17 氷の魔女は告げる
眼が覚めると朝焼けが室内を淡く染め上げていた。
私は焦って飛び起きたのだが、すぐ側に居たリリーさんに宥められて、一先ずベッドに座り直すことになった。
「あなたは丸1日眠っていたのよ。吹雪のお陰で火は消えたし、死者も出なかった。頑張ったわね」
よしよしと頭を撫でられ、私はほっと一息ついた。良かった、住民の方達は無事だったのだ。どうやら私は魔力を暴走させずに済んだらしい。
そこまで考えついたところで、もう一つの疑問にぶつかった。
「マットソン少佐は⁉︎ あの方は無事なのですか!?」
考えるより先に言葉が口をついて飛び出していた。私のいつになく焦った様子にリリーさんは驚きの表情を浮かべたが、すぐに優しい笑みを見せてくれた。
「大丈夫よ。今は事情聴取に参加してるわ」
「事情聴取」
「そうよ。話すと長くなるのだけど……」
リリーさんはじっくりと説明してくれた。バーリ部長のとんでもない計画に、私を戦術魔法部に異動させるために動いていたという衝撃の事実。
そして、マットソン少佐が私を守ってくれたという事も。
「それで火傷を負ってしまってね。大丈夫だったのかしら」
「火傷……⁉︎」
そんな、私のせいで彼が火傷をしただなんて。いてもたってもいられず、私は本能の赴くままに立ち上がった。
「リリーさん、マットソン少佐はどちらですか」
「手当をしながら話を聞くって言ってたわ。だから魔術省の医務室だと思うけど」
「わかりました。リリーさん、付いていて下さって、ありがとうございました」
私は深々と頭を下げると、すぐさま小部屋を飛び出した。
一人残されたリリーさんが「ほんと、恋っていいわね。羨ましいわ」と呟いていたのだが、それは一生知りようのない事実である。
空という最短ルートを使って魔術省に到着した私は、魔術省の内部を走っていた。医務室といってもたくさんあるので、片っ端から扉を開け放っていく。早朝の医務室はほとんど誰もいなかったが、たまに誰かしらが眠っていたりして、その度に驚かれてしまった。
そんな迷惑行為を繰り返しているにもかかわらず、私の脳内はある一つの思いが占拠していた。
マットソン少佐の怪我はどれ程のものだろう。バーリ部長と戦っただなんて無事で済むとは思えない。どうしよう、私が寝こけていたせいでそんなことになっていたなんて。
ここにもいない。ここにも。マットソン少佐、どこにいるの。私はあなたに会いたい。会いたい——。
「フレヤ嬢……⁉︎」
不意に名前を呼ばれて、私は壊れたゼンマイ人形のように動きを止めた。そしてゆっくりと振り返ると、そこには探し求めていた人がいたのだった。
「良かった、目を覚ましたのか。どうしてここに」
「マットソン少佐!」
私は駆け出した勢いのまま、マットソン少佐に抱きついていた。
元気そうな姿を見たらすっかり安心してしまって、強張った全身から力が抜けていく。良かった、本当に良かった。ここまで普段通りということは、きっと魔術医務官の方達が頑張ってくれたのだろう。
「火傷をしたって聞いたの。心配したのよ……!」
顔面を歪めていないと涙が溢れてきそうだった。今の私はひどい顔をしているのだろうけど、これがいわゆる表情というやつなのだ。それはどうやら感情と直結していて、実に厄介な代物らしい。
けれど不思議と悪い気はしない。頭の片隅でそんなことを思った。
「無事で良かった。守ってくれて、ありがとう」
言いたいことを言ってしまってから、私はふと我に帰った。
つい抱きついてしまったけれど、彼からの反応が全くない。抱きしめ返してくれるどころか、言葉の一つすら返ってこない。
やっぱり迷惑だっただろうか。私みたいな可愛げのない女なんて、もうとっくに好きではなくなったのかもしれない。私は腕の力を抜くと、そろりとした足取りで彼から一歩距離を取った。
マットソン少佐を見上げると、驚いたような顔をしたまま静止している。何だか魔術省の前で再会した時のようで、あの時彼に随分と酷い態度を取ってしまった事を思い出した。
「ごめんなさい。急に抱きついたりして」
苦い思いを噛み締めて頭を下げたところで、ようやくマットソン少佐に動きがあった。
急速に顔を赤く染め上げた彼は、あたふたとした動きで身振り手振りをしながら話し始める。
「い、いや、違う! びっくりし過ぎたんだ、嫌だったわけじゃない!」
「……本当に?」
「ああ、勿論だ! むしろ嬉し過ぎてどうしようかと思った!… …あ、いや、その」
マットソン少佐は口に手を当てたが、飛び出した言葉は取り消せるものではないと悟ったらしい。彼は観念したように、真っ直ぐに立って私を見据えた。
「本当は、もっと君の信頼を得るまでは思っていたんだが、ちょっと抑えきれないので言わせて欲しい」
何だろう、この真剣な眼差しは。動けなくなってしまう。
「俺は君のことが好きだよ」
今度は私が時を止める番だった。頭が真っ白になるというのは、こういう事を言うのだろう。
何も言わない私にマットソン少佐は何を思ったのか。彼は優しげな苦笑を零すと、わかっているとばかりに首を横に振った。
「いいんだ、伝わらなくても。俺が言いたかっただけだから。……それじゃ、行こうか。君は寮に戻るんだろう?」
マットソン少佐は私に背を向けて歩き出した。
回らない頭に浮かんでくるのは、ただ一つの感情だけだった。
それはこの1年と少し、未練がましく抱き続けていたらしい、大事な想い。
「私はあなたのことが好き」
その言葉はやけに素直に口から飛び出してきた。
本来口下手な私だが、率直な気持ちを言葉にする事くらいはできるようだ。これは新たな発見である。
「………え」
マットソン少佐はものすごい勢いでこちらを振り返って、またしても静止してしまった。真っ白になった顔のまま、口から漏れ出た短い声は、もはや吐息と言って差し支えないほど微かなものだった。
「兄から聞いたの。あの時求婚してくれたのがあなただって、気付かなくてごめんなさい。私多分、あの時からあなたのことが好きだった」
「……すまん、ここは天国だったのか?」
「間違いなく地上だけど」
「じゃあ、本当に?」
私は冗談が言えるほど器用じゃない。小さく頷いて見せると、息をのむ音が聞こえてきた。
マットソン少佐は今度は顔を赤くしている。それこそ完熟したトマトのようだ。白くなったり赤くなったり忙しい事だが、驚かせるようなことを言ったのが私とあっては申し訳ない気持ちになる。
どうやら私はそれ程までにわかりにくい性格をしているらしい。自覚したのがつい一昨日の事なので仕方がないような気もするが、基本的に無表情で反応が薄い自覚はある。
「やっぱり、迷惑だった?」
「めっ、迷惑なはずないだろ……!」
唐突に伸びてきた腕に両肩を掴まれ、私は目を瞬かせた。マットソン少佐は目を細めて眉を寄せていて、何だか泣くのを我慢しているような表情に見えた。そんなはずがないのは分かっているけれど。
「俺がどれだけ君のこと好きだと思っているんだ⁉︎ 迷惑だなんて事あるはずがない! ああ、駄目だ。嬉しくて本当に死にそうなんだ! どうしたらいい?」
彼は赤い顔を片手で覆って所在なさげに視線を彷徨わせていたが、私は私で頬に熱が集まってくるのを感じていた。
こんな奇跡があっていいのだろうか。私のような人間が、こんな喜びを手にしてもいいのだろうか。
今までの私は無意識のうちに幸せを遠ざけていた。けれど彼が素直に喜びを表しているところを見ていると、心から幸せだと思えてくる。
兄上は自分の幸せについて考えるべきだと言ってくれた。私はこれからもあの出来事を忘れはしないけれど、今はその言葉に甘えてもいいだろうか。
「……あの。それなら、もう一度言って。名前を呼んで、好きだって」
「フレヤ、君のことが好きだ。愛している」
不安な気持ちで告げた願いがすぐさま叶えられてしまって、私は思わず口ごもった。
マットソン少佐はその時ようやく笑った。そう、あの太陽よりも暖かく明るい笑顔で。
「君ももう一度言って欲しい。俺の名前を呼んで」
そして私も笑った。後で彼に聞いたところによれば、今までで一番幸せそうな笑みだったらしい。
「私も愛しているわ。ウルリク」