皇太子の婚約者
呆然と男爵令嬢を眺めていると可愛い所作で令嬢がカーテシーをした。
「アンナ・ブリュエット・ベロンと申します。助けて頂いてありがとうございました」
皇太子の好みが良く分かり安心した。
だって私と真逆だし!
相手は完全に素朴な感じの小動物で、守ってあげたい女子の部類だ。
あの肉食令嬢達に太刀打ちするのは厳しいか…でも皇后になるのならあれくらい退けられないと。
「貴方は皇太子殿下の婚約者候補に選ばれたのよ。選ばれなかった令嬢達に好き勝手言わせずにもっと堂々となさい」
檄のつもりで言ったのだが私の顔が怖かったのかアンナの目に涙が。
こんなところ皇太子にでも見られたら即処刑になる!!
「いや…だから…殿下に想われているのだからもっと自信を持ちなさいって話!」
アンナは目を輝かせながら私を見上げた。
元々この二人の恋の進展を応援しようと思っていたし、ここはちょっと協力してあげますか。
「ここで少し待っていて」
彼女を廊下に残して急いで休憩室に戻った。
再び戻ると彼女に手紙を手渡した。
「これを皇太子殿下にお渡しして。お願いね」
手紙の内容は『私は先に帰るので、婚約者候補の男爵令嬢を屋敷に送り届けてあげて下さい』だ。
そのままカッコ良く立ち去ろうとして上半身だけ振り返った。
「あと…あなたから殿下にタイヤを買わないか薦めておいてくれないかな」
こうして本日の営業は終了した。
タイヤ何本売れるかな?
波乱の舞踏会は幕を下ろし、明日は朝一で領地へ帰るため早目に就寝したのだった…。
「お嬢様!起きて下さい!」
眠りについてそんなに時間が経った感じがしないのに使用人が慌てた様子で起こしに来た。
眠い目を擦りながら外を見るとまだ薄暗い。
「まだ早いよ…眠い…」
再びベッドに横たわるも使用人が私の体を揺すった。
我儘ディスフィーネにここまでするとなると使用人にとっては命懸けだ。
何故なら口癖が『クビ!』の私だから。
「お嬢様!すぐに起きて準備して下さい!皇太子殿下の使いの方がお見えです!!」
なんだと!?
私はベッドから飛び起きた。
急いで着替えて一階に下りると皇太子の最側近で宰相候補のアルヴィド・ニルス・ヘルマン公爵令息が先程帰ってきたと思われる父と話をしていた。
オリオル公爵家が騎士の家系とするとヘルマン公爵家は宰相の家系で、この二大公爵家が代々皇室を支えてきた。
この二大公爵は…仲が悪い。
どう仲が悪いかというと脳筋VS無筋と互いを軽蔑しているのだ。
どっちもどっちである。
そしてそれは私とアルヴィドも例外ではない。
アルヴィドは私を無能と私はアルヴィドを根暗と互いを蔑んでいた。
無表情だが今も嫌々来た空気が漂っている。
私が前に立つとアルヴィドは恭しく胸に手を当てて少しだけ頭を下げた。
「この度はご婚約おめでとうございます。こちら皇太子殿下より婚約の品とお手紙になります」
アルヴィドは懐から封筒を取り出し私に差し出した。
しかしいつまで経っても受け取らない私を訝しそうに見つめた。
それはそうだ。
だって私の頭の中は現在、現実逃避中だからだ。
こんやく?こんにゃく?こんわく?
もっと他に何かないかな?
そうだ。これはきっと聞き間違いだ。
こいつが帰ったら耳掃除をしよう。
すっきりしたら領地に帰るか。
そうだ。タイヤを皇都に運ぶ手配をしないと。
ブラッドちゃんと営業に回ってくれたかな?
私も皇都で営業回りした方がいいのかな?皇室とか…。
昨夜の皇太子の顔が頭を過った。
いやーーーーー!!
現実に引き戻された。
「オリオル公爵令嬢。私も暇ではないのです。さっさと受け取って下さい」
痺れを切らしたアルヴィドに無理やり手紙を持たされた。
いやーーーーー!!呪いの手紙!!
これ誰かに回してもいいですか!?
手の平の上に置かれて両手が震えた。
そんな私の様子など興味がないといった感じでアルヴィドはさっさと屋敷を後にした。
沢山の品に挟まれて呆然とする私。
渡された手紙には『愛しのディスフィーネ』から始まっていた。
思わず一度静かに閉じてしまったのは許して欲しい。
再び上段を見ないように読み進めると間違いなく『婚約』の文字が綴られていた。
『候補』じゃなくて『婚約』?
私、何かしたっけ?
全く心当たりがない。
婚約者候補とは一体なんだったんだ?
アンナは?アンナはどうなってんだ?昨日皇太子が屋敷まで送ったんじゃないのか?
帰りに何かあったとか?
いや。あったとしても私、関係なくない?
はっ!まさか私のタイヤ事業を奪いたいとか!?
そんなに欲しいならあげるから私を放っておいて!!
「お嬢様。お客様がお見えです」
頭を抱える私に執事が部屋まで呼びに来た。
客?誰だ?
一階に下りると数刻前に見た嫌な顔が並んでいた。
今は戦う元気がありませんけど?
溜息を吐きながら前に立つと、突然床に跪き頭を下げてきた。
「オリオル公爵令嬢!私達をお助け下さい!!」
今度は何だ!?
「このままでは私達、家から追い出されてしまいます!!」
えええええ!?どういうこと!?
というよりこの場面を誰かに見られたら完全に私がいじめているみたいに見えるんだけど!!
私は慌てて3人の令嬢達を立たせると応接室へと放り込んだのだった。
真っ青な顔で俯く3人の令嬢を前に溜息を吐くと3人は肩を震わせた。
「それで?どうして私のところに来たのよ。マリレーヌにお願いすればいいでしょ」
朝早くからどいつもこいつも。
3人は顔を見合わせながらそれぞれ手紙を取り出した。
デジャブか?その手紙の封筒…さっき根暗からもらった気がする…。
「皇太子殿下からの手紙です」
うん。知ってる…って読めって?この呪われた手紙を?
ばっちい物を摘まむようにそろりと手紙を自分に引き寄せた。
手紙からは禍々しいオーラが発せられている。
いや。視えないけど雰囲気がね。
開いたら悪霊とか出てきそうだな…。
盛り塩するか?
意を決して手紙を取り出して開いた。
そこには『私の愛しの婚約者ディスフィーネ・フェリシー・オリオル公爵令嬢を誹謗した罪で一年間の社交界の出入りを禁止する』と書かれていた。
『愛しの』…これ、いつから私の枕詞になったの?
それともこれを語頭に付けるのが流行りなのか?
「皇太子殿下を説得出来るのはオリオル公爵令嬢だけです!どうか私達をお助け下さい!」
忘れてた。
こいつらよりも『愛しの』の無駄使いの方に食いついてしまった。
女性の旬でもある時期の社交界一年出禁は致命的ともいえる。
だけど…。
私は手紙を令嬢に向かって投げ捨てた。
「こんなことが書かれているということはどこかで私の陰口でも仰っていたのかしら?」
肘をついて体を前のめりにして見据えると令嬢達は視線を逸らした。
「…その…マリレーヌ様と話しているのを殿下に聞かれていたようで…。でも仕方がなかったんです!マリレーヌ様に同意しなければ私達は排除されてしまうから!」
つまり私の悪口を言っていたのはマリレーヌと言いたいわけか。
ソファーの背もたれに体を預けると圧から解放されたと思ったのか令嬢達の体の力が抜けた。
その姿を鼻で笑った。
「呆れたものね。自分達の保身のためにマリレーヌを悪役に仕立てるなんて」
私の不敵な笑みに令嬢達は再び青ざめた。
これ以上話はないと立ち上がり令嬢達を冷やかに見下ろした。
「マリレーヌと一緒に私の事を悪く言っていたのは事実なんでしょ?それなのになぜ私が貴方達を助けなければいけないのかしら?自業自得ではないの」
立ち去る私の後ろでは令嬢達の泣き声が響いていたのだった。
廊下を出て急いで向かったのは父の書斎だった。
「お父様!殿下の思惑が分かりました!」
飛び込むように入ってきた私に父は目を丸くした。
私はそのまま書斎の机を力強く叩いた。
「これは殿下が令嬢達に罰を与えるために行った嫌がらせです!だから殿下はすぐに婚約話を無しに…」
「それは心外だな」
背後から聞こえてきた声に体が震えた。
ギギギ…と首を後ろに向けると入口に立っていたのは…。
死神皇太子!!
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