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追憶の残花  作者: 最下真人
【二章】 夏の花
12/24

十一話 傷跡が結ぶ世界

 3


 夕食の後、陽葵は居間でお茶を飲みながらスマホを見ていた。

 画面には、公園で撮った生い茂る桜の木が写っている。


「お姉ちゃん見て」


 隣で寝転んでいた愛がスマホを見せてきた。

 そこには、青い花が描かれたアンティーク調の小物入れが写っている。

 蓋の持ち手が小さな鳥になっており、足元には真鍮(しんちゅう)の薔薇。シノワズリの雰囲気を纏っている。


「可愛くない?」


「うん、可愛い」


 愛はスマホに視線を戻すと恍惚な目で画面を眺めた。まるで遠く離れた恋人に想いを馳せるように。


 部屋に戻り、先ほど愛が欲しいと言っていた小物入れを検索した。

 そのお店は東京にあり、ここからだと一時間半かかる。

 できれば明後日までに買いたいと陽葵は思っていた。

 日曜日を迎えれば愛の誕生日だからだ。

 明日、徒歩圏内のお店でプレゼントを買いに行こうと思っていたが、愛の顔を見て、これを渡したいと思った。

 最初はネットで頼もうとしたが、三日かかるため間に合わない。

 だが直接お店に行くこともできなかった。

 陽葵は電車に乗れない。

 以前、悲葬の力で痴漢に遭った子の悲しみを背負った。

 その子のフラッシュバックをまだ見ていない。

 バスの中でも起こりうる可能性があるため、人が密集する場所や乗り物も避けてきた。

 車という選択肢も過ぎったが、明日は両親がいない。

 母は五家の当主として、人脈を広げるための茶会がある。

 父は仕事で、帰ってくるのは夜だ。

 日曜は愛も家にいるため、出掛けるとなると付いてくる可能性がある。

 となれば……

 陽葵は連絡先の欄から、隆二の名前を探した。


 *


 紺碧(こんぺき)の空に浮かぶ幻想的な入道雲。青と白で空に夏を描く。

 そんな晴天とは裏腹に、陽葵の心には暗雲が立ち込めていた。

 駅のホームで電車を待っていると、顕現した不安が指先を震えさせ、呼吸を浅くさせる。


「やっぱりやめる?」


 隣に立つ隆二が顔を覗かせてきた。

 陽葵は小さく首を横に振り、「大丈夫」と答える。


「無理そうだったら言って」


「うん」


 昨日の夜、隆二に連絡して付いてきてもらうことにした。

 今までは急にフラッシュバックが起こっていたが、今回は自らそこに足を踏み込む形だ。

 でも音だけでは起こらない。目を瞑っていれば免れる可能性もあるが、もしものことを考えて隆二にお願いした。


 アナウンスが流れ、電車がホームに近づいてくる。

 陽葵は目を閉じて、大きく深呼吸をした。

 肺に入る空気で緊張が凪いだが、電車の音で波紋のごとく不安が広がる。


「袖、掴んでてもいい?」


 震えた声でお願いすると、「うん」という隆二の声が耳に入る。

 右手を宙に浮かせると、隆二が袖まで誘導した。

 一瞬だけ触れた手が、不安の隙間に高鳴りを生む。


 程なくして電車が横切ったのを、音と風圧で感じ取った。

 靡いた髪が顔にかかったため、左手で払う。

 再度深呼吸をして準備をしていると、「プシュー」という音を電車が吐いた。

 瞬間だが、冷気が体にかかり、扉が開いたことを聴覚と触覚で知る。


「入るよ」


「うん……」


 隆二がゆっくりと歩き出した。袖を掴む手に力が入る。


「下に隙間があるから気をつけて」


 そう言われ、歩幅を大きく取って足を伸ばした。


「今、車内?」


「そう」


 ホームにアナウンスが流れた後、扉の閉まる音がした。

 体が揺られたため、発車したのが分かった。

 それが合図となるように、眠っていた指先の震えが目覚める。


「そばにいるから」


 優しい声が、不安の片隅を安堵で染める。

 その時、「ゴトン」という大きな音が車内に響いた。

 それに反応してしまい、陽葵は目を開く。

 目の前にいた隆二は足元に落ちているスマホを拾って、大学生くらいの男に渡した。

 男は「すいません」と言った後、隣の車両に向かって行く。


 陽葵はドア付近に立っていた。

 久しく見ていなかった電車の光景。思わず見渡してしまう。

 車内には数人の人しかおらず、電車の走行音だけが響いていた。


「陽葵」


 隆二の声に反応すると、その先にある反対側のドアが目に入った。

 その瞬間、立ちくらみが襲い、頭を抑える。


「フラッシュバック?」


 隆二の声が遠くから聞こえるようだった。

 周りの音が離れていき、視界に靄がかかり始める。

 霞んでゆく中で、「隆二」と心の中で叫ぶが、意識は別の世界とへと落ちていった。


 靄が晴れると、目の前の景色が変わった。

 変わったといっても同じ電車内だ。違うのは車内が混雑していたこと。

 ドアの前に立っており、窓には制服を着た女の子が映っていた。

 その顔を見て、陽葵はすぐに思い出す。

 以前、悲葬の力を使って悲しみを背負った子だ。

 そしてこの子は、痴漢に遭って苦しんでいた。

 陽葵はこれから何が起こるのかを理解する。


 数秒後、臀部(でんぶ)に違和感を感じた。明らかに触ってると分かるような手つきだ。

 女の子は手すりを強く握りしめ、顔を歪ませた。

 次第に恐怖が全身を蝕んでいき、体が硬直する。

 吐き気を催し、頭の中が真っ白になり、呼吸するたび苦しくなる。

 薄汚い手は臀部を這うように動き、触っているであろう人間の息遣いが首筋にかかる。

 気持ち悪い。

 人がやることではない。

 いや、人ですらない。

 性欲に塗れた獣。

 恐怖が体を震わせて、寒気を感じる。


――早く終わって


 そう思った時、「陽葵」という声が頭の中に響いた。

 視界に靄がかかり、徐々に景色が変わっていく。


「陽葵」


 二度目の声がした時、靄が晴れて隆二の顔が映った。


「大丈夫?」


 そう言われ、自分の体が震えているのが分かった。

 怖い――纏わりつく嫌悪が心を腐らせてゆくようだ。


「フラッシュバック?」


 陽葵は小さく頷く。

 視線を感じ顔を上げると、数名の乗客が陽葵を見ていた。

 その視線が恐怖心を煽り、目眩が襲う。

 足に力が入らず、立っているのがやっとだった。

 なんとか踏ん張っていたが、限界を迎え膝が床に落ちそうになる。

 すると、隆二が体を支えた。そのまま胸にもたれかかる。


「次の駅で降りよう」


 その言葉が耳に入ると同時に、右手が隆二の手に触れているのが分かった。

 陽葵は強く握りしめる。

 無意識だった。

 戦慄の中で救いを求めるように、目の前の光を掴んだ。

 悲しみに彷徨い、孤独という迷宮から抜け出したかったのかもしれない。

 だけど、誰でもいいわけではない。

 たぶん隆二だったから。

 彼じゃなきゃ、掴めなかった。

 陽葵がそう思っていると、隆二が強く握り返してきた。


――泣き止むまで握っててあげる。だから大丈夫だよ


 思い出の中の言葉が、頭の中で鮮明に響いた。

 降り積もった不安が溶けてゆくように、震えが徐々に収まってくる。

 黒く濁っていた感情が暖色に変わり、あの頃の続きを描いた。


「次は……」


 車内のアナウンスで、間もなく駅に着くのが分かった。


「着いたら何処かで休もう」


「大丈夫、このままでいさせて」


「無理しなくていいよ」


「ううん、このままがいいの。だから……手は離さないでほしい」


「分かった」


 優しさに浸りながら隆二の体温が手から伝わってくる。

 肌の温もりが、産み落とされた嫌悪を溶かしていくようだった。

 ずっとこうしていたいと思えるような心地良さに、あの日と同じ感情が芽生えていた。


 *


 二度の乗り換えを経て、アンティークショップの最寄駅に着いた。

 その間、隆二はずっと手を握っていてくれた。

 会話はなかったが、その余白を繋ぐ握った手が言葉の代わりを果たしていた。


「治った?」


 電車を降りた時、そう問いかけられた。


「うん。ありがとう」


 陽葵がそう返した後、沈黙が二人を包んだ。

 手を握っていた大義名分が無くなり、恥ずかしさが込み上げてくる。

 それは隆二もだったのか、顔が少し赤く染まっているように見えた。

 二人はゆっくりと手を離し、気まずそうに改札へ向かう。

 高鳴る余韻を胸に抱きながら。


 駅を出てから十五分ほどで目的地の店に辿り着いた。

 お店は住宅街にあり、外観は美容室のようだった。

 木製の扉には『open』と書かれた看板がかかっており、小さな窓から店内が見える。


 中に入ると、天井に多くの照明がぶら下がっていた。空に浮かぶ星のように薄暗い店内を照らしている。

 アンティーク調の雑貨がいくつも並び、食器やランプ、置物などが棚の上に飾られていた。

 商品を眺めながら店の奥まで行くと、愛が欲しがっていた小物入れを見つける。


「これだ」


 手に取ると、「可愛いね」と隆二がそっと零した。


「うん」


 レジに向かおうとした時、置き時計が視界に入った。

 台座の上にはS字に曲げられた金属が立てられており、頂点の部分に時計が吊り下げらている。使い古されたような錆に年季を感じた。

 陽葵は小物入れを棚に置き、時計を手に取る。


「そういうの好きなの?」


「この古い感じが好き。刻まれた時間が投影されているみたいで」


 裏側を見ると、小さな傷が入っていた。

 陽葵はその傷を優しく親指で撫でる。


「長くここにいたのかもね」


 隆二の言葉に、陽葵は嬉しくなった。

 商品を蔑む言い方ではなく、肯定するような言い回しだったから。


「アンティークってさ、付いた傷が年月をかけて良さに変わっていく。人もそうあってほしい。悲しみや痛みが、その人にしかない強さに変われるように」


 時計に付いた傷を陽葵は自分と重ねていた。

 この傷がいつか、自分を導いてくれると祈りながら。


「幸せだけでは人を知れない。痛みがあるから理解できる。傷というのは見えなかった道を教えてくれる」


 隆二が時計の傷に触れながら言った。


「誰の言葉?」


「今、思いついた」


「フフ、何それ」


「今まで見てきた悲しい記憶が、いつか美しく咲くための種になれたらと思って」


「なるかな?」


「なれるよ」


 人は希望を抱けるから前に進める。

 悲しみを否定するのではなく、肯定することで道を作ることができる。

 陽葵はそんな想いを添えて、隆二の言葉を思い出に仕舞った。

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