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第3話 追われる身

「ミルド!」


 後ろから自分を呼ぶ声にミルドは歩みを止めた。息急き切って走ってくるのは赤い巻き毛の少女、フラッフィー。まだ十二歳という幼い彼女こそが、記憶をなくした男を拾い「ミルド」という名を付けたのである。


 フラッフィーには家族がない。母親は彼女が小さいときに亡くなっていた。父親は、去年行方を晦ませたまま戻らない。フラッフィーは、街の露店で仕事をさせてもらいつつ、一人で生活していた。そんな折、道端で転がっている男を拾った。そして厄介者扱いすることもなく、得体の知れない自分よりずっと年上の男の面倒を見ている。


「どうした?」

 大陸の東に位置する田舎街アジュナ。ミルドはこの街で、それこそボロ布同然で倒れていた。何も覚えていないと語る男の目に浮かんでいたのは、絶望と悲しみ。フラッフィーは、見て見ぬふりの大人たちを横目に、男を拾った。幼い自分だけで生活するのは危険が多すぎる。自分にとって都合のいい大人がいた方が、なにかと便利だったのだ。しかし何より、悲しそうな顔の彼を放ってはおけなかった。


「これ、忘れ物!」

 彼女が手にしているのは今日の昼飯。すっかり忘れて出て行っていた。

「もぅ、忘れっぽいんだからぁ。そうやって自分の事も忘れちゃったんじゃないの?」

 腕なぞ組んで小首を傾げながら俺を睨むフラッフィー。若干十二歳という年齢でありながらこんな風に大人びた態度をとるのは、彼女の強がりでもあり、性格でもある。

「あたしみたいなガキに拾われたってだけだっていい笑いもんなんだから、しっかりしてよね!」

 バン、と力任せにミルドの背を叩く。

「ごめん」

 まったく彼女の言う通りだ。いい年した大人が、こんな幼い子供に面倒を見てもらっているなど、冷たい目で見られて当然だ。


 記憶がない、ということは自分の年もわからないのである。フラッフィー曰く「せいぜい二十二、三ってとこじゃない?」とのこと。

 それだって、彼女より十も年上だ。いつまでも彼女に面倒はかけられない。……とはいえ、この十日間で思い出したことは、自分が生魚を食べられない、というどうでもいいことだけだった。


「じゃ、気をつけて行ってらっしゃい!」

 まるで夫婦のような会話。

 十年後であれば考えなくもないが、とりあえず今のミルドには気恥ずかしいだけだ。せめて「兄」くらいの地位に上り詰めたいと思うのだが、今のところ

『手のかかる息子とその母親』

 という図式が一番近いような関係性だった。


 家を出て、丘を上がる。勤め先までは歩いて二十分ほど。働き始めて、今日で五日。ようやく仕事にも慣れはじめていた。


「……嫌な雲行きだな」

 空を見上げる。

 雲が動いている。この分では、昼過ぎから雨になるだろう。雨になると仕事がなくなる。彼の仕事は、現場での力仕事なのだから。

 体を使うことに抵抗はなかった。自分の裸を見ると、細身ではあるが、体を使っていたのだなとわかるくらいには立派な体である。


 あの日、どうしてあの場所に倒れていたのか、負っていた傷の意味はなんなのか、自分を知らないということは不安なものだ。


 職場ではいつもと変わりない時間が流れた。そして、予想通り、午後からは雨。早めに仕事を切り上げて家に帰ることになったミルドは、途中、初めて寄り道をしてみた。記憶を取り戻す為になにか手掛かりになるものを見つけたかったからだ。自分が倒れていた場所。とりあえずそこに行こうと足を向ける。

「フラッフィー、心配するかな?」

 彼女が帰宅するまでには戻らないとなるまい。とかく面倒見のいい彼女は、ミルドをまるで自分の子供であるかのように扱っているのだから。


 街外れ。山の斜面に倒れていた自分。何かに追われ、山から転がってきたとでもいうのだろうか? だとすればこの近くに自分のものと思われる荷物があってもよさそうなものだが……。フラッフィーは「なにもなかった」と言っていた。ただ、怪我をしているミルドを見つけ、通りがかった荷馬車に乗せてもらい、なんとか家まで運んだのだ、と。


「手ぶらで歩いていたのか? 俺は……」

 なんとはなしに、辺りを探る。山の斜面にも登ってみたが、獣道すらない場所だ。奥に進んだら迷子になるかもしれない。こうして見渡す限り、暗い木々の間には何も見当たらなかった。

「……駄目、か」

 雨が強くなってくる。頭から足の先まで、ずぶ濡れだ。

「……ロェイ?」

 道を行く人がこっちを見て驚いている。

「?」

 知らない、誰か。

「お前、ロェイかっ? やっぱり無事だったんだな!」

 不信がるミルドに男はそう話し掛けてきた。


「……ロェイ? もしかして、俺のことか?」

「なにボケッとしてるんだよ。そんなところで何してる? とりあえずこっちに降りて来いよ」

 親しそうに話す彼に、しかし自分は何も感じない。ロェイ、と彼は自分を呼ぶ。が、その名前にも覚えはなかった。

「あんた……俺を知ってるのか?」

 至極真面目に訊ねたつもりだった。が、男は間の抜けた顔をし、やがては大声を張り上げて笑い出したのだ。

「……何で笑うんだ?」

 内心ムッとしつつも男に近付いた。男は、一通り笑い満足したのか詳細を語りはじめた。


「ロェイ。それがお前の名だ。俺の名はラッシェル。お前とは……切っても切れない間柄だぞ?」

「……それってどういう……?」

「おい、本当に忘れてるんだな。お前もしかして、自分が『凪』だってことも忘れてるわけじゃないだろう?」


 ドクン


「お前のことだから無事なんだろうとは思ってたけど、まさか記憶をなくしてるとはな。で、どこまでの記憶がないんだ? まさか『凪』の力そのものは忘れてないんだろ?」


 ドクン


「……な、ぎ……?」

 浮かび上がるビジョンは、赤。

 無数の叫び声と、赤い色。

 どす黒い陰謀と、鮮やか過ぎる赤。


 赤。


 ……これは……血だ。


「違う! 違う違う違う!」

 あまりにも強烈なイメージに、思わず頭を振る。感情が溢れ出し、得体の知れない何かが自分の内から湧き上がる。


「ちょっ、おいバカッ、ロェイやめろ!」

 ラッシェルが慌ててミルドの胸倉を掴み、平手で頬を殴った。

「こんなところで感情爆発させるなよ! 俺を殺す気かっ!」


 ――オレヲ コロスキカッ?


 どこかで聞いた、言葉。

 今と全く同じセリフを、自分は聞いたことがある。あのとき、あの後、一体どうなった?

 そうだ……あれは……


 ああ……

 遠くなる、声。

 思い出す記憶。

 自分がかつて「ロェイ」と呼ばれていた頃のこと。

 だけど……ここまでだ。


 ロェイは戻り来る記憶を、自らの手で封印した。思い出したくない肝心の部分だけを、奥底に沈める。そして、そのまま気を失ったのだ……。


*****


「で、それからどうしたの?」

 ナハスが、更に身を乗り出す。

「ラッシェルからもフラッフィーからも逃げた」

「……逃げたぁ?」

「ああ。ラッシェルとは関わり合いになるな、と第六感が告げてたからな。フラッフィーには止められたが、自分が凪であると知ってしまった以上、彼女の世話になることも出来ないし。仕方がないから二人から逃げたんだ」

「……そう」

「なのにあいつ……俺を追って来やがって」

 顔を歪ませ、ロェイ。


「ふーん。大変ね。男に迫られるなんて」

 ナハスは同情を帯びた声でそう言った。

「は? いや、そうじゃなくて、俺を追ってきたのは……」


「あーっ!」

 突如として店の中に声が響く。振り向くと、ドアのところでこちらを指差している一人の少女。

「……フラッフィー」

 ロェイが頭を抱えた。

「え? フラッフィー? 何? じゃああなたを追ってきた、って」

「……両方さ」


 肩をすくめ、大きく溜息をつくロェイなのである。



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