもたらそうとしているのか。

 ただの観測者ではなく、分析者として、より深く理解できるかもしれない。未来を予測し、彼の生活を脅かすような波が来る前に、その兆候を掴むことができるかもしれない。


 彼はそのグレーアウトした項目を強くクリックした。すると、彼の目の前に小さなポップアップウィンドウが表示された。


 [NOTICE]この機能群をアンロックするには、100スキルコインが必要です。


「スキルコイン……?」


 初めて見る単語だった。彼はすぐさま、コンソール画面の右上隅にあるヘルプアイコンに意識を向けた。膨大なテキストデータの中から、彼はキーワード検索で答えを見つけ出す。


『スキルコイン』:プラットフォーム内で使用される基軸通貨。

 1.スキルの販売によって獲得可能。管理者は生成されたスキルの対価として、スキルコインを設定できる。

 2.プラットフォームへのチャージによって購入可能。ユーザーは各地域の法定通貨をチャージすることでスキルコインを購入し、有料スキルの対価として使用できる。


(なるほどな……)


 戒は全てを理解した。このシステムは完全なフリーウェアではない。より高度な機能を使うためには、プラットフォーム内で経済を回し、対価を支払う必要がある。

 そして、管理者である彼がその通貨を手に入れる方法は、今のところ一つしかない。何かを「販売」し、このスキルコインとやらを、自らの手で稼ぎ出す。


 彼の動機は明確に定まった。金儲けがしたいわけではない。世界を支配したいわけでもない。

 ただ、自分の目の前にあるこの巨大なブラックボックスの蓋を、少しでも開けて中を覗いてみたい。そのための入場料が100スキルコイン。


 彼は、自分の運命を自分でコントロールするための、最初の鍵を手に入れようとしていた。


 まるで彼の決意を待っていたかのように。彼の思考に応えるかのように。

 静まり返った部屋の中で、コンソールの通知欄が静かに、しかしはっきりと新たなメッセージを知らせた。


 [NOTICE]新規スキルが生成されました。承認しますか?[Y/N]


 戒はその通知を冷静に見つめた。以前のような動揺はない。むしろ渡りに船とすら思った。

 彼は通知の下に表示された、新たなスキルの詳細へと視線を移す。


 スキル名:【F】肩こり解消

 ランク:F

 効果:スキルを発動すると、肩や首周りの凝り固まった筋肉がじんわりとほぐれ、10分ほどで慢性的な肩こりやそれに伴う頭痛が解消される。効果は半日ほど持続する。


 彼はそのスキル詳細を、まるで商品の仕様書でも読むかのように、冷静に分析していく。

(ランクF。『絶対寝坊しない』と同等か。効果は限定的で、副作用のデータも表示されていない。人体への恒久的な改変は伴わない。悪用は……極めて困難だな。せいぜいマッサージ店の営業妨害くらいか)

 そして最も重要な項目――需要。

(現代社会において、デスクワークによる肩こりは世界共通の悩みだ。潜在的な需要は、数十億単位で見込めるだろう)


 結論はすぐに出た。これは最初の実験として、そしてスキルコインを稼ぐための元手として、申し分ない。

 彼は初めて、このプラットフォームに対して、能動的な意思を持って介入することを決意した。


 彼の意識は、コンソールの「スキル設定」画面へと移る。価格、そして提供数。この二つのパラメータが、世界に与える影響の大きさを決める。

 彼は慎重にシミュレーションを開始した。


(会社の経営が傾くほどの社会混乱は、俺の給料が危うくなるから困る。だが、多少の騒ぎなら問題ない。むしろ、世間の関心がスキルに向いている方が、俺という管理者の存在からは目が逸れる。好都合だ)


 まず価格。

(高すぎれば反発を招く。安すぎればありがたみが薄れ、システムへの敬意が失われる。有料であるという事実を、世界に明確に認識させる必要がある)


 彼は価格設定の欄に「1」と入力した。1スキルコイン。ヘルプによれば、ユーザーのチャージレートは為替に連動して、おおよそ1ドル相当に設定されているらしい。缶コーヒー一本分。その程度の金額なら、大きな混乱にはなるまい。


 次に提供数。

(全世界の需要に応えれば、サーバーがどうなるか分からないし、何より社会への影響が大きすぎる。限定的に希少価値を持たせることで、ユーザーの反応をテストするべきだ)


 彼は電卓アプリを起動し、いくつかの数字を弾き出した。

(5万人。全世界80億人から見れば、ごくごく僅か。0.000625%。争奪戦にはなるだろうが、暴動が起きるほどの数ではない。そして総売上は5万ドル。グローバル経済全体から見れば誤差のような金額だ。各国の政府機関も、金の流れを本腰を入れて追跡するほどの額ではあるまい)


 全ての計算を終え、彼は設定を確定した。


 スキル名:【F】肩こり解消

 提供数:50,000

 対価:1 スキルコイン


 彼は承認ボタンに意識を集中させた。もはやそこに恐怖や躊躇いはない。あるのは、これから始まる壮大な社会実験に対する、冷徹な好奇心だけだった。

 自分の生活圏を守るための、極めて冷静で利己的な判断。彼はエンターキーを叩くかのように、承認の意思を確定した。


 その瞬間、世界中のプラットフォーム利用者のスキルリストが一斉に更新された。

 最初は誰もがその変化に戸惑った。「限定?」「有料?」「チャージって何だ?」。

 しかし、人類の適応能力は、戒の想像を遥かに超えていた。彼らがこのスキルが先着順の希少品であると理解し、それがわずか1ドルで手に入る奇跡だと気づくのに、1分もかからなかった。


 そして、狂騒が始まった。世界中のオフィスで、家庭で、電車の中で、人々は固唾を飲んでスキルリストを凝視し、慌ててクレジットカード情報を入力し、その時を待った。

 リリースからわずか0.81秒。プラットフォーム上に、無慈悲な文字列が表示される。


【F】肩こり解消 ― 提供終了


 天文学的なトラフィックを、プラットフォームは何事もなかったかのように処理しきった。

 SNSは直後から、阿鼻叫喚の坩堝と化した。


「買えた! 神よ!!! ありがとう!!!」

「0.8秒で完売とか無理ゲーだろ!!!」

「クレカ情報の入力にもたついた俺を殴りたい」

「5万人の勝ち組おめでとう。残りの79億9995万人の負け組は、今からマッサージ店にでも行こうぜ……」


 5万人の歓喜と、数十億人の嫉妬と絶望。世界は、プラットフォームがもたらす新たな格差社会の到来を、その肌で感じていた。


 しかし、その全ての狂騒を、天野 戒は一切見ていなかった。

 彼はテレビもSNSも見ず、ただ管理者用コンソールの右上に新たに表示された項目だけを、静かに見つめていた。


 所持スキルコイン:50,000 SC


 その数字は、彼にとって金銭的な価値を意味しない。それは、彼がこの世界の謎を解き明かすための、5万個の鍵束だった。


「よし」


 戒は、誰に言うでもなく短く呟くと、一切の躊躇なく【プラットフォーム分析ツール】のアンロックボタンをクリックした。


 ――100スキルコインを消費して、基本機能をアンロックしますか?


 彼は迷わず「Y」を選択した。彼の視界で、これまでグレーアウトしていた項目が鮮やかな青色に変わって光を放つ。

 そして彼の目の前に、これまで見ることのできなかった世界の「真実」が、膨大なグラフと数値になって現れ始めた。


『絶対寝坊しない』スキルのユーザー満足度は98.7%。離脱率は0.02%。

『肩こり解消』スキルの潜在的需要は、全世界で32億4千万人以上と推定。

 次のスキルとして最も需要が高いカテゴリは「健康・医療」。次点は「自己啓発・学習」……。


 精密すぎるデータ。冷徹なまでの分析結果。

 それは、まるで人類という巨大な生き物の生態を、細胞レベルで解剖しているかのようだった。


 彼はその膨大で、美しくさえある情報に、思わず声を漏らした。


「面白い……」


 初めてこの異常事態を、心の底から「面白い」と感じた瞬間だった。

 彼はもはや単なる傍観者ではない。この世界のルールを読み解き、自らの目的のために利用する、唯一無二のプレイヤーなのだ。


 夢中でデータを読み解いていた戒は、アンロックされた分析ツールの中に、一つだけまだ鈍い灰色の鍵マークが付いたままの項目があることに気づいた。

 その名は、彼の好奇心をこれまで以上に強く刺激した。


【管理者介入レベル1】


(介入……?)


 スキルをただ生成し、承認するだけではない。もっと能動的に、この世界に関与できる可能性を示唆する言葉。

 彼がその項目にカーソルを合わせると、アンロック条件が表示された。


 アンロック条件:累計100万スキルコインの売上達成


「100万……」


 5万コインの、さらに20倍。途方もない数字。

 しかし、彼の心には絶望ではなく、新たな目標という名の火が灯っていた。彼の尽きない好奇心は、早くも次なるステージへと向けられる。


 彼はまだ知らない。その扉の先に待つものが、彼のささやかな平穏を根底から覆すほどの、巨大な責任と選択であることを。

 天野 戒の、管理者としての本当の戦いは、今まさに幕を開けたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ