第4話: 「やさしい奇跡」
神殿の朝は、祈りの鐘の音で始まる。
その日は、いつもと変わらないはずだった。
けれど、神官長からの一言が、すべてを変えた。
「紗羽殿。異邦よりの来訪者であるあなたに、正式な“奉仕者の証”を得るための試練を受けてもらいたい」
“奉仕者の証”――この世界に受け入れられる者として、神に選ばれるための儀式。
「試練って……どんなことをするんですか?」
「癒しの力を試されます。
ただしそれは、“癒したい”という願いが真実であるか、信仰が揺らがぬか、問われることでもあるのです」
それを聞いたとき、紗羽の心に小さな不安が芽生えた。
それでも、逃げたくなかった。
「……やります。私、この場所で、ちゃんと生きていきたいから」
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その夜。神殿の一室で、レオナールは紗羽に向き合っていた。
「本当に受けるんですか?」
「……うん。だって、ここが私の居場所になりかけてるから。
誰かの役に立ちたいって、初めて思えたの。だから、ちゃんと証明したい」
レオナールはしばらく黙っていたが、やがて小さく微笑んだ。
「なら、私もそばにいます。
あなたが倒れても、何度でも手を伸ばします。
でも……もし心が折れそうになったら、逃げてもいい。
それも“生きる選択”だから」
その言葉に、紗羽の胸があたたかくなった。
「……ありがとう。レオナールさんがいてくれるなら、たぶん、私は大丈夫」
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試練の日。
紗羽は、地下の聖堂に導かれた。
そこには、病に苦しむ者たちが、何人も横たわっていた。
「あなたの癒しの手が、どこまで届くか――
それは、あなたの“祈りの深さ”で決まります」
神官長の言葉とともに、紗羽はゆっくりと歩み寄る。
心の中でただ、願いを重ねていく。
「神さま、私はまだ未熟です。
でもこの人たちの痛みが、少しでも和らぐなら……どうか、力を貸してください」
震える手を、ひとりの病者の額に当てる。
すると――ふわり、と。
掌の奥が熱を帯び、やさしい光がにじんだ。
誰かが、小さく息をつく。
もう一人。さらに一人。
彼女の祈りとともに、光は小さく確かな癒しをもたらしていった。
しかし、次の瞬間。
「……っ!」
紗羽の膝が崩れた。
まるで力を吸い取られるように、意識が薄れていく。
「紗羽!」
レオナールの声が届いたときには、彼女は倒れ、床に伏していた。
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目を覚ましたのは、夜の礼拝室だった。
窓から月が差し込み、レオナールがずっとそばにいた。
「……ごめんなさい、私、失敗した?」
「いいえ。あなたの祈りは届いていました。
病者の何人かは、目覚め、苦しみが和らいだと報告されています。
ただ――自分の力以上に、誰かのために祈った。
それだけです」
紗羽の目に、ぽろりと涙が浮かぶ。
「こわかった……自分の全部が壊れてしまいそうで」
「それでも、あなたは祈り続けた」
レオナールが、そっと手を重ねる。
「あなたが与えたのは“やさしい奇跡”です。
それを、私はこの先も信じていきます」
紗羽は、彼の手を強く握り返した。
「……私も、信じる。
この場所で生きていくこと。
誰かを癒すこと。
そして、レオナールさんと、歩いていくこと」
静かな夜、ただ手と手が重なったその瞬間、
彼女の中に、またひとつ“確かな灯”がともった。