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銀の花  作者: 九藤 朋
3/6

 静馬と美夜は同室で昼餉(ひるげ)をとっていた。

 とは言え、静馬は当初、これに難色を示した。何せ美夜は公家の姫である。それが、上座にも納まらず、静馬と向い合せで食を共にするのである。しかし美夜の侍女はもうこの状態を放任している。諦観していると言ったが正しいかもしれない。(きじ)(あつもの)など、贅を凝らした食事の饗応は、さすが堺の会合衆の邸である。雉は、美味い。噛めば噛むほど、肉汁が出汁と共に口中に広がり、その風味は滋味に溢れて腹の底から力が湧く感覚がある。

 と、不意に美夜が語り出した。


「わたくし、縁組が嫌で逃げて参りましたの」


 美夜は何かにつけ唐突なところがあり、また、この言葉も静馬の予想の範囲内だったので、静馬は黙して続きを促すこととする。鯉の刺身に箸を伸ばす。好物なのだ。


「父上様が、わたくしに織田信長に嫁げなどと言い出しまして」


 静馬の箸が止まる。

 美夜の煌めく双眸を一瞥する。涙が内包されているのだろうか。解らない。


「あれは必ずや天下を取るだろうから、と。荒れた京を知る父ですが、権力欲は人並みならず旺盛なのです。されど、わたくし、蛮行の殿方は好きません」

「……では俺も、美夜殿のお眼鏡に叶うまいな。粗暴な剣客ゆえに」


 静馬が改めて可憐な風貌の美夜を見ながら卑下ということもなく淡々と言うと、美夜が弾かれたように顔を上げた。漆黒の髪が揺れる。


「いいえ、いいえ、静馬様は礼節を重んじられるご立派な殿方でおられます。まだ、お独りだというのが信じられませぬ」

「縁に恵まれなんだゆえ」


 微苦笑しつつ、静馬は答える。

 どうもこの姫君には自分を買い被っている節がある。


堂上(とうしょう)(公家)にもそれなりの思惑が動いているのだな」


 それは、そうだろうと自らの言葉に自分で首肯して、静馬は思う。武家でも商家でも公家でも、今の乱世を泳ぎ抜くのに誰も彼もが必死である。血眼になり、権力という(ぎょく)を得ようと動く。或いはあからさまに、或いは隠密裏に。

 開け放した障子戸から、涼しい秋風が吹き込み、昼餉の膳を撫でて行った。

 

 その日の午後は、なぜか美夜の散策に付き合うことになった。堺の町は、見るに飽きない場所ではある。それを今まで、侍女の厳しい目の元、じっと宗久の邸内で過ごしていたのだ。溌剌とした気性の美夜には、さぞ味気ないことだったであろう。また、侍女にとっては、静馬という剣客が現れたのも都合が良かった。お守り兼、警護役を任せられる。同行しないのは、それだけ静馬を信頼しているゆえか。些か、思うところがないでもないが仕方なし、と静馬は美夜の斜め後ろを歩きながら、語り掛ける。


「しかし、なぜ宗久殿を頼ったのだ?」

「父上様が、宗久殿の鉄砲を買い付けた縁がございまして」

「成程」


 黄色と紫の奇抜な色合いの着物を着た男が、猿と色鮮やかな異国の鳥を使い見世物にしている。美夜もそれを目を輝かせて見ながら、どこか上の空で静馬に答えた。

 宗久が優れた鉄砲職人を抱えていることは周知の事実である。一度、制作の場を見学出来ないか頼んでみたが、すげなく断られた。これは、止むを得ないところである。しかし、美夜の話によれば美夜の父は宗久の顧客である。その顧客の娘を匿って、差し障りはないのだろうか。考えたが、宗久は海千山千の商人である。損にならないことはしない。何がしかの思惑があるのだろうと考え、静馬は己を納得させた。考え事をしていたので、甲高い悲鳴に反応するのに、一拍、遅れた。


「美夜殿っ」

「別嬪さんやないか。なあ、俺らの相手してくれへんかなあ」

「お断りします! て、手を放してくださいっ」

「まあ、そんなつれないこと言わん、と?」


 美夜は公家の娘らしく()(づき)を頭上に捧げ持っていたのだが、その被衣が今は地に落ちている。

 禿頭(とくとう)の大男が、言葉の最後を言う時点で、静馬は鞘走りも神速に、美夜の細腕を掴む男の腕を斬りつけていた。鮮やかな血飛沫が飛び、周囲の空気が騒然とする。


「ああああっ。なんや、なんやお前、女みてえな面しおって、」


 男の悲鳴とも雄叫びともつかない声に、静馬の神経が逆撫でされる。言わば、静馬の逆鱗に男は触れたのだ。男の仲間たちが静馬と美夜をぐるりと取り囲むが、静馬の面持ちは少しも変わらない。寧ろ常より余程、冷静で、美夜は初めて静馬を怖いと感じた。


「俺に刃を抜かせたからには、命要らぬ者から来い」


 挑発に、男たちは易々と乗る。手に手に武器を持ち、静馬に殺到する。

 その数、凡そ五、六人。

 静馬は美夜を背に庇いながら、円を描くように刀を旋回させた。その太刀筋は確実に、男たちの腕や脚の腱を断ち切った。赤が舞う。花のように。

 ぴしゃり、と美夜の頬にもその赤は付着した。

 命要らぬ者からと言いながら、静馬は男たちを戦闘不能にしただけで、無用な殺生はしなかった。しかし、美夜にはそんな理屈は呑み込めない。軽い恐慌状態に陥っていた。

 男たちが決まり文句のような悪態を言いながら退散した後、静馬は刀を一振りすると、納めて美夜を振り返った。

 ぎょっとする。

 剣鬼と称されることもある静馬だが、楚々と可憐な姫君の涙には狼狽えるのだ。手を無意味に上下させ、やがて着物の袖で美夜の顔の涙と、返り血を拭き取る。美夜はそれが合図であったかのように激しく泣きじゃくり始め、静馬はおろおろと美夜を宗久の邸に連れ帰ったのだった。




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[一言] 静馬のうろたえが微笑ましいなぁ……
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