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シンフェリア ~願いの花の物語~  作者: にわ冬莉


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第23話 凪の力

 海の上とは思えないほど静かな波。

 皆はゴロリと転がって、寝息すらたてずに深い夢の中にいた。大部屋に雑魚寝ではあるが、さほど居心地は悪くなかった。


 そんな中、パチリ、と目を覚ましたのはオルガだ。半身を起こし、辺りを見回す。フラッフィーが「星が出ていた」と言っていた筈の空は暗く、窓の外はぼんやりと青い。


(……青い?)


 しばらくすると、目が暗闇に慣れ始める。雑魚寝している彼らを踏まないよう、注意しながら外へ。キィ、と扉を開けると、外は一面の霧で覆い尽くされていた。

「……すっご」

 息を呑むオルガ。

 一歩甲板に足を踏み出せば、まるで海の中を漂っているかの如く、体が青に絡まれる。神秘的な光景だった。


 うっとりとした心地よさがオルガを支配する。ふわり、ふわり、足元がおぼつかない。このまま何もかも忘れて、波間を漂っていられたなら。あの花のことなど忘れられてしまえたら。そんな甘い囁きが耳をくすぐる。

 ふわり、ふわり。

 宙を舞うように。

 青い霧は完全にオルガを包み込んでいた。


(なんて安らかなの……)


 浮遊感に、酔いしれる。このまま忘れてしまえばいい。いやなことなど何もかも……。


「やめなさい!」

 がしっ、と力一杯腕を引っ張られ、我に返る。今の声は……

「……な、に?」

 まるでスローモーションのように景色が揺らぐ。それが、自分の動きのせいだと気付くまでに少し時間が掛かった。後ろを振り向いたのだ。

「捕われないで、戻って!」

 厳しい口調でそう言っているのはエリスだった。怖い顔でこちらを睨んでいる。怖い顔なのに、それもまた美しい。不公平だわ、とぼんやり思った。

「私の言葉が聞こえてる? 早く戻って!」

 何をこんなに怒っているのか、オルガにはまったくわからなかった。せっかくの気分が台無しだ。さっきまでの浮遊感が薄れていた。打って変わって体が、重い。


「エリス、一体どうした?」

 向こうから、声。霧に隠れて見えないけれど、声の主はロェイだろう。すると、

「中に戻りなさい!」

 エリスはロェイにまで怒鳴っている。しかしそれが逆効果だった。何かあったのだと気付いた面々が、続々と甲板に出てきてしまったのだ。

「ロェイ、早く皆を中へ! この霧を吸っては駄目!」

「この霧、なんだよっ?」

 ラッシェルが甲板の光景を見て、言った。奥から出てきたゼンが目の色を変える。

「なんてこった! 青の霧か!」

 最後に外へ出たサントワが慌てて叫んだ。

「ロェイ、戻れ! 皆も早く中へ入れ! エリス、大丈夫かっ?」


(なによ、エリスエリス、って。サントワまでそんなこと言うの?)


 オルガがむくれる。今までは自分を第一に接してきたサントワなのに、今、名を呼んだのはエリス。自分ではない。そのことがひどく切なく、腹立たしく思えた。心が乱れる。どうしてだかわからない。けれど、ひどく胸が痛む。意識がまた、薄れはじめる。重かった体が軽くなる。気分がよかった。このまま瞳を閉じてしまえたら。眠りの中に意識を投じてしまえたら……。


「オルガ、駄目よ!」

 尚も怒鳴るエリス。


 うるさい。

 うるさい。

 私の邪魔をしないでよ!


「どけ!」

 ロェイがエリスを押し退けオルガの腕を引いた。しかしオルガは微動だにしない。信じられないほど強い力でそのに留まり、引いてもびくともしないのだ。

「どういうことだっ?」

「霧のせいよ。ロェイ、あなたも危ないわ。早く中へ……」

「あんたは危なくないのか?」

 必死の形相で、ロェイ。エリスはフッ笑うと静かに告げた。

「私は聖人よ? この程度の霧で意識を操られるほど弱くはない」

「意識を操る? ……なるほど」


 オルガは甲板の先、柵を乗り越え今まさに波間に身を投げんとしていたのだ。それを食い止めているのはエリスとロェイが掴んでいる両の腕だけ。手を離せば、そのまま海の藻屑となるだろう。

「チッ。仕方ないな」

 ロェイは呟くと、スッと呼吸を整えた。そして次の瞬間、彼の周りから見えない何かがブワッと音を立てて飛び出し、辺りの霧を一掃したのだ。まるで見えない風に吹き飛ばされるかのようにして、一瞬に。

「……あ、あなた」

 エリスが目を見張る。

 扉の前であたふたしていたほかの面子もまた、時が止まったかのようにぴたりと動きを止め、固まっていた。次の瞬間、ぐらりとオルガの体が傾く。慌てて抱き止めるロェイ。


「あなた、なんなの?」

 こんな光景見たことない。青の霧が一瞬にして消え去るなんて。しかも、ついと辺りを見渡せば、船の周りにはまだ霧があるのだ。そう、まるで船が丸ごと薄い膜で覆われているかのような、海の只中にあってこの船だけが青の霧を避けている。一体彼はなにをしたというのか?


「ロェイ! お前、力使ったな?」

 船室から駆け出してきたのはラッシェル。眉間にシワを寄せ、怒っている風。

「この場合、仕方ないだろう?」

 甲板に集まりだす、面々。オルガをサントワに預け、息をつく。

「今のは、なんだ?」

 ゼンもまた、ロェイに詰め寄った。

「青の霧を拝んだのはこれで三度目だが、それ自体一生に一度出会えるかどうかの現象だ。その子を助けたあんたは聖人だから納得いくとして、青い霧を吸ってなんともないどころか、消し飛ばしたお前は何者だ?」

 早口で捲くし立てる。と、ロェイの代わりに口を開いたのはサントワだった。

「彼は『凪』だよ、船長」

「えっ?」

「ちょ、何でサントワが知って」

「凪だと!」

 ロェイ、ラッシェル、ゼンが揃って口を開く。エリスは少し顔を歪ませ、フラッフィーは首を傾げていた。


「おい、何であんたが知ってるんだ? そのことは俺しか知らないはずだぞ!」

 ラッシェルがにじり寄る。

「ナハスが教えてくれたんだ。彼の力はオルガの命に関わる重要なものだ、とな」

「……ナハスか」

 ロェイが呟く。

「おい、本当にあんた凪なのか? 聞こえてくるイメージと随分違うぞ。もっと凪ってのは恐ろしい形相をして冷たい目をして……」

 ゼンはまだ半信半疑でいるようだ。自分の知りうる「凪」情報を並べ立ててはロェイと比べている。

「こいつは凪だよ、船長。だけど一口に凪、って言ったって悪党や非道なヤツばかりじゃねえ。少なくともロェイは、世界中で一番《《らしからぬ凪》》だ」

 ポン、とロェイの肩を叩き、ラッシェル。

「……誉めてんだか貶してんだか」

 ロェイは眉を寄せ、言った。


「ねぇ、凪ってなによ?」

 わけのわからないフラッフィーがロェイの服を引っ張り、言った。

「ちょっとばかり特殊な力を持つ者のことだ。ロェイ、助かったよ」

 そう、話を掻っ攫ったのはサントワだった。フラッフィーに凪のことを話していなかったロェイとしては、今の説明はとてもあり難いものだったと同時に、嘘をついた罪悪感も抱いてしまう。特殊な力……。確かに間違いではないが、要は殺人兵器。出来ることなら、フラッフィーにだけは知られたくなかったが。


「へぇ、ロェイったら、そんな凄い力持ってたのぉっ? ちっとも知らなかったぁ」

 フラッフィーは得意顔である。海に落ちそうになっていたオルガを助けたのはロェイ。そのことで凪の力をいいように誤解したのだ。

「いや、フラッフィー、俺は……」

 口を開くが、二の句が続かない。フラッフィーに説明しなければいけない理由などないのだから、誤解させておけばそれですむ話なのだ。だけど……


 騙しているみたいで、嫌だったのだ。


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