3 氷の魔女はある意味有名人
その翌朝、第二研究室では防災会議が開かれていた。前に立つのはヨアキム・リンドマン室長で、誰もが彼の話に真剣に耳を傾けている。
「さて、では次に大規模災害の際の対応について確認するぞ。まずは魔術武官が人命救助にあたるため、俺たちは必要な物資を転送する必要がある。その時の配置だが、二等官——」
災害が起こった場合、私達魔術師や軍人は、力を合わせて国民を助けなければならない。魔術研究官は基本的に保有する魔力が少ないのだが、それでもやるべきことはいくらでもある。
「そしてなによりも大切なのは、臨機応変に動くことだ。物資を転送しなければならないが、目の前に命の危機に瀕した人間がいる。そうした場合、多くの場合優先されるべきは後者だ。しかし状況によってはそれが許されない時もある。その人間がほぼ助からない程の状態だった場合、先に物資を転送した方が多くの人命を救えるかもしれない。残酷なようだが、命をかけた現場においてそういった状況は珍しくない」
リンドマン室長は先日まで隣国の紛争に派遣されていたので、やはり言葉の重みが違う。普段は飄々とした人物なのだが、仕事の時は急にキリッとなさるので、妙年の女性たちには随分と人気があるらしい。ただし既婚者なのだけれど。
「魔術陣の設置箇所は配布した資料の通りだ。各自迅速に動き、魔術武官と陸軍の活動を支援すること。では、次に各自へ通信機を配る。これは俺が開発したもので、簡単に言えば電話を小型化して交換手を抜きで使えるようにした便利な代物だ。仕組みはまったく違うけどな」
配られたのは、金属の中央に石が埋め込まれた不思議な機械だった。これで離れた人と会話ができるなんて、なんて画期的な魔術製品なのだろう。本当に室長は天才的な技術者だ。
「これは製品化も兼ねて試用中だ。各自使ったらレポートにして提出頼む。さて、次は——」
昼休み。廊下に出た私を待っていたのは、すっかり慣れてしまった畏怖の視線だった。
すれ違う人たちは皆目をそらすか、恐怖に濁った目を私へと向けてくる。もはや気にも止めずに迷いのない足取りで歩き続け……そこで珍事が起こった。
見覚えのない女性が目の前に立ち塞がったのだ。2日続けて珍しいことが起こるとは、一体どうしたことだろうか。
「あなたがフレヤ・エルヴィスト三等魔術研究官?」
「はい、フレヤ・エルヴィストは私ですが」
それはとても華やかな美女だった。残念ながら見覚えはないが、二の腕に光る二等魔術武官の腕章を見るに、どうやら戦術魔術部に所属しておられるようだ。
魔術省にはいくつかの部署がある。私の所属する研究部は日夜魔術の研究に明け暮れ、強力な回復術式の発明から日用品への応用、果ては災害時運用まで様々な研究を一手に引き受ける、この国の魔術研究の中核とも言うべき部署である。
第一研究室には優秀でオールマイティな人材が集められているのだが、第二研究室には何かしら突出した人材が多く所属している。つまり良く言えばスペシャリスト集団、悪く言えばつまはじき者の集まりというのが一般評と言うわけだ。
しかしそんなアクの強い第二研究室も、私にとっては初めて受け入れてくれた場所で、とても大切な存在なのだ。
そして魔術武官というのは、軍と連携して戦争に参加する戦術魔術部に所属する特殊構成員を指して言う。
国際法で魔術の攻撃運用は禁止されているため防御や支援のみだが、どの国も似たような組織を有し、これに頼っているのだ。ちなみに、二等魔術武官で尉官相当の地位を有するとか。
「ふうん……綺麗な子よねえ、やっぱり。あなたモテるのではないの?」
彼女はよく分からないことを早口で語りかけながら、値踏みする視線をこちらに向けた。
「氷の魔女だなんて呼ばれているんですって? 有名人なのね」
氷の魔女。影でそう呼ばれていることを、私はよく知っていた。
しかし面と向かって声に出されるとさすがに堪えるものがある。それでも動揺が表情に出ない私は、ただ問いかける視線を返すことに成功した。
「魔術武官殿、ご用件は何でしょうか」
いつしか周囲には人気がなくなっていた。
お昼休みというのにこの有様とは。大体の人は私には関わりたくないと考えているので、この面倒そうな状況を見るや退散して行ったのだ。
「可愛げのない子。マットソン少佐はこんな子のどこが良いのかしら」
美女はゴミでも見るような目でこちらを見遣ると、忌々しげに吐き捨てた。
「確かに綺麗だけどそれだけじゃない。私はずっと少佐と一緒に戦ってきたのに、こんな子に負けるって言うの?」
負ける、とはどういう意味だろうか。彼女の言わんとすることが読み取れずにじっと見つめ返すと、ふんと鼻で笑われてしまった。
「鈍いのね。まさか貴女、自分がマットソン少佐にふさわしいだなんて思っていないわよね?」
美女の射るような視線に、私はようやく状況を察することが出来た。
彼女はどうやらマットソン少佐のお知り合いで、昨日の出来事を耳にしたのだろう。だから私は、彼女の誤解を解くために口を開くことにした。
「もちろんです。私をどこかに付き添わせるためのものですから」
「……は?」
「それでなぜ求婚になったのかは、よく分からないのですが」
「………はあ?」
彼女は信じられないとばかりに目を剥いている。
何だろう、この反応は。昨日から大勢の人に全く同じ反応を返されている気がする。推測の域を出ない話ではあるものの、そんなに的外れなことを言ったつもりはないというのに。
「ねえあなた、私のこと馬鹿にしてるの? そんなはずないじゃない」
「では何だとおっしゃるのです」
「どうして私がそれを教えてあげなきゃいけないのよ⁉︎」
彼女は憤懣やる方ないと言った様子で声を荒げ始めてしまった。どうしよう、何がそんなに彼女の気に障ったのかわからない。
「ああもういいわ、馬鹿馬鹿しい! あなたみたいなにぶちん、後でせいぜい後悔するといいのよ!」
彼女は限界まで顔を近づけて怒鳴り散らすと、ふんと鼻を鳴らして立ち去っていった。
私は今の出来事が飲み込めずにしばし立ち尽くしていた。
一体彼女は何をしにきたのだろうか。恐らく私がマットソン少佐に相応しくないということを伝えに来て下さったのだろうが、私の肯定を受けて喜ぶどころか怒りだすとは、どうしてそうなるのかさっぱりわからない。
「ぶっ……くっくっく。あー、最高だね。いいモン見せてもらったわ」
その時、背後から押し殺したような笑い声が上がって、私は慌てて声のした方へと振り向いた。
曲がり角から現れたのはリンドマン室長だった。彼は白衣のポケットに手を突っ込んだまま、気怠げな足取りでこちらに向かってくる。
尖った人材の集まりである第二研究室の親玉である彼は、31という若さで室長を務める実力者。まったく偉ぶった所のない飄々とした人柄で所属する研究官たちの支持を集めている。
私は彼に拾われて魔術省に入省した経緯がある。この方の誘いがなければ今頃どうなっていたことか。本当に、室長にはいくら感謝しても足りない。
「室長。いつからいらっしゃったのですか」
「お前さんと奴が遭遇した時から」
ただし、この方にはトラブルを楽しむ悪癖があるのだ。にやにや笑いを向けられるのもいつものことなので、私は特に気にせず会話を続けることにした。
「ありゃ今回の戦争で功績を挙げた戦術魔術部の若きエースだな。ヒルダ・イェンネフェルトとかいったか」
「彼女を怒らせてしまったようです。午後にでも謝罪に行こうかと」
「ほっとけ。お前さんが悪いことをしたわけじゃない。むしろ喧嘩ふっかけてきたのはあっちだろ」
「氷の魔女と言われていることは紛れもない事実ですし、当然の指摘です」
そう、彼女が言っていたことは全て真実。私が引き起こした事件は、当時魔術界のみならず社交界をも揺るがしたことで有名だ。それについて反省こそすれ、白い目を向けられることを理不尽などと思えるはずもない。
「俺はそうは思わんよ。フレヤは思いやりのある優しい娘だ。あの事件だって、お前さんが悪いわけじゃない。じゃなきゃスカウトなんてするはずないだろ」
室長は仕方ないなと言わんばかりに微笑んでいる。そう、彼を始めとした第二研究室の皆さんは、いつだって私を認めてくれているのだ。彼らと共に仕事ができることは本当に幸運であったと、私は心から感謝している。
「やあ、リンドマン室長。元気にしていたかね?」
やけに大きな声がして、私達は同時に振り返った。
大きな体を揺らすようにして歩いて来たのは、戦術魔術部のバーリ部長だった。
「バーリ部長。しばらくぶりですな」
「うむ。今、うちの部下が怒り顔で歩いておったが、何か失礼をしたかな」
バーリ部長はこの魔術省において管理職を務める大物で、ご自身も侯爵の爵位をお持ちとあって絶大な影響力を誇っている。体も大きく魔力値も高い彼は、炎という属性も相まって稀代の魔術師として有名だ。私などはそうそうお話しできるような方ではないため、目を伏せて一歩下がっておくことにする。
「いえ、存じ上げませんが」
リンドマン室長は端正な笑みを貼り付けて、何のためらいもなく嘘をついて見せた。どうやら私のことを庇って下さったようだ。
「そうかね、なら良いのだが。血気盛んな連中なのでな、私も苦労しているのだよ」
「ご苦労お察しします。では、私はこれで」
リンドマン室長のいつになく壁のある物言いに、私は内心で首を傾げる。もしかしてあまり仲がよろしくないのだろうか。しかも、さりげなく私とバーリ部長の間に入って下さっているような。
そしてリンドマン室長に従って立ち去る直前、バーリ部長の見下ろす視線と目を合わせたのだが、冷酷なそれは何だか品定めされているように思えたのだった。
「フレヤ」
「はい」
「バーリには気を付けろ。何も言わず心に留めておけ」
「……はい。承知しました」
室長は普段の飄々とした調子から一転、とても真剣な面持ちで、バーリ部長の去って行った方角を見据えている。
私のような新米と違い、リンドマン室長ほどの方だったら、きっと組織の深部に精通しておられるはず。なぜバーリ部長に気をつけなければならないのか教えてくださらないのも、事情があってのことなのだろう。
とはいえ、あのバーリ部長の鋭い視線が、私に言い知れぬ不安をもたらしたのは確かなのだった。