16 英雄は戦いに挑む
フレヤ嬢が目を覚まさないまま、いつしか夜になっていた。
これまでに被害状況の報告が上がってきたが、本当に死者は無かったらしく、これだけの大火事では奇跡的な事だと皆が噂している。そしてその奇跡の立役者である氷の魔女が、どこかへ消えてしまったということも。
俺は本来なら直属の大隊を率いて火災の後片付けをしなければならないのだが、帰国してから働き詰めだった事もあって別の隊に仕事が回ったらしい。申し訳ない気もするが、今はこの幸運を利用させて貰うことにする。
なぜなら今は、フレヤ嬢の側を片時も離れずに守らなければならないからだ。
魔術医務官が眠っているだけだと断言したので、俺は心配を押し殺してフレヤ嬢の個室を後にしていた。
そして今は、彼女の眠る小部屋の前で気配を殺してその時を待っている。
長いような短いような時間の後、待ちわびた人物は堂々たる巨体を俺の前に晒したのだった。
「お久しぶりです。バーリ部長」
「君は……」
バーリ部長は2名の部下を従えていた。彼は驚いた顔こそしなかったものの、動揺に瞳を揺らしているように見えた。
「マットソン少佐か」
「お待ちしていましたよ。彼女が目をさましたら台無しですから、来るなら早いうちだろうと思っていました」
「私は君が何を言っているのかさっぱりなのだが」
「今更とぼけるおつもりですか? ではなぜこんな夜更けに、侯爵のあなたが民間の避難所へ来た」
俺は渾身の怒りを込めて目の前の男を睨み据えた。しかしまだまだ気圧されていないあたり、さすが魔術武官を束ねるボスといったところだろう。
「貴様、私にいったいどんな言い掛かりをつけるつもりだ」
「それはあなたが一番よく知っているはずだ。戦術魔法部の功を得るため、わざと街に火を放って救助活動にあたったんだろう」
その時、俺は後ろの部下2人が息を飲んだ事を見逃さなかった。
そう、バーリは常々から戦術魔法部の地位を向上させることに心血を注いでいた。戦場では軍隊と同程度の影響力が欲しいと愚痴っていたのを耳にしたことがある。
どんな手を使ってでも地位と名声を追い求める権力の亡者。リンドマン室長がこの男をそう評していたのを聞いて、俺もまたなるほどと思ったものだ。
「部員は近場で演習させておけば、どこよりも早く駆けつけて活躍することができる。本来空き家の数件程度の被害で済ませるつもりだったのかもしれないが、あなたは燃え広がった時の為に保険をかけていた。それがフレヤ・エルヴィスト嬢だ」
「何を馬鹿な」
「彼女の力を以てすれば大火災でも食い止められる。それほどの力の持ち主だと確信を得たのは、あの公園の展示会で、彼女が2000もの魔力値を叩き出したのを見ていたからだ。違うか」
バーリのこめかみがピクリと動いた。
あの時、公園で何者かがこちらを窺っていた事は知っている。それの正体はバーリの息のかかった部下か、もしくは本人だったのだろう。フレヤ嬢は気付いていなかったようだし、敵意はなかったので放っておいたのだが、どうやら間違いだったようだ。
無事を確かめるためもあって(いや、ただ単に会いたかったというのが一番の本音だけど)毎日顔を見に訪れていたのも、牽制には成り得なかったのだから。
「……いや、彼女を戦術魔法部に引き込む事こそが最大の目的だったのか。彼女が一人で火災を食い止めれば、世間からの声で戦術魔法部に異動せざるを得なくなるだろうからな」
世間の共通認識として、魔力の高いものは戦術魔法部に所属する事が望ましいとされている。そう、この男はスターを欲していたのだ。世論を操り、戦術魔法部の地位を高めてくれるような看板選手を。
「とんでもない戯言だ! 言い掛かりも甚だしい! 貴様、私に対してこのような口を聞きおって、覚悟はできているんだろうな!?」
バーリは突如として激昂した。怒りと怒声の扱い方をよく解っているのだろうが、軍隊暮らしの長い俺に効くものでもない。
「今の地位は俺にとっては何の未練もないものでね、むしろ失ったほうが清々する位だ。けど便利なこともあるらしいな。何せ軍の幹部は疑わしい人物をしょっぴく権限を持っている」
「……仕方があるまい!」
鋭い舌打ちが暗闇を裂いた。バーリは丸太のような腕を振り上げると、呪文無しでいくつもの火球を出現させる。部下たちは顔を青くして後方へと飛び去ったが、俺はここを動く気は無かった。
後ろにはフレヤ嬢の眠る部屋がある。必ず死守しなければならない。
予め用意しておいたものは水の入ったバケツだけ。ずいぶん頼りないが、炎の魔術師相手ならそれなりには効力を発揮するはずだ。
俺はバケツを引っ掴むと、まず小部屋に向かって水をぶちまけた。次に自分で冷え切った水を頭から被り、空になったバケツを蹴り飛ばす。
金属が壁に跳ね返って甲高い音を立てたのが、戦闘開始のゴングになった。
空気を切る音を立てて飛んでくる火球をステップで避ける。いくつかが肌を掠める気配を感じたが、不思議と熱さは感じない。
避けるごとに前へ進むことを意識して少しずつ距離を詰めていく。
後退しながら避けてしまうと、すぐに壁際に追い詰められてしまうので気をつけなければならないのだ。魔法の攻撃は近距離に向かないので、どれだけ早く接近するかが、大魔術師を相手取る鍵になる。
そうして短い時間の攻防の後、俺は間合いに入ることに成功したのだった。
バーリの顔が焦りに歪むのを眺めながら、最後の火球を強引にかわす。
そして体の軸を真っ直ぐに取ると、間髪入れずにバーリの顎に掌打を叩き込んだ。脳天へ突き抜けたであろう衝撃が彼の焦点を揺らしている間に、胸ぐらを掴み上げるとその勢いのまま巨体を肩に担ぎ上げる。自然と掛け声が口から飛び出し、全身に力が漲っていく。
張り詰めた怒りが怪力を呼び覚ますようだ。俺は渾身の力を込め、バーリの巨体を投げ飛ばしたのだった。
まるで熊が地面に倒れ臥すような地響きと共に、バーリは教会の板張りに沈んだ。詰めていた息を吐き出した俺は、水だか汗だかわからないものでびしょびしょの額をぬぐい、気絶した戦術魔法部長に一言投げつけた。
「彼女の魔法は彼女のものだ。二度と利用しようなどと考えるな」
一応部下たちの様子も確認したが、廊下の片隅で竦み上がっており、反撃してくる気はなさそうだった。俺はようやく力を抜いて、小部屋の扉にもたれ掛かる。
「今度こそ守れたかな。そうだといいな……」
今更のように火球が掠めた脇腹と肩が焼け付くような痛みを訴え出していた。ズルズルと床に座り込んだところで、廊下の向こうから複数の足音が聞こえてくる。やってきたのはリンドマン室長達で、この状況を見て全てを察した彼は、苦笑を浮かべて見せたのだった。
「派手にやったなあ、マットソン。お前大丈夫か? 所々焦げてるんだが」
「問題ありません。それで、証拠は見つかったんですか?」
「ああ、協力した部下に洗いざらい吐いてもらったわ。馬鹿なことしたもんだよ」
魔術研究官達はバーリとその部下2人に魔力制御の腕輪を取り付けている。どうやらこれでこの一連の騒動には決着が付きそうだ。
「ひとまずお前は手当だな。それともフレヤの側をテコでも動かないか?」
「…………いえ、行きます。事情聴取もあるんでしょう」
「だいぶ間があった気がするが、それでこそ英雄様だ。んじゃ行くぞ」
リンドマン室長はいつもの飄々とした笑みを浮かべながら、俺に向かって手を差し伸べた。その手を取って立ち上がった俺は、物音一つしない小部屋を振り返り、そしてすぐにまた前を向いて歩き出したのだった。