ライターに必要なもの、作家に必要なもの
古○場本戦1日目終わったやれやれふー。って頂いた感想に返信を書いていたら、なんかもう1本書けそうな気分になってきたので、書いてみます。編集者が作家に求めているものの話。ただし人による。
今回は経験則と伝聞をもとに、作家として編集者の目に留まりやすくなる要素をいくつか書いていきますが、私が実際にこれらを意識しているかというと、まったくやってません。むしろ真逆です。
というのも、自分の才能のなさを痛感しているからですね。編集およびライター業を20年以上も続ければ、作家とライターの違いというのは自然とわかります。個人的な感触としては、「ああ、これは自分にない能力だなあ」というものの集大成が作家という生き物でした。
私自身、編集者としては小説の編集なんか3冊しかやったことがないので、プロの書籍編集者とはいろいろ感覚が違うと思います。しかし、ライターの目線を持ちつつ編集作業をしていく過程で、彼我の差について強く感じることがあります。というわけでまずは作家とライターの違いから。
まずライターに求められる能力ですが、これはもう「正しくて平易な日本語を身に付けていること」に尽きます。過度な修飾語とかほとんど知らなくても、読み手に正しくわかりやすく伝える能力さえあれば、ライターとしては十分です。そこに専門分野の知識なんかもあれば仕事を取りやすくなりますが、書くものがきっちり決まっている仕事などの場合は、わかりやすく伝えられるライターが最強です。
その基本が出来上がってから、自分だけの文体とか切り口とか、そういうスキルを磨いて仕事を取るための武器にします。名前が売れれば勝手に指名してもらえますが、駆け出しのうちは自分で売り込んで仕事を貰うしかありません。いちどライターとしてデビューしたからって、次が保証されるはずもないですから。
そしてライターとして経験を積むうちに勘違いしやすい境地に、ライターたるもの、美しく修飾され、情緒を感じられる文を書けてこそ、というものがあります。そういうのを持っていれば確かに武器になりますし、旅行会社系の仕事とか舞い込みそうですけども、このあたりからもはや作家の領域です。
ライターが伝える仕事である以上、情感や情景をうまく伝えるのも仕事の範疇と言えるのですが、そのスキルが必要かどうかは仕事をする媒体によります。たとえばゲームの攻略本で「葉っぱが多い木の前で調べると、メダルが手に入る」と書くべきところを、「深緑の葉を豊かに繁らせた大樹の根本を丹念に調べれば、これから膨大に蒐集せねばならないメダルの、そのひとつを入手できる」とか書く必要はありません。後者のほうが絶対に面白いけど、不要です。媒体が違えば後者を求められることもあるでしょうが。
しかし、作家となると、情感や情景を描写するスキルは必須です。1ページおきに挿絵が入るならともかく、文章だけで魅力的な景色やキャラクターを想起させなければならないので、描写スキルはどれだけ高くても困りません。
今はテンプレのおかげでいくつかのキーワードさえ揃えばキャラクターを想像しやすくなっていますが、たとえば何かの作品を読んでキャラクターを想像したとして、ソレ、けっこうな確率で別の作品のキャラクターだったりしませんか?
キャラクターを記号ではなく、自分の作品だけの自分のキャラクターとして表現するには、かなり高度な描写スキルが必要です。私はこの能力が圧倒的に劣っていて、磨きかたすらよくわからないので作家に向いていません。「黒髪で眉が太くて垂れ目だけど全体的には整ってて」みたいに最低限必要であろう要素は思いつきますが、それをどう表現して伝えればキャラクターの顔が浮かび上がってくるのか、そういうところがさっぱりわからないのです。得意スキルの模倣すらできない。
そしてこのあたりから編集者が作家に期待する領域ということで、本題になります。ネタ元は2本目に登場した書籍部の先輩編集者氏。
まずライターに求められる能力について書きましたが、それは極論すると、作家が持っていなくてもいい能力であるからです。作家たるもの正しく文章を扱えて当然というのはわかるのですが、売れるか売れないかを追求する現場が求めるのは、日本語なんか少々壊れててもいいから、読みたくなる物語、世界を作れるのかどうかだそうです。
極論ですからね?
というのも、作家を目指す人というのは基本的に文章が好きで、物語が好きです。当然、そこそこ文章が上手い人なんか、掃いて捨てるぐらいいます。作家にコンプレックスを持っていた私なんか、商品なのに「てにをは」がおかしかったり、言葉の誤用があったりする小説を見つけると鬼の首を取ったように騒いでいましたが、そんなものは幼稚過ぎてどうでもいいんだそうです。
たとえば美しい日本語ばかりを読める本と、読んだこともない展開から結末を迎える絶対感動冒険活劇のどっちを読みたいかと言われたときに、私だって鬼の首なんか放り捨てて後者を読みたいです。抜群に面白い未知の物語こそが作家に求めたいものであり、それを作る能力があるなら、日本語なんかどうでもいい。なんならそのために編集者や校正者がいるんだし、ギャラ的に折り合うなら物語担当と清書担当で分業という手もなくはない。
これこそがライターと作家の決定的な違いであり、作家志望の人が躓きがちな部分かもしれません。日本語ガー、文章ガー、とかどうでもいいとこでどうでもいいマウント取ってないで、想像力を磨いたほうがいいと。
私はとにかく日本語でマウントを取りたいし、誤字とか脱字とかあったら死ぬほど恥ずかしいです。実際に自分でも物語を書いてみて誤字やらかして、どんだけ死んだか数えられなくなりました。そういうとこでウロウロしてばかりで、物語を深く構築せずに、なんとなーく日本語にだけは気をつけて書く。そんなことに腐心する私ですから、やはりここでも、作家には向いてないのです。ある日何かが降りてきたりすれば別ですが。降りてこい。
ということで先輩編集者氏に言わせると、世界観厨だとか設定厨とか揶揄されようが、新しくてワクワクするようなものを思いついて、それを売れる形でアウトプットできる才能こそが大切だそうです。
たぶんプロとして、テンプレに飽き飽きしてるんでしょうねあの人も。物語を提示する手段としてテンプレでもいいけど、そこから「あれ、これ新しいな? 面白そう」という要素があるだけでも十分だと。
ポイントは「売れる形でアウトプットできること」です。編集者が設定厨と渡り合えるほどのツワモノであれば、謎の言語で語り合って(いるんだろうなあと想像してます)、編集者が噛み砕いて売れるものに変換できるかもしれませんが、そういう特殊能力を持たない編集者の前で難解な設定を披露しても、「ああ、またこの手の子か。そういう難解なのが売れるなら、高等数学の本とかベストセラーなんだよなあ……」ぐらいにしか思われません。
発想したものを面白い形に加工して提示できる能力。先輩編集者が求めているのは、そういうものでした。
先輩編集者氏本人は言いませんでしたけど、私が思うにそれってたぶん「すでにあるものを形を変えて新しいっぽく見せる能力」でもいいんじゃないですかね。二番煎じガー、とかどうでもいいんですよ。実際に読者が読んでみて「よくあるやつだけど、やっぱこういうの面白いなあ」って思えばそれでいいかと。
本来ならこのあと読者や編集者へのアピール方法にも触れる予定で、タイトルも「才能を発揮したあとは、見つけてもらうための努力も必要という話」だったんですけども、気軽に書くには長くなりすぎましたので、てきとうに改題するとして、ここで区切らせていただきます。
ではまた。
死に慣れたのでこのシリーズでは読み直しと校正をほとんどやってません。ザコい鬼の首を取るチャンス。
【追記】いちおうあらすじでお断りしていますが、それでもやはり誤解させてしまうのかなということで、念押ししておきます。この話は私と先輩編集者氏との会話ではこうであった、というだけのことであり、作家=発想力なので他はいらぬ、などと定義しているわけではありません。そういう編集者と、文学よりも冒険活劇が好きなおっさんがおるのだなあ、ぐらいに思っていただければ!