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追憶の残花  作者: 最下真人
【二章】 夏の花
10/24

九話 穢れた力

 1


 校門前の桜並木は四季に染められ、木々は緑に塗り替えらていた。

 葉の影に差す木漏れ日、生徒たちの浮き立つ喧騒、蝉たちの饗宴(きょうえん)、夏めく道を陽葵は歩いていた。


「陽葵」


 背中を叩く声に振り向くと、「おはよう」と言う桃花が視界に映った。

 その隣には、小さく手を振る智子の姿が見える。


「おはよう」


 陽葵は、葉の隙間から見える青空のような澄んだ笑顔で挨拶を返した。


「もうすっかり夏だね」


 三人で肩を並べて歩くと、桃花が空を仰いで言った。


「私、暑いの嫌」


「智子は体力ないからね」


「十二月生まれだから」


「去年も言ってたけど、それ関係ないから」


 陽葵は二人の会話に頬を緩める。

 桃花たちと一緒にいるようになって三ヶ月が経った。

 流れる季節と並行して、友達と呼べるような関係性に変化。

 前まではクラスの子たちを見て、『いつも一緒にいて飽きないのか』と思っていたが、今はそう感じることもなくなった。

 特に会話がなくても、それはそれで心地良いと思うし、自分のことを知ってくれている安心感もある。

 陽葵にとってこの三ヶ月は、世界の景色を変えるような日々だった。


「おっはよう!」


「きゃっ」


 後ろから大きな声を出されたため、桃花が悲鳴をあげた。

 その声に驚いたのか、智子の肩が反射的に動く。


「ちょっと、いきなりやめてよ」


 桃花はむっとした顔を拓海に向けた。


「ごめん、夏だから」


「関係ないでしょ」


 桃花が力強く拓海の肩を叩くと、顔を歪めて「ゔっ」と声を漏らした。


「ごめん、大丈夫?」


 桃花は心配そうに拓海の顔を覗く。


「肩折れた。これはケーキ奢ってくれないと治らないやつだ」


「奢ってやるから、徹底的に壊させろ」


 桃花は拳を握り、腕を振り回す。


「やめろバカ」


「無理」


 桃花が矢を(つが)えるように腕を引くと、拓海が前方へと走り出した。


「あっ、逃げるな」


 桃花も同様に走り出すと、スクールバックの外ポケットから有線イヤホンが落ちる。


「落ちたよ」


「待て、バカたく」


 智子の声も届かず、桃花は拓海を追いかけている。


「もう」


 ため息混じりの声を出し、智子は落ちたイヤホンを拾いに行く。

 平穏な日常。

 何でもない風景すら陽葵にとっては特別な思い出に変わる。

 自然と笑みが零れるような些細な時間は、心に安寧をもたらし、物事の見え方を柔らかくした。

 自分の知らない世界には、こんなにも美しい平凡が当たり前のように転がっていて、思い出に色を付けてくれる。

 陽葵は当たり前になった風景に浸りながら、煩わしかった喧騒の中を歩いていた。


「おはよう、陽葵」


 木漏れ日のような声が鼓膜に注がれると、心音が一音上がり感情が跳ねる。


「おはよう、隆二」


 振り返ると、笑顔を灯した隆二が瞳に映った。

 同級生を下の名前で呼ぶことも、呼ばれることもなかったため、最初は少し抵抗があったが、今では自然に言えるようになった。

 苗字で呼ばれていた時よりも距離が縮まったように感じ、最初は不思議に思った。

 名前なんて記号みたいなもの。

 それくらいに捉えていたが、この歳になって初めて名という意味を知ったような気がした。


「いい天気だな」


「うん。いい天気」


 春が捲られ、青空が見下ろす夏模様。

 生い茂る木々の隙間から見える太陽は、影で覆う道に光を描いていた。


 *


 学校から千代子の家は歩いて三十分ほどのところにある。

 陽葵は照りつける夏の日差しを浴びながら、汗ばむ額をハンカチで拭った。

 蝉の鳴き声が暑さを形容し、体力の消耗を早めているように感じる。

 足が重くなってきたところで千代子の家が見えた。

 周りの住宅よりも二回りほど大きい、趣のある日本家屋。

 修復したのか、真っ白な土塀(どべい)が長く続いている。


 家の前に着き、瓦屋根付きの和風門に設置されたインターホンを押す。

「今、行く」という声がスピーカーから流れた三十秒後、玄関から弘子が出てきた。

 柴崎家の当主、そして陽葵の後継者である悠人の祖母だ。


「弘子さんも来てたの?」


 門扉の格子扉を開ける弘子に、陽葵が尋ねる。


「千代さんが孫に変なことを吹き込まないようにな」


 千代子は橋本家の当主で、誰よりも五家の伝統を重視する。

 五家の当主の中でも一番年上で、リーダー格と言っていい。

 今日は悠人に悲葬の力を説明をする日だ。

 柴崎家ではなく千代子の家で教えるのは、後継者にこの力を正しく伝えるため……と言うのは建前で、力を従順に継承させるためだ。


 家の中に入り、客間へと足を運ぶ。

 弘子が襖を開けると、座卓に着く千代子と悠人の姿が目に入った。

 千代子は床の間側に、悠人は窓側に腰を下ろしている。

 陽葵は鞄を畳に置いて、悠人の正面に座った。

 弘子は少し離れた場所で胡座をかく。


「では始めるか」


 千代子は足元から書物を取り、座卓の上に置いた。

 表紙には『悲葬の書』と書かれている。

 これは悲葬の指南書で、比較的新しく見えるのは写本だからだ。

 原本を一度見たことがあるが、色褪せていてるため、ところどころ文字が霞んでいた。


 陽葵が表紙を捲ると、五家の名が円状に記されている。

 頂点に橋本家の名があり、右回りに岩崎家、古賀家、松田家、柴崎家となっている。

 家系の間には右向きの矢印が描かれていた。


「僕の苗字がある」


 悠人が『柴崎家』の名を指差した。


「この矢印は何?」


「十年ごとに悲葬の力を継いでいくの。今は松田家で、その後は柴崎家に力が渡る」


「次は僕だよね」


「……うん」


「お母さんから聞いたよ。この力は悲しんでる人を救うためにあるって。悠人は選ばれた特別な子だって言ってた」


 この力を継ぐのは子供と決まっている。

 まだ何も知らない。

 ただそれだけの理由で。


「なんで五つの家系で、力をぐるぐる回すの?」


「何百年も前の言い伝えなんだけど、あるところに小さな村があって、そこにはこの五つの家系が住んでいた。そしてその村に傷を負った神様が尋ねてきたの。村人たちは三日三晩全員で手当てをし、なんとか傷を治すことできた。感謝した神はそのお礼として『悲しみを消す力』を村の人たちに授けた」


 悠人が怪訝な顔で見てきたので「何?」と聞くと、


「悲しみを消すの? 背負うって聞いたよ」


「欲に目が眩んだからだよ」


 弘子が言うと、千代子がねめつけた。だが無視して話を続ける。


「神は力を与える際に条件を付けた。私利私欲で力を使わないこと。人のために役立てること。最初はその言いつけを守った。だが欲に目が眩んだ村人たちは、噂を聞いてやってきた人々から金銭を求めるようになった」


 神様に怒られるよ、と悠人は合いの手を入れる。


「だから罰が与えられた。悲しみを消すのではなく背負わせる。そしていくつかの掟を設け、一つの家系だけが力を持てるようにした。他の四つの家系は掟を破らぬように監視役を務め、十年ごとに力を受け継ぐことで均衡を保った。そして掟を破れば、新たな罰が与えられる」


「罰って何?」


 悠人は無邪気な顔で聞く。


「記憶を失う」


 弘子は一泊置いてから、口にした。


「記憶喪失になるの?」


「そう。今まで出会った人や、それに関わる記憶が消える」


 陽葵の言葉に悠人の顔が青ざめていく。


「絶対嫌だ」


 悠人は畏怖するように顔を歪めた。宥めるように千代子が口を開く。


「掟を守っていれば大丈夫だ。数百年に及びこの力で多くの人を救ってきた。その歴史と伝統を守るのがお前の役目になる。母が言ったように、選ばれた特別な子なんだ」


 悠人の顔に戸惑いが浮かぶ。

 まだ小学生の子には理解できないだろう。陽葵もそうだった。

 同じように『選ばれた特別な子』と言われ、それを信じて力を受け継いだことを陽葵は思い出していた。


「歴史とか伝統とか、随分聞こえのいい言い方するんだね」


「私は守りたいだけだ。先祖たちが築き上げたものを」


 千代子の言葉の後、部屋の襖が開いた。

 振り返ると、悠人の母が見えた。


「みなさん、到着されました」


 言下、三つの家系の当主が入ってきた。

 先頭に岩崎、次いで古賀、その後ろを麻美、一番後ろには羽村がいた。

 羽村は、いじめが原因で家に引きこもってしまった祥子の父だ。

 春先に悲葬の力を使い、彼女がバケツで水をかけられているところをフラッシュバックで見た。

 そして訪ねてきた祥子とファミレスで話していた時、桃花に悲葬のことを聞かれて力の存在を知られた。


「随分と早いな」


 千代子が言うと、羽村が前に出てきた。


「すいません。仕事の都合で急遽この時間にしてもらいました」


 千代子は黙考するように数秒の空白を置いた後、閉ざした口を開いた。


「今日はここまでだ。続きは後日とする」


 その言葉が合図になったのか、悠人の母は「家に帰ろう」と言い、息子の手を握って客間を出た。


「陽葵も外して」


 麻美に言われ部屋を出ようとした時、羽村が陽葵の前に来た。


「この間は申し訳ありません。娘が訪ねたせいでクラスの子に話を聞かれてしまったみたいで」


 羽村は申し訳なさそうな表情で頭を下げた。


「祥子ちゃんは元気ですか?」


「ええ、最近は笑顔をよく見せます」


 陽葵の質問に羽村は顔を上げ、言葉と同様、笑顔を見せる。


「大検、頑張ってとお伝え下さい」


「はい。ありがとうございます」


 陽葵は客間を出て、襖を閉じた。

 だが立ち去らずに、その場に留まって部屋に耳を傾ける。


「娘さんが元気になって良かった」


 程なくしてから岩崎の声が聞こえてきた。

 妙に機嫌の良い口調に、陽葵は不快感を滲ませる。


「はい、おかげさまで」


「これもすべて悲葬のおかげ。力がなければ、一生傷を背負って家に篭ってたでしょう。娘さんが救われてよかった」


「ええ、感謝してます」


「だけどね……」


 先ほどまでとは違い、岩崎の声が急に淀んだ。

 陽葵はこの時点で察する。羽村は伝統という穢れた連なりの餌食にされると。


「悲葬の力っていうのは代償があるんですよ」


「代償?」


「悲しみを消すのではなく、背負うんです」


「それはどういうことですか?」


 羽村の声に訝しがる様子を感じる。


「私は見てられないのですよ。まだ十六歳の子が、赤の他人の悲しみで傷付いてる姿が」


「おっしゃる意味が分からないのですが……」


「娘さんが抱いていた悲しみを、あの子に移したんです。祥子ちゃんは何もなかったように笑っているでしょ? それは麻美の娘が過去の傷を肩代わりしたからです」


 岩崎に変わり、千代子が話し始めた。


「私は悲しみを消すとだけ聞きました。千代子さんもそう言いましたよね? 話が唐突すぎて理解できないのですが」


 羽村の戸惑いが廊下まで伝わってくる。


「娘さんの一番辛かった記憶が、陽葵にも強制的に見えてしまうんです。そして、その時に抱いていた感情も共有してしまう。だから今も苦しんでいるんですよ。祥子ちゃんが過去を忘れられても、あの子は一生忘れられないんです。悲しい記憶をずっと見続けるから」


 千代子の言ってることは本当だが、これでは勘違いする。

 同じ人間のフラッシュバックは一回きりだ。だけど今の言い方だと、祥子の記憶をずっと見続けると思ってしまう。

 でも千代子たちからしたら、それが狙いだ。

 目的を達成させるために罪悪感を持たせたいから。


「初めにそう言っていただけたらお断りしましたよ」


 羽村の声には怒りが滲んでいる。

 それもそうだ。急にこんなことを言われても困るだけ。

 だけど、代償なしに簡単には幸せになれない。


「そう言うと思ったから伝えられなかったんですよ」と、クライマックスに向けて岩崎が話し始めた。


「でも私たちもあの子も、祥子ちゃんを救ってあげたい。その一心で依頼を引き受けたんです。もし力を使ってなかったら、娘さんは一生家の中に閉じこもっていたかもしれないんですよ。親としてはそんな姿見たくないでしょ?」


「……何が望みなんですか?」


 まるで取り調べのようだ。観念した犯人のように羽村の声は沈む。


「娘さんと岩崎の孫に、婚姻関係を結ばせたい」


「結婚しろと言うんですか?」


 これが悲葬の目的だ。

 富裕層の依頼者を探し、力を使って恩を売る。

 そして婚姻関係を結び、五家を繁栄させる。

 ずっとこのやり方で富を得てきた。

 悲葬の力を受け継いだ家系は私欲に走ってはいけないが、残りの四つの家系がその恩恵を受けても罰は下らない。

 誰が発見したのかは分からないが、掟の隙間を縫って欲にありついた。

 自分たちは高みから見物し、悲葬の力を持つものだけが悲しみを背負う。

 神は不平等に幸せを与えた。


「私の孫はまだ十八歳になったばかりですが、経営者や政治家などのコネもあります。娘さんの未来は安泰ですよ」


 陽葵は岩崎のしたり顔が頭に浮かんだ。ニヤついた笑みに嫌悪が湧く。


「好きでもない相手と結婚しろと言うんですか? それに娘はまだ十六ですよ? やっと家から出ることができたのに、また苦しめと?」


 襖越しでも羽村の苦悩が分かる。

 陽葵はこの十年、ずっと一人で悲しみを背負ってきた。

 力を使うたび、『なんで自分だけ』と憤っていたし、依頼者が幸せになることも嬉しいと思ったことはなかった。

 だが今回だけは違った。


――恋したりとか


 ファミレスで話した時、祥子がそう言っていたことを思い出す。

 力を使用した後に依頼者と会ったのは初めてだった。

 その出来事が陽葵の心を揺らす。


「力を使っていなければ結婚もできなかっただろう。いじめれられた記憶は考えを歪ませ、他人という存在に信用を置けなくする。もしかしたら、命を絶っていた可能性だってある」


 千代子が淡々と言葉を並べながら、話を続ける。


「羽村さんの気持ちも理解できるが、娘さんは過去の悲しみが消えただけで心が強くなったわけじゃない。ずっと社会から離れていたということは、その分、同世代との価値観のズレがある。そしたらまた虐げられるかもしれない。その点、私たちなら良き理解者になれると思う。居場所があれば、力なくとも傷は癒せる」


 千代子の言葉の後に沈黙が流れた。

 娘の苦しんでいた姿を見ていただけに、今の話は耳が痛くなるだろう。

 千代子の言った通り、心が強くなったわけではない。

 再度、虐げられることだってあり得る。それは羽村も危惧することだったはず。

 強引な取り引きだが、憂慮に堪えない未来よりも、最悪の事態を免れる方が親としてはいいのかもしれない。

 でも自分なら……と、陽葵は思った。


「羽村さん」


 沈黙を掻き分けるように、岩崎が声を発した。


「世の中の男は浮気したり暴力を振るったり、そんなひどい奴らで蔓延ってます。もし、ろくでもない男に引っ掛かったら、また傷付いて閉じこもってしまうかもしれない。孫にはちゃんと言っておきます。絶対に祥子ちゃんを傷付けるなと。それに私の孫が大企業に就職したら、あなたの会社ともパイプが作れる。娘さんは平穏に暮らせてお金にだって困らない。こんな良い条件、他にありますか?」


 まるで詐欺師みたいだ。

 本来であれば人を救うために与えられた力は、欲を満たすための汚れた伝統に成り下がった。

 フラッシュバックで見てきた愚かな人間となんら変わらない。

 陽葵は五家の血が流れていることを、疎ましく感じた。


「あなたの娘さんのことを第一に考えた結果、この婚姻が一番良いと思ったんです。悪いようにはしません。良い返事が聞けることを祈っています」


 最後は千代子が締めた。

 羽村の声は一切聞こえてこない。それは大きく揺らいでることを示していた。


 *


「見返りを求めてはいけない。掟に反してるよ」


 千代子の家を出て、車で自宅に向かっていた。

 陽葵は運転席に座る麻美に向けて言葉を投げる。


「聞いてたの?」


 麻美は表情を変えず、前を向いたまま聞いてきた。


「答えてよ」


 今目の前にいるのが自分の母なのか、それとも五家の当主なのかは分からない。

 だが期待した。

 一人の少女の未来を案ずる母の言葉を。


「見返りを求めていけないのは、悲葬の力を持っている者とその家系だけ」


「他の四つの家系はそれを監視する、でしょ?」


「そうね」


「してないじゃん」


 淡々と進む会話は親子というより他人同士のようだった。

 目の前にいるのは母ではなく五家の当主だ。


「自分の子供や孫に、好きでもない相手と結婚させるってどんな気持ち?」


 皮肉の込もった言葉が車内に響く。


「長く続いた歴史と伝統は、そんな簡単に変えられるものじゃない。力の恩恵を受けていれば尚更」


「歴史とか伝統って言葉でごまかしてるだけでしょ? 本当に守りたいものは自分たちの立場。裕福に暮らしたいだけの穢れた家系だよ、私たちは」


 だが誰も止められない。みんな恩恵を受けているから。

 たとえ誰かが苦しんでいても、それが自分でなければ目を瞑る。それが五家だ。


 中央通りの交差点に差し掛かると、信号が赤に変わりブレーキがかけられる。

 車が完全に止まると、陽葵はシートベルト外してドアを開けた。


「どこ行くの?」


「歩いて帰る」


 陽葵は車から出て、ドアを閉めた。

 母のことを嫌いになりたくなかったから。

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