決心
「魅由が……死ぬ?」
生温い湿気を含んだ風が薄紫色の海を揺らす。
あれから私たちは温室には向かわずに、ラベンダー畑へと歩を進めていた。その道中で聞いたルミの話はにわかには信じがたい内容だった。
「……夕星祭で?」
いや、揺れているのは私自身かも知れない。だって、目の前に立っているルミも揺れているから。
「ど、どうして?」
そんな事……とても信じられない。いや、信じられない事が多過ぎて……とても理解が追いつかない。それでも私が一番気になる点は一つ。魅由の死についてだ。
「原因は私にも分からないわ」
ルミが首を横に振る。
「だって、私はそれを知る事無くこの世を去ってしまったのだから」
「っ!」
「だから、今回は事故が起こらないように対策を取るつもりよ」
対策……そうか。事故が起こるなら、起こらないようにすればいい。大道具が倒れてくるならその部分を補強して貰えばいいんだ。
「な、なんだ。じゃあ大丈夫なんですね」
「……だと良いのだけれど」
けれど、私の安堵をルミの言葉が吹き飛ばす。
「え?だって対策を取るんですよね?」
「ええ、それは勿論。けど、それだけではきっと防げない……」
「ど、どうしてですか?」
「……優菜さんは、歌劇同好会の初練習の時のことは覚えているかしら?」
「初練習の時?はい、覚えています」
何せ、魅由と夏奈子、ルミと一緒に噴水に落ちたのだから。いや、あれは落ちたというより飛び込んだが正しいか。でも、どうしていきなりそんな時の事を聞くのだろう。
「私の時も同じ事があったのよ。でも、噴水に落ちたのは私と優菜さんの二人だけだったわ。優菜さんが噴水の縁に立って私に手を伸ばしてくれて。私は優菜さんの手を取って噴水の縁に上がろうとして、けど勢いをつけすぎてそのまま二人して落ちてしまったの」
その時の事を懐かしむかのようにルミが語る。その表情はとても穏やかで、でも少し寂しげに見える。
けど、今のルミの話……どこかで……
「だからあの時、忠告したのよ。あのまま放っておいたら二人とも噴水に落ちてしまうから。でも、それとは別に、私の考えを試すチャンスだとも思ったわ」
「試す?」
「ええ。これから起こるであろう出来事を変えられるのか、って……」
「あ……」
「けど、変える事は出来なかった。いえ、私や夏奈子さんも落ちてしまった事を考えれば変えられたのかもしれないけれど……」
それでも、噴水に落ちるという出来事自体は変えられなかった。
「他にも私の記憶の中にある出来事を変えてみようとあれこれ試してみたわ。歌劇同好会に入部したのもそのためなのよ」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ。私の時、ルミは歌劇同好会には入部しなかったから。いいえ、それどころか歌劇同好会の活動に否定的な態度を取っていたわ」
ルミがそんな事を……今のルミしか知らない私にはとても想像できない。
「けど、どれも徒労に終わったわ。どう足掻いても、私の記憶にある出来事は起こってしまった」
「そんな……」
「今思えば、私の時のルミの前世も魅由だったのでしょうね。だから前世の記憶とは違う事をして、どうにか悲劇を回避しようとした」
でも、それは結局徒労に終わり、こうしてここにルミがいる……
「それじゃあ、どうしたって未来は変えられないって事ですか?」
そんな事ってあるのだろうか。これから起こる出来事は既に決まっていて、何をどうしたって変えられないなんて……
「あ、そうだ!それなら野外劇自体を中止にしてしまえば!」
それなら大道具が倒れてくる事も無い。魅由がその下敷きになる事も無い。だが、私の提案にルミの銀髪がやんわりと横に揺れる。
「確かにそうすれば、今の魅由さんは助かるのかもしれないわ。けど、噴水での出来事を考えると……」
噴水での出来事……確か、起こる出来事は変えられないけど、それに巻き込まれる対象は変えられるって……
「あ……」
「歌劇同好会が野外劇を中止した場合、野外ステージに出る他の部の誰かが事故に遭う可能性があるわ」
「そんな……そ、それじゃあ!」
「夕星祭自体を中止にする事も考えたのだけれど、それでも起こる出来事が変わらないのなら、必ず何処かで事故が起こる……そうなった場合、どれほどの被害が出るか想像もつかないわ」
夕星祭を中止にすればいいなんて、私が直ぐに考えつくような事は当然ルミも考えていて、その先まで見越している。
「第一、私だけの一存で学校行事を中止になんてできないわ。事故が起こるから、なんて言っても誰も信じられないでしょうし」
「それじゃあ、もうどうする事も出来ないって事ですか!?魅由は……魅由が……」
いなくなる……そう考えただけで景色が揺らぐ。知らずお腹に添えられていた左手が力を失い重力に囚われる様を項垂れながら見つめる。
「けど、それでも私は諦めたくないわ。だから優菜さんに一つお願いがあるの」
「え?」
諦めたくないという言葉に顔を上げると、紅の瞳が私の絶望を追い払おうとでもするかのように力強く輝く。何か……手があるのだろうか。でも、私にお願いって……私にどうにかできる事なのだろうか。でも、それで魅由の命が救われるのなら……
「……お願いって?」
「夕星祭で事故が起きるのは野外劇のラスト。森の精霊が呪われながらも王子を愛し、王子もまた森の精霊を愛していると抱き合うシーン。そのシーンでの王子の立ち位置を変えてほしいの」
「立ち位置を?確か、森の精霊と王子がそれぞれ下手と上手から登場して、王子が森の精霊への想いを歌いながらゆっくりと近づいていくシーンですね」
「ええ。そのシーン、最初から森の精霊と王子が近くにいられるようにしてほしいの」
「それは……」
ラストシーンは、森の精霊が呪われてしまい、それを解くには愛する者の命が必要だと魔女に告げられる。一方で王子は森の精霊を愛していることを自覚し、彼女を探し回り、遂に見つけ出す。王子は森の精霊に愛を告げるが、王子を死なせたくない森の精霊はそれを拒む。森の精霊を愛する事が自分の死に繋がる事だと知った王子は、それでも愛を貫き通そうとする。最後は二人が抱き合う事で森の精霊が呪いから解放されて、ハッピーエンドという流れだ。
演出的には、上手から現れた王子が、下手側で待つ森の精霊にゆっくりと近づいていくのだが、それを変えるのなら……
「そうですね……例えば、逃げる森の精霊を、王子が追いかけながら想いを歌うようにすれば……」
何だか一歩間違えれば変な誤解を生みそうな演出だけど、それを演じるのが魅由とルミなら問題なさそうだ。
「そうね……それならラストシーンの最初から魅由さんの近くにいられるわね」
ルミも頭の中でシミュレートしてみたのだろう。しかし、よく考えると、自分の前世に愛を歌いながら追いかけるってかなり妙な気がする。
「でも、どうしてそんな事を?」
正直なところ、ルミの目論見が見えてこない。まぁ、私の察しが悪いだけなのだろうけど。お陰で変な事ばかり頭に浮かぶ有様だ。
「それも噴水での出来事から思いついたのよ」
起こる出来事は変えられないけど、それに巻き込まれる対象は変えられる……
「ま、まさか!」
「ええ。事故が起きた時、私が魅由さんの身代わりになるわ」
「そんな!そんなのダメだよ!」
ダメだ!ダメだ!ダメに決まっている!誰かが誰かの身代わりになるなんて!そんなの!
「優菜さん落ち着いて」
けど、ルミさんは優しく微笑んだままで……
「落ち着いてって、ルミさんこそどうかしてるよ!身代わりになるなんて!」
取り乱す私の頬にルミの冷たい手が添えられる。いや、ルミの手が冷たいわけではなくて……
「心配してくれてありがとう。でも、幸いな事に私には力があるわ。普通の人間なら助からなくても、私なら何とかなるわ」
ルミの力……人の血を吸う事で扱う事の出来る超常的な力。それがどの程度のものなのかは分からないけど……
「大丈夫よ。こう見えて頑丈なんだから」
なんて明るめの声で気遣ってくれる。自己犠牲を自ら買って出ているというのに、その表情はとても穏やかで……
「やっぱり、中止にすることはできないんですか?」
野外劇を、夕星祭を……ダメ元で提案してみる。ルミの返事なんて分かりきっているのに……
「その場合、どんな形で事故が起こるか全く分からなくなるわ。必ず事故が起こるのなら、せめて被害は最小限に収めたいの」
それが最善の策だと。ルミにとっては最悪の結果になりかねない決断。
「優菜さん、お願い」
紅が揺れる視界に嫌にはっきりと映る。真っ直ぐに向けられるその決意の強さ……
「分かり……ました」
その奥底に宿る彼女の面影を見つけてしまったから……
「ラストシーンの演出、変えます……」
それを断る事など出来る訳も無かった。




