恩恵は誰の手に
今、私は目の前に座るブラッドを睨んでいる。
「お嬢様…」
「はい!クビ!」
お嬢様呼びを止めさせようとしているのだが、騎士の誓いを立てたブラッドは融通が利かなくなっている。
「以前のようには無理ですよ。俺の主はもうお嬢様なのですから」
「そもそもなんで私の騎士になろうと思ったの?近衛兵になるんじゃなかったの?」
馬に乗って護衛するというブラッドが馬車の中にいるのはこれを聞くためだ。
「お嬢様が無防備だからです」
おいこら!主に対して何て言い草だ!
「いつも一人で突っ走ってしまわれるし、誰に対しても警戒心を持たずズカズカと心の中に踏み込んで…」
私との日々を思い出しているのかブラッドの表情が和らいだ。
…まさかブラッド、私のこと…。
やだ。困るわ。私には皇太子という婚約者がいるというのに…。
「暴走を止める人間が必要だと思ったんです」
さよか。
「それにしてもよくローディン侯爵が許したね」
オリオル公爵家よりは劣るが権力のある侯爵家だ。
第一騎士団の入団ならまだしも小娘のしかも悪女と名高い私のもとに就職なんて…日本じゃブラック企業もいいところだぞ?
「勘当されました」
…えええ!?
なんてこった!!
私のせいで出世街道まっしぐらだったブラッドが落とし穴にはまっちまった!
「そんなのダメだよ!今ならまだ間に合うから取り消して謝ってきなよ!」
私がこんなに慌てているのにブラッドはどっしりと構えて動く気配なし。
「別に肩書きにこだわってはいませんから。それに侯爵家は兄が継ぎますから何も問題はありません」
問題大ありでしょ。
「…俺にとって勘当されることよりも一度誓った騎士の誓いを破る方が恥ですから」
…くっ!ごめん!私はタイヤに釣られて即誓いを破った子です!
「それにお嬢様と一緒にいるのは楽しいので」
私の爆走振りが面白いといいたいのか?
こちらはいつも生きることに全力なのに…。
皇都を出発して2日半。
うん。半日記録更新したな。
タイヤの性能に満足しながら公爵領に到着した。
「フィー!!待っておったぞ!!」
わぉ!熱烈歓迎!
祖父が両手を広げて突進してきたのだ。
これは前の時と同様に痛い歓迎を受けるパターンだ!
こうなりゃ骨の一本や二本くれてやる!
覚悟を決めて両手を広げるも、私の前に壁が立ちはだかった。
祖父は勢いそのままに壁を抱きしめると壁から「うっ!」と声が漏れた。
鍛えている男がうめき声を上げるレベルって私即死じゃね!
あまりの恐怖に震え上がった。
レオに殺される前に祖父に殺されるかもしれないと青ざめた。
「フィー!こんなに逞しくなって!」
祖父は全く気付く様子もなく壁を抱きしめながら頬擦りをしていた。
いや。気付けよじいさん。逞し過ぎだから。
「あらあら。あなた、ブラッドが苦しんでいますよ」
「なんじゃと!?」
祖母の登場にようやく自分が抱きしめている相手がブラッドだということに気が付いた。
「おお!ブラッド!逞しくなったな!…ところでいつフィーと入れ替わったんだ?」
最初からです。
「おじい様。おばあ様。お久しぶりです」
私はブラッドの後ろから顔を出しカーテシーをした。
「ということは…そうかそうか。ブラッドもついに決心したのだな」
「決心って?」
「なんだ。聞いてないのか?ブラッドは…」
「お嬢様!すぐに鍛冶屋に参りましょう!!」
ブラッドが慌てた様子で私と祖父の会話を遮り私を馬車へと乗せた。
馬車の中でブラッドの決心について尋ねるも全く答えてくれず。
帰ったらこっそり祖父に聞いてみようと決心したのだった。
鍛冶屋に到着すると職人さんが増えていた。
おそらく生産が追い付かず、助っ人を頼んだのだろう。
挨拶を交わし、私の前にお披露目されたのは手紙にも書いてあった物。
それは…合成ゴムだ!!
作り方?知らん。
正確にいうと石油から出来ているということと、パン作りのような工程で出来るということだけは知っていた。
実はタイヤ作りを始めた当初、私は今回のような危機がやってくるかもしれないと危惧していた。
そこで薬品担当の職人さんに相談していたのだ。
この世界に石油があるのかどうか分からなかったが、石油について説明すると似たような性質の物があるということでそれを使って作ってみることにした。
…ほとんどが職人さん任せだったけどね。
ちなみに石油っぽい物を見た時に『車作れるんじゃね?』とも思ったが、これ以上知識の無い事に手を出すのは止めておこうと断念した。
だってタイヤも完成してなかったし。
そして作り始めて4年。ようやくそれらしい物が完成したと連絡を受けたのだ。
合成ゴムと天然ゴムを混ぜて作った新タイヤ!
これを私が嵌めずして誰が嵌めるのよ!
私が言うと悪巧みの嵌めるに聞こえるのは気のせいだろうか…。
試運転の結果、合成ゴムの多少の問題などを解決しながら徐々に完成形に近づけていき、半年後には合成ゴム入りタイヤの販売にこぎつけた。
これによりレオの伝手にも順次タイヤのお届けが出来るようになった。
タイヤ製造はこれで安泰だ。
観光案内所も新しく始めたBBQが大盛況。
理由は宣伝文句に『皇太子殿下も大絶賛!!』の文字を大々的に入れたからだ。
事実だしいいよね?
こうしてオリオル公爵領の活性化は成功に終わった。
自分が貧乏貴族になりたくなくて、お嬢様スローライフを送るために始めたのに…皇室に嫁ぐなら意味なくない?
頑張ったのは自分なのに、結局自分への恩恵は何一つ返ってこなかった…。
思わず遠い目で町を眺めたのだった。
そして、私は今…。
ケーキ屋でパウンドケーキを開発中だ。
なぜこんなことになっているかというと数日前にケーキ屋のシェフに泣きつかれたからだ。
「先生!美味しいパウンドケーキの作り方を指南して下さい!」
自分で研究すればいいじゃん?とは思ったが、先生になると言った手前見捨てる事も出来ず今に至る。
パウンドケーキはこの世界に元々あるものだ。
だがご存じの通り、とにかく不味い。
日持ちはするのでお土産として持って帰る客が多いのだが…ケーキの美味さを知っている客には不評なのだ。
作り方を見せてもらって納得した。
全ての行程に問題あり過ぎだろ!!
バターは溶かし過ぎるし、卵はそのまま投入するし、粉を入れてからは練りまくるし…!
私の怒鳴り声がケーキ屋に響いたのはいうまでもない。
こうして完成したパウンドケーキがどのくらい日持ちするのか試すためお持ち帰りすることに。
今回の件でなぜケーキが不味いのかわかった気がする。
この世界には『レシピ』がないのだ!
正確にいえば誰かの真似をしたり、師弟関係を結んで学んだりはしているが、メモ書きのレシピしかないため美味しい物を作っても他の者には伝わらないのだ。
そのためいつまで経っても成長しない。
レシピ本でも作って一儲けしようかな?
屋敷に到着すると伝令用の馬が入口に待機していた。
何かあったのだろうか?
ブラッドと顔を見合わせた。
中に入るとそこには皇太子直属の騎士の制服を着た兵士が祖父と話をしていた。
「フィー。皇太子殿下からすぐに皇都に戻れとの伝令だ」
18歳の春。
いよいよその時を迎えたのだった。
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