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追憶の残花  作者: 最下真人
【二章】 夏の花
14/24

十三話 あの日の少女は狭間で揺れる

 5


 食事を終えた後、麻美はお皿に乗ったホールケーキを持って居間へと向かっていた。

 ケーキの淵にはイチゴやブルーベリーが並べられ、中央に置かれたホワイトチョコのプレートには『happy birthday 愛』と書かれている。

 プレートの下には1と5のナンバーキャンドルが刺さっており、愛が生まれてから十五年の月日が経ったことを示していた。


「ケーキだ」


 居間の襖を開けると、愛が手を叩きながら相好を崩した。


「お父さんが買ってきてくれたの」


 愛の目の前にケーキを置き、濃紺の割烹着のポケットからチャッカマンを取り出す。


「おめでとう」


 正面に座る秀人は、穏やかな表情で娘の誕生日を祝った。

 キャンドルに火を付けると、「消していい?」と愛が聞いてきたので、麻美は微笑んで頷く。

 まずは1の火を吹き消し、続いて5も消す。

 秀人が拍手をすると、愛は再び嬉しそうな表情を浮かべた。

 五家の慣わしに縛られている麻美にとって、こんな日常風景がささやかな幸せだった。

 生まれてからずっと、最優先にするのは自分の家族よりも五家の縛りだ。

 そのおかげで良い暮らしはできるが、恩恵という呪いは自由を奪う。

 せめて瞬間的な“普通”の日常では、陽葵と愛に幸せを感じてほしいと麻美は思っていた。


「誕生日おめでとう」


 愛の隣に座る陽葵が、足元から紙袋を取って渡した。


「プレゼント?」


 陽葵は微笑みながら頷く。


「ありがとう! 見てもいい?」


「うん」


 愛は紙袋の中からラッピングされたプレゼントを取り出す。

 丁寧に剥がすと、正方形の木箱が露わになる。

 蓋を開けると紙の緩衝材の中にアンティーク調の小物入れが入っていた。


「あー! 私が欲しいって言ってたやつだ」


 愛の双眸が輝きを放つ。


「ネットで頼んだの?」


「直接お店に行ってきた」


「どうやって買いに行ったの?」


「電車」


 陽葵は以前、痴漢のトラウマに苦しんでいた女の子に悲葬の力を使った。

 その子のフラッシュバックは見ていないと聞いている。

 愛と一緒に行っていないとなれば一人で乗ったことになるが、それはあまりにもリスクが高すぎる。


「お姉ちゃん、電車乗れないでしょ? フラッシュバックは?」


「隆二に付いてきてもらった」


 隆二――その言葉で麻美は以前の会話を思い出した。

 愛は陽葵に彼氏ができそうと言っていた。もしかしたら“隆二”という子がそうなのかもしれない。


「この間、言ってた男の子?」


 秀人がすかさず聞いた。


「そう。お姉ちゃんの彼氏」


 愛が間髪入れず言葉を挟む。


「だから違うって」


 陽葵はすぐさま否定で上塗りする。


「陽葵、その人のこと好きなの?」


 麻美は一拍置いてから尋ねた。

 自分の顔が強張っているのを感じながら。


「なんで? 好きだったから諦めさせるの?」


 麻美の投げた問いは、強い反発で返ってくる。


「伝統は守らなければいけない。この家系に生まれた宿命なの。私もそうだったように」


「子供を犠牲にして得るものに、価値なんてあるの?」


 麻美は自分の心が揺れていることに気付いた。

 だが、なぜ揺れているのかが分からない。

 伝統を守り、五家に従って生きてきたことは間違いじゃないはずだ。

 だからこそ良い暮らしができているのだから。

 だけど……

 心の(さざなみ)の中に、疑念らしきものが浮かんでいたのが分かった。

 麻美は無意識にそれを沈める。


「伝統と歴史というものは陽葵が思っているより重いものなの。簡単に道を逸れることはできない」


「できないってのは勝手に思ってるだけでしょ? 新しい道を探そうともしてないじゃん」


「もう、私の誕生日に喧嘩しないで」


 愛は二人の感情の起伏を抑えるように言い、言葉を繋げる。


「私はお母さんもお父さんも好きだよ。だから二人が親で良かったと思ってる。でも、大人の価値観を子供に向けないでほしい。私たちにも決める権利がある」


「大人の価値観を押し付けてるわけではない。これは歴史と伝統なの。守らなければいけ……」


「麻美」


 秀人が遮るように言葉を挿した。


「今日は愛の誕生日だから五家のことは忘れよう。僕は愛と陽葵が笑って過ごせればいいよ」


「……そうね。ごめんなさい」


 麻美は五家の当主と母の狭間で揺れながら、真っ白に装飾されたケーキを見ていた。


 *


 ベッドの横にはナイトテーブルがあり、その上に置かれたシェードランプの灯りが部屋を包んでいた。

 麻美はベッドのヘッドボードにもたれながら、手に持った本を眺めている。

 それは中学生の頃に買った純愛小説だった。

 自由を夢見たあの頃、空のように高い憧れを抱きながら、書店の本棚に並べられたこの本に手を伸ばした。

 寝るのを惜しんで読みふけ、太陽と共に朝を迎える。

 まだ何も知らない幼い少女は、恋という物語に希望を膨らませていた。

 表紙を眺めていると寝室のドアが開き、秀人が入ってきた。

 ベッドに入り、麻美と同様にヘッドボードにもたれる。


「小説?」


「うん」


「どんな本?」


「一途な女の子のお話」


「そういうの読むんだ」


 昔ね、と麻美は答える。


「あの時、好きな人いた?」


 あの時――秀人と会った時のことだろうと麻美は思った。


「ずっと好きな人がいた。大学の先輩で三年も片思いしてたの。でも五家の決まりで結婚する相手は決められてる。だから想いは胸の中に仕舞った」


 秀人の「そっか……」という、虚しさを纏った声が鼓膜に届いた。


「もう二十年前の話。今はなんとも思ってないから」


 麻美は小説をナイトテーブルに置く。


「最初に会った時のこと覚えてる?」


「お互い、目も合わせないほど嫌がってた」


 秀人の問いに麻美はそう答える。


「親父に『見合いするぞ』って無理やり連れて行かれたから、正直イライラしてた」


「私は結婚させられるって知ってたから、嫌われるように振る舞ってた」


「全部無視してたよね」


「それでも話かけてきたから、どうしようって思った」


 思い出が蘇り、麻美は笑みを零す。


「挨拶は返さないし、喋りもしない。それで余計に腹が立った。だから話させてやろうって意地になってたんだ」


「結果、私が折れた」


 二人が初めて会ったのは、庭園が眺められる老舗料亭だった。

 大学生だった麻美は母親の勧めで、製薬会社の常務の息子と縁談させられることになった。

 冴えない人――それが秀人を見た時の印象だった。

 麻美は好きな人がいたため初めから興味はなかったが、一層早く帰りたいという気持ちが強くなった。

 秀人は両親と共に来ており、三十分ほどお互いの家族を交えて話した。

 その後、「後は若い者同士で」とニヤついた笑みを零す大人たちに促され、二人は庭園に向かう。


「普段何をされてるんですか?」


「……」


「趣味はなんですか?」


「……」


 秀人の問いに、麻美は無視を続けた。

 嫌われれば破談に持ち込める。この人には悪いけど、結婚を考えられる相手ではない。それが麻美の考えだった。


「好きな男性のタイプは?」


 それでも話かける秀人に、麻美は心が苦しくなってきた。

 そのうち喋らなくなるだろうと思っていたのに、ずっと質問してくる。

 『しつこい』とも感じたが、相手も無理やり連れてこられていると考えたら、罪悪感が出てきた。


「あの……」


 その後も無視していたが、秀人はそれでも話を繋げようとしてくる。

 もう何も言わないで、と思っていた時、質問に変化が生じた。


「ブロッコリーとカリフラワー、どっちがタイプですか?」


 野菜にタイプなんてない。普通はどっちが好きかと聞く。


「ブロッコリーに地球を侵略されるのと、カリフラワーに侵略されるの、どっちが嫌ですか?」


 質問の意味が分からなかった。

 急な方向転換に戸惑いながら、麻美は無視を続ける。


「じゅあ顔がブロッコリーになるのと、体がカリフラワーになるの、どっちがいいですか?」


 その後もブロッコリーとカリフラワーの質問は続いた。

 最初は『なんなんだろう、この人』と思い、反応しないようにと意識していた。

 だが、“笑ってはいけない”という状況を自分の中に作ってしまったことで、じわじわと笑いが込み上げてくるようになる。


「朝起きて、隣にブロッコリーがいるのと、カリフラワーがいるのどっちがいいですか?」


 麻美は一瞬、口角を上げたが、すぐに締め直す。


「ブロッコリーパーティとカリフラワーパーティ、どっちが好きですか。僕はピーマンパーティが好きです。でもニンジンパーティの方がもっと好き……」


「フフ」


 麻美のきつく締めた口元から笑いが零れた。

 この時には感覚がおかしくなっていた。分けのわからない質問を延々とし、しかもそれを真面目なトーンで言ってくる。

 絶対に笑わないようにと我慢するが、もう限界がきていた。


「やっと反応してくれた」


 秀人は大きな息を吐いて言った。


「これ以上ブロッコリーとカリフラワーで質問させないで下さい。もうネタがありません」


 別にしなくてもいい、麻美はそう思う。


「僕のこと嫌いですよね?」


 別に嫌いではない。でも嫌われたかった。

 質問にどう答えていいか分からずにいると、彼が先に口を開いた。


「それはいいんですけど、別の人とお見合いする時は答えてあげて下さい。話してみて嫌だと感じたら仕方ないけど、何も話さないで無視されたら傷付きます。人によっては、女性に対してトラウマを抱えるかもしれない。たった一瞬の出来事だとしても、それが一生纏わりつくことだってあるから」


 優しい人だと思った。

 麻美は自分のことだけしか考えていなかったが、秀人は次の相手のことを配慮している。

 誰かの悲しみを自分が作ってしまうと考えたら、胸が痛んだ。


「今日は無理やり連れてこられたんですよね? どうせなら容姿も良くて、話が面白い相手が良かったと思います。退屈な時間だったかもしれないけど、付き合ってくれてありがとうございました」


 秀人は穏やかな笑みを浮かべた。汚れたものが一つもない、純白な少年のように。


「怒ってもいいんですよ? 私、ずっと無視してたから」


「ここで怒ったら嫌なことが重なる。それって余計に辛いじゃないですか。だから笑ってほしかった……ていうのは建前で、自分も無理やり連れてこられてイライラしてたんです。だから気持ちは分かります。変えられないことに怒りをぶつけるよりも、変えられることに力を注ぐ。実際、麻美さんの笑顔を見ることができましたし」


 見た目だけで判断していた自分が恥ずかしくなる。それほど秀人の人間性は素晴らしいと思った。


「無視したこと、本当にごめんなさい」


「もう忘れて下さい。良い人と巡り合えることを願ってます」


「あの……」


「何ですか?」


「もし良かったら、また会えますか?」


 麻美は秀人のことを知りたいと思っていた。

 それは好きという気持ちではなく、自分が知らない景色を見れると思ったから。

 自分の未熟さを教えてくれて、新しい道を見つけてくれる。

 そんな気がした。

 それから何度か食事を共にした。

 そしていつからか、秀人を好きになっていた。

 そんな日が来ることをあの時は思いもしなかったが、彼の誠実さと優しさが恋を芽吹かせた。

 そしてあれから二十年経ち、咲いた恋は間違いではなかったと、隣にいる秀人を見て思った。 


「固く縛られた結び目を解かれたようだった。あなたが話しかけ続けてくれたから、今がある」


「僕は麻美と結婚して良かったと思ってる。だから陽葵と愛にも好きな人と結ばれてほしい。心の底から笑える相手と」


 麻美はナイトテーブルに置いた小説に目をやる。


「もう寝よっか」


「うん」


 麻美はシェードランプの灯りを消し、ベッドに横になる。

 秀人がタオルケットを体にかけてくれた。些細なことかもしれないが、その優しさが胸に染みる。


「私も」


 麻美は背中を越しに秀人へと言葉を投げる。


「あなたと結婚して良かった」


「うん。おやすみ」


 愛情を握りしめて、麻美は夢の中へと向かった。

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