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追憶の残花  作者: 最下真人
【一章】 春の蕾
6/24

五話 徒恋

 11


 登校してくる生徒たちの騒がしい声を浴びながら、桃花は自分の席で頭を抱えていた。


「何て言ったらいい?」


「昨日はありがとう」


「なんか言いにくい」


「お礼を言うだけだろ」


 前の席に座る拓海は、頬杖をついて答える。


「だって……色々とあったじゃん」


「じゃあ、何か奢ってやれよ」


「それだ」


 桃花は拓海を指差して言う。


「来たぞ」


 拓海の視線を辿ると、陽葵が教室に入ってくるのが見えた。

 瞬間、心臓の音が外に漏れているのではないかと思うほど、大きく動く。

 その鼓動を意識すると、緊張が唸りをあげた。

 陽葵が座った気配を感じると、桃花はゆっくりと息を吐いてから体を後ろに向ける。


「何?」


 振り向いてから数秒ほど黙っていたら、怪訝な顔でそう言われた。


「あのさ……放課後空いてる?」


「何で?」


 桃花は前を向き、拓海に視線を送る。


「自分で言いなさい」


 再度、後ろを振り向き陽葵を見る。


「良い天気だね」


「うん」


「こんな日は外で遊びたくなるよね」


「別に」


 桃花は再び拓海を見る。


「アホ、遠回しで誘うな。直接言え」


 拓海にそう言われ、再び後ろに体を向ける。


「甘いもの好き?」


「嫌いじゃない」


「ならさ……」


 桃花はモジモジと指を忙しなく動かしながら、喉元にある言葉を手繰り寄せようとしていた。

 だが、上手く声に乗せられない。


「何もないなら、本読むけど」


「いや、ある」


「何?」


「あのさ……」


 再び声が詰まったとき、教室に入ってくる隆二の姿が見えた。


「隆二がさ、今日カフェに行こうって言ってるんだけど……一緒に行かない?」


 陽葵の眉が一瞬だけ上がったように見えた。

 その後、何かを考えるように口元に指を置く。

 沈黙の時間は心臓が揺れた。まるで何かの結果発表を待っている気分だ。

 陽葵は窓際に視線を移し、隆二を見る。


「付き合ってた人と、そこには行った?」


 視線が桃花に戻ってくると、陽葵がそう聞いてきた。


「行ってないけど、何で?」


「何でもない。放課後なら空いてる」


「じゃあ……放課後」


 そう言って、桃花が体を前に向けると、拓海が冷ややかな視線でこちらを見ていた。


「何?」


「別に」


 12


 学校が終わり、陽葵たちは駅の近くにある古民家カフェに来ていた。

 和室には掘り炬燵式のテーブル席が等間隔に並べられており、奥の席は座卓になっている。

 縁側には赤い絨毯が敷かれていて、窓の外には庭園が見えた。

 昭和初期の邸宅を改装したらしく、趣のあるカフェだ。

 陽葵は妹とたまに来ていたため、久しぶりだなと思いながら、テーブルに並ぶロールケーキやわらび餅を見ていた。


「上手そう」という拓海の横で、智子は写真を撮っている。

 顔を上げると、目の前に座る隆二と目が合った。

 なぜか少し恥ずかしくなり、視線をケーキに戻す。


「今日は私の奢りだから、遠慮なく食べて」


 まつ毛の長い大きな垂れ目を向けて、桃花が言ってきた。


「お礼のつもりなら大丈夫。私の分は自分で払うから」


「それじゃあ私の気が収まらない。なんて言うか……その……」


 桃花の目線はテーブルと陽葵を何度も往復する。


「桃花なりに感謝してるからみたいだから、受け取ってあげて」


 何か言いたげな桃花を代弁するように、隆二が言葉を添えた。


「決まりがあって、お礼は受け取れないの。だから気持ちだけ貰っとく」


「そうなの?」


 桃花の目が大きく見開いた。少し茶色がかった瞳が微かに揺れる。


「うん」


 陽葵の言葉に、大きく見開いた桃花の目が萎れていく。

 悲しげな顔をしていたため、陽葵は声をかけようと言葉を探したが見つからなかった。

 今まで友達を作ったことがなかったため、こんなシュチュエーションは経験したことがない。

 陽葵は手持ち無沙汰になり、少しばかり戸惑った。


「……ありがとう」


 桃花の声が耳に入り視線を向けると、頬が赤く染まっており、可愛らしい表情が咲いていた。


「おかげで楽になった。それとごめん。昨日は言いすぎた」


 思いも寄らない言葉に、陽葵の口が自然と開く。

 隆二たちの笑みが視界に入ると、視線を床に落とした。

 気恥ずかしさなのかは分からないが、なんだか顔を上げにくい。


「……私も言いすぎた。ごめん」


 陽葵も同様に謝罪をすると、拓海の「フフっ」という笑い声が鼓膜に触れて、顔が熱くなる。


「じゃあ、食べようか」


 察してくれたのか、智子が空気を入れ替えるように言った。


「桃花さん、ご馳走になります」


「拓海に奢るなんて言ってないけど」


「お金ないけど」


「警察には悪い人じゃないって言っとく」


「隆二、何でいきなり警察なんだよ。普通なら立て替えとくだろ。智子ならそうするぞ」


「しないよ。だから自首しな」


「桃花さん、貸して下さい」


「ここで働けば」


 仲の良さが伝わるやりとりが、目の前で繰り広げられていた。

 陽葵はそれを羨望に近い感情で聞いていた。

 きっといつもの会話なのだろう。でも陽葵には、そのいつもがない。

 久しく人を遠ざけてたため、自分だけ違う世界で生きていたんだと感じた。


「お前らとは今日限りで友達をやめる。松田、二人で楽しい学校生活を送ろう」


「やだ」


 拓海が意気揚々な顔で言ってきたので、感情すら込めない声で返した。


「ねえ、誰か友達になって」


 懇願するように言う拓海に、隆二たちは笑っている。

 陽葵はこの雰囲気に浸っていた。

 もし普通の高校生と同じように生きることができていたら、きっとこんな風景が待っていたんだなと。

 自分には無理だと思っていた。

 人を信用出来ないから。

 幼い頃から悪夢を見せ続けられ、心を閉ざしてしまった。

 でも今だけは、心を預けていたい。

 そう思う陽葵の頬は、いつの間にか緩んでいた。


 視線を感じたので前を向くと、隆二と目が合った。

 解けた表情を固く結び直し、誤魔化すようにケーキを口に入れる。

 笑うという当たり前の行為がなんだが恥ずかしかったが、少しだけ楽しかった。


 カフェを出ると、青い空にオレンジが少しかかり、鮮やかなグラデーションを描いていた。

 体温を冷ますような風が心地よく、小さな幸福が頬を撫でた。


「いやー、美味しかった」


「次は拓海の奢りだからね」


「いやー、美味しかった」


「こら」


 結局、拓海の分は桃花が出した。

 桃花はむくれた様子で会計していたが、「桃花さん、今日綺麗ですね。いや、いつものことか」と拓海が煽てたことにより、なんとか収まった。


「じゃあ帰ろうか」


 智子がそう言ったとき、桃花が慌てた様子で拓海の背中に隠れる。


「何だよ」


「いいから、そのままでいて」


「は?」


 前方から仲睦まじそうに肩を組んでいるカップルらしき人たちが歩いて来た。

 男の方はミディアムくらいの茶髪で、肌は少し焼けている。

 鼻筋が通り、綺麗な二重をしていた。全体的に整った顔だ。

 女性は容姿も格好も絵に描いたような清楚系で、甘い表情で彼に視線を送っていた。

 二人とも大学生くらいに見える。


「ここのカフェ、結構シャレてんだよ」


「そうなんだ……あっ、女の子に聞いたんでしょ?」


「違うって。たまたま見つけんだよ」


「ほんとにー?」


 すれ違いざまにカップルの会話が耳に入ると、急な立ちくらみが襲った。

 だんだんと視界に靄がかかり景色が歪み始める。


 こんなときに――


 陽葵がそう思っていると、張っていた靄が消え、目の前にはライトアップされた大きなアーチ橋が視界に映った。


 誰かのフラッシュバック。たぶん……


「待ってよ」


 前には男がおり、その背中を追うように走っている。

 フラッシュバックを見ている時は感情がリンクしているため、必死になって走っていることが分かった。

 男に追いつき腕を掴む。その勢いのまま振り向かせると、先ほど店の前ですれ違ったカップルの男だった。

 男は呆れた様子でため息を吐いている。


「面倒くさいんだよ。桃花と居ると疲れるの」


 やはり桃花のフラッシュバックだった。

 この場には二人しかおらず、静けさの中に男の声が響く。


「だから浮気したの?」


 怒っているというより不安に近い。そして悲しさが纏う。

 フラッシュバックすると憑依したような形になる。

 肌に吹き付ける風や指の感触を感じながら、桃花の視点で目の前の出来事を覗き、感情を重ねる。


「そういうのが面倒いんだよ。浮気くらいで怒んなよ」


「別に怒ってるわけじゃない。ただ……もう一度話し合いたいの」


 好きという気持ちが、感情から読み取れた。

 だが、第三者視点で見ると二人の温度差が心苦しい。


「話し合うことなんてないだろ」


「あるよ。一回くらいなら私は気にしないから、だから話し合って……」


 桃花の言葉を遮るように、「あのさ……」と男は口を開く。


「お前勘違いしてるみたいだけど、いつから俺の彼女になったの?」


 桃花の心が大きく揺れた。動揺しているのが陽葵にも伝わる。


「どういうこと?」


「付き合ってなんて言ってないだろ? なんで彼女だと思ったんだよ」


「だって、何回もデートして家にも行った。手も繋いだし、キスだってした。それに……」


 そこから先は口を噤んだ。だが予想はできた。

 全身を這いずり回るような痛みが、陽葵にも感じる。


「でも付き合おうなんて言ってないだろ。そもそも女子高生なんて相手にしねーよ。ただの暇つぶしで遊んでただけ。それくらい分かれよ」


 悲しみが押し寄せてくる。

 桃花は必死に押さえているが、もう限界に達していた。

 これ以上傷を作る言葉を言われたら、間違いなく決壊する。


「私……初めてだったんだよ……本気で好きだったの。ねえ、嘘だって言ってよ」


 力ない声が夜の底に落ちていく。

 この先を陽葵は見たくなかった。あらゆる悲しみを経験してきたからこそ分かる。

 どれだけ桃花が辛いのかを。


「良い経験したと思えば安いもんだろ。今度はちゃんと付き合ってるか確認しなよ。まあ、本気で好きになる奴がいたらだけど。桃花は遊びくらいがちょうどいいよ。それと、初体験ご馳走様」


 男は傷跡を残して去っていった。

 その背中を見ながら桃花は崩れ落ちた。双眸からは止まらない悲しみが豪雨のように降る。

 失恋という名の痛みが感情を駆逐し、心に咲いていた花々が言葉によって一斉に枯れていく。

 好きという想いと認めたくないという気持ちが混濁し、思考をぐちゃぐちゃにかき混ぜて絶望を胸に産み落とす。

 孤独に堕とされ、涙で溺れて息ができない。


 このまま沈んで死んでしまいたい――


「松田……松田」


 力強い声が鼓膜に響くと、視界に靄がかかり、景色が歪み始めた。

 そして靄が晴れて現実に戻ると、目の前にアスファルトが映る。

 陽葵は地面に膝をついており、涙が頬を濡らしていた。


「大丈夫?」


 隣から不安げな声が聞こえ、先ほど名前を呼んでいたのが隆二だったと気づく。

 陽葵は心を落ち着かせようとするが、呼吸がだんだんと荒くなってきて、小刻みに肩が揺れる。

 あまりの苦しさに自分の体ではないみたいだった。


「常用してる薬とかある?」

 

 智子の言葉に陽葵は首を横に振る。


「少ししたら……落ち着くから……大丈夫」


 だが涙は止まらず、悲しみが陽葵の心を縛り付けていた。

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