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夏奈子の過去と彼女の疑念と私の禍根

 大庭夏奈子。

 星ノ杜学院一年生。歌劇同好会所属。

 養母、大庭嗣縁とその姪の智賢ともさかあさがおとの三人暮らし。

 大庭嗣縁の養子になる前の苗字は宮野。ただし、これは偽名であり、大庭嗣縁との養子縁組前までは無戸籍者だったようだ。

 実母、宮野みやの茅冬ちふゆ。彼女もまた無戸籍者である。竜宮院の屋敷に住み込みで働いていた家政婦。竜宮院の屋敷で働いていた者の話によると、ある日突然、娘の夏奈子共々、当時の当主である竜宮院雄一が連れて来たという。それ以前の経歴は一切不明。そういった経緯もあってか、村の人間からは竜宮院雄一の愛人と思われていたようだ。

 竜宮院雄一。元華族である竜宮院家の当主であり、政界、財界にも強い繋がりを持っていた。屋敷のある村の者達との関係は決して良好とは言えなかったが、彼が齎す恩恵は大きく、村人たちもそれならばと彼の存在を受けいれていた。故に、突如として現れた親子に対しても、疑念を持ちながらも村の一員として扱っていたようだ。

 そんな竜宮院家に陰りが差す。竜宮院家が運営していたとある施設で、そこに勤めていた職員や関係者の殆どが死亡する大事故が発生。この事故で難を逃れたのは、竜宮院雄一本人と、家族旅行で休暇を取っていた一組の夫婦職員だけ。その夫妻職員も、休暇中の交通事故により他界。結果、事故の全ての責任を、竜宮院雄一が背負う事となった。

 そして、その事故以降、竜宮院家は急速にその力を無くしていった。何をしても上手く行かず、講じた対策は悉く裏目となり、妻子には逃げられ、屋敷で働いていた者達も暇を告げて去っていった。結果、屋敷に残されたのは当主である竜宮院雄一と家政婦の宮野茅冬、その娘夏奈子の三名のみとなった。

 不幸続きの竜宮院雄一……だが、本当の不幸はこれからだった。

 ある夜、屋敷に大型の獣が侵入。鉢合わせた竜宮院雄一はその場で殺され、家政婦の宮野茅冬も屋敷裏の山中にて遺体となって発見された。

 宮野夏奈子は、茅冬が殺された近くの茂みに倒れているのをフィールドワーク中だった大庭嗣縁に発見され、一命を取り留める。

 こうして、静かな山村に突如降り注いだ獣害事件は幕を閉じる。

 だが、この事件には不可解な点がいくつか見られた。

 まず、竜宮院の屋敷に荒らされた形跡が殆ど無かった事だ。獣の足跡や抜け毛等、建物内はおろか、庭にも一切その痕跡が無かった。唯一荒らされていたのは宮野茅冬の住み込み用の部屋だけだった。そこだけは何者かが争った形跡があり、竜宮院雄一の遺体もその部屋で発見された。

 次に、遺体の不自然さ。竜宮院雄一の死因は、胸を巨大な何かで一突きされていた。だが、獣はこんな襲い方はしない。大型の獣に襲われた者への被害は、前肢による殴打か、牙による噛みつきが殆どだ。また、傷口からは野生動物自体が持つ細菌等も検出されなかった。

 宮野茅冬に関しては、遺体の損害が酷いという理由で検視すらできなかったらしい。その事に対し、事件を担当した刑事は最後まで検視をするよう要請したらしいが、最後まで聞き入れてもらえなかったという。

 他にも、竜宮院家を襲った獣が未だ見つかっていない事や、宮野夏奈子と、その発見者の大庭嗣縁もその獣に遭遇していない事等。

 これらの話が噂として村人達の耳に入ると、この事件は「山神様の裁き」だと言い出す者が現れた。曰く「竜宮院の身勝手を山神様がお諫めになった」という事らしい。

 唯一の生き残りである宮野夏奈子は、恩人である大庭嗣縁に引き取られる事となった。

 これが……あの村で起きた事の顛末。


「ふぅ……」

 椅子の背もたれに凭れ掛かり、コーヒーカップ代わりのビーカーを手に取る。口に含んだ黒色の液体は温く、中々喉元を過ぎ去ってはくれなかった。

「……入れなおすか」

 と椅子から立ち上がろうとした私の左後ろから一本の手が伸びてくる。その手には黒い液体がなみなみと注がれたビーカーが一つ。

「おや?」

「はい。入れなおしたよ、沙紗」

「ありがと、咲恋」

 彼女の手からビーカーを受け取る事で、初めて自分の手が冷え切っている事に気が付く。

「何だか随分と熱心に見ていたけれど?」

 私が見ていたものに興味があるのか、それでも視界に入れずにこちらに伺いを立ててくるのは彼女らしい。

「ああ、昔の事件さ」

「……事件?」

「気になるなら見る?」

 そう言いながら席を譲るために立ち上がる。それでも咲恋はこちらを不安そうな表情で見つめたままだ。恐らく事件というところに引っかかっているのだろう。

「でも……いいの?」

「勿論」

「うん、それじゃあ……」

 だが、好奇心には勝てないようで、漸くおずおずと椅子に腰かけ、モニターに視線を移す。

「……この獣って、熊かな?」

「多分ね」

「でも、どうして熊って書いていないの?」

「そりゃ、その獣が発見されていないからだよ」

「ふーん、そういうものなのね」

 彼女が今見ているのは例の事件の報道記事だ。山中の村に獣が侵入し、人を殺害したというもので、殺された竜宮院雄一の名前は載ってはいるが、宮野茅冬、夏奈子の二人の名前はない。ネットで少し調べたら誰にでも見られるものだ。

「ねぇ、どうしてこんな記事を真剣に見ていたの?」

「ん?何でって言われても……まぁ、気まぐれ?」

 咲恋の尤もな質問にお茶を濁す。まぁ、可愛い後輩からの頼みがあったからとはいえ、私がこういったものに興味を持つのは不可解なのだろう。

「気まぐれ……かぁ」

 一見納得したかのような口振り……だが、油断してはいけない。何せ、咲恋にはあの力がある。そのせいで気が付かないうちに片眼鏡を奪われた事もあるわけで……

 しかし、以前はその力を使う事を禁忌としていた節があったのだが、どうも最近は使いこなす方向性らしい。まぁ、その一端は私の言動が原因なので、一概に責めたりは出来ないわけだが……

「……ねぇ、それよりも……例の事は考えているの?」

「……例の事って?」

 分かっていて惚けてみる。が、今日はいつもより踏み込んでくる。

「分かってるくせに……ほら、マリーが言っていた……」

「あー、あれね、うんうん」

 勿論覚えているとも。これから起こるであろう出来事の事……

「まぁ、何とかなるんじゃない?」

「な、何とかって……」

 私の無責任な返答に流石の咲恋もジト目で睨んでくる。だが……

「……私に任せてよ。そうしたら、決して世界は滅びたりしないから」

 その不信に笑顔で答える。

「……信じていいの?」

「勿論さ。何故なら私は……」

 逆那沙紗なのだから。

 だから……私は私が出来る範囲で、世界を救ってみせる。

 それが例え、皆が……咲恋が望まないかたちだとしても。

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