第6話 小さな追跡者
「冗談じゃないわっ!」
少女は怒っていた。
肩まで伸びたまき毛がくるんと揺れ、大きな瞳が更に見開かれる。床を足でドン、と踏みつけ感情も露に、少女は手の中の紙切れを握りつぶした。
と、いうのも、散々面倒を見、親切にしてあげた男に裏切られたからだ。仕事が終わって家に戻ったら、置き手紙を残し姿を消していたのだ。
「私の何が気に入らないっていうのよ!」
置き手紙には決り文句。
『君にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないから家を出ます』
(迷惑かどうかは私が決めることだわ!)
彼女は本当に、心から彼のことが心配だった。あんな顔で独り、行く当てもなく項垂れていたミルド。
実際、最初の二日間は言葉も発しなかった。自分が誰かもわからず、僅かに覚えている感情が「絶望」だったのだから無理もないが。
そんな彼に、フラッフィーは献身的かつ厳しく接した。
『あなたがどこのだれであろうと構わない。だけど、ちゃんと今、ここにこうして生きているのだからしっかりなさい!』
そう鼓舞し、温かい食事と寝床を提供した。その甲斐あって三日目には言葉を発し、五日目には仕事を探し働きに出るまでに回復したのだ。
何があったかは知らない。だが、きっととてつもない悲しいことがあったに違いない、とフラッフィーは思っていたし、そんなミルドを支えたかった。
自分に与えられた使命だと、勝手に思っていた。
それなのに……。
「絶対探し出して連れ戻すんだからっ!」
激しく突き動かされるこの衝動が何であるかを、彼女は後に知ることになる。
そして、事態は思わぬ方へと進んでゆくのだ……。
*****
どこへ向かったかもわからない相手をどう探すか。
フラッフィーは、とにかく片っ端から聞きまわった。ミルドが来てから十日ほど。田舎町では余所者への目が厳しい。近所や町の人間はフラッフィーが行き倒れの男を拾ったことは知っていたし、どこの誰とも知らない男の存在に対し、好奇の眼差しを向けてもいた。
どこへ行くにも、誰かの目があったに違いない。
「ああ、見かけたよ」
目撃者はすぐに現れた。
「どっちに向かったかわかる?」
必死の形相で訊ねるフラッフィーに、しかし目撃者である農場のオヤジは
「放っておけばいいだろうに」
と言い放ったのだ。
「え?」
「自分から出てったんだろ? だったら追わない方がいいさ。元々どこの誰ともわからん余所者だ」
「それは……そうなんだけど、」
「記憶が戻ったのかもしれんし」
フラッフィーがハッとする。
そうだ。記憶が戻って、本来自分のあるべき場所に戻ったのではないだろうか? だとするなら、自分に引き留める権利など、ない。
だが、
「まずはそれを確かめないとだわ! ねぇ、どっちへ行ったのっ?」
譲らなかったのである。
根負けした農場のオヤジから聞いた方向へと、急ぐ。
そして辿り着いたのが、この港町である。
町まで来たはいいが、そこから先が困った。ここから先、どこへ行ったのか?
「港から船に乗るつもりなのかしら?」
そんなに遠くへ行ってしまうのか。
あんな紙切れだけで、終わるのか。
急に悲しくなってくる。
しかし、天はフラッフィーの味方だった。
「ロェイ、そんな顔すんなって。俺と一緒にいりゃ安心だろ?」
「あんたと一緒にいてどうして安心なんだっ」
「水臭いなぁ、ちゃんとラッシェル、って呼んでくれよぉ」
粘っこい感じで絡んでいる男に見覚えはない。が、絡まれているのは間違いなくミルドだった。フラッフィーは、気付かれないように跡を付けた。まずはミルドが一人になるのを待つ。あの粘着質な男がミルドを攫ったのかもしれないのだから。
二人が連れ立ってある店の中に消えた。どうやら雑貨屋のようだ。
しばらくするとミルドだけが店から出てくるのが見える。今がチャンスだ!
「ミルド!」
行く手を阻むように前に立つ。
「ええっ? フラッフィー、なんでっ?」
「なんでじゃないわっ。あんな紙切れ一枚で私が納得するとでも思ったのっ?」
腕を組み、睨みつける。
ミルド……ロェイは小さく息を吐き、頭を掻いた。
「ごめん、でも」
「でも、なによっ?」
「……もう一緒にはいられないよ」
ズキン
本人の口から直接出てくる言葉というのは、強い。
拒絶されたことで、フラッフィーは頭を殴られたかのようなショックを受けていた。
「……な、んで」
俯き、歯を食いしばる。そうしていないと涙が溢れそうだったのだ。
たかが十日。されど、十日。
家族のいないフラッフィーに出来た、家族のような人。
「一部、記憶が戻った。だから……」
「……帰るの?」
訊ねる。
「いや、帰る……場所は、ないんだ」
瞬時、顔を上げた。
「だったら!」
「ごめん、無理だよ。フラッフィー、君は家に帰るんだ。俺は行かなきゃ」
「行くって、どこに?」
「えっと……遠い、とこ?」
ポリポリと頬を掻きながら、言う。
「私、諦めないからっ」
強い瞳で言うフラッフィーに、ミルド……ロェイは天を仰ぐしかなかった。
そして次の瞬間、脱兎のごとく駆け出した。逃げたのだ。
「あ、ちょっと、待ちなさいよ!」
急に駆け出したミルドの後を追う。だが、フラッフィーの足では追いつけるはずもなく、巻かれてしまった。
頑張って追いかけたが、見失ってしまったのだ。
そしてそれから数刻、町中を彷徨い、聞き込みを繰り返し、やっとの思いで見つけたのが、宿屋「アルブール」だったのである。