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追憶の残花  作者: 最下真人
【一章】 春の蕾
5/24

四話 思い出の切れ端

 6


 身長の倍はある立派な数奇屋門(すきやもん)を見上げながら、隆二たちは立ち尽くしていた。檜の木肌と格子の引き戸が、家の格式の高さを表している。


「松田さんのご自宅ってお金持ちだったんですね」


 拓海は茫然としながら言う。

 陽葵が格子を開けると、二階建ての和風建築の全体が見えた。


「大っきい」


 桃花の言うように、一般的な家の二軒分くらいの大きさがあり、門扉から玄関までは二十メートルほどある。

 そこまでの道には白玉砂利が敷き詰めらており、飛び石が等間隔に玄関まで続く。

 左側は庭になっており、大きな松の木や石灯籠などが目に入った。

 一目でしっかりと手入れされていることが分かる。


「すごいね」


 智子の言葉に隆二は「うん」と頷く。

 家の中に入ると、五人が横に並べる広い三和土(たたき)と、卓球台が置けるであろう玄関ホールが視界に飛び込んできた。

 正面には掛け軸が掛けられており、分岐するように左には通路、右側には階段がある。


「広いですよ、隆二さん」


「うん」


 旅館と言われても納得できるほどの、品と高級感が漂っている。


「上がって」


「お邪魔します」


 靴を脱いで式台に足をかけると、二階から女の子が降りてきた。


「友達?」


「クラスの人」


 女の子はショートボブの前髪をかき上げ、大きな目を瞬かせながら、まだ幼さが残る顔を陽葵に向けていた。


「こんにちわ。私たちは陽葵さんのクラスメイトで、今日はお家にお邪魔させていただきます」


 智子が会釈をしたため、隆二たちも倣って頭を下げた。


「妹の愛です。お姉ちゃんがいつもお世話になっています」


 愛は丁寧なお辞儀をした。まだ中学生くらいだと思うが、品性を感じる。


「あっ!」


 愛が顔を上げた後、目線があった。

 すると何か思い出したのか、目の前の少女は声をあげる。


「知り合い?」


 智子に聞かれ、隆二は記憶を辿ったが、愛の顔が見当たらなかったため首を横に振った。

 

「愛、三人を客間に案内して」


 陽葵が話を逸らすように言葉を挟む。


「三人?」


 愛は、小さく首を傾げる。


「それと装束も用意して」


「それって……」


「頼まれたから」


「この人たちは知ってるの?」


 愛は先ほどと打って変わり、目つきが鋭くなった。

 幼さが残る顔が急に大人びたように感じ、隆二たちは戸惑いを見せる。


「祥子ちゃんとファミレスで話してたら聞かれたの」


 盗み聞きしていた罪悪感からか、桃花は気まずそうに視線を宙に彷徨わせた。


「祥子ちゃんて、この間の?」


「そう」


「力を使った後のことは?」


 愛の鈴のような澄んだ声色がワントーン下がり、場の空気が重くなる。


「何かあるの?」


 智子が聞くと、陽葵は一瞥で返し、桃花に視線を移す。


「付いてきて」


 陽葵が階段を上がっていくと、桃花は不安そうな顔で後を付いていった。


「じゃあ三人はこっち」


 隆二たちは愛に案内され、客間と思われる部屋に入る。

 十畳ほどの和室には掛け軸がかけられた床の間があり、床板には空間を灯す生け花が飾られていた。


「他にこのことを知ってる人は?」


 隆二たちが座卓に着いたとき、愛がそう問いかけてきた。


「たぶん私たちだけだと思う」


「誰にも言わないで。絶対に」


 強調した語尾と真剣な目つきに、三人は息を呑んだ。

 悲しみを消すという力を隆二はまだ疑っていたが、愛の顔を見ると本当かもしれないという気持ちが湧く。


「本当に悲しみを消せるの?」

 

 拓海が聞くと、愛は沈黙を携えて俯いた。

 その顔には悲しみと切なさのグラデーションのような色が見える。


「分かった。誰にも言わない」


 隆二は真っ直ぐな目を向け、愛と同じ温度で言葉を返した。


「お願い」


 愛はそう言った後、「消せないよ、なんにも」と呟くように言葉を零した。


 7


 板戸で仕切られた6畳の和室。四隅には和紙灯台が置いてある。

 部屋の中央に座る桃花は、部屋を見渡していた。

 通路側の板戸だけが開いており、光はそこから入るだけで部屋全体は薄暗い。

 何の変哲もない和室だが、筆舌に尽くし難い空気が全身に纏わりついているようだった。


 部屋に入る光が遮られたため通路側に視線を移すと、そこには巫女のような格好をした陽葵が立っていた。

 その瞬間、鼓動が早まり、背筋をなぞるように緊張が走る。

 陽葵が部屋に足を踏み入れると、板戸を閉めた。

 光が完全に遮断され、何も見えなくなる。


「えっ、もう始まるの?」


 困惑を滲ませた声で聞いたが、言葉が返ってこない。

 感情が不安で埋め尽くされ、息をするのも苦しくなる。


「闇夜に落ちゆく悲の命(ひのみこと)(われ)が火影となりて道を照らそう。神よ、力を結びたまえ」


 その言葉を合図に、四隅の和紙灯台が灯る。

 目の前には陽葵が座っており、左手の人差し指と中指を口元に置いていた。

 桃花は今の状況が分からず、頭の中で思考が絡まる。


「さっき聞いてたと思うけど、悲しみを消せるのは一度だけ」


 陽葵の言葉で意識を現実に戻し、耳を傾ける。


「力を使うと、今までの悲しみが押し寄せてくる。苦しくなると思うけど我慢して」


 言っていることは分からなかったが、とりあえず小さく頷いた。


「じゃあ、始める」


 陽葵はそう言った後、腕を伸ばして桃花の額に指を置いた。

 これから何が始まるか分からない恐怖が、桃花の心臓を大きく跳ねさせる。


「辛苦に染まる記憶を解錠し、連なる悲しみを胸臆から掬い上げよ」


 陽葵の指が額から離れると、急に胸が苦しくなった。

 呼吸がだんだんと荒くなり、過呼吸のようになっていく。


「何これ、勝手に……」


 そして、目から涙が零れ落ちた。

 涙は豪雨のように流れ続けた。拭っても拭っても、一向に止まらない。

 心臓を強く握られるように、悲しみが蝕んでいく。

 次第に嗚咽となり、もはや桃花の意思ではどうすることもできなかった。

 悲痛や恐怖が心にいくつも傷を付け、耐えがたい痛みが重なり合う。

 早く解放されたかった。死が頭によぎるほど苦痛が注がれる。


――もう無理


 そう思ったとき、陽葵が再度額に指を置いた。


「身魂蝕む悲しみを払い、固く結ばれた痛みを解こう。時は再び動き出す。消えゆく悲哀と共に」


 陽葵が指を離すと、額から黒い光のようなものが出てきた。

 その瞬間、霧散するように苦しさが消える。


「え……」


 桃花が茫然と声を漏らすと、陽葵は黒い光を指先に纏わせ、胸元に置いて目を瞑った。


「この悲しみを背負い、悲葬の力で葬り去ろう」


 言下、纏っていた黒い光が体内に入っていく。

 陽葵が目を開くと、部屋を灯していた四隅の和紙灯台が消え、二人は暗闇に紛れた。


 8 


「悩んでたのが嘘みたい」


 隆二たちは陽葵の家を後にし、駅方面に向かっていた。

 桃花は声を弾ませながら、ステップを踏んで先頭を歩いている。


「マジで消えたの?」


 拓海は目を点滅させるように瞬きしている。


「今なら笑って話せるよ。思い出しても全然辛くない」


「超能力なのかな」 


 呟く智子の声を耳にいれながら、隆二は愛が言っていたことを思い出していた。


――力を使った後のことは?

――誰にも言わないで。絶対に


 この言葉から察すれば、何かしらの代償があるのかもしれない。

 桃花を見る限り、何か言われた様子はなさそうだ。

 でも何もないなら、この力をもっと流布してもいいと思う。

 人助けにもなるし、言い方は悪くなるが稼ぐことだってできる。

 それをしないのは……

 桃花が嬉々に話すのをよそに、隆二は頭の中で愛の言葉を何度も反芻していた。


「隆二」


 拓海の言葉で現実に戻ると、三人が隆二を見ている。


「何?」


「何じゃなくて、隆二の家はあっちでしょ?」


 周りを見ると、中央通りの交差点にいた。

 真っ直ぐ行くと駅だが、隆二の家は左に曲がって十五分ほどのところにある。


「ああ、じゃあ明日」


「じゃあな」


 三人は横断歩道を渡り、駅に向かって行く。

 隆二はさゆらぐ思考を結び合わせながら、信号が青に変わるのを待っていた。

 桃花の悲しみが消えたことは喜ばしいが、引っ掛かるものがある。

 別れ際の陽葵の顔はどこか悲しみを帯びていた。

 人を救えば本人だって嬉しくなるはずだが、そんな様子は微塵も感じられなかった。

 あの力には秘密があるのかもしれない。

 もしそれが陽葵に不都合なことを起こすなら……

 歩行者用信号が青に変わると、隆二は踵を返して陽葵の家に向かった。

 

 9


「なんでクラスの子に力のことを話したの」


 陽葵は帰ってきた麻美に力を使用したことを話した。

 掟ではないが、力を使う際は五家の当主に許可を得なければならない。

 無断使用は厳禁。それは五家の取り決めだった。

 麻美は血相を変え、陽葵を叱りつける。

 自分だけ犠牲を伴うのに『なぜ怒られないといけないのか』という疑念が陽葵の頭によぎった。


「このあいだ来た依頼者と“たまたま”会ったの。そしたら会話を聞かれた」


「羽村さん?」


「娘のほう」


 麻美は頭を抱えながら溜息を吐く。


「羽村さんには強く言うべきだった。掟に従って、二度と祥子ちゃんに会わないように」


「それは掟じゃない。勝手に当主同士で決めたこと」


「だとしても、会わない方がいい」


「それは都合が悪いから? 私が余計なこと言うと思ってるんでしょ?」


 陽葵は鋭い視線で麻美を刺す。


「もし他の人に力が知られたら、辛くなるのは陽葵でしょ? そのために言ってるの」


「他言しないように伝えた」


 居間の隅で話を聞いていた愛が言葉を挟んだ。


「とにかくもう会わないこと。それと、クラスの子には力の存在を喧伝させないよう釘を刺して」


 陽葵は麻美のことは嫌いではない。

 だが、母から五家の当主に変わる時は、他人に言葉を向けているように感じた。

 その瞬間だけは、形容しがたい寂しさが胸を覆う。

 本当に家族と思っているのだろうか、そんな疑念すら出てくる時もあった。


「どこ行くの?」


 感情が歪みそうになったため居間を出ようとすると、麻美に呼び止められた。


「散歩」


「私も行くよ」


 陽葵は愛に視線を送ると、間を置いてから首を振った。


「今日は一人で行く」


「でもフラッシュバックが……」


 愛の心配そうな表情が視界に入ると、陽葵は心苦しくなった。

 何度見た光景か分からない。

 まだ中学生の妹に気を遣わせてしまい、迷惑をかけているのではないかと罪悪感を抱く。


「大丈夫、今日は一人がいいの」


 本音を胸の中に仕舞い、繕った言葉を残してから居間を出ていった。


 10


 隆二は陽葵の家の前で立ち尽くしていた。

 力のことを聞こうと戻ったが、そもそも聞いていいものなのかと疑念が湧いた。

 あんまり詮索するのも良くないとは思う。

 でも力を使うにあたって代償的なものがあれば、陽葵に背負わせてしまったことになる。

 もしそうなら、謝らなければいけない。

 誰かの犠牲で成り立つ幸福では、意味が変わってくるからだ。

 

 隆二は考えを巡らせながら右手を宙に彷徨わせていると、引き戸越しに、玄関から誰かが出てくるのが見えた。

 程なくしてそれが陽葵と分かる。

 彼女もこちらに気づいたようで、格子の引き戸を開けると、「忘れ物?」と聞いてきた。


「忘れてはないんだけど、力のことを聞こうと思って……」


 陽葵は何かを考えているのか、視線を下ろしたまま黙っている。


「言えないならいいよ。ただ……簡単に使える力なのかなって」


 隆二がそう言った後、陽葵がじっとこちらを見てきた。

 そして三秒ほどの沈黙を置いた後、


「ねえ、桜見に行かない?」


 *


 陽葵に誘われ、公園に来た。

 ここには子供の頃からよく来ている。

 隆二にとって大切な場所であり、始まりの場所だった。


 公園までの往路で会話はなかった。

 どこか話かけづらい空気が横たわり、言葉を発せなかったからだ。

 隆二と陽葵は、肩を並べながら広場に並ぶ桜を見上げている。

 夕日に照らされた春の象徴は、切なさを携えながら花弁を散らせていた。

 季節の終わりを告げるように、これから眠りにつくように。


 陽葵を見ると、少しだけ口角が上がっていた。

 桜が好きなのかは分からないが、普段笑わない彼女の綻んだ顔に目が離せなかった。


「何?」


「本当に消えたの?」


 陽葵が急に視線を向けてきたため、見ていたことを言葉で誤魔化す。


「変なことしてないか心配になった?」


「そういうわけじゃないけど、なんか信じられなくて」


「大丈夫。記憶が消えたわけでもないし、副作用みたいなものは起こらないから」


 副作用――その言葉で気になっていることを隆二は聞いた。


「超能力とかオカルトとか俺にはよく分からないけど、松田自身には何も起こらないの?」


 陽葵は口を噤んだ。

 広場で遊ぶ子供たちの声が、先ほどより鮮明に耳に入ってくる。

 やっぱり何かあるのかと思い、聞き返そうとしたが、先に陽葵が口を開く。


「ねえ、もし辛いことがあるなら消そうか? ついでだし」


 陽葵は笑みを零した。

 だがそれは、悲しさを隠すような笑顔に見えた。


「いじめや虐待とか、その人を歪めてしまうようなものは消えた方がいいけど、消してはいけない悲しみもあると思う。大切なものまで忘れてしまような、そんな悲しみも」


 隆二は桜に視線を移し、話を続けた。


「抱えることで苦しむこともあるけど、抱えることで強くなることもあると思うんだ。人生にはその両方が降りかかる。簡単に何かの力を頼ってしまえば、その後の道ですぐに躓く。そんな気がするから俺はいい」


 そっか、と隣で囁くような声が聞こえた。


「絵を描くのが好きなの? この時期になると、ここで描いてるよね?」


 陽葵は話題を変えるように聞いてきた。


「見られてたんだ」


 陽葵は一笑して「うん」と答える。


「好きというか、小学校の教員になろうと思ってる」


「小学校の先生と絵って関係あるの?」


「絵を通して子供たちに色々教えられたらって。それと……」


「それと?」


 その先の言葉を言うか迷ったが、喉元から胸に下ろすことにした。

 隆二にとって恥ずかしさを伴うことだったから。


「ううん。何でもない」


 隆二は再び桜を見上げた。

 あの頃の思い出を、目の前の景色に重ねながら。


「いつか聞かせてね」


 陽葵がそう言ってきたので顔を向けると、彼女も桜を見上げていた。


「もう一つの理由」


「いつかね」


 *


 隆二は家に帰ると自分の部屋に直行し、学習机の引き出しからスケッチブックを取り出す。

 表紙を捲ると、色鉛筆で描かれた拙い桜の絵が描かれていた。

 このスケッチブックには桜だけが描かれており、ページを捲るたびに絵が上達している。

 再び最初のページに戻り、懐かしみながら桜を眺めた。

 物語が途切れた思い出の花。

 今もまだ記憶の中で枯れずに咲いている。

 誰かに話せばきっと笑われるだろう。

 だけど隆二にとっては宝物と言えるほど大切なものだった。

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