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追憶の残花  作者: 最下真人
【一章】 春の蕾
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三話 秘め事

「じゃあファミレスで待ってる」

「うん」


 隆二は教室で拓海たちと別れ、図書室へと向かった。

 週に一回、図書委員として放課後に作業する。ポスターを貼ったり、棚の整理をする簡易なものだ。

 図書室に入るとカウンターの前に陽葵がいた。手に本を持っている。

 周りを見渡すと陽葵以外は誰もおらず、他の図書委員はまだ来ていないようだった。


「返却?」


「うん」


 隆二は陽葵から本を受け取る。

 表紙を見ると、数年前に流行った恋愛小説だった。

 初恋の相手と数年ぶりに再会し、再び恋に落ちるのだが、女性が交通事故で記憶を失ってしまう。

 男性はそれでも彼女のそばに寄り添い、最後は結ばれて結婚するという物語だ。

 貸し出しカードを見ると、陽葵の名前の上に『村田隆二』と書かれている。

 半年ほど前に借りたのを思い出しながら、隆二は今日の日付を書き込んだ。


「その本……どうだった?」


 肩にかかる毛先を触りながら、陽葵は聞いてきた。

 くっきりとした二重瞼を瞬かせ、血色の良い紅い唇を噛みしめている。


「面白かったよ」


「私も……」


 陽葵は整った面立ちを隠すように俯いた。

 窓から入る日差しのせいか、頬が赤みを帯びている。


「もし自分が主人公だったら……そう思いながら読んでた」


 隆二は物語を思い出しながら、表紙に書かれたタイトルを親指で撫でる。


「男の方?」


「うん。もし好きな相手が記憶を失ったら、自分はどうするんだろうって」


「どうするの?」


 陽葵の質問に、隆二は少し間を置いてから答える。


「過去を追い求めるんじゃなく、その人が安心できるような居場所を作りたい。自分だけ何も知らないでいるから、負い目を感じるかもしれないし、想いの密度も違う。だから思い出さようとするんじゃなくて、また好きになってもらえるように努力する。実際に起こったら出来ないかもしれないけど、でもそうしたい。好きな人には笑って過ごしてほしいから」


 フィクションを本気で考えるなんて可笑しいよな、と隆二は頭を掻きながら付言した。


「ううん、そんなことない。私だったら相手に押し付けてしまうと思うから、そんな考え浮かびもしなかった。私もそんな優しさを持ちたい」


 陽葵の顔には笑顔が咲いていた。

 普段見せることのない表情に鼓動が少し跳ねる。


「ありがとう」


 隆二は自分の指に視線を置き、お礼を言った。

 そのあと沈黙が流れ、気まずさのある空気に変わりかけていたため、後ろにある返却棚に本を置き、背中越しに話しかけた。


「松田は桃花と何かあったの? 昔喧嘩したとか」


「そんなんじゃない」


 隆二は振り向き、陽葵を見る。


「羨ましかっただけ、だたの嫉妬」


 陽葵の切なく染まる双眸が、隆二の目に焼き付いた。

 その瞬間、彼女がものすごく遠い存在に感じた。

 悲しみの中を流離(さすら)い、蜃気楼に消えてゆくような、そんな悲痛さが胸に横たわった。


「じゃあ……また明日」


 陽葵はそう言い残して去っていった。

 斜陽が差し込む図書室には、寂寥(せきりょう)の余韻が佇んでいた。


 3


 陽葵は隆二との会話を思い出しながら、帰路に就いていた。

 高校に入学して一年経つが、今までで一番長い会話だった。

 一年生の秋頃、隆二が図書委員であることを知り、それから図書室に通うようになった。

 本はそこまで好きではない。

 初めて読んだ小説が自分に合わなかったからだ。

 しばらく敬遠していたが、図書室に通うために読むようになった。

 だが、なかなか自分に合う本を見つけられない。

 段々と読むことが苦痛になってきた時、手にした本の返却カードに『村田隆二』という名前を見つけた。

 ファンタジー小説だった。あまり好きなジャンルではなかったが、彼のことを知れるような気がしたので、すぐに本を借りた。

 同じ本を借りるなんて特別なことではないが、カウンターに彼の姿を見た時、緊張が走った。

 震える指を息を吐いて押さえた後、隆二に本を渡す。


「これ面白かったよ」


 急に声をかけられたため、「え……あっ、うん」と瞳を揺らした。


「ごめん急に」


「いや……大丈夫。面白いんだね、この本」


「うん」


 それが隆二との初めての会話だった。

 胸が高鳴り、顔が熱くなったのを今でも覚えている。

 たった一言、二言の会話だったが、陽葵にとっては大きな一歩だった。


 家に帰り、就寝前にその本を開いた。

 彼はどこを楽しいと感じたんだろう? 

 どんな想いで読んでいたんだろう?

 そんなことを想像しながらページを捲っていると、夜が耽るまで物語に浸っていた。

 今まで苦痛だった読書が初めて楽しいと感じる。

 内容が面白かったということもあるが、それ以上に意味を持って読んだことが大きかった。

 一度解けた“私の物語”が、また結ばれるような気がしたからだ。

 陽葵は思い出に浸りながら、星が空に埋もれるまで読み耽った。


 そして今日の本は3冊目だ。

 隆二が借覧(しゃくらん)したものを立て続けに借りたため、もしかしたら不快に思っているかもと考えたが、さっきのやりとりで安堵した。


――好きな人には笑って過ごしてほしい 


 彼の言った言葉を何度も頭の中で再生する。

 少しだけ隆二のことを知れたと思うと、思わず顔が綻んだ。

 

 家の前に着くと、祥子が門扉の前に立っていた。

 先日、悲葬の力を使った同い年の女の子だ。


「どうしたの?」


「この間のお礼をしようと思って……」


 あまり人と話し馴れてないのか、彼女は俯きながら言葉を発した。


「よかったらこれ」


 彼女は手に持っていた紙袋を渡してきた。虎の絵柄が描かれていたため、たぶん羊羹だろうと推測する。


「お父さんは?」


「一人で来ました。ずっと父に頼って生きてきたので、これからは一人で何かしたいと思ったから……」


 陽葵は祥子の記憶を見ている。

 体育倉庫で同級生と思われる子らに、バケツで水をかけられていた。

 その時の感情を陽葵は思い出す。


「とりあえず場所変えよう」

 

 *


 陽葵たちは近くのファミレスへと足を運んだ。

 祥子に何か頼む? と聞いたが、なんでもいいと言うのでドリンクバーだけにした。


「お父さんには言ったの? うちに来ること」


「はい、伝えました。一緒に行こうと言われたんですが、自分を変えるきっかけがほしかったので無断で来ました」


 いじめがきっかけで彼女は引きこもってしまった。

 社会から数年間離れていたため、不安があるのかもしれない。


「陽葵さんは事情も知ってるし、もしかしたら話せるかもって思ったんです。外と繋がる一歩になればなって」


 複雑な想いを抱きながら、陽葵は彼女の話を聞いていた。

 悲葬の力は人を救うと同時に犠牲を伴う。

 その犠牲を背負うのは陽葵自身だ。だから目の前の女の子の幸せを純粋に喜べなかった。


「同い年だから敬語は使わなくていいよ」


「あっ、はい……うん」


 祥子は照れくさかったのか、誤魔化すようにオレンジジュースを口にする。


「学校には行ってないんだっけ?」


「行ってない。だから勉強して大検受けようかなって」


「そっか」


「これからは同世代の子たちと同じように過ごしたい。バイトしたり、友達を作って遊びに行ったり……恋したりとか」


 祥子は再びオレンジジュスースを口にする。


「……いい恋になるといいね」


「うん」と、赤らめながら祥子は頷いた。


 4


「浮気されたうえに好きじゃないって言われて、おまけに向こうから別れを告げるクソ野郎だけど、思い出すのは楽しかったことなんだよね。辛いことだけ消えれば、綺麗なまま思い出に仕舞えるのに」


 桃花はポテトを口に運びながら、失恋の傷をなぞっていた。

 目の前のグラスには濁った色の飲み物が入っている。

 間違ってオレンジジュースとコーラを混ぜてしまったが、飲んでみたら悪くなかったのでそのままにした。


「もう忘れろよ、そんな奴」


「忘れたいけどさ……」


「まあ、でも辛いよね」


「めっちゃ辛い」


 拓海と智子が、桃花の嘆きに合いの手を入れる。


「恋ってなんで苦しいんだろ」


 ため息混じりに発した言葉が、胸に重くのしかかるようだった。


「しかも私の傷口に唾を吐いて、高笑いしてくる女もいるし」


「唾は吐いてないし、高笑いもしてないでしょ。勝手に盛り付けないの」


「桃花さ、松田が気に触るようなこと言ったりしたんじゃないの?」


 拓海の言葉で記憶を辿るが、思い当たる節はなかった。


「してないよ。それどころか、まともに会話したこともない」


「実は桃花の元カレと前に付き合ってたとか」


 拓海がそう言うと、桃花は顔の前で手を大きく横に振った。


「ないない。そもそも人とコミュニケーション取れないでしょ、あの女」


「あの女とか言わないの」


 智子が叱りつけるように言うと、桃花は重いため息を吐いた。


「辛い記憶だけ消せたらいいのに。楽しいことだけ思い出に仕舞えたら、心に傷は付かないのにね」

 

 桃花は一人ごとのようにぼやいた後、窓の外に見える澄んだ空を眺めた。


「そういえば……」


 拓海が何かを思い出したように口を開いた。


「都市伝説でさ、悲しみを消せる人間がいるって聞いたことある」


「都市伝説でしょ。実際にそんな人……」


「本当に?」


 智子の言葉を遮り、桃花は目を見開いて拓海に顔を近づける。


「都市伝説な。本当にいるわけじゃねーよ」


「実際に悲しみを消してもらった人が、体験談を語って広まったのかも」


「拓海、桃花はこういうの信じやすいから言っちゃダメ」


「いやでも……」


「よし」と言って、桃花が立ち上がる。


「そいつを探して、私の失恋を癒してもらう」


「ほら、こうなったらもう収集つかないよ」


「でもどうやって探すんだよ」


 桃花は顎に手を当て、思考を巡らせた。

 十秒ほど悩んだ末、「分からん。それは拓海が考える」と言い、ジュースを飲み干して、ドリンクバーに向かった。


「なんで俺なんだよ」


 拓海の声が背中から聞こえてきたが、桃花は希望に満ちた顔で無視をした。


 ドリンクバーでジンジャエールを入れ、席に戻ろうとした時、仕切られた四名席に陽葵の姿が見えた。対面には同い年くらいの女の子がいる。


 友達? いやそんなはずはない。人間嫌いであろうあの女に友達という概念はないはずだ。いやでも……


 桃花の頭は混乱していた。絡まった思考を解くため、急いで席に戻り智子と拓海に話す。


「中学の同級生とかじゃない」


 智子がそう言うと、桃花は大きく首を振る。


「友達ではない。断言する」


「じゃあ何だよ」


「……拾った宇宙人」


「失恋すると、人って頭がおかしくなるんだな」


「隆二が来たら、みんなで病院行こう」


 拓海と智子は呆れた様子で言う。


「でも友達ではない。絶対そう」


 血相を変えて桃花が反論する。陽葵に友達がいることを認めたくなかった。


「とりあえず座れ」


「一旦落ち着きな」


 二人は宥めるように言うが、桃花は言葉を受け入れない。


「……める」


「何?」


 ぼそっと声を零した桃花に、拓海が眉を顰めて聞いた。


「確かめる。あの二人がどういう関係性なのか」


「直接聞くの?」


「会話を盗む」


 桃花はそう言うと、陽葵たちの座る席に向かった。


「ちょっとやめな」


 智子の声が聞こえたが、桃花は耳を塞いで足を早める。

 陽葵の座る席は、店内の一番端にある壁際だった。

 姿を見られないようにするため、遠回りで隣の席に身を隠す。

 ソファの背もたれの上には、すりガラスが設置されており、そこに耳を当て会話を聞く。


「陽葵ちゃんには感謝してる。イジメられてた時のことを思い出しても、今はなんとも思わない。あの時の記憶が自分のものじゃないみたいに。でもイジメられてた事実は消えてないんだよね?」


 相手の子の声だ。

 会話から察するに助けたと言うことか? と桃花は考えた。

 だがすぐに、『いや、それはない。誰かを救うような女ではない』と結論づけた。


「記憶に付随してる負の感情を乖離(かいり)させただけ。だから悲しさという感情を無くしたわけじゃない。あくまでも過去のみ。それと、一人の人間には一度しか使えないから、これから起こる辛い出来事は消せない。それは覚えといて」


 陽葵の言葉を聞き、桃花は先ほど拓海が言っていたことを思い出す。


――悲しみを消せる人間がいる


 全身に鳥肌が立つようだった。脳内が雑然とする。


「分かった。私自身が強くならないといけないってことだよね。頑張って生きてみる」


「うん」


「最初にお父さんから聞いた時は驚いた。悲しみを消せる人がいるって言うから」


 その言葉に「うそ……」と桃花は声を漏らす。

 自分の耳を疑うべきか、この二人がおかしいのか、もはや桃花には分からなかった。


「何やってんの?」


 声をかけられため視線を上げると、そこには隆二が立っていた。


「拓海と智子は?」


 桃花は口の前に人差し指を置き『静かにして』とジェスチャーで伝えるが、隆二は怪訝な顔でこちらを見ている。


「隠れて……」


 桃花が息混じりの声を出しとき、陽葵の姿が視界に入った。


「なんでいるの?」


 陽葵の言葉に桃花の表情は固まる。


「どういう状況?」


 隆二の質問に「いや……」と桃花は狼狽えた。

        

 5


 祥子を先に帰し、ファミレスの駐車場で話すことになった。

 陽葵は自分の手が汗ばんでるのに気づき、スカートで手を拭う。


「さっきの話、本当なの?」


 桃花の問いに陽葵は沈黙で返す。


「状況が分からないんだけど。説明してくれる」


 拓海は陽葵と桃花を交互に見てそう言った。隣にいる智子も困惑した様子だ。


「この子は人の悲しみを消せるの」


「それは都市伝説だろ」


 拓海は嘲笑うように言う。


「さっきの女の子が話してた。悲しみを感じなくなったって」


 拓海と智子は口を開けたまま、目を丸くしている。


「ねえ、どうなの?」


 桃花が詰め寄って聞いてきた。

 手に滲む汗が、風を受けて冷たく感じる。


「桃花、そんな問い詰めるような聞き方やめろ。そもそも盗み聞きしてたなら、まずは謝るべきだろ」


 隆二の言葉に、桃花は不貞腐れながら俯く。


「それは、悪かった……でも、さっきのことは本当なの?」


 再度向けられた視線が、心臓を刺してくるようだった。

 まるで孤独に突き落とされたかのように、自分の居場所がないように感じる。


「さっきのことは忘れて。言えるのはそれだけ」


「そう……」


 もう少し粘られると思っていたが、今の返答だと諦めてくれたみたいだ。

 揺れ動いていた感情が凪ぎ、静かに息を吐いた。


「なら……」


 桃花の声に心音が再び跳ねる。


「言わないであげる。ただし、私の悲しみも消して。それが条件」

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