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追憶の残花  作者: 最下真人
【三章】 秋枯れ
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二十話 冬隣《ふゆどなり》

 4


 麻美は秀人と肩を並べ、客間の縁側に座っていた。

 太陽が沈み、散乱された青が茜に染まる。どこか切なさを漂わす雰囲気に、麻美は空虚感を感じていた。

 陽葵が部屋を出て行った数分後、愛も部屋を出た。

 夫婦だけとなったこの部屋には哀愁が立ち込める。


「なんで止めなかったの?」


 秀人が空に言葉を吐き出した。


「もちろん止めた。許可できることではないから」


「じゃあなんで?」


 昨夜、陽葵に公園に呼び出され、継承を破棄することを告げられた。

 重苦しい空気から何かあると察したが、予想だにしない言葉が鼓膜に舞った。

 最初は自分の耳を疑ったが、陽葵の真剣な顔つきを見て、すぐに整理し言葉を発した。


「そんなこと許せるわけないでしょ」


 開口一番に出た言葉だった。これは五家の当主としてというより、母として出た言葉だ。


「でも終わらせなければいけない。この力を持ってから人を信用できなくなった。心を壊された人間だっている。いずれ私の子供も同じ運命を辿るかもしれない。親である私が子供の未来を奪うことはしたくないの」


 麻美の胸に、陽葵の声が重くのしかかる。


「この十年の苦しみは力を持った者にしか分からない。長く続く負の歴史で子供たちの芽は摘み取らせない。だから私が終わらせる。大きな犠牲を払ってでも」


「悲しみだけではないでしょ? 大切な思い出も無くなるのよ」


「失ってもまた作ればいい。今の私には大切なものをくれる人たちがいる。だから怖くない。信用してるから」


 麻美は言葉を探したが、まるで蜃気楼を彷徨っているかのように、何一つ掴むことができなかった。

 自分が言える立場ではない。ずっと子供らに押し付け、恩恵だけを受けてきた。

 麻美はそんな想いをずっと抱いていたが、見ないように背を向けてきたのだ。それを陽葵に気づかされた。

 だからこそ、言葉が紡げない。

 同じことを繰り返し、まだ幼い悠人に他人の悲しみを背負わせようとしている。


 止めなければいけない。

 誰かが。

 でも誰が。

 私に関係ない誰かが。

 いつかきっと現れるはず。

 その人が負の連鎖を止めればいい。

 私の関係ない場所で。


 それが自分の娘になるなんて、麻美は想像していなかった。

 いや、したくなかった。


「なんで陽葵なの……」


 自然と涙が零れる。

 なんて都合がいいのだろうと、麻美は思った。

 子供たちはずっと悲しみの中で涙を流し、もがき続けてきた。

 前任者が人を信用できなくなり、外に出られなくなっていることも知っている。

 それなのに……


「記憶を無くしたら、私は家族を他人のように思ってしまうかもしれない。でもお母さんで居続けて。そしたら、また家族になれるから」


 麻美は口元に手を当て声を押し殺した。だが、降り止まない雨は指の隙間から悲しみを漏らした。


「今度会う時はなんのしがらみもなく、普通の母と娘でいたい。これが私からの最後のお願い」


 麻美が昨夜のことを語り終えると、秀人は俯いた。


「親ならば止めなければいけない。でも、親として止めることができなかった。陽葵が継承者に決まった時、いつか心が壊れると覚悟した。悲葬とはそういう力だから。本来ならば反対して子を守るのが親としての務め。だけど歴史と伝統という重い縛りと、恩恵を受けてきたという事実で、自分の娘に枷を付けてしまった。それがまた繰り返される、別の幼い子に」


 秀人は何も言えない様子だった。

 きっと胸の中には、言いたいことがいくつもあるだろう。

 だがその言葉は、他の家系の子らに苦行を強いることになる。

 自分の娘を救いたいという想いは麻美も一緒だ。

 だからこそ止めることができない。一人の親として。


「すべてのものは変わっていく。花も空も時代も。一番変わらなければいけないのは私たちだった」


 空を見上げると、ゆっくりと風に流されていく雲が目に映った。


「記憶を失ったら、もうお父さんて呼ばれなくなるのかな」


 秀人は不安を零す。表情にもそれは浮かんでいた。


「それでもお父さんで居続けて。そしたら、また家族になれるから」


 そうだね、と秀人は呟いた。


 5


 陽葵は継承の間で庭園を眺めていた。

 赤い絨毯の敷かれた縁側に座り、風に揺れる紅葉を見ながら一人佇んでいた。


「いいの? 隆二くんたちに言わなくて」


 振り返ると愛だった。そのまま隣に座る。


「言ったら止められる。それに迷ってしまうから」


 隆二たちとの思い出が頭をよぎる。

 たった数ヶ月だが、心から楽しいと思える瞬間をいくつも共有した。

 走馬灯のように流れる記憶には笑顔が溢れている。


「説明しないといけないんだけど」


「お願いね」


 記憶を無くせば、隆二たちはどう思うのだろう。

 また友達になってくれるんだろうか、と少しだけ不安が湧く。


「怒るんじゃない? 何も言わずに記憶から消されたら」


 陽葵は膝下に置いていたスマホを取り、愛に渡す。


「私の記憶が消えた後、みんなに伝えてほしいの。友達になってくれてありがとうって。あと隆二には、あの日の思い出があったから心を壊さずにいられた。あなたのおかげで救われたって」


「自分で言ったほうがいいよ」


「いいの。もう終わらせると決めたから」


 陽葵は立ち上がり、「スマホのロックは私の誕生日」と言い残して部屋を去った。

 これ以上、愛といると迷いが生まれそうだった。

 こんなときにだけ、好きな思い出が脳裏に纏わり付いてくる。

 陽葵は揺れる感情を鎮めるように、大きく息を吸って記憶を頭の片隅に沈めた。


「これで良かったのかい?」


 廊下を歩いていると、弘子と古賀に出会した。

 弘子の問いかけに一瞬だけ躊躇ったが、頭の中を白紙に戻し、言葉を返す。


「誰かが終わらせなければいけない。その誰かが私だっただけ」


「洋子はずっと罪悪感を抱いていた。継承をしなければお前に背負わせなくて済んだと」


 古賀の目にも罪悪感を感じた。

 それは孫の継承を止められなかったことなのか、それとも陽葵にすべて背負わせてしまったことなのか、そのどちらかは分からない。

 でも後悔していることは表情から読み取れた。


「なら伝えて。継承したことで私は大切のものを知ることができた。だからこれで良かったと思ってる。それと、外の世界には優しい人たちもいる。全員が悪人ではない。極端な線引きで人を分けないで。自分の景色を歪めてしまうから」


 わかった、と古賀は頷いた。


「悠人くん、茜ちゃんと結婚するって言ってた。子供の約束かもしれないけど、その想いは大切にしてほしい。あと、絶対に女の子は泣かせちゃダメって伝えて」


「ああ」と、弘子が言った後、陽葵は二人の間を通り抜けていった。


 6


 夕日が瞼を閉じ、夜の始まりを告げる。

 隆二たちはファミレスで陽葵の連絡を待っていた。


「遅いね」


 テーブルでうつ伏せになっている桃花が、口を尖らせながら零した。


「何かあったのかな?」


 智子が心配そうに言うと、拓海はメニュー表から顔を上げて「何かって?」と聞く。


「それは分からないけど」


 隆二はテーブルの上に置いたスマホを見た。

 智子の言うとおり何かあったのかもしれない。

 力を継承する際に何もリスクはないと陽葵は言っていたが、本当にそうなのだろうか?

 そんな疑念が頭をよぎると、スマホのバイブがテーブルを揺らした。


「陽葵からだ」


 不安が安堵に変わり、一呼吸置いた後に電話に出る。


「もしもし」


――愛だけど


「どうしたの? 陽葵は?」


 と聞くが、愛は何も返してこない。


「何かあったの?」


 隆二の言葉に、桃花たちの顔色が変わる。


――あのね、お姉ちゃんが……


 *


「旭町のガストです。お願いします」


 隆二は電話を切った後、桃花たちの方に視線を向けた。


「五分くらいでタクシー来るって」


「ねえ、本当に陽葵は記憶を無くすの?」


 桃花の声には困惑を滲んでいる。

 愛の電話を切った後、四人はファミレスを出た。

 駅まで走ろうと思ったが、タクシーを呼んだ方が早いと思い、隆二が電話をかけた。

 今はファミレスの駐車場で待機している。


「愛ちゃんはそう言ってた。継承を断る代償として記憶を無くすらしい」


「なんで陽葵は断ったんだよ」


 拓海に言葉を投げかけられると、悠人の顔が浮かんだ。


「たぶん……自分と同じ道を辿らせないため」


「次に継承する人に、悲しみを背負わせないようにってこと?」


 智子の問いかけに隆二は頷いた。


「もし記憶が消えたら、私たちのことも忘れちゃうの?」


 桃花の不安げな声が駐車場に響く。


「五人の思い出も、家族のことも、全部消えるって言ってた」


 桃花は両手で顔を覆い、その場に座り込んだ。


「嫌だよ、そんなの」


 四人の間に沈黙が落ちる。

 誰も目を合わそうとしなかった。そして言葉すらも失った。

 ただ虚しく、隆二はその場に立ち尽くした。


 数分後、タクシーが来て四人は乗車した。

 助手席に座ると、愛から送られてきた住所を運転手に伝え、千代子の家に向かった。

 車内でも同様、四人は言葉を枯らしていた。


 7


 愛は門扉の前を忙しなく歩き回り、スマホを何度も確認した。

 隆二がタクシーに乗ったとの連絡から十五分が経過する。

 陽葵と麻美は千代子に呼ばれ、継承の間に向かった。

 少しだけ待ってほしいと頼んだが、千代子に振り払われる。

 隆二たちの名前を言おうと思ったが、陽葵が断れば会うことすら叶わなくなる。だから名前は伏せた。

 だけど最後に会うべきだと、愛は思った。さよならは直接言うべきだから。


 想いを抱えながら、陽が沈む空を見上げる。

 映えた青や照りつける太陽、それらが夜を前にして消えてゆく。

 すべてを呑み込むように、何もなかったかのように、夜は景色の色彩を奪う。

 どんなに美しいものでも光がなければ見えはしない。

 目の前にあったとしても知ることができない。

 何もかも失った世界に、夜が落ちた世界に、希望はあるんだろうか。

 愛はこの先のことを案じながら、薄らと浮かぶ星を眺めた。

 すると左の道からタクシーが来た。

 目の前で止まり、後部座席から桃花たちが降りてくる。


「陽葵は?」


 助手席から降りた隆二が言った。


「中にいる。急いで」


 門扉をくぐり、玄関に向かおうとすると、


「記憶が無くなるって本当なの?」と桃花が尋ねてきた。


 愛は振り返り、四人の方に視線を向ける。


「本当だよ。家族も、みんなのことも……お姉ちゃんは思い出せなくなる」

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