十八話 そしてまた、あなたに……
1
夏が微睡み、秋が目を覚ます。
桜の葉は化粧を施し、季節を紅に染める。
近年は夏が長く居座るため、秋は泡沫のように過ぎ去ってゆく。
時の流れを彷彿とさせるような移り変わりに、陽葵はどこか寂しさを覚えた。
同時に、人も変わらなければという想いも。
校門をくぐり、生徒たちの喧騒を縫って教室に着くと、陽葵の席に隆二たちの姿が見えた。
「明日だね」
前の席に座る桃花が、顔を綻ばせながら言った。
「うん」と頷き、陽葵は席に着く。
明日は継承式だ。悲葬の力を継いでから約十年経つ。
この数ヶ月は陽葵の中で一番濃い時間を過ごした。
友達ができ、思い出を共有し、価値観を変え、大切なものを増やした。
まるで花のように変化した自分に、陽葵は改めて戸惑いを覚える。
「これで解放されるんだな」
拓海は机に両肘を置いて、腕の上に顎を乗せている。
「来年は受験だし、今のうちにたくさん思い出を作らないとね」
智子は陽葵の肩に手を乗せた。
隆二を見ると、少しだけ口角を上げて微笑んでいた。
その顔に心が揺れる。
「冬休みにみんなでクリパしようよ」
桃花の弾む声に「いいね」と拓海が相槌を打つ。
「じゃあ私の家でやる?」
智子の案に「いいね」と拓海が相槌を打つ。
「みんなで割り勘してケーキとチキン買おうよ。あと、プレゼント交換も」
「いいね」
「さっきから、いいねしか言ってないじゃん。いいねおじさんかよ」
「おじさんはやめろ」
「じゃあジジイ」
「それはもっとやめろ」
桃花と拓海のやりとりに智子が笑う。
いつもの日常に陽葵は視線を落とした。覚悟が鈍りそうだったから。
「陽葵も来るよな?」
顔を上げると、拓海がこちらを見ていた。
陽葵はさりげなく目を逸らし、言葉を探す。
「……楽しみだね。クリスマスパーティー」
「じゃあ決まりな」
「ねえ、みんなでコスプレしない?」
桃花が声を咲かせて言う。
「やだよ」
「私もヤダ」
「えー、やろうよ」
拓海と智子が拒否すると、桃花は声を萎ませた。
チャイムが鳴り、生徒たちが自分の席へと戻っていく。
本来なら嫌がるであろうその音に陽葵は安堵した。
拓海たちも席に戻っていったが、隆二はその場に留まっている。
「悠人くんたちも呼ぼうか?」
隆二の言葉に胸がざわついた。
気付かれないように静かに息を吐き、揺れる心を宥める。
「呼んであげて」
陽葵は数秒の空白を作った後、引き攣る頬を隠すように笑顔を作った。
*
「長かったね十年」
家族で食卓を囲んでいると、父の秀人が口にした。
「見てないフラッシュバックもないんだよね?」
愛の言葉に陽葵は頷く。
「もう誰かのために悲しまなくていいんだね。これからは普通の高校生として過ごして」
「……うん」
陽葵は横目で麻美を見た。普段と変わらぬ様子で食事をとっている。
「そうだ、継承式が終わったら、久しぶりに家族旅行しようか」
「行く! 私、京都がいい」
秀人の提案に、愛は体を前のめりにして言う。
「陽葵は?」
「私も愛と一緒」
「じゃあ決まり」
愛のはしゃぐ顔に思わず頬を緩めたが、途端、表情に寂しさを纏わせる。
「お父さん、今日は私がお皿洗うよ」
「じゃあ、お願いしようかな」
愛と秀人は食器を持って、台所に向かう。
麻美と二人になったところで、陽葵は箸を茶碗に置いた。
「明日のことで話があるから、この後いい?」
麻美は視線だけ向けると、「うん」と言って味噌汁を啜った。
夕食後、陽葵と麻美は家の近くの小さな公園に来た。
街灯の明かりを頼りに、二人はベンチに腰掛ける。
陽葵は空を見上げた。
月の綺麗な夜だった。
静寂な宵に撒かれた無数の星々。
澄んだ空気と鈴虫の音色が季節を飾る。
「なんで外なの?」
麻美の声が耳に入ると、心臓が胸を叩いた。
陽葵は大きく息を吸った後、肺に溜まった空気を押し出すように吐く。
「明日ね……」
♦︎
「……そういうことだから」
陽葵が自分の気持ちをすべて伝えた後、麻美は泣き崩れた。
手で口元を覆い、声を押し殺しながら悲しみを零している。
陽葵の霞む瞳には“母”の姿が映っていた。
長く続いた歴史と伝統に縛られ、感情に蓋をしていたのかもしれない。
その想いを最後に知れたこと、親と子で別れを告げれられたこと、生まれ変わったときに希望を残せたこと。
陽葵は自分が選んだ道が間違いではないと、揺らぐ心に言い聞かせた。
「二人には言わないでね。もう決めたことだから」
麻美は沈黙を涙で濡らし、何も言わずに地面を見つめていた。
2
グラスの中に積み重なる氷が、カランと音をたてて崩れる。
隆二は底についた水滴を拭い、アイスコーヒーを飲み干した。
空になったグラスは何も入っていなかったように透明に戻る。まるでどんな色でも染まれるように。
「もうすぐ終わるかな、陽葵」
桃花はグラスに入ったオレンジジュースをストローで掻き回しながら言葉を零した。
「いや、まだだろ。別れてから一時間も経ってないんだから」
拓海はジンジャエールを飲んだ後、桃花に向かって言う。
「終わったら連絡くれるんでしょ?」
智子の前にあるメロンソーダを見ながら、隆二は「うん」と頷く。
「終わったら焼肉でも行くか。陽葵の出所祝いに」
「焼肉行きたい」
「いや、捕まってないから」
三人のやりとりを聞きながら隆二はLINEを開き、親指に想いを込めながら一文字一文字入力する。
「女か?」
LINEを送った後、拓海が目を細めて聞いてきた。
「陽葵」
「なんて送ったの?」
隆二は桃花に視線を送る。
「これからは一人で背負わなくていいよって」
「そうだね。もう、一人で悲しいもの見なくていいんだもんね」
そう言って、桃花はオレンジジュースに視線を傾けた。
「今思うとね、失恋も大事なことだったのかなって感じる。思い出としては最悪だけど、そういう経験があるから人を理解できるようになる。もちろん消えない傷は作らない方がいいけど、悲しい記憶も、楽しい思い出も、全部含めて私だったのかなって。振り返っても悲しさを思い出せないけど、乗り越えられる痛みは必要な気がする。いつかそれが、自分の言葉に色を付けるから」
桃花はずっと罪悪感を感じていたのかもしれない。
自分なりに過去を振り返って、今までとは違う視点で考えてみたのだろう。
悲しみを俯瞰した結果、自分という存在を多面的に見たのかもと隆二は思った。
悲しみが降れば視界が霞む。それを消すことで広い視野で物事を見れる。
感情が消えても経験したことが消えないのは、消し去ることがゴールではなく、その先の道を的確に選べるようにすることが大事。ということかもしれない。
「経験することよりも、それに対してどう考えられるかが大事なんだと思う。感情を伴うのは忘れないようにするためであって、悲しむためにあるものではない。たぶん学ぶためだと思う、繰り返さないように。些細な出来事も、いつも通りの日常も、何気なく過ごす日々の中にも、幸せと思えることがたくさんあると思うんだ。それは自分で作れる。どんなことだって意味を付けれるから。でもそのためには色んな角度から物事を見る必要がある。悲しい記憶や、楽しい思い出は、考えるための指標なんじゃないかな。だから言葉に色を付けれる」
隆二の言葉の後、拓海が微笑を浮かべる。
「何?」
「いや、なんか隆二ぽいなって」
「私は好きだよ、そういう考え」
智子が言うと、「私も」と桃花も続いた。
隆二は熱を帯びた頬を隠すように頭を掻く。
「フフッ」という笑い声が聞こえると、面映さが膨張し、体温が上がった。
「飲み物取ってくる」
隆二はグラスを持って立ち上がると、ドリンクバーへと向かった。
「あいつ照れてるな」
拓海の声が鼓膜に触れると、隆二はグラスの結露を頬に当てた。
3
陽葵は継承式を行うため、千代子の家に来ていた。
巫女装束に着替えて、客間で待機する。
「お父さんは何もしないんだから座って」
「そ、そうだね」
秀人が不安を垂れ流しながら歩き回っており、愛が何度も落ち着かせている。
これから行われるのは継承の儀だ。
力を引き渡せば、新たな十年を迎えることになる。
長く降り続く悲しみは陽葵のもとを離れ、まだ幼い悠人へと移った後、また知らない子供へと繋がれてゆく。
伝統という名の呪いは、誰かが犠牲にならないと終わることがない。
螺旋を描きながら、時代を超えて永遠を描き続ける。
陽葵は大きく息を吐いた。
指先を見ると微かだが震えている。
この先で待つ見えない未来を想像すると、感情が恐怖心に蹂躙されるようだった。
陽葵は足元にあるスマホを手に取る。
車で向かってるときに隆二からLINEが届いた。
これで何度目か分からないが、綴られた文章を見るたび不安を拭うことができた。
そこにはこう書かれている。
もう一人じゃないから。
悲しいことがあっても共有できるし、一緒に背負える。
これからは涙を流す記憶じゃなく、笑って振り返ることのできる思い出を作ろう。
それとありがとう。
覚えていてくれていたこと、大切に仕舞ってくれていたこと。
同じ想いを持てていたことが嬉しかった。
ずっと変わらず、大切な思い出だったから。
縛りつけていた緊張と恐怖が解け、安堵が全身を包む。
――ありがとう、隆二
心の中でそう呟くと、陽葵は立ち上がった。
「お姉ちゃんどこ行くの?」
「お手洗い」
客間の襖を開け、廊下を突き進む。
心臓の音が段々と大きくなっていくが、隆二の顔を思い浮かべると和らいだ。あの優しさに撫でられているようで。
「どうした?」
突き当たりの部屋には弘子と古賀がいた。悠人の祖母と前任者の祖父だ。
陽葵は一度目を瞑る。
――その人が一番綺麗に咲けるように
隆二の言葉が頭に響いた。
すべてを忘れてしまっても、私はまた咲くことができる。
大切な思い出で繋がっているあなたがいるから。
お揃いの枯れない花を持って、会いに来てほしい。
ぎこちない挨拶をしてしまうかもしれないけど、きっとまた同じように笑えるはず。
そしてまた、あなたに……
陽葵は想いを胸に仕舞い、目を開いた。
「二人にお願いがあるの」




