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私たちの幸せの象徴

 そこは、闇だった。

 一瞬、双葉との同期を失敗したのかと思ったが、そうではないのだと気付く。

 恐らくこれが双葉の……ホムンクルスの見ている過去なのだろう。

 だとしても、このままでいるわけにはいかない。そういえば、前に智から暗視について説明されたことがある。何とかとかいう物質が闇の中では溜まって、夜目が利くようになるのだとか。だが、何時まで待っても闇は闇のままだ。

 ふと、右手に温もりを感じる。確か、過去に飛ぶ前に一葉と手を握ったなと思い出す。

「……一葉さん?」

 一応、呼び掛けてみる。だが、何時まで待っても返答は無い。困ったなと思ったところで、

「……優菜さん?」

 漸く聞こえた返事は、果たして一葉のものだろうか。

「いや、今は優希さんだったか。すまないね」

「それなんですけど、優菜でいいですよ」

 元々私は優菜の影法師。寧ろ、優希なんて存在は居ない方がいいのかもしれない。

「……なら、優菜さん、と呼ぶ事にするよ」

「はい。その方が、私もいいです」

 私としても、決して現世で与えられた名前を呼ばれたいわけではない。

「では、優菜さん。ここはどこだと思う?」

 ここがどこか、か。恐らく一葉さんも予想が付いているだろうに。

「ここは……双葉さんの過去だと思います」

 恐らく、と付け加える前に、右手に感じる熱が強くなった。

「……なるほど……つまりこれが……」

「はい。双葉さんの……ホムンクルスの見ている過去、という事ですね」

 こんな闇が……景色も何もない世界が、双葉の見ていた世界という事だ。

 彼女も……前世の勇者も、こんな世界を見ていたのだろうか。本当に人間は度し難い。このような生物を造ってまで、自身の繁栄を、生存を、望みを、野望を、叶えようとする。それらを否定し、嫌悪し、怒り狂った私の内から燃え上がる黒い炎は、且て前世の世界を滅ぼした。それでも今尚湧き上がる黒炎も、この世界を滅ぼすには十二分過ぎる。それでも何とか留まっていられるのは、優菜の……そして、歌劇同好会のメンバーの存在のお陰だろう。

「……優菜さん?」

 一葉の呼びかけに我に返る。ここが完全な暗闇の世界でよかったと思う。もし、少しでも一葉の視界が晴れていたらと思うと、ぞっとする。今の私はきっと、彼女の知っている姿では無さそうだから……

「いえ、何でもありません」

 落ち着け……ここは前世とは違う……優菜が、そして皆が……平穏に生きていける世界なのだ。一度だけ、深く息を吐く。それだけで随分落ち着く事が出来た。

「それよりも、手を離さないで下さい。恐らく、離れてしまったら二度と合流できないと思います」

「あ、ああ……そうだね……」

 右手に重なる熱が強くなる。その熱が、私を更に落ち着かせる。それは、決して失ってはいけないものであり、私をこの世界へと留める楔でもある。


 改めて、辺りを見渡す。

 だが、やはり何も見えない。一葉の存在も、この右手に伝わる熱のみで、意識していないとつい離してしまいそうになる。

「双葉……」

 一葉の口から洩れた言葉……それがきっかけだったのだろうか。闇の支配する世界に、一筋の光が差す。光の指し示した場所には……

「双葉!?」

 一葉の叫びが届いていないかのように、僅かな光に照らされた人物が光源を見上げる。だが、スポットライトは一瞬で消え去り、再び闇が訪れる。

「……今のは?」

 何だったのだろう。そんな私の疑念に答えるように、再び光が差しては消えていく。双葉は、一瞬だけの光を見上げ続けていて……

「……これは、優菜さんなんだろうね」

「えっ?」

 あの光が……優菜……

「きっとあの子にとって、優菜さんは光だったんだろうね」

 一葉の言葉通りなのだろうか。光に照らされる度、双葉の表情は赤みを増していく。そして……遂に幾つもの光が一点に集まる。

 だが、そこに居たのは、膝を抱えて蹲る双葉だった。

「私は……今まで何も見えていませんでした……何もかも……お姉様の事でさえも……」

 その声は決して大きいわけではないが、私の耳に大きく響いてきた。

「それなのに……優菜様とお話ししている内に、声をかけていただける度に、今まで考えた事も無かったような事が気になってしまって……そして、あの日……緑星祭の舞台を拝見した時、私の中にある一つの想いが芽生えてしまいました」

 私も、あのように輝きたいと。


 そうして、双葉は感情を知ってしまった。それが彼女にとって、どのような意味を持っていたのかは分からない。だが、その変化が今回の出来心を生み出してしまう。

「自分でも、どうしてこんな事をしてしまったのか、今でも不思議に思います。それでも、私は知りたいと思ってしまったのです……お姉様が入ってはいけないと仰った部屋に何があるのか……」

 そうして、双葉は禁断の扉を開けてしまった。そこで全てを悟ってしまったのだろう。自分はここで眠る瓜二つの少女のためだけに造られたのだと……

「それでも……私が今もこうしていられるのは、私が失敗作だから……何もかも同じなのに、瞳の色だけ反転しているから……だから……」

 双葉の膝を抱える腕に力が入り、更に縮こまる。

「ごめんなさい……失敗作でごめんなさい……こんな不出来な私でごめんなさい……」

 違う!と叫びそうになった。一葉はそんな風に思ってはいないと。最初はそうだったかもしれないが、今は違うと。それを何とか堪えられたのは、繋いだ手に力が込められたからだ。そう、ここは私の出番ではない。

「……双葉、よく聞いて。確かに、双葉を造った目的は双葉の……今も眠り続ける双子の妹のためだった……瞳の色合いが違ったから、その目的には使えなかったけど、次に生かすため、ちゃんと動き続けられるのかの実験台として使っていた……」

 一葉が優しい声色で双葉に話しかける。今の自分の想いを、双葉に対する気持ちを。

「けど、あなたは優菜さんと出会って、予想外の行動を取るようになっていった。今まで自分から誰かに話しかけるなんて一度もしたことなかったのに、今では優菜さんだけでなく、他の人にも話しかけるようになっていった。夜、寝る前に、今日あった出来事を私に話すようになった。演技の練習だって、自分から進んで行うようになった」

 それらは双葉だけではなく、一葉の心も変化させていったのだろう。だから、一葉は……

「そんなあなたを見ている内に、私も本当に双葉が戻って来たんじゃないかって思ってしまう時があって……勿論、性格は全然違うけど、でもそれでも!……それでも、あなたと過ごす日々は楽しかった……」

 一葉が幸せそうに微笑みながらもう一度「楽しかったの……」と呟く。

「だから……あなたは失敗作なんかじゃない。不出来なんて思わない。私には、あなたが必要なの」

 一葉の心からの想いが波紋となって広がっていく。温かく、優しい波……だが、双葉には届いていないのか、膝を抱えたまま身動き一つしない。

「だから双葉!お願い!」

 一葉がもう一度呼び掛ける。それでも、双葉の心を震わせる事が出来ない。

「双葉!……双葉……お願い……」

 次第に一葉の呼びかけから力が失われていく。絞り出すような声はさざ波すら起こせずに消えていく。

 このままじゃだめだ……ここから呼びかけるだけでは、双葉には届かない。だったら、どうすればいい……それは既に分かっている。だからこそ、私がここにいるのだから。

 けど、ここに来て、私は怖くなってしまった。私の取った行動が、一葉の、双葉のこれからを変えてしまうのではないかと。誰かの人生に関与する事、人の心に触れる怖さを、私は既に知っている。

 優菜も同じだったのだろうか……智との出来事が頭を過ぎり、私は動けなくなる。

 でも……でも、それでも……優菜ならきっと動く。一葉を、双葉を、放っておく事なんてしない。

 だから、私がしなくてはいけない。優菜のように上手くは出来ないかも知れないけど、それでも。

「一葉さん」

 握った手に力を込める。一歩前へ……進むために。

「えっ、ゆ、優菜さん?」

「行きましょう、一葉さん。ここから呼びかけて届かないなら、届く所に。呼びかけるだけで届かないなら、届く距離まで」

 その手を握ったまま、初めの一歩を踏み出す。踏み出してしまえば、後は簡単だった。慌てて車椅子の操作をする一葉の手を引きながら、双葉の元へあっさりと辿り着く。

「双葉……」

 目の前には蹲る双葉の姿。そこに一葉さんの手が伸びていく。その指が頬に触れると、驚いたように体を跳ねさせる。そして、恐る恐る顔を上げる。その瞳に映るのは、

「……お姉様?」

 双葉の間の抜けた声。その音色に、ぽかんとした表情に、一葉が飛びつく。双葉の首に両手を回し、抱きしめる。

「えっ?ええっ?お、お姉様っ?」

「もぅ……心配したんだからねっ!?」

 たった一言……それが全てだと言わんばかりに強く抱きしめる。

「あ……」

 暖かな振動が双葉に響く。その瞳から一筋の光が流れ落ちる。

「ご……ごめっ、ごめんなさいっ、お姉様っ!わ、私……私は……」

「ばかね。謝らなくていいのよ……姉が妹の事を心配するのは、当たり前なんだから」

「で、ですが……それなら私は、どうすればいいのでしょう……」

 こんな事は初めてで、動けずにいる双葉。そんな彼女に、

「そうね……とりあえず私を抱きしめて、それから……ありがとうって言えばいいんじゃないかしら?」

 その提案を受け入れたのか、双葉の両手が一葉の首元に回される。そして……

「ありがとうございます、一葉お姉様……」

 届いた……一葉の想いが……

 二人の想いが響き合い、そこから生まれる緩やかな波動が絶え間なく世界を揺らす。

 その優し気な波に揺蕩いながら、私の意識は流されていった。

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