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6 氷の魔女はそっと喜ぶ

「父はこの事件を揉み消そうとしたけれど駄目だった。私は恐ろしい氷の魔女として有名になって、現在に至るというわけよ」


 長い話を終えた頃には、私の喉はひりつくほどに乾いていた。それは生まれて初めてこんなに長く話したからでもあり、あの時味わった罪悪感を思い出してしまったせいでもあった。

 私が魔力を暴走させた結果、兄上は一生の傷を負ってしまった。

 そして、あの事件を思い出すたびに、もしもと考えずにはいられないのだ。

 もしあの時、兄が止めてくれなかったらどうなっていたのか。きっと私はあの場にいた者全員の命を奪っていた事だろう。母と兄という血の繋がった家族すら、一切の例外無く。

 それはなんと恐ろしい可能性なのだろうか。

 やはり魔力を持たない人と関わるべきではなかったのだ。社交界に出入りすることがなくなって、婚約者候補たちとの接点が絶たれた事も、私にとっては安堵をもたらす結果にしかならなかった。

 解っていた事だが、彼らが私に感じていた魅力は家柄だけ。一応侯爵家に籍が残っているとはいえ、感情に従って魔力を暴走させるような危険人物を嫁にしたいという奇特な男性が存在するはずもない。

 そう、いるはずがないのだ。だから私には解らない。マットソン少佐が一体何を考えて、私に求婚などをしてきたのか。


 さて、この話を聞いて彼はどう思っただろうか。自らの口からあの事件について語るのは初めてのことだ。聞き苦しい点は多々あっただろうが、せめて内容に関しては余す事なく伝えられたと信じたい。

 私は話の間あえて見ないようにしていたマットソン少佐を窺い見た。

 すると、悲しげに揺れる新緑の瞳と視線を交わらせることになったのだ。


「……どうして、そんな顔をするの」


 思わずこぼれ落ちた問いはとても無防備に響いた。同時に自らの瞳が見開かれていくのを感じたが、久しぶりに表情筋が動いたという事実よりも、疑問ばかりが頭を支配してそれどころではない。

 だって、マットソン少佐が悲しむことなど、何一つとして無いではないか。むしろ早く言えと文句を言われても仕方がないような状況のはず。それなのに、どうして。


「そうだな、色々と理由はあるが……一番は、君が悲しそうだからだ」


 マットソン少佐は白くなるほど拳を固く握りしめているようだった。何かを押さえつけるようなその様子からは、悲しみ以外の何かが感じられるような気がする。同情してくださったと、そういうことなのだろうか。

 けれど私には悲しむ資格などなく、後悔と懺悔だけを背負って研究に打ち込むことができているのだから、充分に恵まれているのだ。


「私は、悲しくなどないわ」

「君は自分が悲しんでいることすら、認めてくれないのか」


 ああ、まただ。彼は氷の奥底に閉じ込めた私の感情を、真っ直ぐな瞳でもって、いともたやすく見破ってしまう。そんな時、私は嬉しいような苦しいような、妙な感覚を覚えるのだ。

 私は何だか堪え難い思いがして、強引に話を先へと進めることにした。


「この話をしたのは、考えてもらいたかったからよ」

「考える?」

「ええ。この話を聞けば、普通なら私とはもう関わりたくないと思うもの」

「俺が何も知らないまま君と親しくするのは、心苦しいと?」

「そうよ」

「うん。なるほど、な」


 彼は噛みしめるように頷いたきり、押し黙ってしまった。

 一体どんなことを考えているか知れないが、きっと答えは別れを告げるものとなるだろう。

私はなぜだか妙に苦しく思って、その短い沈黙の中に身を置いていた。

 そしていくらかして彼が顔を上げた時、改めて交わらせた新緑の瞳は、強く輝いていたのだ。


「色々と考えたが、君に伝えておきたい事があるんだ。まず、俺は君の兄上に会った事がある」

「……え」


 予想だにしなかった事実に、私は小さな声をこぼしていた。


「隣国の紛争に参加していた時、本部でのことだ。外交官として派遣されてきたらしい。名門貴族が最前線に来るのは珍しいから目立っていて、俺もその時話をした」

「本当に……?」

「ああ。俺はその話は知らなかったが、全くお元気そうだったよ。不便もしていなかったと思う」


 マットソン少佐によってこんなにも嬉しい情報がもたらされるとは、少しも考えていなかった。

 そうか、お元気なのか。それならいい。たとえ二度と会えなくても、元気にして下さっていることが知れたのだから、私には充分過ぎるくらいだ。


「……そう。ありがとう」


 私はやっとそれだけを言って口を噤んだ。胸が詰まって、それ以上は何も出てこなかったのだ。


「あと、もう一つ。俺は頑丈だ」


 得難い情報から一転、脈絡のない申告を受け、私は別の意味で沈黙した。マットソン少佐は一体何が言いたいのだろうか。

 その間にも彼は謎の情報を畳み掛けるように並べていく。


「士官学校時から鍛えられているから打たれ強い。しつこいとすら言われることもある。運もいい。要塞が落ちたのは霧が出たお陰だ」

「……そう。良かったわね」


 それ以外になんと言っていいか分からず、そっけない言い回しになってしまう。しかし彼は怯んだ様子もなく、つらつらと事実を並べ立てることをやめる気は無いらしかった。


「それと、寒さにも強い。昔から薪を贅沢に使えるような身の上ではなかったからな。雪上訓練もそこそこの成績を残したし、戦場では火が使えないことも多いが特に問題なく過ごしていた」


 そこまで言われたところで、私はようやく彼の意図を感じ取った。

 けれど、まさかそんなはずは。だって私は、人の命を奪いかねないほどの魔力を持っているのに。


「つまりだ。何が言いたいのかというと、俺はフレヤ嬢の魔力に倒れるほどヤワじゃないってことだ」


 私に近付くことはとても危険なことなのに。

 何故あなたは、そんなふうに屈託無く笑ってくれるの。


「それに俺はどうやら君のことを知らなさすぎた。昔からこれと決めると前だけ見て突き進んでしまうんだ。君はきっと、今まで多くのものを望まないようにして生きてきたのに、いきなり俺の想いを押し付けてしまった」


 続く言葉は私にはよく解らないものだったが、一つだけ確かな事がある。

 彼はどうやら私を恐れてはいないようだ。兄と魔術師以外で私を恐れない人は初めてで、戸惑いばかりを覚える。


「俺は余りにも先走りすぎていたんだな。そう気付いたから、決めた。俺はまず、君の信頼を得る事から始めようと思う」

「信頼?」

「ああ。君の魔力が暴走したら、俺が絶対に止めてみせる。君は人のことを気遣ってばかりのお人好しだ。俺のことなら大丈夫だから……もう、そんなに怖がらないでくれ」


 どうしてこの方は私が隠し通そうとした恐怖にすら気付いてしまうのだろうか。

 私は何故だか胸がざわめいて、とても頼りない気持ちになった。今感じた温かさの全てをかなぐり捨てて、走り出したいような衝動が全身を駆け巡っている。

 この時、私はとても嬉しいと思った。

 今までは頼まなくても誰も近寄ってこなかったので、どうしたらいいのかわからない。何故マットソン少佐は私の信頼などを得ようとするのだろうか。そんなに私と親しくしなければならない事情があるのだろうか。


「そろそろ行こう。君と行きたい場所があるんだ」


 私の戸惑いを振り切るかの様に、マットソン少佐は太陽の如く笑って立ち上がった。

 そうして差し出された手に、つい自分の手を重ねてしまったのは、その笑みに目が眩んでしまったからということにしておこう。


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