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追憶の残花  作者: 最下真人
【四章】 冬の芽吹き
23/24

二十二話 冬枯れで知る五家の花

 1


 秋が枯れ、冬が芽吹く十二月。隆二たちは病院に来ていた。

 個室のドアを叩くと、愛が顔を出す。

 学校から帰ってきたばかりなのか、格好は制服だった。


「陽葵は?」


 桃花が尋ねると、愛は表情を曇らせる。


「まだ起きないんだよね……」


 陽葵は継承を破棄した後、倒れ込んだ。

 麻美が救急車を呼び、すぐに病院に運ばれたが、なんの異常も見当たらず、ただ眠ってるだけと医師に言われたらしい。

 その後も目を覚まさず、今は悠人の父が勤務する病院へと転院した。


 病室に入ると、ベッド脇の椅子に座る麻美が見えた。

 隆二たちがお辞儀すると、麻美も座ったまま礼を返す。

 部屋の空気は少し重苦しい。あれから一ヶ月過ぎたが、まだ時間が止まっているように感じる。

 病室から見える木々の葉が、風に揺られて落ちたのが見えた。

 不吉な風景に、隆二は目を逸らす。


 ベッドのそばまで来ると、眠っている陽葵の顔が視界に映る。

 腕には点滴が刺さっており、少しばかり顔も痩せ細っているように見えた。

 何かを失ったというより平穏な日常に戻った。寝顔を見て隆二はそう思う。それほど、穏やかな表情で眠っている。

 今までのことが幻想だったのではないかと少し疑ってしまうほどに。


「起きるよな、陽葵」


「起きるよ、絶対」


 拓海が不安げに言葉を零すと、智子は力強く返した。

 陽葵との約束を守るように。


「でももう一ヶ月も目を覚まさないし、もしかしたらずっとこのまま……」


「桃花」


 智子がその先の言葉を言わせないように遮った。

 桃花が言ったように、どこかでみんなそう思っている部分はあると思う。

 だけど言葉にはしなかった。未来を摘むような言葉は希望を奪ってしまうから。


「継承を破棄したのはお姉ちゃんが初めてだから、どうなるかは誰も分からないみたいなの。でも、絶対に目を覚ましてくれる。でないと記憶を消す必要がないから。この代償は、そこに意味があるんだと思う」


「そうだよね、絶対起きるよね」


「起きるよ」


 愛は桃花の憂慮を掻き消すように笑顔を見せた。

 場の空気が少しだけ和む。


「明日さ、お姉ちゃんの誕生日なんだよね。直接祝ってあげたかった」


「じゃあ陽葵が起きたら誕生日会やろうよ」


 桃花が言うと、「そうだな」と拓海が肯定する。


「私ケーキ作るよ」


 智子の言葉に「さすがお母さん」と拓海が合いの手を入れる。


「ちょっとやめてよ、まだ女子高生なんだから」


 みんなの顔に笑顔が灯る。

 麻美の顔を見ると、どこか切なげに陽葵を見ていた。

 もしかしたら、力を持っていなかったらと考えていたのかもしれない。

 この日常の光景が五家の当主として悲しく映った。

 憶測だが、隆二はふとそう思った。


 *


「麻美んとこのお嬢ちゃん、まだ起きないみたいだね」


「はい」


 病院を出て桃花たちと別れた後、アーケード街で悠人と弘子と遭遇。

 悠人に呼ばれ、そのまま弘子の家へと来た。

 リビングには大理石のダイニングテーブルと、十人は座れるであろう大型のコーナーソファが置いてある。光沢のある黒革は高級感が漂っていた。

 ソファの前には八十インチほどのテレビが設置されており、絵画のように壁に掛けられている。

 隆二は五家の恩恵を感じるリビングに、切なさを滲ませた感情を抱いた。


「お姉ちゃん大丈夫かな……」


 悠人は大理石のテーブルに向かって、ため息をついた。


「大丈夫。きっと目を覚ます」


 隆二は安心させるために笑顔を作るが、口元が少し引き攣っていた。


「そうだよね、目を覚ますよね」


「うん」


「起きたらお姉ちゃんに会いに行かないと。あっ……でも僕のこと覚えてないのか……」


 陽が差した表情はすぐに曇った。場の空気もどんよりとしたものが漂う。


「陽葵が起きたら、また花火大会行こう」


「その時は茜ちゃんも誘って四人で行こう。もしかしたら思い出してくれるかもしれない」


「……そうだね」


 隆二の心の片隅で少しざわめきあった。

 目を覚ますと信じているが、隙間を縫って悪い考えが芽生えてくる。

 それでも払拭するように思考を戻すが、最近は強引に割り込んでくることが増えた。


「でも一番大切な思い出だけは残ってるんだっけ?」


 悠人は弘子に目を向けた。その言葉に自然と隆二も反応する。


「そうなんですか?」


「ああ。そうだよ」


 頭の中で桜が舞った。今も褪せない桃色の花びらが鮮明に映し出される。


「なんでそれだけ消えないの?」


「記憶が消えるのは人との関わりで善悪が決まるからだろう。正しい道を歩かせるには失う必要があった。だが何もなければどこへ進んでいいか分からない。再度間違った道に踏み込んでしまうかもしれんからな。そのために道しるべが必要となった。神は正しく導くため、種だけは残すことにした。何もないところに花は咲かないからな」


 まあ憶測だが、と弘子は言葉を加えた。


「もしかしたらお兄ちゃんとの思い出かもね。そしたら覚えてるかも」


 実際、どの記憶かは分からない。

 家族との思い出かもしれないし、一人で見た景色の可能性だってある。

 もし自分との追憶だったなら……

 隆二は陽葵が目を覚ましたときのことを想像しながら、何をすべきかを考えていた。


「私は出掛けてくるよ」


 弘子がダイニングチェアから立ち上がった。


「どこ行くの?」


「年寄りの相手になってやらんとな」


 2


 千代子は縁側に座り、冬枯れの庭園を眺めていた。

 秋に色付いていた紅葉は眠り、木々は葉を落としながら、また一つ年を重ねる。

 色を失った景観に、千代子は儚い幻想を見ていたような気持ちを抱いた。

 これまでの出来事が全部夢だったのではないかと。


「物思いにふけるなんて、らしくないじゃないか」


 砂利を踏む音と共に、弘子がこちらへ歩いて来る。

 若いときはよく、二人でここから庭を眺めていた。

 玄関からではなく、直接庭の方に来たのも久方ぶりの光景だった。


「人の家に勝手に入るんじゃない」


「お前さんが寂しいと思って来てやったんだ。ごちゃごちゃ言うな」


 弘子は膝に手を添えながら、ゆっくりと腰を下ろし千代子の隣に座る。


「まだ目が覚めないらしい」


 千代子の頭に陽葵の顔が浮かんだ。

 入院していることは知っているが、一度も見舞いには行っていない。

 どんな顔で行けばいいのか、どんな言葉を麻美にかければいいのかが分からなかった。


「事例がないからな。いつ覚めるかは誰も分からない」


 一人の少女が数百年の物語にピリオドを打った。

 歴史の中で生きてきた千代子にとっては、今もまだ実感が湧かない。


――もし自分が継承者なら


 何度も考えてきたことだったが、陽葵のような選択はしていなかっただろう。

 物心がつく前から、当主としての振る舞いを親に叩き込まれてきた。

 なぜ自分が恵まれた環境にいるのか、どれだけの恩恵を授かっているのか。

 五家の繁栄を一番に考えなければいけない。

 当主としての責任を果たすことが生まれてきた意味だと信じ、その教えを忠実に守ってきた。幼い頃からずっと。  


 歴史と伝統――その言葉が千代子にとっての人生になっていた。

 たとえ子が犠牲になろうとも、一番に優先させないといけないのは五家だ。

 自分の子が力を引き継いだ時も、そう言い聞かせてきた。

 千代子の息子は七歳で力を持ち、他人の醜悪な記憶を見続け、いつからか心を壊していった。

 フラッシュバックに苦しんでいる姿を見ながら、「五家の繁栄のため、これは仕方のないこと」と目を瞑った。

 だが分かっていた。

 子供を犠牲にした繁栄など、許されることではないと。

 でも正当化した。

 親に与えられた自分の生きる意味を守るために。

 信念が汚れていたとしても、それを否定することはできない。

 何十年という積み重ねが、千代子の思考を支配していたから。


 次の家系に力を引き継いだ後、息子は自暴自棄になり酒に溺れた。

 本来なら愛情を注がなければいけなかったのに、「五家の恥」と言葉を吐き捨て、烙印を押した。

 子より五家の看板を守ろうとした。

 自分の使命だから。与えられた生き方だったから。

 力を引き渡した一年後に、息子は家を飛び出した。

 そして今も音信不通だ。


 母親と当主。この二つを天秤に乗せながら、千代子は今日まで生きてきた。

 そして五家を取った。

 自分の行いが間違っていなかったという証明がほしい。

 だから貫き通した。

 たとえそれが過ちだったとしても。


「息子は元気だよ」


 急に弘子が口にした。

 その言葉で思考が絡まり、何もない場所を彷徨っているようだった。


「今は北海道で暮らしてる。家庭を持ってな」


「なぜ知ってる?」


 困惑を声に乗せ、千代子は問いかけた。


「酔っ払ったまま私の家の前で寝てたんだよ。中に入れて事情を聞いたら、『死にたい』って言いだしてな、それで私の弟の旅館で働かせた。力のことを知ってるし、弟も悲葬には反対してた。だからちょうどいいと思ってな」


「なんで言わなかった?」


「あんたの息子に言わないでと言われたから。でももう終わったし、いいだろう。会いたければ会いにいけばいい。五家の当主ではなく母親として」


 安堵した。もしかしたら亡くなっているかもと想像していたから。

 罪悪感を押し殺し、五家の当主を全うしてきた千代子。

 その荷が降りた今、母としての感情が溢れ出た。


「会う資格など、私にはない」


 千代子は空に向かって言葉を吐き出した。白い息が刹那に消えていく。


「まあ、それは好きにしたらいい。そういや、羽村さんとこの娘と、古賀の孫の縁談はなくなったそうだな」


「私がやめさせた。もう繋ぐ理由はないからな。古賀は文句を垂れとったが」


「私は岩崎のことは嫌いだった。私利私欲の塊だったからな。でも千代さんのことは嫌いじゃなかったよ。過ちはあったかもしれんが、五家の残してきたものを守り通そうとした。違うかい?」


「そんな大層なことじゃない。自分の生き方を否定できなかっただけだ。五家に生まれ、歴史と伝統を重んじてきた。そう育てられたし、それが生きる意味だと思っていた。だからただの保身だ。これまでの行いを正当化するための。老いた女の惨めな矜持だよ」


 だがな、と千代子は続ける。


「岩崎と同列に並べるな。それは許せない」


 その言葉に、二人は笑みを浮かべた。

 まるで長年の友のような。


「いつか終わる日が来ると思っていた。だが先祖が繋いだものを私の代で終わらせたくなかった。どんな形であろうと、長く続いたしきたりを守るのが私の使命。それだけを考え生きてきた。でも力を失ってから少し楽になった。歴史や伝統などと(てい)のいい言葉を並べてた頃より、空を見て綺麗と思えるようになった。心の底では陽葵のような人間をずっと待っていたのかもしれない」


 千代子の目に映る夕陽は、空を鮮やかな茜に染めていた。

 冷たい風が頬を撫で、移り変わる季節を肌で感じる。

 身に染みる冬に、時の流れを知ったようだった。


「それは歳をとっただけだよ」


「お互いにな」


 綻んだ口元に皺ができる。

 いつ以来だろうと、千代子は思う。

 笑うという何でもないことに、自分の存在が認められたような気がした。


「陽葵の友が来た時、悠人を連れて出て行ったろ?」


「それがなんだ?」


「私たちに聞かせるために、あの場で話させるようにした。お前が出て行けば、そういう流れになる。違うか?」


「ただの年寄りの気遣いさ。勘ぐりすぎだよ」


 実際、千代子は心を打たれていた。

 悲葬という力を否定できるほどに。


「これからは五家の当主ではなく、近所のおばあちゃんとして会うか」


 弘子にそう言われ、胸にあった重いものが下りた気がした。

 長年纏わり付いた掟という呪い。

 一人の少女が枷を外し、歴史と伝統を溶かしていった。

 雑草のように摘み取ってきた若き芽たち。

 それは本来、咲かせるべき五家の花。

 いつからか視界を澱ませ、見えないものを増やしていった。

 目の前に咲く、美しい小さな花にも気付けないほどに。


「そうだな」


 そのあと二人は、無言のまま庭園を眺めていた。

 葉を落とす木々は、春を迎えて蕾を宿し、満開の花を咲かせて季節を彩る。

 枯れないようにと生きていた千代子。

 もし生まれ変わったら花のようになりたいと願った。

 時代が変わろうとも何度でも美しく咲き誇る。

 そんな花に。

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