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追憶の残花  作者: 最下真人
【三章】 秋枯れ
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二十一話 さよなら、またね

 8


 継承の間に陽葵と悠人、五家の当主が揃った。

 部屋には重い空気が居座っている。


「では、改めて継承の儀を執り行う」


 千代子の声に、陽葵の心臓が大きく反応する。


「始めるにあたり現継承者に問う。力を次の者に渡し、再び十年の時を刻むか。それとも継承を破棄し、力を神に返上するか。その意思をここで宣言せよ」


 陽葵は一度目を閉じた後、息を吐いてから目を開いた。


「幾多の者を悲しみの底に落としたこの力を歴史と共に終わらせる。その代償として我が記憶を神に引き渡す。力なくとも五家が繁栄することを願って」


 陽葵が盃を両手で持つと、千代子は膝下の銚子を手にし、清酒を注いだ。

 盃を一度三方に戻し、置いてある針に手を伸ばす。

 自身の血を清酒に混ぜて飲み干すことで、悲葬の力は神のもとへと戻っていく。

 陽葵の指先は震えていた。

 記憶を無くすことの恐怖もあるが、『自分という存在が忘れ去られるのでは』という不安が強かった。

 人は記憶で作られる。失えば今の自分はこの世界から消えてしまうということだ。

 それは死と同義であった。

 揺蕩う感情を抑えながら、左手の薬指に針の先端を当てた時、右側の襖が開いた。

 一同が視線を寄せると、そこには愛と隆二たちの姿があった。


「なんで……」


 陽葵は目を見開いて驚いた。そして心が大きく揺れる。


「お兄ちゃんだ」


 悠人の声が響いた後、岩崎が怒鳴り声を上げた。


「神聖な場だぞ。部外者は入るな」


「お姉ちゃんの友達が会いに来たの。これを逃したら“今のお姉ちゃん”には会えなくなる。だから最後に話をさせて」


 愛が懇願するように頭を下げた。


「お前たちに入る資格はない。出て行け」


 岩崎は愛の言葉を投げ捨てる。

 思い通りにいかなかったことで腹を立てているのかもしれない。


「最後くらい、いいだろう。歴史も伝統もなくなるんだ。入れてやれ」と弘子が宥める。


「ダメだ。儀には五家以外入れてはならぬ。最後だろうがそれは許されん」


 隆二たちの顔に困惑が浮かんでいた。

 陽葵自身もどうしていいか分からず、顔を伏せる。


「最後くらい挨拶させてやれ」


「でもな千代さ……」


 千代子が強い視線で岩崎を刺すと、「分かった」と肩を竦めた。


「ありがとう千代子さん。みんな入って」


「悠人、こっちに来なさい」


 愛たちが陽葵の前に並ぶと、弘子が部屋の外に連れ出した。

 部屋の襖が閉じられ、愛が口を開く。


「お姉ちゃん、自分の口からお別れを言って。じゃないと、残された人たちは後悔を背負うことになる」


 陽葵は視線を合わせられなかった。

 何を紡いでいいのか、どう別れを告げるべきなのか、答えのない道に迷い込んだみたいだった。


「本当に記憶が無くなっちゃうの?」


 桃花の声が真っ白になった頭の中に響いた。


「もう会えなくなるの?」


「記憶が無くなるだけ。また会える」


「でも私たちのこと忘れちゃうんでしょ? そんなの嫌だよ。なんとかならないの?」


 陽葵は静かに立ち上がり、隆二たちに顔を向ける。


「みんなのおかげで素晴らしい景色を見ることができた。こんなにも鮮やかで、心地よい場所がこの世界にあるなんて知らなかった。人が嫌いで、曲がった見方しかできなくて、そのうえ無愛想だから、一生友達なんてできないと思ってたの。こんな私のそばにいてくれてありがとう。友達になれて良かった」


 桃花の目に涙が浮かぶのが見えた。

 悲しみを可視化させた透明な想いが、陽葵の心をなぞってくる。


「泣かないで」


「無理だよ」


「最後だから笑って見送って。桃花の泣き顔で終わりたくない」


「じゃあ一生泣いてる。そしたら終わらないもん」


 桃花の目から流れる涙を、陽葵は指で拭った。


「最初は歪み合いから始まったけど、桃花のおかげでみんなと友達になるきっかけを作れた。それに今は、心の底から桃花のことが好き。だから泣かずに見送って。悲しい顔を見るのは辛いから」


 陽葵がそう言った後、桃花が抱きついてきた。寂しさが伝わるほど強く。


「陽葵に忘れられるなんて嫌だよ、ずっと友達でいたい。わがままも言わないしもっと大人になる。すぐに泣くところも不貞腐れたりするのもやめる。だから……離れないで」


 桃花は声を詰まらせながら必死に想いを伝えてきた。

 隆二たちや五家の当主は、静かに二人を見守っている。

 陽葵はゆっくりと体を離し、真っ直ぐな目で桃花を見た。


「私で終わらせないといけない。悲しみの連鎖を子供たちに繋げないためにも。だから選んだことを受け止めてほしい。悲しい別れではなく、この次の人生に希望を持てるような、さよならをしたい」


 桃花は目を伏せた。現実から背くように。

 それでも、しっかりと別れを告げないといけない。

 もう今の自分とは会えなくなる。だから後悔だけは残せない。

 この先の道で桃花が躓かないように。


「私が変われたのは、みんなが不安を拭ってくれたから。だから感謝してる。一度でも生きていて良かったと思えることがあれば、それが生きた証になる。記憶を失った後も、そう思えるようにしてあげてほしい。桃花になら安心して頼める。だからお願いね」


「もう変えられないの?」


「きっと私しかいない。変えられるのは」


 陽葵の表情や声には覚悟が込められていた。それを察したのか、桃花は肩を落とす。


「ごめん、私の悲しみを背負わせて。そのせいで陽葵の傷を増やしてしまった。せめて恩返しくらいできたら……」


 桃花は制服の袖で涙を拭う。潤んだ瞳が心を表すかのように揺らいでいた。


「友達になってくれたのが恩返しだよ。だから負い目なんて感じないで。桃花は笑ってる方が可愛い」


 桃花は小さく頷いた後、「分かった」と零した。


「ありがとう」


 陽葵は笑顔を携えて言った。

 そして視線を移し、智子を見る。


「待って、今なにか言われたら泣くから」


 智子は目を瞑って深呼吸した。息を大きく吐いた後、ゆっくりと目を開いて視線を返してきた。


「智子と居るとすごく落ち着けた。きっとみんなのバランスになってるんだと思う。どんなことがあっても支えてくれるような、そんな安心感があった。四人と仲良くなる前は他人のことを懐疑的な目で見てたけど、智子はなぜか疑うことなく信用できた。それは優しさが滲み出てるからだと思う。絶対に受け止めてくれるっていう。でも無理しないでね、背負いすぎるのは良くないから。みんなのこと宜しく」


 智子は涙を流しながら、「うん」と声を震わせた。

 視線を移すと拓海と目が合った。どこか緊張しているように見える。


「拓海」


「お、おう」


「特にない」


「おい」


 陽葵は一笑する。


「うそ。拓海がいたからたくさん笑うことができたし、こんな風に冗談も言えるようになった。今までの私からは想像もつかないこと。それはみんなもそうだと思う。拓海のおかげで楽しいと感じることが増えたし、笑顔の起点になってた。記憶を失った後、私は泣いているかもしれない。何も知らない世界で不安に駆られるだろうから。その時はたくさん笑わせてあげて。笑顔は思い出を彩るから。楽しい時間をたくさん作ってくれて、ありがとう」


「おう」


 拓海は俯きながら、手のひらで目を覆っていた。零した涙が頬を伝っている。

 陽葵の目に隆二が映ると、色んな想いや交わした言葉の数々が頭の中で流れた。まるで走馬灯のように。


「あの思い出がなければ心が崩れていたと思う。あと一歩ってところでいつも繋ぎ止めてくれた。だから隆二に会えた時は本当に嬉しかったの。また思い出に触れられると思って」


 眠らせていた想いが咲くようだった。

 初めて会ったあの日から、いくつもの季節を超えて出会うことができた。

 それは人生という物語の中で特別な瞬間だった。


「住んでる場所も知らなければ、名前すら知らない。幼い頃の記憶なのに、あの時の感情は今でも心に残ってる。自分にとって最高の宝物だった。これから私は記憶を失ってしまう。家族のことも、みんなのことも思い出せなくなる。その前にもう一度だけ、あの思い出に触れさせて」


 陽葵は隆二の左手を両手で握った。


「思い出の人が隆二で良かった」


 隆二は何も言わず俯いていた。沈黙の中を彷徨うにように。


「また会える。だから見送って」


 静寂に沈む部屋で、隆二の言葉を待った。

 最後に声を聞ききたい。記憶が枯れて思い出せなくなる前に、言葉という花で灯してほしい。


「俺も……」


 隆二の固く結ばれていた口元が緩んだ。陽葵は聞き逃さないように耳を傾ける。


「陽葵が思い出の人で良かった。あの日出会わなかったら、自分の進む道を今も探していたかもしれない。そして自分の生き方も。多くの記憶は忘れられていくけど、あの瞬間の出来事は、今も色褪せないまま思い出の中で咲き続けてる。それは陽葵だったからだと思う」


 陽葵も同じ気持ちだった。

 隆二だったから色褪せなかった。

 あの頃と変わらず、美しい景色が今も心に咲いている。

 最後に共通の想いを持てたこと。それだけで救われる気持ちだった。


「一緒に笑ったり、子供のように眠る顔だったり、なんでもない日常や帰り道、その一つ一つが思い出に残ってる。長い人生でみれば、たった数ヶ月のことかもしれないけど、今では特別になった。それは記憶を失うからじゃなく、陽葵とだったから。本音を言えば止めたい。でも陽葵の選択も理解できる。二人の笑顔を俺も見てるから」


 二人とは悠人と茜のことだろう。

 花火大会で交わしていた約束。

 手を繋いで歩いていた幼い男女。

 もしあの日の出来事がなかったら、同じ選択をしていたかは分からない。

 それだけ未来というものには価値があった。

 そして、あの日の思い出と重なり合うような二人の姿が陽葵の心を動かした。

 

「もう変わらない?」

  

「うん」


 隆二の問いに陽葵は迷いなく頷いた。

 一瞬でも間を置けば、隙間から本心が零れてしまいそうだったから。


「そっか……」

 

 隆二は表情に寂しさを纏わせる。

 その顔だけでも嬉しかった。言葉では表していないが、隆二の本音が見えたような気がして。


「私が記憶を失ったら、安心させてあげてほしい。自分だけ何も知らないでいるから、負い目を感じるかもしれない」


「うん。陽葵の居場所をちゃんと作る。好きな人には笑って過ごしてほしいから」


ーー好きな人

 

 隆二はどういう意味で言ったかは分からないが、言葉に浸りたかった。

 たとえ友達だとしても、その二文字には特別な力がある。


「花はどこで咲くのかが大事なんだと思う。私は思い出という道の先で、その場所を見つけられた。汚れた記憶ばっかりだったけど、泥の中で桜は美しく咲き続けてくれた。きっと永遠に枯れることなく、この先も照らしてくれる。また空白ができるけど、たった一つの光が隆二のもとへ導いてくれるはずだから、そのときはよろしくね。もし悲しみの中で泣いていたら、今度は私が手を握ってあげる」


 好きな人には笑って過ごしてほしいから。


「分かった……」


 隆二は唇を噛み締めていた。

 悲しみを零さないように、別れに雨を降らせないようにと。


「さよならは言わない。また会えるから。それと……記憶を失っても想いは変わらないから」


「私も」


 同じ人を二度も好きになれた。

 すべて消えてしまっても、きっとまたあなたを好きになる。


 陽葵は微笑みを浮かべた後、手を離して一歩下がった。


「この力を持ってから人を信用できなくなった。深いところで背を向けられたら、二度と戻ってこられなくなりそうで怖かったから。でも大切な人たちができて、こんなにも優しさが温かいことを知れた。私はみんなのことを忘れてしまう。わがままかもしれないけど、私との思い出は忘れないで。それと……また友達になってね」


「絶対になる」


 桃花が声を潤ませて言った。他の三人も大きく頷く。


「ありがとう……」


 陽葵の胸に寂しさが込み上げてくると、涙腺まで伝わり視界を濡らした。

 急いで顔を下に向け、唇を噛んでグッと堪える。

 二、三度ほど静かに息を吐いてから、再び顔を上げ、四人を瞳に映す。


「短い間だったけど楽しかった。また一緒に遊ぼう……さよなら、またね」


 そう言った後、陽葵は四人に背を向けた。

 目から零れるものを見せないように。


「では再び継承の儀を執り行う。関係のない者は外れてくれ」


 千代子がそう言うと、愛が四人に声をかける。


「みんな行こう」


 愛に連れられて、隆二たちが部屋から去っていく。

 陽葵は振り向かなかった。

 降り止まない涙が畳を濡らし、感情の足跡を付ける。

 人の悲しみではなく、最後は自分自身の悲しみで泣くことができた。

 純粋な想いに染められた透明なピリオドは、幕を下ろすに相応しい悲しみだろう。

 自分のための涙は、どの涙よりも澄んでいた。

 

 弘子と悠人が部屋に戻ってくると、継承の儀が再会された。

 すでに涙は枯れており、陽葵は再び覚悟を灯す。


「再度、継承者に問う。記憶を失い、その力を放棄するか」


「これで終わりにする」


 陽葵は力強く言葉を吐き、三方の上に置かれた針を手にする。

 左手の薬指に針を刺し、滲んできた血を盃の清酒に一滴落とす。

 雫は清酒に波紋を起こし、ゆっくりと赤く染まっていく。

 盃を両手で持ち、継承破棄を唱える。


「授かりし力を返上し、結ばれた枷を外す。この宣言により悲哀の連鎖を断ち切り、後世に美しき花を咲かせよう。神よ、力を解きたまえ」


 陽葵は盃を口元まで運ぶと、一気に清酒を飲み干した。

 すると急な眩暈に襲われ、視界に靄が張った。


「陽葵」


 陽葵の体が傾くと、麻美が声を上げた。そして鈍い音を携えて床に倒れる。

 目の前に人が集まってきたのが分かるが、視界がぼやけ、音が遠ざかっていく。

 次第に意識が遠のいていくと、陽葵はそのまま眠りについた。

 たった一つの思い出を残して。

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