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4 氷の魔女はミステリーが好き

 快晴の空の下、私は街の広場に位置する噴水の前に佇んでいる。

 北国の3月末はまだまだ冬。しかし今日に限っては風もなく、寒いながらも清々しく朗らかな休日の朝だ。

 さて、なぜこんな所に立っているのかというと、それはひとえにマットソン少佐の付き添いをさせて頂くためである。

 マットソン少佐は最初迎えに行くと仰ったのだが、これ以上噂になってしまっては申し訳ないので丁重にお断りした。

 今日どこに向かおうとお考えなのか、それはまだ伺っていない。私はついて行くだけだし、特に尋ねたりもしなかったから。

 ……それにしても早く着きすぎたかもしれない。10時の待ち合わせで9時半より前に着いてしまうとは、遅刻しないよう早めに出るにしても少々やり過ぎだった。

 とはいえ、私は基本的に本を持ち歩いている。今日のお供は「魔法陣殺人事件」というタイトルのミステリー小説で、魔術師の主人公が華麗に難事件を解決するシリーズの第3弾だ。マイナーではあるがこれがなかなか面白くて、魔術が複雑に絡み合ったトリックと、重厚な人間模様が読み応え抜群なのである。

 さあ、しおりの挟んだページを開いて……。


「お嬢さん、何読んでんの?」


 唐突に声をかけられて顔を上げると、そこには見ず知らずの男性が笑顔で立っていた。


「魔法陣殺人事件、です」

「へえ聞いたことないなあ。どんな話?」


 素直に質問に答えると、男性はますます顔を輝かせた。この人はいったいどうしたのだろうか。そんなに魔法陣殺人事件の内容が気になるのだろうか。ミステリー小説の内容なんて、聞いたら推理する楽しみが減ってしまって勿体無いと思うのだけど。

 ここは極力ネタバレしないようにあらすじを紹介してさしあげるべきだろう。私は思考を始めたのだが、男性は何故か私の肩に手を置くと、手近な喫茶店を指差した。


「ね、あそこでちょっと話そうよ。奢るからさ、俺」

「……? なぜ?」

「君と仲良くなりたいからに決まってるでしょ。ほらほら」


 男性は有無を言わさぬ調子で私の肩を押し始めた。私は困惑して足を踏ん張るのだが、彼は全く引く気のない様子で顔を近づけてくる。

 いったいこの人は何なのだろうか。初対面でこの距離感、さすがに気味が悪いとしか言いようがない。


「お堅いなあ。待ち合わせまでの間だけでいーんだって」

「本のあらすじが気になるのでは?」

「いやだから、本じゃなくて君のことが知りた」

「その手を離せ」


 唐突に硬質な声が上がり、私は反射的に聞こえてきた方角へと振り向いていた。男性もまたよく通るその声に意識を引きつけられたのか、弾かれたように顔を上げている。

 声を聞いた時点でわかっていたことだが、そこにはマットソン少佐が立っていたのだった。


「聞こえなかったのか。俺は離せと言ったんだ」


 言い重ねるやいなや、マットソン少佐は私と男性の間に割り込み、あっという間に引き剥がしてしまった。

 それにしてもマットソン少佐のこのご様子。眉を寄せ目を細め、普段の朗らかさからは考えられない程機嫌が悪そうだ。

 一体どうなさったのだろう。あまりの怒気に男性もすっかり竦み上がっているではないか。


「今すぐ立ち去れ。追いはしない」


 戦場に立つかの様な気迫と台詞を受け、男性は顔を青くして走り去って行った。

 なるほど、これは思わず唸る手際だ。私を助けるためにわざと怒って下さったのか。


「フレヤ嬢、何もされてないか⁉︎」


 お礼を言おうと頭を下げかけたところで、彼は鬼気迫る勢いで顔を覗き込んできた。その迫力に驚きつつ、私はいつもの調子ではいと答える。


「何故かお茶をしようという突飛な提案をされただけよ」

「何故かってそりゃ、ナンパだろ。わかってなかったのか?」

「ナンパ……?」


 ナンパ。魔力の強さから人々に敬遠されてきた私にとっては縁遠い単語だ。

 いまいちピンと来ずに首を傾げていると、マットソン少佐はため息をついて思案する様に腕を組んで見せた。


「いくらなんでも無防備すぎる」

「そうかしら」

「ああ、やっぱり迎えに行くべきだったな。……なあ、もしかして俺に気を遣ったのか?」


 確かに、これ以上噂になっては申し訳ないと思って、一度は迎えを断っている。しかし彼がどうして沈鬱な様子でそのことを問うのかわからず、私は言葉を詰まらせてしまった。


「貴族の子女は供も付けずに外で待ち合わせなんてしないだろ。俺は確かに根っからの平民だが、君を迎えに行くくらいの甲斐性は身につけたつもりだ」


 そうか。マットソン少佐は私が侯爵家令嬢であることを知っていて、気を遣わせてしまったかと憂慮していたのだ。

 しかしそのご心配は無用だ。なぜなら、私は。


「気にしないで。私はエルヴィストから絶縁された身の上だもの」


 マットソン少佐の初夏の色をした瞳が驚愕に見開かれるのを、私は諦めにも似た気持ちで眺めていた。

 戦場での暮らしが長い方だし、もしやとは思ったけれど、やはりご存知なかったのか。私が起こしてしまったあの事件を知らず、だからこそ屈託無い笑みを向けて下さっていたのだ。

 それならば納得である。あの話を知った上で、いくら事情があるとはいえ私に求婚などするはずがないのだから。


「どういう……ことだ? 一体、何が」


「そうね。面白くもない話だけど、聞いてもらえるかしら」


 彼は今日どこへ行くつもりだったのか。今となっては分からないが、おそらく話した後ではわざわざ私を伴う気も失せていることだろう。だからこの場で話してしまった方が良い。

 この方はとても優しい方。出会いからそう長くはない時間の中で、その人となりの素晴らしさは理解したつもりだ。だからこそ、私は彼に対して誠実でありたい。その結果、今後一切その笑みを見ることが叶わなくなったとしても。

 私が指差したベンチを一瞥したマットソン少佐は、硬い表情のまま頷いたのだった。


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