大庭夏奈子
初めて夏奈ちゃんと出会ったのは、小学五年生……私が嗣ちゃんの家に自力で辿り着いた日だったな。
そんな夏奈ちゃんの第一印象は、暗い子だった。
通された居間の隅に膝を抱えて座っていた夏奈ちゃんは、入ってきた私を一瞥したかと思うと、直ぐに虚空に視線を漂わせた。こちらから話しかけるべきか少し悩んだけど、結局嗣ちゃんがお粥を持って来るまで、私は部屋の入り口で突っ立ったままだった。
お粥を食べ終わった私が夏奈ちゃんの事を聞くと「養子よ」と短く答えてくれた。その時の嗣ちゃんの少し寂しそうな表情は今でも鮮明に思い出す事が出来るよ。
結局、夏奈ちゃんとはそこで一瞬顔を合わせただけで、仲良くなる事はおろか、まともに話す事も無く時間は過ぎていった。
暫くして、私は近くの小学校に通える事になった。
夏奈ちゃんとも同じクラスだった。
ただ、転入したクラスは異様な緊張感が漂っていた。
最初は、転校してきた私のせいかと思ったよ。普通、転校生が来たら人だかりができて、質問攻めにされるものだろう。私が前にいた小学校でも、転校生が来た時はそうなっていたし。
けど、そうはならなかった。クラスメイトの何人かは声を掛けてくれるのだが、挨拶程度で……クラスメイト達は皆何かに怯えるような感じだった。
歓迎されていないのだろうか、というのが思い違いだった事に気がついたのは、一人の女生徒が廊下に出て行った時……夏奈ちゃんが教室から出て行くと同時に、あの異様な緊張感が消え、クラスに安堵と僅かばかりの雑音が響いた。それまで鳴りを潜めていた好奇心からか、私に質問してくる子もいた。
ただ、それも夏奈ちゃんが戻ってくるまでの間だけだった。
結局その日以降も、教室から何かに怯えるような緊張感は消える事は無かった。
それから数日経ったある日。
その日は、このクラスにしては少し明るい雰囲気だった。男子たちの何人かはふざけ合っていて、女子たちも何事かの話題に盛り上がっていた。けど、夏奈ちゃんだけは相変わらず自分の席に座り、静かに時を過ごしていた。私はその姿を横目で見ながらも、一応は女子たちの輪の中に入って話を合わせていた。
夏奈ちゃんとは、一緒の家に住んでいるとはいえ、接点は殆ど無かった。まず、夏奈ちゃん自身がこちらに全く関心を示さなかったし、そんな相手に対してどうしていいのか分からなかった。ただ、嗣ちゃんは仲良くしてほしいみたいで、事ある毎に私と夏奈ちゃんとの仲を取り持とうとしていた。だからだろうか。自分の席に一人座って何もしていない夏奈ちゃんが気になってしまうのは……
そしてそれは唐突に起こった。
突然「うわあああああああ!!」という雄叫びと共に教室内に響き渡る衝撃音。
誰かの劈く様な悲鳴。逃げ惑うクラスメイト達。すぐさま先生が何人も教室に入ってきて、机や椅子やらを薙ぎ倒していた一人の女生徒を抑えようとする。だが、彼女の凄まじい力に大の大人でさえ容易く吹き飛ばされていた。
それは、時間にして一分にも満たなかったと思う。突然糸が切れた操り人形のように床に倒れこむ台風の目。後に残ったのはそこかしこに倒れている椅子と机。女子の何人かは大泣きをしていて、先生たちは腕や肩を抑えながら、肩で息をしていた。
学校に呼び出された嗣ちゃんは、担任の先生や教頭先生たちと話をした後、保健室で眠っている夏奈ちゃんを背負い、私と一緒に帰宅した。
その道中、嗣ちゃんは夏奈ちゃんの事について話してくれたよ。
夏奈ちゃんがこの学校に通い出して、まだ一か月だという事。その間に五回も先程のような大暴れを起こしている事。けど、夏奈ちゃんにもどうしてそんな事をしたのか分からない事。このまま続くようだと、このクラスに居られなくなる事。
「本当に、どうしたらいいんだろう……」と呟く嗣ちゃんは、あの日と同じ表情をしていた。
何しろ、原因が分からないらしい。それは発作のように突然起こるのだという。クラスのあの異様な空気も頷ける。皆、夏奈ちゃんを恐れての事だった。
智はそこまで一気に話し終えると、一つ溜息をつく。
正直、何て言っていいのか分からない。私は、夏奈子は昔からあんな感じなんだろうなと勝手に思い込んでいた。
「ですが、今の夏奈子が居るという事は、その問題は解決したのですよね?」
「然り。というか暴れたあの日、私は原因を見つけていたからね」
「えっ、見つけてたの?」
私の驚いた声に静かに頷く智。だが、その後少しだけ不安そうな表情で「あの……これは誤解しないでほしいのだが……その……」と何やらもごもごとしだす。
「何ですか、急に。何か言いにくい事なのですか?」
「いや、その、何ていうか……」
魅由に急かされても踏ん切りがつかない様子でこちらを見つめてくる。何を誤解するのかが分からないが、話してもらわない事には先に進めないのだろう。私が見つめ返しながら無言で頷くと、漸く話し出してくれる。
夏奈ちゃんが暴れる少し前に、私は見ていたんだ。
ふざけ合っていた男子の一人がよろめき、女子の一人にぶつかって「きゃっ」という短い悲鳴と共に、女子がつんのめるところを。
その一部始終を夏奈ちゃんはじっと見ていた。その表情が怒りに変わる瞬間もね。
だからきっと、それが原因なんだろうと思った。
家に着き、夏奈ちゃんを部屋で寝かせる嗣ちゃんは、やっぱり同じ表情をしていた。
そんな嗣ちゃんと、今は静かに寝息を立てる夏奈ちゃんを見て、私は……関わらないでおこうと決めた。
「えっ?」「は?」
私と魅由の驚いたような、魔の抜けた声が同時に響く。
「関わ……らなかったの?」
「いえ、そこは何とかするって流れでしょう?智は薄情ですか?人でなしですか?軽蔑します」
いや、魅由。それは言い過ぎでは……
「あーもー!だから誤解しないでほしいって言っただろうに!」
流石の智もテーブルをバンバンと叩きながら大声で怒鳴る。
「と、智、落ち着いて。どうどう……」
「ぐむ……っと済まない。取り乱した」
智が一つわざとらしい咳払いをしてから、湯飲みを傾ける。
「ふぅ……話を続けてもいいかい?」
えーっと、まずは誤解を解こうかね。
何故関わらないでおこうと決めたのかは、私に余裕が無かったからだよ。私は私でこの新しい環境に早く馴染もうと必死だった。だから、とても他人の問題に関わる気にはなれなかった。
そして、それは夏奈ちゃんも同じだと思った。
それが違うと思い知ったのは、嗣ちゃんが仕事で家を空けた日の事だ。
大庭家に来てからの私は嗣ちゃんに完全に依存していた。学校から帰って来るなり、ずっと嗣ちゃんと一緒に居たし、お風呂や、何なら寝る時もよく嗣ちゃんの布団に潜り込んでいた。
けど、その日は私一人だった。
不安だった。
もし、このまま嗣ちゃんが帰って来なかったら……
怖かった。
私はまた一人になってしまうのではないだろうか……
寒かった。
いつも一緒に入っているお風呂で私は一人、震えていた……
その時だった。浴室の扉が開いて、夏奈ちゃんが入って来たんだ。
突然の事に焦った私は逃げ出そうとして、あっさりと夏奈ちゃんに捕まってしまって……何故だか一緒にお風呂に入る事になってしまって……夏奈ちゃんが私の頭を撫でながらこう言ってくれたんだ。
「大丈夫だよ……ここにいてもいいんだよ……」
信じられなかった。夏奈ちゃんは夏奈ちゃんで大変だというのに。それでも、私の事を気にかけてくれて……安心させてくれて……温めてくれた。
だから私も……夏奈ちゃんの力になりたいと思った。
私の見立てでは、夏奈ちゃんはPTSDによる再体験症状を起こしていると考えていた。そして、それが想起される原因は、男が女に対して危害を加えた時だ。私がクラスを観察している限りだと、男子同士、女子同士のふざけ合いや、女子から男子に対しての危害については、それが故意、過失に関わらず何事も起こらなかった。
ただ、確証が持てなかった。実際、私が見たのは一回のみで、もしかしたら他に要因があるのかもしれない。
けど、猶予はあまりないのだろう。もし次、暴れてしまったら……
だから、私は賭けに出た。
夏奈ちゃんがどのようなトラウマを抱えているのかは分からない。けど、それを思い出すような出来事により、怒りを爆発させているのだとすれば……その怒りに理由を付ければ或いは。
幸い、夏奈ちゃんにもどうして暴れてしまうのかが分からないんだ。私が付けた理由を夏奈ちゃんが納得さえできれば……
故に、私は夏奈ちゃんに告げた。
「あなたが勇者の生まれ変わりだ」と。
当然、夏奈ちゃんは「は?」みたいな顔をしていたよ。けど、私が賢者と名乗り、試しに夏奈ちゃんの疑問を何でも答えてあげようと言うと、眉唾ながらも色んな事を質問してきたよ。
正直、夏奈ちゃんは博識だった。質問も小学五年生がするようなものではなかった。そんな質問に対して、私は全て即答した。
最後の質問をし終えた後の夏奈ちゃんは、信じられないって顔をしていたな。結局その日は、そこでお開きになった。
そうして次の日、今度は私が信じられないって目に合ったよ。朝一顔を合わすなり、私の事を賢者と呼んできたからね。
そして、性格もたった一夜で豹変していた。そう、優ちゃんやみーちゃんが知る、あの夏奈ちゃんになっていたんだ。
私は夏奈ちゃんに勇者としての心得を伝授した。その内の一つで、怒りの爆発についての理由付けをした。
夏奈ちゃんは勇者だから、誰かが傷つく場面を見ると怒りが込み上げてくるんだ。けど、その怒りは本来、魔王に向けるものだ。怒りに呑まれて、人を傷つけてはいけないのだと。
今まで見た事も無い笑顔で、目を輝かせながら素直にうんうんと頷く夏奈ちゃんを見ながら、正直上手くいくとは思っていなかった。それでも、少しはましになれば、程度に考えていた。
けど、それ以来、夏奈ちゃんが暴れる事は無くなった。突然のキャラチェンにクラスメイトはおろか、担任や、嗣ちゃんさえ驚いていた。
そうして夏奈ちゃんはみんなの前でこう言ったんだ。
「私は勇者夏奈子!これからは私が皆を守る!」




